May 14, 2005

その冒涜がいったいナンボのものなのか

 前に菊地成孔さんが、自分のAmazonレビューに酷評を書いた人に対して「売上低下に直結するからやめて欲しい」といったことを強い語調で書かれてたのね。全くその通りだと思うんだけど。

 Amazon巡回してて「あ、このCD聴いてみようかな〜」程度に思ったCDのレビューに、どこの馬の骨ともわからん一般人がしたり顔で「駄作。聞く価値なし。○○のパクリ」とかって一刀両断にしてたら、やっぱりそれでも買おうって思わなくなるじゃん。他人のコメントを鵜呑みにする必要なんて全くんないんだけど、情報が少ない上に対象のCDが「聴いてみようかな?」ぐらいの思い入れだったら、他に聴きたいCDいっぱいあるし、別のCDのページへ行ってしまうと思うのよ。みんなそんなことない? コメントって一切気にならない?

 やっぱりさ、俺ら一般人(お金をもらって評論家として暮らしている人、じゃない人々)は酷評しちゃダメだと思うのね。CDだの映画だの本だののレビューを書く時。だって責任取れないじゃん。俺らみたいな浅はかな一般人の一方的な酷評で、クリエイターの人たちがやる気なくしたらもったいないじゃん? 自分と趣味の違う人がその作品に出会うチャンスをつぶすことないじゃん?


 俺の大大好きな漫画──それこそ当時小学生の俺の人生観(そんなものがあれば)がひっくり返るほど衝撃を受けた作品──が、昨年かな? 映画化されたの。アイドルの男の子が主人公の映画だったんだけど、とてもとても評判が悪くてね。ちょっと評判悪いなぁ、ぐらいの時は俺も観てみたいと思ってたんだけど、「作品を愛する人が観たら絶対に卒倒するほど気分が悪くなる」みたいなことまでそこかしこで言われてて、うーんっつって悩んで、結果的には観てないの。
 とにかく誉めてる人を見つけられなかった。プロの映画評論家も否定してた。提灯持ち雑誌ですら「話題の」「豪華キャスト」「CGがすごい」のような誉め方だった。

 で、その映画監督さんが今年死んでしまったのね。病気だったらしいんだけど。きっと、その時に問題の映画を酷評して「あんな映画作った監督は死んでしまえ」ぐらいのことをレビューとして上梓していた人たちは、やっぱり後味の悪いものを感じていると思うのね。

 映画の酷評を苦にしたことが病気の原因、という噂も聞いたことがないのでそう考えたら映画とは無関係かもしれない。無関係だと思う。でもあのインターネット上に溢れていた酷評を見て胸を痛めることが全くなかったか、つったらそんなことはないと思うのね。絶対知っていたと思う。病気で心身ともに疲弊している時に「最後の作品が世界中から酷評された」ってしみじみと思った時、頑張ろうという心が折れてしまうようなことがあったかもなんて思うと、やっぱり胸が締め付けられるような思いになるじゃない?

 そんなことないかな? 「あんなひどい作品撮ったやつだ、なじられながら死んだって仕方がない」なんて言う? 彼が病床から元気になることよりも、俺らがあの漫画作品を愛する気持ちの方が大事だったかなぁ? 俺らが「これはあの作品に対する、そしてあの作品に大きく影響された俺の人生に対するとんでもない冒涜だ!」みたいなことを言うのは簡単だけど、その冒涜ってどれだけ重要なんだい? って気にもなってくるじゃない。

 いや、わかってるよ。無関係だろうことは。だけどやっぱり後味悪いじゃない。俺らが「愛する漫画を汚したあの映画はここが酷い」って挙げ連ねてたの、何一つ責任取れないもん。酷評なんてインターネットにほいほいアップするもんじゃないよ、って思った。言論の自由なんて、責任とセットじゃないと暴力だもの。

 つったってついついそういう語調の強いページに目が行っちゃうんだよね。刺激的だから。悪いとわかってても。

 全部インターネットのせいだ。

 
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 津田さんにトラックバックしていただいたんですが、コメント欄もないのでこちらに追記。

 津田さんのおっしゃってる「自分の好きなものも併記」って考え方はすごく面白いけど、成立しないことも多いんじゃないかって思うのね。ルールになっているからその形式で酷評するけど、併記する好きなものはビートルズで常に的外れ、みたいな人ばっかりだったら意味がないじゃないですか(ここで俺がビートルズに他意がないのはご理解いただきたい)。その上、併記された好きなものであっても、酷評によって傷ついてしまうのは変わらないんじゃないか、なんて思うわけです。失われて勿体無いのは、今後現れる才能の芽だというのは同じ意見ですもんね。

 良くなかった作品に対する評価の方法は唯一、黙殺。これしかないと思うんですよね。話題にならないということが、その作品が面白くなかったということの裏づけの全てになればいいと思うんですよ。
 プロモーションに金がかかってないからたくさんの人の目に触れないものを、個人のレビューでどんどんピックアップして世に知らしめられるのがインターネットのいいところじゃないですか。それを受けて、良くないものは話題にしないようにしようゼって風潮になっていったら、結構いいことずくめだと思うんですけどねぇ。これって具体的な提案になってないかしら。(05/05/15 00:20)

Posted by dk at May 14, 2005 05:29 PM | TrackBack
Comments

コメント欄ありますが……?

あと
>好きなものはビートルズで常に的外れ

それはそれでいいんですよ。抑止力として好きなものを挙げろと言ってるわけではないので。

Posted by: 津田 at May 15, 2005 01:36 AM

下記ページでリンクし、コメントさせていただきました。
 http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=94110&pg=20050514

Posted by: Reiko Kato at May 15, 2005 03:06 AM

見も知らぬ者の酷評(のような、つまらないと思えばつまらないもの)が耐えがたいのなら、意見や作品を世に問うことよりも、無名さによる防衛を追い求めることを優先した方がいいと言えるのではないか。酷評は表明されなくとも存在しうるのだから。(たまたま)それを見聞きしないでいることに乗っかっていること(=耳をふさいでもらっていること、論評を手控えてもらっていること)の問題の方が、実は大きいと思える。
かつて新聞やテレビが報じないニュースは存在しないも同然だった。ニュースであるべきかどうかを誰かが恣意的に決めていた。今は違う。
それから、ある時期ネットでテキストとして書かれたことが嘘であっても、多くの人が事実として疑わなかった時期があった。今もそういう人がいるかもしれないが、明らかに人が情報の真偽や偏りについて意識することは多くなったはずだ。
N監督の撮ったDマン。もし噂通りの作品だったとして、それをネットに誰も書かなければ売上げや評判は良くなっただろうか?ネットがなくても口コミはあるし、それ以上に見た人の心の中に評価は確実に存在する。それを黙って口をつぐめと言うのは正しいだろうか。Dマンが噂通りの作品で、それが最後の作品となってしまったのだとしたら同情すべき出来事だが、世の人が黙ったまま腹の中で酷評していたら、N監督は幸せであるだろうか。逆になんと言われようとDマンが優れた作品であったのなら、いかに罵倒されようがN監督の誇りは揺るぎもしないであろう。
酷評され、それに納得がいかないのであれば、その理由を静かに示し、そうでないと思うところを語るべきであろう。その行為そのものが、見る人から見れば高く評価されるはずだ。
そして遠くない未来のわれわれは、一つの酷評に接したとき、それだけで熱することなく、別の意見も参考にしようとするだろう。それこそが成熟ではないだろうか。

Posted by: unknown at May 16, 2005 08:28 PM

私は逆に、もっと酷評を頻繁に目にする場面があったほうがいいと思います。
たとえばアメリカのテレビでIT情報番組があって、そこにゲーム紹介コーナーがあったりします。本当につまらないけどプロモーションだけ力を入れているようなハッタリゲームは酷評されます。(もちろん中にはそのゲームが面白いと思う人もいますけど)

角の立たないレビューばっかりでは「映画会社の経営者とゴルフ仲間で。言うことを良く聞く監督が、批判だらけの作品を作ってしまう」ことにデメリットを与えられません。

また、監督のがん治療と作品批評の是非についてヒューマニズム的にリンクしてしまうのはちょっと卑怯だと感じます。それは、死者に鞭打つのは控えるという人間が持つ文化を悪用しているからです。
黒澤明的に「だったらオープニングにがんばって撮影したので見てくださいとでもテロップをいれたらいいんだ」という話だと感じました。

Posted by: otsune at May 20, 2005 02:54 PM

那須さんみたいな作り手は徹底的に酷評して二度と作品を作れないようにすべきと思いました。

Posted by:   at May 21, 2005 09:31 PM

皆さん俺と全然違う意見なわけですが、それは全然否定しないですね。とくに、こちらにコメントいただいてる皆さんのご意見は、俺と違ってはいるものの筋は通ってるし、なるほどと納得させられます。俺の意見や気持ち自体はひっくり返らないけれども、本当になるほどと思います。

ただ、「二度と作品を作れないように」のくだりは同意できないです!

それから……
俺、自分がこのサヨナナで批評・酷評を一切してこなかったというつもりもないし、今後批評的なことまったく書かないというわけでもないですよ。
ただ、こうして「サヨナナの実験」としていつもここにいること、言った言葉の責任を取ろうと努力することが裏づけの全てですね。

Posted by: dk at May 23, 2005 04:30 AM

「もう二度とこんな作品は作って欲しくない」と思うから酷評するんでしょ。
そんな事をしてで責任を取れるか?と言われたら、
他の作品も同様に厳しく評価する事が責任を取るって事かな?
で、もう二度とそのような作品が作られなかったら、
「酷評した甲斐があったね」って事になる。

> 俺ら一般人は酷評しちゃダメだと思うのね。
逆だろ。一般人だけが酷評していいんだと思うんだよね。
お金貰ってるヒトは酷評したダメだよ。何処まで本気か分からないもん。
そんな商売で酷評されるなんてクリエイターが可哀想だ。そんな事して責任取れるのか。
でも、俺達一般人は自分のした酷評の責任は取れるぜ!

でも、自分が「作品のターゲット」に含まれないと感じたら、評価しない事。
子供向けの作品を「ツマラン」と斬って捨てる大人は無責任だよね。
御呼びじゃねぇから黙ってろ、と。
サプライヤーが(クリエイターの意に反して)ターゲットを偽って宣伝する場合もある。
(男性向SF映画なのに女性向純愛映画風に宣伝して、視聴者がポカーンとしてたり、)
そりゃ騙されたヒトは酷評するさ。でも、それはサプライヤーの責任なんで、
批評者は慎重になる必要があるし、批評を受ける側も自分で判断できなきゃね。

クリエイターのオリジナルではない原作のある作品の場合は、
視聴者の側がクリエイターに対し「御呼びじゃねぇから引っ込んでろ」と言う酷評もありえる。
(ってDマンか)

Posted by: at at May 23, 2005 03:54 PM

二度と「こんな」作品を作って欲しくない
ためにする酷評と
二度と作品を作れないように
するための酷評は別物であって,後者のような酷評がナンボのもんなのか,と僕は思います.

そして前者の意図で書いてるつもりでも,酷評は作品と人格が混同されがちなので書く側はよく考えて(寝かせて)から発表するのがいいと思います.月並みですけど.

Posted by: SIB. at May 24, 2005 04:06 PM

いやあ、いっぱいいろんな意見が聞けて嬉しいですね。ホントに。

Posted by: dk at May 31, 2005 02:12 AM

少なくとも、一般人(がどういう定義なのかは難しいところですが)でも自由に批評していいのではないかと僕は思います。
まず、少なくとも購入者はその商品を自分の懐から対価を払っているので、その権利は十分にあるといえます。
僕は職業柄、モノを市場に売り出す立場の人間ですが、商品というのはやはりお金を払うエンドユーザーこそ全てであり、どう感じ、どう使おうとモノを作る側は文句は言うべきではないと思います。もちろん、正規に入手しないユーザーに対してはこの限りではありませんが…。

Posted by: peepy at June 4, 2005 01:36 AM

>俺ら一般人は酷評しちゃダメだと思うのね。
>だって責任取れないじゃん。
>自分と趣味の違う人がその作品に出会うチャンスをつぶすことないじゃん?

実際の受け手側の立場って99パーセント以上素人だし
批評家よりも一般人の評価の方が信用できる。
責任って言うのは全面的にそれを作り出したクリエーター側にある。
正規ユーザーが作品を受け取ってどう感じるかは自由だし、大多数は表現力豊かな表現者じゃなく
表現力の乏しい一般人なんだから、究極的には感想は「おもしろい」「つまらない」で十分。
売りたいのであれば、そういうものを跳ね返せるくらいのプロモ活動をやれば良いし
売り上げなんて生産者の都合なんで生産者の責任でやればいい。
クリエーターやその志望者なんて5万と居るし、座席は有限なんで潰される奴はどんどん消えていけば良い。

>「二度と作品を作れないように」のくだり
この辺は結果論だよな。
需要が無くなれば二度と作品をプロとして創れなくなるし、需要があれば生きていける。
酷評の意図が何であれ、その酷評に負けてしまうのであれば、どの道要らない人間だったって事でしょう。
表現の場って全然無限じゃなく有限のものなんだから、もっと才能のある奴にチェンジさせれば
ユーザーサイドとしても有益だし、それが嫌なら才能の世界に居らずに堅気に行けば良い事。

Posted by: kaku at March 28, 2006 05:44 PM

くだらん作品を見たせいで発生した、金、時間、労力、精神的苦痛、などの損失を、
アーティスト側が補填してくれるのならこちらとしても批判を止めるのはやぶさかでない(笑)

批判されるのはアーティストだけじゃ無いっすよ?一般人だって仕事なり家庭なりで批判の
矢面に立たされることはままある、いわんやクリエイターをや。

また別の話、クリエイターたるもの、他人の批判の中で的を得ているものとジャンクとをフィルタリングできる能力は必須だと思う。
でないとモノなんて作れないよー

Posted by: フクスケ at May 31, 2007 03:11 PM

コメント失礼します。
自分はアマチュアミュージシャンです。
昨年、あるラッパーへのDIS(罵倒芸)曲をYoutubeにアップしたのですが、
その動画にはいくつもの酷評コメントが投稿されました。
自分としてはその酷評のおかげで頑張ろうと思えましたが、
若い頃、インターネットCDショップのユーザーレビューに、
「○○のパクリっぽいね〜〜!こういうのも出て来たか。」と書かれてたことがあり、
そのレビューはまだ若かったこともあり、相当ショックを受けました。
今となっては、「賞賛」の反対は「無関心」だと思っています。
貴殿が書かれている「黙殺」だと思っています。
否定も酷評も、「コメントをした時点で、その受け手の心を動かしたんだ」と、
否定すらもプラスに捉えられるゆとりを持っています。
また、競合相手によるネガティブキャンペーンもあるでしょうし、
ネットの世界にはこういうネガティブな部分は消えるわけがないと思っています。
人は変わらないので、自分が変わるしかないと思って、
筋の通ってない否定は「黙殺」しています。
理にかなった否定やアドバイスは、自分なりに咀嚼して受け入れています。
以上。
ブログBEEF的でおもしろくてコメントいたしました。

Posted by: MC NANASHI at April 19, 2010 01:58 PM
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