もっともっと麻薬ってものを忌み嫌って良いと思うんです。知られてしまったら「人間それやったら本当におしまいだよね、救いようがないよね」「そんな人とは一生絶対にわかりあえないよね」って言うぐらいの禁忌になればいい。報道聞いてぎょっとしちゃうような、人間だったら絶対に手を出してはいけない罪になればいい。一般的な感覚の人に尋ねた時に、不謹慎にも「こういう人は本当に死刑でいいと思うよ」みたいな発言が出ちゃうような、そういうランクの罪と同じように扱われる悪いことになればいいと思います。一度麻薬に手を染めた人が人前に出るなんて有り得ない、テレビでの芸能活動に復帰するなんて考える余地もないレベルで許されない、そのぐらいの扱いになればいいと思います。
そうしたら少しは根絶に近づくんじゃないかって思うから。今の日本の、麻薬で捕まっちゃった人に対する「あーあ、手ぇ出しちゃったねー」「見つかっちゃったかー」でそれなりに納得しちゃうような、ほとぼりがさめるまでは表立った活動しない程度でハイOKみたいな、そういう感覚の人が減りますように。いなくなりますように。
なんというか、あの見下した感覚が嫌なんです。自分は手を出さない、自分は中毒になったりしないっていうことを前提に、その位置から、手を出してしまった心の弱い人を見下す感じが嫌いなんです。ひどい環境にいる人たちが麻薬漬けになってるのを、抵抗できなかったんだね、弱かったんだね(俺はそんなバカなことしないけどね)って感じで切り離しちゃう感じが不愉快なんです。彼らが麻薬に手を出すのは、そしていつまでも蔓延しているのは、見下してる側の人間の心に「手を出すのは我々と違う低い世界の人たちだから」みたいな溝があるから、という気がしてならないんです。
麻薬ってのはお金を生みますよね。麻薬生産専用みたいに扱われてる国があって、麻薬を生産することを生業にしてる人たちがいる。その国にはやっぱり麻薬が蔓延していて子供から大人まで麻薬でたくさんの人が死んでる。そうなる理由は、それで儲ける国があって、それで儲ける人がいるからですよね。本当に一部の、世界を動かしてるレベルの権力者が儲けるために、麻薬は生産され続ける。何百年も変わらない歴史です。俺らの日々の生活からいくとどうしても「麻薬、暴力団、悪徳金融……」みたいな貧困なイメージにつながりがちだけれけども、麻薬の問題ってのはたぶん、そんなちっぽけな場所にはないと思うんです。一握りの強大な力を持つ人たちがさらに甘い汁を吸うために、何百万何千万人って弱い人たちが犠牲になる、そのもっとも顕著な例が麻薬だと思うんです。
麻薬生産国を動かすような一握りの人間たちにとって、麻薬に手を染める人たちなんて究極に見下す対象で、彼らのことを人間だなんて全然思ってない。自分のさらなる利益のために弱い人たちが死んでいくことに罪の意識がない。この見下しの構造が、俺らの心の中にある見下しと、根本的にはあまり変わらない気がするんですよね。「中毒になろうが死んでしまおうが関係ない」って。
誤解を恐れずに極端なことを言い方するならば、他人事として麻薬を認めることは遠くの国の戦争を認めることと同じだよ。他人事の世界の麻薬を憎まないことは、他人事の世界で弱い立場の人が殺されていくことを憎まないことだよ。立場や心の弱い人たちを見下して、その命を踏みにじって生きているってことだよ。片棒かついでるのと同じことだよ。
「未成年のタバコや飲酒の延長線上的な、ロックでアウトローな世界の象徴としての麻薬」みたいな低俗で貧困なイメージの世界からいつまでも抜け出さず成長せず、「キメるなら周囲に迷惑かけないよーにね!」みたいな無責任なことを言う人が嫌いです。麻薬を使用した環境で作られた音楽作品が好きだからといって、「NO MUSIC,NO LIFE!」という言葉を表層のまま受け取って、「(自分が聴いて楽しむために)通常では考えられない振り切れた音楽作品がこれからも作られるなら麻薬も一部、アリなんじゃないの」とかいう無責任な発言と、麻薬のおかげで死んでいく子供たちとを結び付けない人が嫌いです。
もっと麻薬を嫌おうよ。麻薬で不幸になってく人たちの存在で利益を得る人たちに、ほんの少しでも協力するのをやめましょうよ。手に届く範囲に不幸になった人がいないからってたいして考えることもせず、麻薬を許容することを不良っぽくて格好良いことみたいに表現するのよそうよ。自分の心の中の見下しに自覚的になって、その原因となるものを根絶しようよ。もっともっともっともっと麻薬を嫌って、「心の弱い人が手を染めたら抜け出せない、人間としての幸せを謳歌できないようにさせてしまう罪深い代物であるところの麻薬」を嫌って、この世界から遠ざけていきましょうよ。
偉そうなこと言って俺は実際に動いたりしないんです。麻薬撲滅の為のボランティアに参加したり私財をなげうったりしません。涼しい部屋で、パソコンに向かって文章をこねくり回してるだけです。でも、みんなに投げかけることで読んだ人がもっと麻薬を嫌いになって、麻薬遊びをするなんてことが今よりもっとずっと考えられない世界に近づいて、そんで俺の嫌いなものが少しでも縮小すればいいと思ってるんです。そんな世界を待ち望んでいるんです。
もっと麻薬を嫌おうよ。見下して線引きするのやめましょうよ。
Posted by dk at August 2, 2009 02:14 AMたとえば殺人なんかは死刑になる重罪ですが、やった人への感想としてはやっぱ弱いんだねーみたいな感じで終わっているような気がします。
それに、本当に憎むべきは儲けてる人なわけで、何かしらの理由で使った人の罪を重くして解決する問題でもないと思います。
まあ、人ごとですが。
Posted by: hoge at August 3, 2009 12:46 AMその正論、ちょっとわかる気がします。
真面目なことを恥じるような空気が私も嫌いではあります。
麻薬について、私の見方とは違った意見をお持ちのようなので、一言私見を書きたくてコメント投稿させていただきます。長文でご気分悪くしましたら申し訳ありません。有史以来、現代で麻薬と呼ばれている精神的肉体的に作用する物質は自然界にもずーっと存在してきましたし、科学的に人間も作り出してきました。ご存知のように日本の高度成長期を影で支えてきたのは、いまや覚せい剤・シャブと呼ばれている当時は薬局で気軽に買うことのできるヒロポンです。疲労がポンと飛んで、製造に集中できるということです。その頃は薬局で簡単に買うことができたため、ヒロポン自体で儲けるということはできませんでした。麻薬で稼ぐことができるのは、それが規制されているから裏社会・アンダーグラウンドに市場が潜ることで値段がつり上がるからです。いわゆる独占市場になるからですね。まあ、国と893が裏で繋がっているのは周知の事実ですが…。また、麻薬を製造していると言われている国(昔はラオスやアフガニスタン、昔から続いているのはメキシコやコロンビア)では、地場の資金獲得産業が少なく、資本経済が流入してきたことで、自給自足生活から貨幣経済生活に変化してきたことが原因のひとつと言われています。ただし、麻薬を生産することでコロンビアでは外貨を稼いでいますし、ラオスなんかは今では麻薬の代わりにコーヒーなんかを生産していますが、コーヒーも中毒性があるという意味では麻薬の一種と考えれます。さらにコロンビアなどから麻薬(コカインやヘロイン)を輸入しているのは北米です。問題なのは、質の良い自然系の麻薬(精製していないものね。精製すると中毒性とか格段に高くなるのでね)を適度に使用することは、ストレスの解消やリラックス効果を得ることに有効とのデータも出ております。昔からアヘンを作っているラオスの少数民族はお酒(ちなみにアルコール、これが史上最強のドラッグです。アルコース依存症で人生ボロボロな人は後を絶ちませんし、アルコール絡みでの殺人や死人も多いですね)の代わりにアヘンを晩酌代わりに使って、一日の労苦を癒します。それでも量と用法を間違いなく使っているので、問題はありません。コカインも高山での作業などには大変有効で高山病の予防や治療に使われています。また、コロンビアにはコカからコカインを作る工場があり、そこで雇用されている人やその人々のための商店やバーなど生活基盤になっている場所も多数あります。そこでは、麻薬がそこら中にあるのに、人々は健康的に明るく暮らしています。麻薬カルテルのことを悪く言う人もそれほどいません。
要は正しい知識を持って、正しい方向で適切に使うことができれば、有用な麻薬もあるかなと。私はそう思っております。あ、そういえば麻酔で使うモルヒネってすんごい強力な麻薬ですからね、医者でもなかなか処方してもらえません。すみません、焼酎飲みながら書いてしまってこんな支離滅裂な文章になってしまいました。それでは長文失礼致しました。