個人ブログ・個人サイトの文章なんて、何を書いたって自由だ。できれば責任持ってアップして欲しいけど、無責任な気持ちで公開したってかまわないはず。何書いた何言ったって自由な国に住んでいます。
で、コントロールする指標となるものはいろいろあるけど、法律とかマナーとかのほかに俺が大事にしてるのは、やっぱり美学かな、と思う。自分のサイトに載ってる文章の是非は、やっぱり自分の美学のもとに完全に統制されていて欲しい、と思う。
だから俺、興味ない人が亡くなっても、自分のサイトで取り上げたりしないんだよね。
俺、自分に関係ある人でなければ、誰が死んだって全然悲しくない。お悔やみの言葉すら捧げたくない。申し訳ないけど、世界じゅうの恵まれない子供たちが、俺がmp3ファイルで音楽聴いてる間に何の娯楽も享受することなくバタバタ死んでる事実がわかっても、全然胸が痛まない。ハンバーガーのおともにポテト付けるのをやめてそのお金を寄付しようとか思ったことない。知らない人の死って、全然悲しくない。そこまで俺の神経はまわらない。
ただ、それが自分の知っている人だったらって想像してみると、悲しい。世界じゅうの恵まれない子供たちのうちのひとりが死んで、その親が涙を流しているところを想像すれば悲しい。自分に置き換えてみれば悲しいに決まってる。でもそれって二次的だ。ワンクッション置いた上での「同情」だ。
俺はうすうす感づいてる。俺が大好きな人たちに死なれて悲しいのは「自分が損をするから」だ。その人と一緒にいて楽しかった時間がもう味わえないことを損失としてとらえている。あるいはその喪失感にふさぎ込む自分に酔っている。取り残された自分ってば可哀想だべ、とナルシシズムにひとりごちている。多分、それだけだ。俺の中の悲しみなんて所詮、根幹まで突き詰めたらそういうことだ。
自分に関係のある、自分の周りにいる、自分と思い出を共有したことのある、自分が好きな人が死んだら悲しい。損した気持ちになる。そうでない人には何の感情もわいて来ない。
でも命の尊厳ってのはわかってるつもりだ。誰にとっても生きることには価値がある。人が人を殺してはいけないのは生きることに価値があるからだ。その価値の重さは誰もが同じなのだなんて言えないけど(平等じゃないけれど)、大切な重さだ。
だから俺は、自分が悲しくも感じない人の死を、ブログの1エントリにしたりしないんだ。それが俺の美学だ。「その人が生きた証しをちゃんと刻んでおきたい」みたいな意思もなく、「ネタ」のひとつとして誰かの死を取り上げたりしない。今まで何の評価もしてこなかった他人の死を、自分のサイトの埋め草のひとつに使ったりしない。
俺が死んだ時に他人にそんなこと絶対にされたくない。付け加えみたいな「謹んでお悔やみ申し上げます」というコメントを書いた数秒後に、全く別の能天気なエントリを書かれたりして、そんな中に押し込められたくない。ほうっておいてくれ、と思う。
思い入れのない相手の死をネタにしない。俺はね。
まあ、「ブログによって報道が変わる!」っておっしゃってる偉い人もいることだし、実際そうなのかもしれない。俺にはよくわかんない。みんな「報道」をやってるつもりなのかもね。だったらやっぱり自由だ。報道する権利はある。みんながみんな報道関係者の時代なのだ。
全部インターネットのせいだね。
(2006-02-05 01:53:22に書いたエントリです。思うところあって再掲しました)
1ch.tvは失敗のまま幕を閉じたわけですけど、「シスオペ的役割の人を置く」「無価値な書き込み・有害な書き込みを制御する」というっていう方向性はアリだったと思うんですよね。……ああ、2ちゃんねるについていろいろ考えてたんですけどね。2ちゃんねるをはじめとした、誰もが自由に匿名で書き込める掲示板群群のことを。
「インターネットを利用した情報の発信は、実名でしか行なえないようにしよう」なんていうことを偉い人が本気で言い出してる昨今ですよ。そりゃあ悪い書き込みもいっぱいあるけど、全ての情報発信にいちいち実名の露出が必要なんてことになったら、今みたいな活発さは求められないのは間違いないじゃないですか。無記名だから気楽で面白いって部分が絶対ある。気楽だからこそ情報が集まり、集合知みたいなものになってるのは間違いない。だからこそ面白いってところも。
で、ですよ。スレ紹介ブログって面白いじゃないですか。俺今2ちゃんねるってほとんど見ないんですけど、スレ紹介ブログで盛り上がったやつは見るんです。2ちゃんねるを日々漫然と見ているよりもずっと効率がいいので。盛り上がりっていうのはある意味面白さの保障だし、ブログの形態に転載される時点で無駄(クズ書き込み)が省かれるわけですから。
そう考えると、スレ紹介ブログの管理人って、シスオペ的な役割を果たしているとも言えますよね。ちゃんと交通整理をしてくれる、ありがたい存在。
例えば……2ちゃんねるの書き込み時には、その人が持つ固有のID番号が必要になった世界……を想像してください。例えばですけど、携帯電話で認証確認しないと書き込めない、とかね(携帯電話を複数持てば可能ですけど)。書き込むときのハンドルネームは自由に変えられるし、ID番号は表示されるわけじゃないけど、認証自体は行なわれてる。見る人には全然別の人の書き込みに見えても、管理者権限で見ればどれとどれが同じ人物の書き込みかすぐわかる。そしてそれは犯罪でも起こらない限り誰にも教えない、公開しない。その人のあっちこっちでの書き込みの存在は、ID番号が集められてるサーバで一括管理されてる。
そんで……ここからがミソ。スレ紹介ブログで書き込んだスレが紹介された時、自分の書き込みが削除されるごとに、自分の持つポイントが失われていくシステムってのはどうかな、と。シスオペ役であるスレ紹介ブログの管理人に「この書き込みは要らんな」と評価されるごとに、その人の書き込める権限が奪われていくわけですよ。無価値な書き込み、有害な書き込みをしてるとちっともスレ紹介ブログで採用されず、「書き込み能力が低い」と判断されインターネットで情報が発信できなくなっていく、と。2ちゃんねるだけでなく、通りすがりで書き込める他人のブログのコメント欄に採用してもいいかもしれない。書き込みが削除されるとポイントが奪われていくの。
……正直、細かいことまでは考えてないんですけどね。スレ紹介ブログの管理人をシスオペ的な存在として扱い、スレ紹介ブログで割愛されちゃうような書き込みしかできない奴は発言力を失っていく、というシステムはどうかな、って思っただけなんですけどね
(わかってますよ。スレ紹介ブログに紹介されるスレが、2ちゃんねる全体に乱立するスレの、何分の一も占めない、ごくごく少ない数ってことは! 具体的な数はわかりませんけど、本当にごく一部でしょう)。
俺は未だに根強く「Winnyは違法だ」って思ってるクチなんですけど、Winnyによって達成できそうだったこと……いろんな人の発信する面白いもの(著作物に限らず)が、自由に共有されたり、二次利用されて発展したり、いろんな垣根がなくなったりすることってのは、本当に素晴らしいことだと思うんです。2ちゃんねるも根本は一緒と思ってて。ただ、そういう素晴らしい世界が「無責任性を保障すること」でしか成立しないのは寂しいと思うんですよ。「面白いものが世界に広がってみんなが幸せ」って目的の達成と、「人に迷惑をかけるのは良くないのでちゃんとルールは設定する、何かあったらとるべき責任はとる」ていう規制は、同時に実現できる気がするんです。技術の進歩とアイディアがあれば。
みたいなことを西和彦さんに今一度提案していただきたいんですけどいかがでしょうか!
俺みたいな中途半端に偉そうなことを言い出す奴が増えたのも、全部インターネットのせいです!
YouTubeやニコニコ動画はすごく便利なんだけど、急に規制がかかってテレビ番組とかがほとんど流通しなくなったとしたら、俺は別にかまわない。そーだよなー、ぐらい。1年後には「少し前は良かったなー」程度に思うだろうけど、たぶんそのぐらいだ。
例えばワイドショー的な、ちょっと見ておきたいニュース映像とかを見逃した時、ちょろっと検索してすぐ観られるのは心底便利だと思うのね。でも、これができなくなったとしたら……全然困らない気がする。観ないと話にならない、みたいな状況には絶対に陥らない。昔のテレビ番組の面白映像を抜粋したやつ(お笑いのネタとか)がまとめてダラ見できなくなるのは不便だが、ないならないでしょうがない。どうしても見たかったら誰かから借りるか買うかして見ると思う。だってそれをしない理由を突き詰めて行ったら、「手間とお金をかけたくないから」しか残らないもん。
だからもう、すごく規制がかかって、テレビやDVDの映像がそのままアップロードされてたら即刻削除、無断でアップロードした人は厳罰(1年間インターネット禁止とか!)に処す、なんて状況になったっても全然いいと思う。どう考えても他人のものだからね。
ただまあ、全体公開でないmixi動画にアップとか、そのくらいはいいんじゃないかって思ってて。勝手な話だけど。それは不特定多数じゃないし、友達と面白さを共有してるだけだから。自分ちに呼んでVHSビデオ再生してる感覚? 「録画したドラマ、見逃した友人の為に、分割して毎週公開してます」とかだとちょっとヘヴィーで扱い変わってくるけど。
「昔の資産の再利用・有効活用」「著作権者側にとっても有効なプロモーション」とかって意見もあるけど、それは著作権者側が意図して提供できるようになってるしそうなりつつあるし。
俺がYouTubeやニコニコ動画に対して、外面において消極的なのは、利用してる人の多くが乞食だからだよね。他人の著作物であることが明確なのに自分のブログに貼って「だってアップロードしてるのは俺じゃなくて他人だから、今はこうしてリンクする行動を罰する法律ないんだし、つまり合法なんだから問題ないでしょ」みたいなことを言わないのは、結局それは乞食だから、という意識がどっかにあるからなんだよね。俺も利用するけどさ、悪いことしてる気分でこっそりと、ですよ。気分としてはサムデコツールでもせ3解凍してた頃と変わらず、後ろ暗い気持ち満々ですよ。乞食だからね。
うーん、乞食だと言葉が良くないか。なんて言えばいいんだろ……。「手間とお金をかけずに目的を達成したい」と思うのは、まあ文化発展の根源なんだろうけど、「買うのも借りるのもイヤだから、家のパソコンで無料で、クリック数回でお手軽に観たい」ってのは……なんつーか、ねぇ。少なくとも「こんな、金や手間をかけるほどでもないレベルの低い著作物なんだから、違法だろうが観てやってること自体に感謝しろ」とか「どんな方法だろうと、クリエイターは自分の作品を体験してもらうことは嬉しいに決まっている」とか、厚顔無恥で図々しいことだけは言いたくないよね。図々しい人間にはなりたくない、どんなに便利な世の中になっても。
この辺について考えたことない人はさ、ここ最近までYouTube知らなくて「最近はこんな便利なものがあるんだねぇ」ぐらいの認識の人はさ、自分がやってることはあくまで乞食行為だってことは認識しておいていいんじゃないかな。他の方法があるのに、労力を惜しんで、身体動かさずに利益得ようとしてるんだから。
ま、こんな風に「まともな人でも乞食になっちゃう」って状況もさ、全部インターネットのせいだよね。
蛇足かもしんないけど、逆に言うと、テレビやDVDの映像そのままじゃないやつ、MADとかってそういう面白映像は、なんとか許してもらえないかなー、なんて都合のいいこと思っててるんだよね。むしろ法的には全然クリアが難しい分野だと思うんだけど、編集・加工した映像の面白さは他に代替が利かない面白さがあるからなぁ。ここが大目に見てもらえるシステムがあればいいんだけどなぁ、なんて勝手なことは思ってますね。
結局は何もかもが黎明期、過渡期だったことによるものなんだな、って思うのね。
俺が個人サイト(当時はホームページと呼んでいた)を始めたのが10年前で、その時の一押し企画が「Mind the gap!」って言うタイトルのアンケートコーナーだったのね。「目玉焼きにかける調味料は?」とか「夜、口笛を吹くと何が来る?」とか「じゃんけんの掛け声は何だった?」とか「サザエさんはお菓子を喉に詰まらせた時に何と言っていた?」とか、なんかそういうことをいろんな人に尋ねる企画だったのね。数十人の知り合いにメールを送りつけて返信をもらい、まとめて発表してたよ。でも……途中から気が付いたんだよね。「こういうのは不特定多数のたくさんの人が集まる場所でやった方がいい」って。それは今なら2ちゃんねるであり、デイリーポータルであり、mixiのアンケート機能なんだろうな、って。
その後に考えた企画は……もうタイトルも忘れてしまったけど、「CD聴いた感想を自分のサイトで書いたら、書いたよってここに報告してください」ってページだったよ。CGIによる単なる伝言板なんだけどさ。情報がうまく集まったら、同様に感想を書いた人や、あるいはそのCDのレビューを読みたい人にとって便利なページになるんじゃないか、って。でも……途中で気が付いたんだよね。「こういうのは個人がやるより、商業サイトがちゃんとしたシステムでやった方がいい」って。それは今ならアマゾンのレビューであり、はてなキーワードであり、mixiのおすすめレビューなんだろうな、って。
「当時俺、そんなこと考え付いたんだ」っていう自慢じゃないよ?(自慢になるような企画ですらない) 当時は気が付いてなかったんだよね。だって「この企画、まだ見かけたことがないから、今やって人が集まれば、有名サイトの管理人になれるかも!」ぐらいのことを思ってたもん。2007年の今じゃ「まだ誰もやってないサービスを個人で立ち上げて、有名サイトの管理人になろう!」なんて企む人、ほとんどいないんじゃないかなぁ?
実際当時、ウェブ上の便利なサービスを個人で始めて、ものすごいアクセス数を稼いでる人って居たじゃないですか。俺の記憶が確かならば「駅前探検倶楽部」も「価格.com」ももともとは個人サイトだったし。おくのさんの「あなたの値段鑑定します」みたいな面白診断企画ってとりあえずみんな参加してたし。検索エンジンやポータルサイトすら、個人でやろうとしてた人、たくさんいたと思うんだよね。
でもそれって結局、黎明期で過渡期だったから、ってことなんだよね。今はもう、何か新しいことを、完全に個人で、ビジネスとか抜きで、趣味で立ち上げる人なんて居ないもん。まだ掘り当てられてない金脈のようなナイス企画を思いついたら、とりあえずスタート時は個人でやってたとしても、実はぼんやりビジネスにできないかって目論んでると思うの。なんつーか、「有名サイトの管理人になりたい」なんていうふにゃけた下心を原動力にしてる人なんかいないんだよ。当時は……居たんだよ。少なくともここに一人。
個人ホームページも個人サイトも駆逐されていって、個人ブログですらスパム対策で馬鹿馬鹿しくなった現在、日記や雑文の発表も、商業サイトの枠組みを使うのが当たり前になってるじゃない? 「インターネットを使えば、完全なる一個人が社会に向けてオピニオン発信できる!」とか言ってたのも束の間、いや、できなくはないんだけど、そういう発信も全て「その文章の著作権は枠組みとして使用している商業サイトに属します」なんてことの下にぶらさがってたりするわけで。
いや、今だって発信できなくない、むしろできるようになった素晴らしい時代なのは間違いないんだけど。
先に思いついた、誰よりも早く注目を集めた人が無敵だった時代が、確かに日本のインターネットに存在したのだけれど、もうそういう魔法は完全に切れちゃったんだなぁ、って思ったわけよ。
あの頃、誰よりも先に何万アクセスも集めるウェブサービスを管理していた人ってのは、やっぱり偉かったと思うんだけどなぁ。あの頃、個人のくせして日本中を毎日毎日笑わせる文章を書いていた人は、やっぱり凄かったと思うんだけども。でもそれって結局、バックボーンとして黎明期・過渡期っていう条件があったことによるのかぁ、と思うとちょっと寂しいですよね。
価値観がひっくり返ったぜ、スピートが上がったぜ、すげえぜ今が未来だぜ、何もかも全部インターネットのせいだぜ、って思ってたんだけど。最近はちょっと落ち着いちゃって、インターネットの無敵イメージが薄らいじゃった感じだよなぁ。はしかの熱が下がった感じ。
黎明期、過渡期だったんだなぁ。勘違いしてたよなぁ。
全部インターネットのせいだ。
結局はね。
サッカーのワールドカップをテレビで観た感想をmixi日記に書こうとして、やっぱりやめちゃったのね。マイミクさんにサッカーに詳しいファンの人もたくさんいるし、ワールドカップの、しかも日本戦しか観ないような人間にわかったようなこと書かれたらきっと腹が立つだろう、と想像してしまったの。マイミクさんには色んな人がいて、色んな人の色んな思いを先に想像してしまうと、何も書けなくなっちゃう。
小沢健二がかつて「ありとあらゆる種類の言葉を知って何も言えなくなるなんてそんなばかな過ちはしないのさ」と歌ったように、っていうかそれとは全然関係ない話なのだけど、いろんなことを考えて、考えた結果言わないほうがいいと考えてしまう。考えても人に言えないことを考えてしまうのは苦痛な気がするし、かといって真心ブラザースがかつて「考えるのはやめだ ぼくはもうなんにも考えない」と歌ったように、考えたくないからといってあっさり本当に考えないではいられない。
色んな人と繋がって、しかも自分の都合のいい相手とだけつきあって、でも相手を傷つけたり怒らせたりしないように発言に気を配って、そうやってコミュニケーションをとっていく。効率的に仲良くなれる方法を手に入れたつもりが、「友達認定」みたいなシステムに飛び込んじゃったばっかりにノーケアな行動がしづらくなって、気付いたら息苦しくなってる。バカみたいな話ですよね。
自由に書けばいいんですよ。そんで相手を傷つければいいんです。「相手が嫌がることはしない」って言葉に縛られた結果ちっとも相手を信用することができなくなって、「相手の気持ちを考えて俺は我慢してるんだ。俺は被害者だ」って気になってる。言ってない言葉だから相手はその存在を知らないわけで、俺の中だけに存在する我慢の発端になってると知ったら、いい迷惑というか「何を勝手に自家中毒起こしてるの」って話ですよね。自分の心を強くして、相手を傷つけても、その後のやりとりで責任持って付き合っていこうって、そう決断すればいいだけの話なのに。
昔はほら、そういうのって言葉のやりとりだけだったと思うんですよね。自分の声が聞こえる範囲内でしかそういうやりとりや心配は発生しなかったはずなんです。インターネットを使って自分の意見を発表したりするから、空気に溶けて消えない文字にしてしまっていつでも多くの人が読み返せるように発表したりするようになっちゃったから、そんなことまで考えなくちゃいけなくなっちゃったんです。便利になって、何でも自分中心にカスタマイズできるようになって、同時に今度は別のいろんな心配ゴトもついてきちゃったんです。
全部インターネットのせいですよね。
昔「その冒涜がいったいナンボのものなのか」ってエントリを書いて、「好きなものを汚されたとかいう冒涜程度でクリエイターを傷つけなくたっていいじゃん」みたいなことを書いて、追記で「良くなかった作品に対する評価の方法は黙殺でいいじゃないか」みたいなことを書いたことがあるのね。その時は本当にそう思ってたし、今もそう思ってます。心無い酷評で純粋なクリエイターが傷ついて、世に出るはずだった作品が出てこなくなっちゃうのは勿体無いことだなぁ、と思います。
それとは別に、先日「俺は岡村靖幸の不在に喪失感をおぼえない」ってエントリで「世界には天文学クラスの物量の音楽があって、代えはいくらでもきく」とも書いたんですけど。相反してるようで俺の中にはちゃんとおさまってる理屈なんですけど。それを前提に。
ある日の深夜テレビ観てたら特撮モノの映画がやってて。ほとんどエンディングだったんだけどそれが酷かったの。とても子供だましでご都合主義で。ご都合主義にも程があるその表現を使ってでも伝えたかったことって何なのって考えてみてもそれも浅くて。これをお金払って観たら腹立たしく思うだろうな、って素直に感じたのね。
それを自サイトに書いてやろうと思ったんだけど……前述の自分で昔書いたエントリが頭に浮かんでやめちゃったわけ。俺がその映画を悪く言って、傷つく人がいるじゃないか、ひどかった作品への評価は黙殺だっただろ、と。そしたら……すごいストレスで。ぶっちゃけた話、俺余計なこと書いちゃったなぁって思ったのよ。書きたいことも書けないこんな世の中つまらない、とも思った。インターネットの端っこの端っこで、あんなしょっぱい映画をちょっと酷評することすらできないなんて! なんて足枷なんだ、俺ってばバカやった! と思ったの。
で、現在。今思えば、別にどっちでもいいわけ。今から書きたいともあの時書けなくて悔しかった、とも思わないのよ。自分の感情を整理すると、なんてことはない「その瞬間、同意を得たかっただけ」なんだよね。「その瞬間」が大切なんだけど。
あの映画は酷かったけど、観てすぐ「酷かったね!」って書いて、すぐ「そうそう、私もそう思った!」って言葉が欲しかっただけなんだなぁ。今日は自分のブログも更新してないし、こうやって感情を動かされる出来事(ネタ)があったんだから、それをすぐ発表して反応が欲しいナ、って思っただけに過ぎないんだよね。具体的な改善提案とかあるわけないし(具体策がないから発表しちゃいけないなんてこと全然ないけど)、なんというかホント、感情的というか、たいして自分内発酵もないままに人に見せたい・反応が知りたいって思っちゃってるんだなぁ、って。
皆さんはどう思うかわからないけど、手に届く範囲にいる人との会話とかじゃなく、文字として公共の場でそういう表現をする・残すってのって、「ちょっとはしたない」気がするってのが今の俺の意見かな。感情的な表現の後にフォローする方法っていくらでもあると思うけど、そこまで受け取る側が読んで総合的に判断してくれる可能性なんて断然少ないもんね。もちろん「はしたない表現」を受け入れてくれる仲間に向けて発信される文章を否定するものではないですよ。
個人サイト、ブログ、mixi日記。思ったことを一瞬で発表しちゃって、簡単に反応がもらえるとしたらついついそうなっちゃうよなぁ。そこで文字になったことを自分で読み直して、その時一瞬の感情に過ぎなかった文章なのに、「そう、自分の意見ってこうだった」って自分に呪いをかけちゃうこともあるかもしれないね。昔だったらそんな風に、感情を文章化して即反応がもらえる媒体なんてなかったもんね。
全部インターネットのせいだ。
いろいろなご提案がいただけて嬉しい限りです。ありがとうございます!
集まった中から決める権限が俺にあるとも思えないですし、どこの馬の骨ともわからん奴が言い出すよりもそれなりに認められた人が提唱した方が良いと思いますし、あるいは誰ともなく自然に使われているうちに定着していくのがベストだとは思います。思いますが、まあ俺の意見としては「尻馬くん」で良いのではないかと思います。いかがでしょうか。お気に召したらご自由にお使いください。それ以外のご提案をいただいた皆さん、ありがとうございました。愛してます。
はてなキーワードでもたいへんたくさんのご提案やご意見をいただきました。その上でいくつか言い訳させてください。
俺が「虎の衣を借る狐」と言われるべき状況であったことは認めます。でもそれを借りて威張ったつもりはないんですね。意見の内容としてはちゃんと筋が通ってるつもりです。
たとえば「尻馬くん」という呼び名が定着したとしましょう。そうやって呼ばれることによって傷つく人がいるかというとほとんど居ないと思います。なぜならその状況の多くの場合で、自分以外にも「尻馬くん」がたくさん居るからです。たくさんの正論を甘んじて受けなければならぬ「間違った張本人」に比べたら全然気が楽な立場でしょう。
本文でも書いたとおり俺は「あ、こんなこと書いたら俺はあの呼び名で呼ばれてしまう」と気付いてもらうための、抑制の為の呼び名づくりを目的としているわけです。実際に「尻馬くん」という呼び名を設定して、誰かをやりこめたり傷つけたりしたいわけじゃない。ちなみに俺が例として出したものも、「教えてくん」「アクセス乞食」といった可愛げのある呼び名であった、と思ってます。
さらに言えば、この呼び名が決まって、俺が炎上しているところにそれをかついで行って振りかざし、誰かと徒党を組んで攻撃しようと思っているかどうか……説明する必要すらないですよね。俺が? 「そうだそうだ! お前は○○だ!」って言う為に、わざわざ誰かのサイトに書き込みしに行く? そんなこと天地ひっくり返ってもありえないですね。
この「尻馬くん」という言葉が、「お前もな」という日本のインターネットの歴史において最高にコストパフォーマンスの高いエクセレントなツッコミに匹敵するとは思っていませんが、この呼び名をしった人にとっての心のストッパー役として、ほんの少しでも活躍してくれることを願ってやみません。……いや、「尻馬くん」じゃなくて、他の言葉でもいいんですけど。皆さんが決めていただければ。
ま、悪いのはインターネットですけどね。全部インターネットのせいですから。
1月20日(金)に会った女
身長:160cm弱
体重:50kg前後
年齢:25
出身:東京
学歴:高卒
職業:販売員(アルバイト)
好きな音楽:J-POP
1月21日(土)に会った女
身長:155cmくらい
体重:50kg前後
年齢:29
出身:九州
学歴:女子大中退
職業:家事手伝い
好きな音楽:あまり聴かない
……こんなデータを書き連ねておくだけのサイトをもし見かけたら、なんて愛がない行動なんだって思うと思う。せめて「ランク:B」とか「コメント:もう逢いたくない」とか、なんかそんな酷いことでも書いてあればちょっとは違っていたかもしれない。各種データだけ公開して、そんでどうすんのっていうのはあるよね。
こちらを見てぼんやり考えたことなんだよね。
http://d.hatena.ne.jp/sahya/20060117/p1
矢野顕子が「自分のサイトに観たコンサートの曲目を載せちゃうなんて、曲目曲順を一生懸命考えてライブを構築しようとしているミュージシャンにとっては、(ネタバレになってしまうから)愛情のない行為ですね」って言ったという話。ちなみにこちらのエントリーの主旨にはあんまり関係なくてすみません。
どんなものにもネタバレはあって、そんな無粋なことをしないようにするのがマナーなんだけど、インターネットには色んな人がいるし色んな情報が溢れてるしね。取捨選択をできる頭を持つ「大人」が使うべきツールですよねインターネットは。一般個人が情報を発信することの危うさとかそのへんは「全部インターネットのせいだ」カテゴリーに程よくまとまってます。
もちろん平気でネタバラシしちゃうような人は愛情のない行為けど、観たコンサートで何か感動して、その感想を公開したいと思うのは普通に愛情だと思うのね。ただその時に、曲目曲順だけを載せて終わりって人がいるなら、それは愛情がないなぁ、とは思います。せめてその曲順でどうだったのどう思ったのとか、なんか書きなよって。完全に覚え書きなんだったらウェブにアップする必要ないし、そんなデータだけ載せてるのは(そんなデータだけが1エントリとして閲覧できてしまう状態で放置しておくのは)、愛情のない行為って言われても仕方がないでしょ、と思いましたね。
でもまあ、こういう悩みばっかり増えると、本当に便利なツールなのかヨこれは、って気がしてきますね。もしかして俺なんかの頭脳じゃ泳ぎきれないのかな、この情報の波の中。
全部インターネットのせいだ。
俺、「こっちが正論なんだから他人を粛正して良いのだと妙に強気になり、オピニオンリーダーに追随して死に体になった弱者を徒党を組んで平気で踏みつける『理論派の』人々」って大っ嫌いなんですよ。
※上記とエントリタイトルより『理論派の』を削除します。エントリ本体で言いたいことの中心ではないので。(05/01/10 23:22)
インターネットの個人サイト同士で論争になったりするじゃない? 最近の言葉で言うと炎上、ですよ。
自分のサイトのアクセスを稼ごうとするなら炎上に持ち込むのが一番早いんです。みんな炎上の野次馬するの、大好きですから。ま、そうして稼いだアクセスなんてすぐ消えてなくなっちゃいますけどね。
頭のいい人が隙のない正論で相手をやり込めるじゃないですか。まあ簡単にやり込められないから炎上になるわけで、そこまでに活発な意見のやり取りがあるわけです。でもまあ、だいたいはどちらかが反論に屈せずに言葉を積み重ね、論争を優位に持ってくんです。やり込められてる方の反論も、本筋にはさして影響しない枝葉の部分であるとか、言葉尻にしか焦点が合わなくなっていきます。
そういう場所に奴らが現れるわけですよ! 俺の大嫌いな奴らが!
自分がどんな人間かも明かさず(具体的には自分の運営しているサイトのURLを埋め込まず)、無記名や捨てハンドルで、論争で優位に立っている側の意見の人間として現れて、ただ追随して、やり込められている側に対して攻撃的なコメントをする奴。「さっきまで威勢が良かったのに反論できなくなって格好悪いな!」とか「馬鹿だな!」みたいな悪口で追い討ちをかける奴。
自分がどんな人間なのか明かしても(具体的には自分の運営しているサイトから炎上に対してリンクしても)、とっくに勝敗のついた論争に対して、本来はやり込めた側の理屈に納得しただけなのに(つまり論争に負けた側の人間と自分に大した差がないのに)、したり顔でやり込められた側を馬鹿にするようなコメントをつけ、上から見下し、さも自分は全てを掌握しているかのような態度をとる奴。
嫌いだ! 何様なんだ! お前は何一つ生み出していない、何一つ有益な言葉を発していない、ただ尻馬に乗っているだけなのに、誰からも突付かれない安全な場所から、何を偉そうにしているのかと。正しい理屈側だから間違ってる側を粛正して傷つけて良いのだと思っているなら、それは相当身勝手で感情的な、エゴイスティックで非生産的で迷惑千万な考え方だ、って言ってやりたいんです。お前誰なんだよ。
インターネットによっていくつもの強力なコミュニケーションツールを手に入れて、十年前じゃ考えられないくらい俺ら、住んでる場所や所属している組織にとらわれない多種多様な人々と、簡単にたくさんの意見がやりとりできるようになりましたよね。それって凄い発展なのかと思ってたら、もしかしたら後退なのかもしれない、実際には単に自分がやり取りしたい相手「だけ」に、言いたい言葉「だけ」を伝えるようになったに過ぎないのかも、って気がしてて。
さらにそれによって、「これは正論なんだから相手は謝るしかないはずだ」という粛正欲求ばかりに正直になっちゃいないか、って感じてて。自分は正しい側だから、弱者を踏みにじっても誰にも文句言われんだろ、という考え方が、強烈に蔓延している気がするんです。
自分に楽な部分でしかコミュニケーションをとらず、非難されない方法で誰かを踏みつける。そんな時代。
全部インターネットのせいだ。
……そんで、ですね。実はこっからが今日の本論。
俺「こっちが正論なんだから他人を粛正して良いのだと妙に強気になり、オピニオンリーダーに追随して死に体になった弱者を徒党を組んで平気で踏みつける『理論派の』人々」が大嫌いなわけですけども、何かそういう人たちを表現する印象の悪いニックネームがあれば、それを使って周囲から揶揄されて、本人たちも少しは気付いたり自制したりするんじゃないかな、って思うんです。
ほら、インターネットには「教えてクン」とか「アクセス乞食」とか、特有のレッテルがあるじゃないですか。そういうのを誰か考案、提唱してくれないかな、と思うわけです。
加野瀬さんとか、モーリさんとか、まつながさんとか、さやわかさんとか、しばさんとか、tagさんとか、ばるぼらさんとか、偽地蔵さんとか、yomoyomoさんとか、もちろん津田さんとか、そういう「炎上文化にも強い方々」のお知恵を拝借したいな、って思っている次第です。ラブコールです。
なんかいいネーミングないですかねぇ。
えっ? もう既にある? だったらそれを教えてください。
※皆さんいろいろご提案いただきましてありがとうございます。
「理論派の」の部分に関しては、ご指摘どおりだなと思います。結局はしたり顔で・小難しい言葉を使って、間違ってる奴を粛正しようとしてる感じを二重カギカッコ付の『理論派』と表現したかっただけなんですけどね。
『理論派気取り』とかにしておけば良かったかなぁ? まあこだわりどころではないので、あっさり訂正線で削除しちゃいました。特に問題ないですよね?(05/01/10 23:22)
※後日談書きました。こちらです。(05/01/25 04:54)
mixiを始めて数ヶ月の頃、めちゃくちゃハマりまくってたのね。すごく面白がってたし、マイミクシィからはずされちゃったり、共通の友人はいるけど絶対クリックできない名前を見つけたり、心無いコメントに腹を立てたり、いろんな喜怒哀楽を感じてたんです。mixiはすごい、mixiこそ2ちゃんねるの真逆の存在だ、mixiがあればほとんどの人は個人サイト持つ必要ない……とかいろいろ思ってました。
で、いつかまともにmixi論みたいなのを書こうと思ってた。感じたことをメモったりして、来たるべき長文を書く日の為に力を蓄えてたわけです。
で……今もmixiに飽きることなく一日に何度もログインしてて面白がってるんだけど、なんだか当たり前になり過ぎて熱も冷めちゃったんですよね。思うところは大きいけど、口角泡を飛ばしてまで語るものでもないような気になってきちゃった。かなり依存したまんまなんですけどね。
そしたら。
現状のmixiに慣れきっちゃったおかげで、「mixiあるいはインターネット全体を使い慣れない人」に対するキツい意見に対して、そこまで言わなくてもいいんじゃないの、って思うようになってきてます。
例えばマルチポスト。いろんな場所で全く同じ書き込みをすることをマルチポストって言うんですけど……別にもう許してもいいんじゃねーの、と思いますね。mixiもインターネット全体も、昔に比べて何倍も大きくなってるわけじゃないですか。昔は参加してる人間も行動範囲もそれほどの量じゃなかったから、あっちでもこっちでも同じ書き込みしてるヤツに「同時に質問しまくるなんて失礼だろ!」っていう気持ちがあったんですけど。今はもういいんじゃないの、っていう。
結局「目障り」ってのが一番の理由なわけでしょう? あるいは「謙虚さが足りない」とか。一歩引いてみると「自分が何様か」って話なわけですよ。「マルチポストはマナー違反という古くからあるルール」知っていることと、「自分の意にそぐわない文章をいちいち気にしないで渡り歩く能力」を身に着けることと、インターネットの慣れ具合という尺度でいえば、どちらもそんなに変わらない気がするんですね。
別にいいんじゃない? 彼らは無邪気で古いルールを知らないだけなんだから。他にもっと悪いことしてる人、いるでしょ。
同様に重複コミュニティのこと。これももういいんじゃないかなぁ、と。これだけ人数が増えたら全員が同じ管理人のルールに従う必要もないんじゃないの、って思います。まあ後から作る人は本家というか先人のコミュニティにリンクするくらいの気持ちは欲しいですけど。
「既存コミュの写真が気にいらなかったので新しいコミュ作っちゃった!」ぐらいの軽い気持ちでコミュニティを乱立させてる人が居てやっかいだなぁって思ったこと俺もありますよ、確かに。既にそっくりな、または同一のコミュニティがあるじゃないか、一回くらい検索しろよ、とも思ってました。でも……もうそろそろいいんじゃないの? って思いますね。mixi広いんだし。
あとアレだ。「初めまして」トピック。別にいいじゃないですか。無邪気に挨拶してるだけなんだから。mixi始め立てでワクワクしてるんですよきっと。そんな人に「あなたの挨拶だけの為にトピックを立てないでください! こちらのリンクをよく読んで出直してください!」みたいな冷たい言葉浴びせる必要あるの? って思います。あなたは「初めまして、というためだけに誰も彼もがトピックを乱立させたらコミュニティが成り立たなくなる」という知識を持ってる先輩じゃないですか。新入部員にいきなりそんな冷や水ぶっかけなくても他にすることあるでしょ、mixi始め立ての楽しかった頃を思い出してよ、って思うんですね。
いや、まあ俺はそう思うってだけですよ。「そんなに詳しいのに、どうして初心者に冷たくするの? それは2ちゃんねるの構図でしょ」って思うだけです。mixiはもっとぬるく楽しく行きたいなって思ってるだけです。
あ、その意味で俺としては、そろそろmixi参加者全員から個人情報を取るようにして、身元をはっきりさせてくれたらいいなって思ってますよ! 全ての書き込みが匿名じゃない(≒2ちゃんねるじゃない)ってのがmixiのいいところですから。
俺なんてノリノリでプレミアム会員になったわけですよ。クレジットカードをイーマーキュリーに抑えられてるってことで、俺がそうそうめちゃくちゃなことしないっていう保障になるでしょ? 個人情報っていうリスクを預ける代わりに俺は俺であることに自信が出るわけですよ。
……って無理だろうなぁ。俺だってmixiやアマゾンやその他の大手のサイト以外には個人情報出したくないわけで、その観点から言ったら「身元をはっきりさせなくちゃいけないならmixiやめる!」って人も多いだろうなぁ。さみしいなぁ。
あ、皆がmixiから去ったら俺めちゃくちゃ寂しくなるわ。急に悲しくなってきた。わ、泣けてきた。
全部インターネットのせいだ。
高校生の頃、日記みたいなことを書いてたことがあるよ。毎日ではないけど、その日何があったかを書く、みたいな。好きな女子について書いたりね。未だにそのノート取ってあるもんで、たまに見ると顔から火が出るほど恥ずかしくて、何秒間も正視してられない、みたいなね。いっそ捨てちゃえばいいんだけどさ。
なんの為に書いてたかっつったら、吐き出すために書いてたんだ。書いて、何らか確認したかったんだ。好きな人の名前を一回でも多く文字にしたかった、なんつーのもあるかもね。頭の中にあるもやもやが、文字になって目の前に定着してくれればそれで良かったんだと思う。
今、同じような想いを、ブログやウェブ日記にぶつけてる中高生はきっとたくさんいるんだろうね。紙に文字を書いてって想いのたけをぶつけるってのは、実はあれでたいへんだよね。アレ、違うっつって消しゴムで消してまた書き直すってのはすごい努力が必要だ。削除も書き直しも簡単・コピー&ペーストもアンドゥもあるパソコンに比べたら、紙と鉛筆のなんと原始的なことか!(当たり前!) 俺らが大学ノートを日記帳にしていたのと同じように、十代の子たちはブログに向かってるんだろう。
俺が当時、その方法をとっていたら、俺は変わっていただろうか? 今と同じことはしていないかな? 想像してみるけどよくわからない。
少なくともあの頃、ノートを文字で埋めたところで答えなんか見つからなかったし、誰かがアドバイスしてくれたり慰めてくれたりすることなんてなかった。だってテメェの部屋の机の上で完結してるんだから。袋小路の中の穴の底で、俺の為のだけに存在する文字だったから。ブログは違う。コメントもらったりトラックバックもらったりできるもんね。
インターネットに発表なんてしなくていい、もっと自家中毒になるぐらい自分で考えろ。安易に人に考えを伝えちゃって、反応をもらえる快感を覚えるなんて十年早い。ウェブ閲覧なんてしてる他人の言葉に一喜一憂するよりも、テメェの手の届く範囲にいる人の顔色を伺いながら、笑ったり泣いたり怒ったり、憧れたり驚いたり恨んだり嫉妬したりしてた方がいい、自分の人生の為になる、と思う。
文章にして、なんか結論じみたことを書いて、優しい(だが無責任な)人たちに同意してもらって納得しちゃうには、早いんだ君らは。教室の中にはいない自分と同じ趣味の人をあっさりインターネットで見つけてしまって、教室の中の自分をひたすら「本当でない姿」として殺してしまうことはない。
……とかって思うけど、これってやっぱりオジサンのエゴだよね? 俺としちゃ、若い人にはネットに逃げるよりも先にまず悩んで学んでもらった方がいいんじゃねーのと思うんだけど、勝手な言い分だよね。インターネットが便利で安易で自分だけの繭を作りやすいからって、だから中高生はインターネット禁止なんて言うのは、やっぱり勝手過ぎるよね。わかってるんだけどさ。
前にも書いた「インターネットの無責任性による暴力にさらしたくない」っていうのとは別の理由だけどね。自分の空気吸ってる範囲内の人間関係もちゃんと大事にして欲しいなぁ、なんて思ってさ。勝手だけどさ。
だって「こうしてる今の俺は本当の俺じゃない、インターネットには俺のことを本当にわかってくれる人がいっぱいいる」とか安易に考えてしまいそうじゃん? 両方自分なのに。でもちょっと悩んでる若い子なら陥りがちなんじゃないかな? その力、あるもんね。
全部インターネットのせいだよ。
前に菊地成孔さんが、自分のAmazonレビューに酷評を書いた人に対して「売上低下に直結するからやめて欲しい」といったことを強い語調で書かれてたのね。全くその通りだと思うんだけど。
Amazon巡回してて「あ、このCD聴いてみようかな〜」程度に思ったCDのレビューに、どこの馬の骨ともわからん一般人がしたり顔で「駄作。聞く価値なし。○○のパクリ」とかって一刀両断にしてたら、やっぱりそれでも買おうって思わなくなるじゃん。他人のコメントを鵜呑みにする必要なんて全くんないんだけど、情報が少ない上に対象のCDが「聴いてみようかな?」ぐらいの思い入れだったら、他に聴きたいCDいっぱいあるし、別のCDのページへ行ってしまうと思うのよ。みんなそんなことない? コメントって一切気にならない?
やっぱりさ、俺ら一般人(お金をもらって評論家として暮らしている人、じゃない人々)は酷評しちゃダメだと思うのね。CDだの映画だの本だののレビューを書く時。だって責任取れないじゃん。俺らみたいな浅はかな一般人の一方的な酷評で、クリエイターの人たちがやる気なくしたらもったいないじゃん? 自分と趣味の違う人がその作品に出会うチャンスをつぶすことないじゃん?
俺の大大好きな漫画──それこそ当時小学生の俺の人生観(そんなものがあれば)がひっくり返るほど衝撃を受けた作品──が、昨年かな? 映画化されたの。アイドルの男の子が主人公の映画だったんだけど、とてもとても評判が悪くてね。ちょっと評判悪いなぁ、ぐらいの時は俺も観てみたいと思ってたんだけど、「作品を愛する人が観たら絶対に卒倒するほど気分が悪くなる」みたいなことまでそこかしこで言われてて、うーんっつって悩んで、結果的には観てないの。
とにかく誉めてる人を見つけられなかった。プロの映画評論家も否定してた。提灯持ち雑誌ですら「話題の」「豪華キャスト」「CGがすごい」のような誉め方だった。
で、その映画監督さんが今年死んでしまったのね。病気だったらしいんだけど。きっと、その時に問題の映画を酷評して「あんな映画作った監督は死んでしまえ」ぐらいのことをレビューとして上梓していた人たちは、やっぱり後味の悪いものを感じていると思うのね。
映画の酷評を苦にしたことが病気の原因、という噂も聞いたことがないのでそう考えたら映画とは無関係かもしれない。無関係だと思う。でもあのインターネット上に溢れていた酷評を見て胸を痛めることが全くなかったか、つったらそんなことはないと思うのね。絶対知っていたと思う。病気で心身ともに疲弊している時に「最後の作品が世界中から酷評された」ってしみじみと思った時、頑張ろうという心が折れてしまうようなことがあったかもなんて思うと、やっぱり胸が締め付けられるような思いになるじゃない?
そんなことないかな? 「あんなひどい作品撮ったやつだ、なじられながら死んだって仕方がない」なんて言う? 彼が病床から元気になることよりも、俺らがあの漫画作品を愛する気持ちの方が大事だったかなぁ? 俺らが「これはあの作品に対する、そしてあの作品に大きく影響された俺の人生に対するとんでもない冒涜だ!」みたいなことを言うのは簡単だけど、その冒涜ってどれだけ重要なんだい? って気にもなってくるじゃない。
いや、わかってるよ。無関係だろうことは。だけどやっぱり後味悪いじゃない。俺らが「愛する漫画を汚したあの映画はここが酷い」って挙げ連ねてたの、何一つ責任取れないもん。酷評なんてインターネットにほいほいアップするもんじゃないよ、って思った。言論の自由なんて、責任とセットじゃないと暴力だもの。
つったってついついそういう語調の強いページに目が行っちゃうんだよね。刺激的だから。悪いとわかってても。
全部インターネットのせいだ。
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津田さんにトラックバックしていただいたんですが、コメント欄もないのでこちらに追記。
津田さんのおっしゃってる「自分の好きなものも併記」って考え方はすごく面白いけど、成立しないことも多いんじゃないかって思うのね。ルールになっているからその形式で酷評するけど、併記する好きなものはビートルズで常に的外れ、みたいな人ばっかりだったら意味がないじゃないですか(ここで俺がビートルズに他意がないのはご理解いただきたい)。その上、併記された好きなものであっても、酷評によって傷ついてしまうのは変わらないんじゃないか、なんて思うわけです。失われて勿体無いのは、今後現れる才能の芽だというのは同じ意見ですもんね。
良くなかった作品に対する評価の方法は唯一、黙殺。これしかないと思うんですよね。話題にならないということが、その作品が面白くなかったということの裏づけの全てになればいいと思うんですよ。
プロモーションに金がかかってないからたくさんの人の目に触れないものを、個人のレビューでどんどんピックアップして世に知らしめられるのがインターネットのいいところじゃないですか。それを受けて、良くないものは話題にしないようにしようゼって風潮になっていったら、結構いいことずくめだと思うんですけどねぇ。これって具体的な提案になってないかしら。(05/05/15 00:20)
出先でラーメンを食べながら、カウンターに設置されてる「リングにかけろ」をパラパラと読んでみたわけ。ああ、懐かしいなぁ。子供の頃は熱狂したもんだ、なんつって。俺が小学校三年生の頃かな? 完結したんだよ。ウィニング・ザ・レインボー対ギャラクティカ・ファントム。最後に立ち上がったあのシルエットは誰!?(以下次号)、みたいなさ。
でも今見るとかなり自由……というかチャランポランな設定じゃないですか。ゴングがなった途端、リング上の対戦相手と棒立ちで会話開始。
「お前には無理だ」
「何ぃ!?」
カッ!(閃光)
アッパーカットを振り切ったポーズの主人公と、床に頭を突き刺すように逆立ちしている敵。ベラベラくっちゃべってたかと思いきや一発で終了かよ、っていう。
3メートル以上垂直に飛び上がって上からパンチもろとも落ちてくる技とかさ。アッパーカットを打ち抜いた勢いでそのままのけぞったかと思うと、地上に足もつかずにもう一度下から振り上がる技とか。水車かお前は、みたいな。殴られて観客席まで吹っ飛んだかと思ったらそれはレフェリーだった、みたいな。でもそのまま試合続行、みたいな。破天荒もいいところですよ。
でもそういう破天荒さが面白かった気もするわけ。今だったらそんな漫画絶対ありえないでしょ。あったとしてもどこか地球とは違う国のお話として書かれるわけですよ。
あの頃、9割9分以上の人がソフトの受け手だったんですよ。マンガって言ったら読むものであって描くものではない。描いたっていいけどそれを読めるのは本当に周辺に居る十数人限定がいいところで。商業誌に載っているものをありがたく読ませてもらうだけで終わるのが当たり前で、読んだ感想を近所の人以外に知らせることなんてできなかった。
今は違うよね。……「サヨナナまたそのパターンか」とか言わないように! 今は自分のサイトで批評できるじゃない。「あのリンかけとかいう作品はボクシング漫画でもなんでもない! 物理学もボクシングの公式ルールも無視しまくりだ!」みたいな無粋な(前述のような)ツッコミを多くの人が入れ始める。2ちゃんねるみたいな場所があればすぐ祭りになる。
非常識な部分にすぐ噂が集まって修正させられる。だから昔に比べるとずっとずっと常識的で無難な作品になってるよね。めちゃくちゃってことはありえない。そのかわりこぢんまりまとまり過ぎ……と言えなくもないわけで。
重箱の隅をつつくような無粋な指摘を鬼の首をとったような勢いでする人ってのは、やっぱりたくさんいる。でもその人たちの発信する情報ってのが、破天荒だが勢いのある商業誌の作品より面白いか、価値があるかといえばわからない。わからないし、価値がなかったからといって「面白くないやつは情報発信するんじゃねーよ」とは言えない。言えないけれども無粋なツッコミがすぐ集まるおかげで、どれもこれも小さくまとまってしまう恐れがある。
全部インターネットのせいだ。
エイプリルフールだ。巡回してないからわからないけど、世界中のウェブサイトが商用も個人用も含めて、いろんな嘘と冗談で彩られてるのだろう。閉鎖ネタだってかまいませんよ! 俺は受け入れる! だってネタってことは復活してくれるんでしょう?
エイプリルフールって割に合わない。コストパフォーマンスが悪いよね。大手サイトもさ、すげえ手間暇かけて嘘ネタを仕込んでもさ、24時間しか使えないわけじゃん。
しかもさ、世界中で疑心暗鬼な目で睨んでる「ハスに構えたインターネット気違いの野郎ドモ」からつまらないだの寒いだのって罵詈雑言を受けなきゃいけないわけでしょ? 特に商用サイトに関して言えば、エンターテイメントの為に、サービス精神でやってるのに。あなたに笑って欲しくてやってるだけなのに。
しかも目くじら立ててクレーム言って来る人、多いらしいじゃないですか。フジテレビの……ってインターネットの話じゃないけど、去年だったっけ、フジテレビが朝の番組で「青い桜が咲きました」って四月馬鹿ネタやったら抗議の電話が鳴りっぱなしだった、とか。だってあなた、その抗議の電話をかけた人々と友達になりたい? 結婚させてくださいって挨拶しに行った親がそんな人々だったらめちゃくちゃ萎えるっしょ? たぶん、ネットのエイプリルフールネタにも苦情は来てると思う。「あなたのつまらないウソのために傷つきました! 責任とってください!」
「誰かが死んだ!」みたいな嘘は絶対使えないしね。リスクが大きすぎるもん。その嘘で驚いて寝込んじゃった人が出た、みたいなことになったら損だからね。誰も傷つけないネタにならざるを得ない。ものすごく馬鹿馬鹿しいか、突っ込みどころ満載か。
見た側もさ「引っかかっちゃったよ」って言いたくないから、「嘘としては面白くないけど、良くできてる」みたいな誉め方しかしないしね。エイプリルフールのネタをめちゃくちゃ面白がってると、なんかバカ認定って気がしてなかなか素直に喜べなかったり。
結局さ、エイプリルフールなんて友人や家族相手にいたずら心満載で冗談を言って、驚いて聞き返されて四月馬鹿だよって伝えて笑って、「ホントにびっくりしたんだからね!」とか半ベソかかれて謝ったり、なんかそういうモノだ。自分のサイトで告知して、「結果的には誰も傷つけない嘘で、できる限り多くの人をひっかけて、その上笑ってもらいたい」みたいな欲張りな目標を持つものじゃない。たったの24時間で、一網打尽で誰かをだまくらかすなんて無理だし、やろうとしたら全然コストに見合わないものなのに。ウソ言って笑わすのにも効率を求めるなんて。
全部インターネットのせいだよね。
携帯電話のカメラで撮った写真が保存されているところをご確認ください。どんな写真が保存されていますか? ……食べ物の写真ばかりだったとしたら、あなたは相当の「ウェブ日記更新中毒」ではないですか?
フォトログと言いまして、写真をウェブ上にアップしてコメントをつけるという形式の日記ページが流行しているわけです。ヤプースやはてなダイアリー、mixiもGREEもそういう機能を持っています。
携帯電話のメールに写真を添付して送ると、その文章で日記が更新できる、という形式のものが多いみたいですね。それは確かに楽ですもん。「よーし自分のサイトの日記を更新するぞ」って意気込んでパソコンの前に座らなくても、電車に乗ってる間に、コンビニのレジ待ってる間に更新できちゃう。ちょちょいのドーンですよ(なんで最後爆発音なんだ?)。
携帯電話を使わなくても、デジタルカメラで写真を撮って、見やすく加工してアップしてる人は多い。見てる側としても文章だけで説明される数十倍わかりやすいですからね。画面の明るさ華やかさも全然違う。フォトログ、俺は大賛成です。サヨナナではあまりやりませんけど。
フォトログやって、写真を撮ってアップってのを続けてると、実は気がつくと「今日食べたものの写真」ばかりアップしてる……なんてこと、多いんじゃないかって思ってるんです。それはココ・ココ・ココみたいにそればかりをテーマにやっているところでなくても。気がついたら食べたものの写真ばかり更新してる。
仕方ないと思います。ってそんなネガティヴな言い方するの良くないですけど。だって俺らの生活って、朝昼晩の食事ぐらいしか変化ないじゃないですか。そりゃあVOW顔負けの面白写真ばかり見てもらえるならそうしたい。綺麗な風景や日常の美しい瞬間を切り取ってカメラマンを気取りたい。でも普通に仕事して普通に友達と遊んでるだけでは、「みんなに見せたい写真」はなかなか撮れない。やっぱり良い写真ってのは足で稼がなくちゃダメですもんね。
食べ物の写真は撮り易いですから。多くの場合、席についてますからね。落ち着いて写真が撮れる。しかもそれなりに毎日違うもの食べてますからね。いいもの食べたら友達に自慢したい。貧相な食事なら友達になぐさめられたい。美味しいものを食べたら誰かに教えたい。流行最先端のお店で食べたら「ちょっとノブコ、こんなお店誰と行ったのよ〜」とつつかれたい。食べ物ってそういう感情とセットにしやすいんですよね。
しかもラーメンが多いの。ラーメン好きってのもあるんですけど、ラーメンって画面に収まりやすいんですよね。ハンバーグ食うならご飯もスープもサラダも画面に入れてやらないとカッコつかないでしょ。ハンバーグ来るまで前菜食べられないの寂しいし。
さらに、ラーメンって有名店が多くて、ファンはみんななぜかグルメ気取りじゃないですか。俺を筆頭に。だから注目もある程度集まるしコメントももらいやすいんですよね。
ウェブで日記的なテキストを公開するのは、皆に読んでもらうのが前提。できることならバラエティに富んだ内容で毎回飽きずに見てもらいたい、って思うじゃないですか。でも自分の生活を省みれば……実は変化なんて食事のメニューくらいしかない、変わり映えのしない毎日なわけですよ。上で挙げた3サイトみたいに意図してやってれば別ですけど、なんとなくフォトログを更新してたら食べ物の写真ばっかりになっちゃった、ってのはよくわかる気がします。俺も携帯電話の中、食べ物の写真で満載でした。変わり映えのない、毎日ですよねぇ。
でも、そんな風にしてまで自分のページ、見てもらいたいんですよ。なんかそうして注目してもらって誰かにコメントもらって、ついついまた繰り返してしまう魅力ってのが確実にある。おかげで通信費もバカにならないですよね。楽しいけどいろいろ大変。
全部インターネットのせいです。
前にとこりさんが、さんま主演のドラマ「男女7人秋物語」をビデオで見ていて「ドラマ中に、携帯電話が普及してたらありえなかっただろう行き違い・すれ違いとして多く演出されていると感じた」、といったことを書いてらっしゃったの(こちら)。本当にその通りだなぁ、と思ったのね。実際に携帯電話の普及以前/普及以後では、全然違ってると思う。映画やドラマの演出でも「お互いの気持ちは一緒なのに、コミュニケーションが取れなかったばっかりに結ばれない」っての、多いもんね。
携帯電話があれば、緊急の時に直接相手と話すことができる。あとはメールだよね。携帯電話のメールを使って、常に連絡を取れるってのはめちゃくちゃ安心だよね。それこそ、20年前の感覚で言えばテレパシーみたいなもんだよね。一人で出かけてる人がどこにいても、気持ちが伝えられるんだから。
俺が若い頃。仲良くしてる女性と深夜、めちゃめちゃ呆れるくらい長電話してたのね。話すことはいくらでもあるし、話すことがなくたって切り難くって、切ってしまったら次の日また電話するまでコミュニケーションが取れないから、どうしても長くなっちゃってた、みたいなさ。でも今は携帯電話のメールがあるじゃない。どこに居ても、ピュッとハートの絵文字入りメールが飛ばせる。一日に何往復もラブラブなメールをやりとりしてたら、あの頃みたいな長電話って要らないんじゃないか、って。だから、恋人同士の無闇な長電話って、当時に比べて格段に減ったんじゃないかしら!? 俺そういう長電話、最近全然してないよ!!
……違うかな。今、目尻の下がるようなとろける恋愛に燃えている恋人同士は、やっぱり声が聞きたくて聞きたくて、切り難くって切り難くって、毎晩毎晩長電話しているのかしら。俺がオジサンになってそういうのと縁遠くなったからそう思うのかな? やっぱり恋人たちは長電話、してる?
メールっていつ読むかって本人の自由じゃん? 送っても相手の時間を束縛しない。「あ、今ちょっとダメなんだ」って言わせないで送りつけて、最後まで自分の意見を読ませることができる。相手のことを考えつつ自分のエゴイズムも押し付けられるわけで、とても便利。相手に長電話を強要することなく自論を長々と押し付けられるわけだもんね。
便利だけど、勝手だ。勝手だし、なんというか情緒がない、みたいなさ。20年前と違ってすぐ連絡がつくからすれ違いも少ない。それはきっと……いいことなんだよね。
でも、身勝手な愛情に荒れ狂う胸のうちを伝えるのに、できる限り合理的な方法を選ぼうとしてしまうところに、なんというか微妙にいびつなものを感じてしまうのは俺だけかな? こういうのも科学が進んで世の中が便利になったおかげで発生する「バランス」の悪さなのかな、なんて思ったり。
愛してるって気持ちを、無駄なく、ストレスなく、相手を思いやるスタンスを忘れずに、合理的に伝える。そんな時代。それに特に疑問を持たない俺ら。
全部インターネットのせいだ。
個人の日記サイトで、愚痴とか泣き言とかけっこうネガティヴな文章が多いところ、あるじゃない? まあうちも含めて。全く不人気かというと、毎日数百くらいアクセスがあったりして。
ひとの泣き言日記ですからね。こんなもの読んで何が面白いか、って人はいる。逆に、別に落ち込んでる人の意見が聴きたいとか、ネガティヴになりたいってわけじゃないけども、普通に泣き言日記を読みに行きたくなる人もいる。
後者の人は多分、ひとの葛藤と自分の葛藤とを比べたいって無意識に思ってるんじゃないかなぁ、って思います。
気持ちの葛藤という面で考えると、大きく分けて三種類のタイプがいると思うのね。
答えが出てる人。
答えが出てるはずなのに、いつも考えてる人。
答えが出ない人。
基本的に、答えが出てる人にとってはひとの泣き言日記って不要なんですよね。だって答え出てるんだもん。他人の葛藤と自分とを照らし合わせても仕方がない。言ってることが理解できて同情できたとしても、読んでネガティヴになるくらいなら読みたくないわけです。
それに対していつも考えてる人とか、答えが出ない人にとっては、自分がこうして悩んでるのは、他人と比べてどうなのかなぁってのは気になるし、自分と同じ考えの人を見つけては喜び、違う考えの人を見つけては凹んで、それを繰り返してる。
いや、どれがいいってこたぁないですよ。みんな普通に頑張ってるわけで。
ひとつだけ言えることはさ……。
「答えが出てる人には、答えが出ない人の気持ちは一生わからない」……なんてことは全くないわけですよ。答えが出てる人にだって答えが出ない瞬間ってのはあったわけで、その時の気持ちになればいいだけだから。答えが出てる人は答えが出ない人の気持ちは100%理解できるんです。経験があるから。その点において、答えが出ない人ってのは答えが出てる人と比べて、間違いなく劣ってます。
だから、答えが出なくて困ってる人は、信頼できる答えが出てる人を友達にして、いろいろ相談するのがいいと思いますよ。くよくよ悩むのもいいけど、悩み飽きたら相談すればいい。サクっと答えてくれます。
えっ? アンタはどっちなんだ、って?
多分、答えが出てるはずなのに、いつも考えてる人です。
いずれにせよ、「一般人の言葉が文字になって残る」ってことが発端なわけですよ。昔は言葉なんて空気に乗って消えちゃうものだったのに。記憶の中にしかなかったのに。今は個人サイトのおかげで、常に記録として残っちゃいますからね。おかげで直面させられる葛藤も多いよね。
全部インターネットのせいだ。
MSNメッセンジャーっていうソフトがあるんです。友達を登録しておいて、相手が接続すると「オンライン」って表示されて、メッセージを送ればチャットもできる、ってソフト。別に自分がオンラインになったらすぐチャットがスタートわけじゃない。基本的には「今俺、オンラインっすよ」ってことを友達に表明するだけ。リクエストがあれば、メッセージが来るって感じのソフト。
繋がってる、ってことが安心感なわけですよ。メッセンジャーの画面を見て、こんな夜中でも俺の友達が11人起きてて、パソコンの前に居て、声をかければ返事くれる状態で居てくれてる、って思うだけでなんだかホッとする。ぶっちゃけ声かけてみたら相手寝てて、返事こなかったりするんですけどね。
まあ俺、正直あんまり声かけないんですよ。小心者だから。用事がないとなかなか。相手からメッセージ飛んでくるのはいつでもウェルカムなんですが。困る時はオンラインにしないし。ちょっと困る時は最低でも「退席中」とか「取り込み中」とかにするし。だからオンラインの時はいつでもウェルカムですよーー。
その「オンライン」とか「退席中」とかってのがね、現在の自分のコンディションとして表示できるわけですよ。それを見て、話しかけるかどうするか判断するわけです。
MSNメッセンジャーへの登録は、メールアドレスで行なうわけです。アドレスがわかったら誰でもリクエストできる。リクエストされた側は許可/拒否を選べる。まあ基本的に友達同士で登録しあうものですから、拒否ってことはあんまりないんですけどね。
でもほら、友達づきあいしてる間に、ちょっと印象が変わってくる人もいるわけですよ。例えばメッセンジャーでバンバンにメッセージ送ってくるくせに、ほとんど自分の自慢話しかしないし、急に返事がなくなったと思ったら寝てた、みたいなことを繰り返す人。疲れてたりすると正直な話、めんどくさく感じる時もあるわけですよ。でも友達リストの中にはいる。そんな時どうするか。
「禁止」ってモードがあるんです。面倒な相手をその設定にしておくと、自分がオンラインになっても相手のリストの中に「オンラインだよ」って表示されなくなるんです。居留守モードみたいなもんですね。
MSNメッセンジャーを続けてる人って、リストの中に禁止マークが増えてくるものではないかな、と思います。自分のメッセンジャーの画面、人には見られたくないって人も多いんじゃないかな。
ちなみに俺は禁止マークの人、ひとりもいないんです。だって……「相手が居留守かどうかをチェックするソフト」ってのが存在するんですよ! 恐ろしいことに! 俺が居留守(禁止マーク)に設定してて……相手がもしもそのソフト使ってチェックして……「私を禁止に設定されてるんですね。ショックでした!」なんてメール送ってきたら。俺、なんて返事していいかわからないじゃないですか。こわ! 怖すぎ!
思えば、最近俺のメッセンジャーの画面の中で、何ヶ月間もオンラインにならない友達が居るわけですよ。俺「最近メッセンジャー立ち上げてないのかな」とかのんきなこと思ってたんですが、ありえないっすよね! 俺ってなんて間抜けな楽天家なんだろう。大笑いですよね。
かといって上記のチェックソフト、怖くて絶対に使う気にならないわけですよ。自分が疎まれてるということを、なんでわざわざ確認するようなことしなきゃいけないんだ、って話ですよ。知らないままで済んだほうがいい。相手がメッセンジャーを立ち上げていないかもしれない、っていう1%くらいの確率に賭けてた方がいいわけで。
本来、人間関係なんて、一方的に疎遠にしていたところで気づかせずに済ませられるものじゃないですか。うまいこと言い訳をつけてノラリクラリかわしてれば、苦手な相手と会話しないで済ませることも可能。でもメッセンジャーみたいなデジタルなツールだと、禁止マークみたいなモノでそれが明確化させられてしまって、ぼんやりうやむやにできなくなってますよね。現実突きつけられたりして嫌なもんだ。便利になった分、心をもっと強くしなければならない。
人間関係をデジタルにするっての、なんだか怖いですね。便利なおかげで逆に不安になる。
全部インターネットのせいだ。
まあ野次馬根性でDOMINO88の公式サイトを見に行ってみたわけですが。遅れてるわけですが。
勝手にブラウザ(俺の場合IE)を最大化とほぼ同一まで大きくするんです。頭にくる!
この、ブラウザのサイズを変えるって技術を使われて喜んでいる人は日本に何人居るんですか? 「おおっ! またサイト側が自発的にブラウザのサイズ変えてきたよ! オリジナリティーあるねー。枠にはまってないね!」とか手ぇ叩いてほくそえむのか。
可能性として「相手は好きなアーティスト様だし、彼らが表現したいのがブラウザ最大サイズのサイトなら私はそれを見たい」という人はいるかもしれない。でもそれは「愛情があるから我慢できる」ですよね。イヤだけどガマンできるレベル、ってだけですよね。
いいんです。何やったって。俺はそういうサイト、二度と行かないだけですから。俺、ブラウザのサイズを変えるサイトには行かないです。大きくなっても小さくなっても二度と行かない。サイズが変わった瞬間に読む気が失せて×ボタンです。一文字も読みません。それは俺のポリシー。それは俺の権利だ。俺の自由でしょ。
だから作る側もサイズを自由に変えていい。どうぞ変えてください。
ただ、それで喜んでる人が俺以外に何人居るのか、たずねたいだけ。あれは誰かに喜ばれている技術なの? と思ってるわけです。
「おおっ! ブラウザのサイズが変わったよイエーイ!」と思っている人が居て、そういう人たち向けに作られているのならば、それが彼らと、心の狭い文句野郎である俺との精神的な断絶なわけですよ。一生理解し合えない大きくて深い溝なわけですよ。
放って置けばいいんですけどね。クリックひとつでいけちゃうからどうしてもクリックしちゃうじゃないですか。で、また無駄に自分の心の狭さを再確認しなきゃなんない。
全部インターネットのせいだ。
昨今のブログブームによって、個人サイト界が大きく塗り変わってしまった。ブログのシステム、一度使うと便利でやめられないもんね。
「俺もブログ始めるよ」「おっ、キミもブロガー?」なんて会話で、ブログやってること自体がちょっとした話題になってた頃が懐かしい。
俺の考える「ブログブームが来て良かったこと」ってのはひとつだけ。それは、薄ら寒いデザインのTOPページ・入り口ページが絶滅寸前にまで追い込まれていること。ブログってTOPページ見ればほとんど全貌が把握できるもんね。
何が「リンクはTOPページにお願いします」だ。なんで毎回そんなしょっぱいデザインのページ踏んでから入室しなきゃいけないんだ。書く文章が面白いだけに勿体無いね。……な〜んて偉そうなことを思ってる人も居たらしいですよ。
っていう内容の超長文を書こうと思ってたんだけど、なんだかいろいろあって疲れきってしまったのでヤメ。もうヨボヨボ。こんなに身も心も疲弊しきってるのに、なんで更新なんかしてるんだ俺。……ブログのシステム、とっても更新が楽チンだから??
全部インターネットのせいだ。
超有名な写真家の人ってこれからも出てこられるのかしら、と思ったんですね。
いや、あのさ、個人サイト見てるとさ、綺麗な写真撮る人いーっぱいいるじゃない? すげー上手! 雑誌に載ってたっておかしくない、みたいな綺麗な写真、個人サイトでいくらでも見られるじゃない? 俺、全然違いがわからないの。
この人でいいじゃん! みたいな。雑誌に載せる写真撮る人、この人でいいでしょ、って感じの。
元々俺、写真のよしあしってさっぱりわからないんだけどさ。
もしも俺みたいに、本当の、本質的な写真の良さ・素晴らしさみたいなものがよくわからない人が多いのだとしたら。
もう、写真家の人が写真で食べていくのって、それこそ営業力とか、人柄が気に入られてとか、そういうのばっかり重要になってったりして、とか想像した。
全くの想像ですけどね。勝手な。
昔はさ、今みたいに個人がバンバン写真を発表できる場なんてなかったわけですよ。
しかも写真って、他の創作に比べると意図的な作品を乱造するのは難しいし、偶然に左右されたり、「その場にいりゃあこの程度の作品、誰にだって撮れるよ!」とか揶揄されがちなわけですよ。
カメラも良くなってる。続けることにコストもかからなくなってる。今イチな写真のトリミングも色調整も、パソコンで簡単にできるようになってる。
自然の風景を、誰かの一瞬の表情を、歴史に残る事件を……そういうものを写真に切り取る偉業が、誰にでも簡単に手の届くところに来てしまってるんじゃないか。
……な〜んてことを考えたり考えなかったりした夜。こんなこと考えちゃうのは、さっきまで見てたお友達のサイトの写真が素晴らしかったからなんだけど。つまりは。
全部インターネットのせいだ。
アニメ「ドラえもん」の声優交代のニュースが流れたのが一昨日? もうそろそろ落ち着いてもいい時期だ。インターネットをちょっと見ているだけでも悲痛な叫びがいくつも観られた。永遠など存在しないことは理屈ではわかっていても、現実を目の当たりにさせられることにはどうしたって痛みを伴う。狼狽することも仕方がないことだ。だが我々にできることはたったひとつ。来年の交代劇に何があってもあたたかく迎え入れること、「ドラえもん」の登場人物の声が自分のイメージするものや前任者の世界観と大きくかけ離れていたとしても、ぐっとこらえて受け入れることだ。
ニュースを読めばわかる。次世代の担当声優は既に決まっていて、その上での発表なのだ。これから探すわけではない。もしも公募するのだったら俺は応募するつもりだったよ。なぜなら俺も「こんな声じゃない」と文句を言ってしまいそうだったから。文句を言うくらいなら自分でやるね! ……冗談。でもちょっと本気。何か発言するならちょっとでも自分を当事者に近づけたい。
アニメ「ドラえもん」が始まったのは俺が小学生の頃だったよ。午後6時50分からの10分間番組だったんだよね。当初「ドラえもんはこんな声じゃない!」と抵抗を感じ友人と話し合ったのを覚えている。今では大山のぶ代さんの声以外考えられない。なんてことはない、それまで漫画で読んでいた「ドラえもん」は俺の頭の中で無音無声だったのだ。いいがかりもはなはだしい、ってやつだ。大山のぶ代さんをはじめとした声優さんたちに最大限の感謝の気持ちと拍手を。
未だに「ルパン三世を見ていても栗田貫一の顔がチラついていやだ」とか言ってる人はいる。そういう人たちに俺は「じゃあどうしろって言うんだよ!?」と声を荒げたりしない。解決策は彼らがとっくに体現している。栗田貫一の声のルパンが嫌なら観なければいい。彼らは実際に観ていない。「観ないで昔は良かったと文句を言っているだけの人々」という役割をちゃんとこなしてくれている。
我々にできることは、新しいドラえもんの声を受け入れることだ。受け入れて楽しむことだ。それがベストな選択だ。それ以外にない。それだけを考えてその日を迎えよう。文句ある?
それでも彼は文句を言うだろう。栗田貫一のプレッシャーとストレスを、新しくドラえもんの声を担当する声優の精神的なつらさを、微塵も想像せずに言うだろう。感想を口に出すのは自由だ。人を傷つけるのは良くないことだ。
俺も同じだ。人を傷つける感想を書いてしまう。日記に書いて世界に発信してしまう。無神経にも。俺は「こんなのドラえもんの声じゃない!」とは言わないが、別の言葉で誰かを傷つける。
全部インターネットのせいだ。
なんかのタイミングで「でもその人、ネットオカマだよ」と教えてもらった。そうか! その可能性があるのか! 怖い!!
なんでこんなに怖いんだろう。女の子だと思ってたメールのやりとりしてた相手が男だったからといって、どうしてそれが恐怖なのか。
自分の感情を根底からひっくり返されるのが怖いのだ。
つまり、俺が男性に話しかける時と女性に話しかける時では、感情が全く違うのだ。俺が女性にかける優しい言葉は、決して男性には向けられないものなのだ。俺の優しさは全て下心を根拠にしているのだ。……いや、我ながらそれは言いすぎか。
ネットで出会って、メールでやりとりしてて、「あ、この娘けっこういいコだな、タイプかも」って思ってて、憎からず思ってて、実は男性だと知ったらものすごいショックだろう。裏切られたことに相当感情が震わされると思う。
そう考えると怖いね。何も信用できないね。メールの相手が「私は女性です! 本当です!」っていくら言葉を重ねても信用できないもの。「裸になって、俺の言うポーズをとった写真送ってください!」とかお願いするしかない。それじゃそういうサービスじゃないかと。有料の大人向けサービスじゃないか、と。
そうなったらもう「相手が男性だったとしても驚かないぞ、驚かないぞ」って自分の心に予防線を張って、常に相手の言葉を話半分に聞いてないといけない。傷つきたくないと思ったらそうせざるを得ない。
こんなに効果が高いんだからさ、それを趣味にしてる人もいるかもね。メールをやりとりして、それこそ文通みたいに近況を報告しあって、相手をその気にさせておいて、「私たち趣味が合いますね!」みたいなこと言っておいて、男ですって発表して、相手の落胆を見て楽しむ、みたいな悪趣味なことやってる根暗な人、世の中にいくらでもいそう。人の感情をもてあそぶってのは、本質的に愉快なものだからね。自分の思い通りになるわけだから。
怖いね。だからといって何も信じないで疑心暗鬼に生きてくなんてつまらないから、相手を信じて生きてくしかない。傷ついたところで頑張るしかない。コミュニケーションってそういうものだってもう一度自分に確認して、怖さに対抗していくしかない。それしかないんだよね。
……ってネットオカマを怖がるなんて少数派の意見なのかな? ま、こんな風に大げさに考える人もいるってことですよ。
もし俺みたいな人ばっかりだったら、それこそ相手がネットオカマだと知った途端、逆上して殺しちゃうなんて事件も多発しちゃうかもしんないね(たしかありましたよね?)。そんなんで人が殺しあう世界になったら……シャレにならないですね。それってば……
全部インターネットのせいだ。
「正しい日本語」なんてテーマで何か書くなんてのはもう、出尽くしてて陳腐なわけだけどさ。「誤用だってなんだっていいじゃん、生き残ったものが正しいんだよ!」なんて逆切れしないで、意思をもって言葉をセレクトしていきたいな、って気持ちは常にあるわけですよ。少なくとも俺は。
ネットの個人サイトの文章のさ、言葉の誤用を指摘したりされたりすることあるじゃない。俺はそれでいいと思うんだけど、指摘するだけじゃなくて「使えもしないのにこういう難しい言葉を使うな、身の程知らずが!」みたいな言葉も付け加えちゃう人いるじゃないですか。まあ気持ちはわかるんですけど。
俺はさ、聞きかじったばかりの言葉をちゃんと使いこなせてないのに使っちゃう、みたいなのって全然アリだと思うんですよ。なんかさ、新しい言葉を知って「わ、その言い回し使ってみたい!」って魅了されちゃう瞬間ってあるじゃない? ないかなぁ?
俺、栗本薫の小説の、主人公が何かを発見するシーンで出てくる「エウレカ!」って言葉が好きで。いつか絶対使ってやろうって思ってて。意味もわかってないのに。「ユリイカ!」っつった方がいいのかどうなのかそれすらもわからないのに。なんだか格好いいじゃん? よくないか。なんか惹かれる言葉ってあると思うんですよ、人によって。
それはどうだろう、単純に響きが気に入ったのかもしれないし、難しい言葉を使うことで頭が良く見られたいのかもしれない。でもそれでいいと思うのよ。文章書くのがそれで楽しくなるなら。難しい言葉ばっかり押し込んでさ、読んでサッパリ意味が頭に入ってこない文章はダメよ。でも、読む人にわかってもらえる文章を書こうって心配りがちゃんとあって、その上でちょっと背伸びした言葉選びがスパイス的に何箇所か出てくる、ってのはアリだと思うんですよね。それが個人の日記的テキストだったなお更にそう思う。
指摘する人もさ、誤用を指摘できるくらいの知識の持ち主なんだからさ、「身分不相応な言葉遣いプゲラ!」とか言わないでさ、優しく指摘してあげればいいと思うよ。文章書くのって楽しいじゃん。指摘の上に悪口を重ねられて、指摘された人が文章書くのってメンドクセーな、って皆が思っちゃったらそれはつまらないことでしょう? いやまぁ、ムカつく文章書きのヤツもいるからさ、「知識・良識のある人なら、すべからく優しい指摘だけにとどめておくのがベストだと思う」、とまでは言わないけどさ。
言葉の誤用って気になるけど、ネットの文章だもん。ログに残って後から指摘して(指摘されて)修正が可能じゃん。ついこの間まで、一般人の99%は「不特定多数が目にできる場所に、自分の文章がログとして残る」なんて形式の発言、ありえなかったんだもん。後から平和的に指摘されて直せばそれでいいじゃんよ、と思うわけ。存分に後から指摘しあおうよ、と。
そうなんだよねー。「一般人の日々の言葉がログとして残る」なんてて考えられなかったよねー。革命かも。
全部インターネットのせいだ。
これだけメールが普及したからこそ、日本人の文章力が若干でも上がるんじゃないかって思ったんです俺。今まで手紙なんて書かなかった若い層がさ、文章というもので相手に気持ちを伝えるようになって。後から相手の文章を読み返したり自分の文章を確認したりすることで、その能力はアップするんじゃないかと思ったんだよね。やっぱり文章力ってのは、読むこと・書くことで身につくものだと思うので。
ところがそうでもない気がするんだよね。むしろ若い人たちの読解能力は下がってるんじゃないかという気がさえする。読解能力が極端に足りない人の、稀で派手な例ばかりが一人歩きしている、ってだけじゃない気がするのね。ホント、文章で物事が伝わらなくなってるんじゃないか、っていう不安。
こんなに毎日文章を読んで書いてるのに、なぜ文章力が上がんないんだろう、って考えてみた。
まず頭に浮かぶのが絵文字の多用だよね。パケット通信料のスリム化・入力の簡便化をはかる為に、絵文字はたいへん好都合だもの。しかも見た目のかわいらしさ・やわらかさの演出が演出できる。ところが、絵文字に振り回されちゃう感じってない? 携帯電話のメールをやろうとしたら頭に勝手に絵文字が浮かんでしまって、とりあえず絵文字を入力してるうち、伝えたいことがブレてる、みたいな。
レスポンスが良すぎるってのもある気がする。都合、どうしても文章は短くなる。電車の中で見かける若い人たちは、数文字打っては送信、着信見て、数文字打っては送信、ってやってるもんね。長い文章はやっぱり珍しいことらしく「語っちゃって」とか言うみたい。長文王の俺としては、250文字なんて一瞬で使い切っちゃって、思ったことの一割も言えないことが多いんだけど。
さらには、元々「何かを伝えよう・理解しよう・説得しよう」としている文章でない、ってのもあるかも。寂しい時間や退屈な時間の埋め草として使ってる文章でしかないので、文章として成立していない、みたいな。推敲する、なんてほとんどないんじゃないかな。仲のいい友達と毎日毎日何時間もしゃべっていたからといって、弁論がうまくなるわけじゃないもんね。
そうか。そういうことが積み重なっちゃうと、文章力アップというわけにはいかないのかな。残念。こんなに人々が文章でコミュニケーションとる時代が来るなんて、数年前には考えられなかったのに、もったいないことこの上ない。
にもかかわらず、メールってのは履歴で残るからね。言った言わない、いつ言ったいつ言われた、こんな言い方したってのまではっきり残っちゃう。そういう残り方って「想い出」というよりは「証拠」にしかならないような気がする。ネガティブ要素に近づいちゃうというか。
昔はそんな証拠なんて残らないコミュニケーションしてたからさ、ひどい言われ方したとしても、「ひどいこと言われた」って思いは残っても、いつかはうやむやになって忘れることができたじゃない? 文章によるコミュニケーションは、残るもんね。後あとになって読み返してみて、行間からその優しさや愛情を再確認できるって可能性よりも、その逆の方が多い気がするもの。
やっぱり人間の気持ちってアナログでさ、事実や証拠にならない部分を優しさで埋めて、それで幸せに生きていくわけですよ。何でもかんでも事実、現実、物的証拠、ってデジタルなものをつきつけられてしまうのは、結構ダメージ大きいよね。俺はそう思うなぁ。俺が神経質なんだろうけどね。せめて文章力・読解力をつけて無用なトラブルは回避していきたいね。
メール文章でのコミュニケーション。一筋縄ではいかないなぁ。何でこんなことになっちゃったのかなぁ。
全部インターネットのせいだ。
俺、32才にもなって「実験4号」とか名乗ってるわけです。ネットで知り合った人に会うと「実験さん」とか呼ばれるわけです。昔の東風荘の仲間なんかは「実験!」とか呼び捨てですからね。場合によっちゃ「ヨン!」とか言ってくる人も居て、むしろタイムリーにムカついたりして。俺はあんなにニヤけてねぇ! 年上の女性に人気もないし。返事は「女性と一緒では行ったことないです」って感じで。
去年くらいにネットのお友達の間でパタパタっと「本名を名乗るブーム」が発生しまして。今まで横文字のハンドルネームだった人が何人も、日本人的な苗字に改名したんですね。改名っていうか本来の名を名乗り始めたというか。ま、それが本名かどうか知りませんけどね。キッチュこと松尾貴史みたいな例もありますし。
俺も本名にしようか、って思ったこともあったんですが……正直怖くて。グーグルで自分の名前を検索されて一発で自サイトが出てくるってのはちょっとした恐怖だって思ったんです。なんでかわかんないですけど。漠然と。逃げ場がないというか。そんでギリギリのところで「dk」を名乗ってるわけです。堂本健二のイニシャルでdkなんですけども。嘘ですけども。本当は実験→ディッケン→ディーケーなんですけども。嘘ですけども。本当はdenki_biribiri kanrininの略でdkなんですけども。嘘ですけども。
ぶっちゃけちょっと調べれば本名なんてバレちゃう。知り合いに聞くことだってできるし、本気だせばどうやったって調べられますよね。俺、ずっとこのサイトやってて居なくならないし。一人でやってるし。だからこそ、自分でわざわざ本名出さない。怖いから。
例えばさ、俺が仕事上のトラブルで誰かに恨まれたとするじゃない? 俺を陥れたいと思ったトラブルの相手はさ、俺についての情報をあることないことネットに書き込むかもしれない。いやむしろ、実際に俺がやっている悪行の数々をさらしてしまうかも。本名なんか書き込まれたらさ、一生ついてまわるじゃん。
実際に俺が悪いことをしたとして。同情の余地がなければないほど、本名を名乗った俺は逃げ場がないわけよ。だって俺が悪いわけだから、俺の個人情報、過去のことから人間関係から暴きまくったって「あいつが悪いんだから仕方がない」みたいな風潮になるじゃない。逆に「そのさらしはやり過ぎ」って擁護する人が現れれば、またそこで一悶着おきて騒ぎは大きくなるしさ。俺の悪行に関係ない人まで群がって面白がってさ、俺の名前がバンバンにネットに出まくっちゃうわけ。隠してたって職場や家族にもバレるかもしれない。だって本名だもん。俺、社会復帰めちゃめちゃ難しくなるじゃん。その時本当に俺が悪かったか悪くなかったかなんて、もう関係ないでしょ。
人の噂も七十五日なんて昔は言ってたけど、今は実際もっと早く廃れるのよ。みんなすぐ飽きる。それはわかってる。でもインターネットの噂って文字ベースで残るでしょう? それを載せてたサイトがなくなったってキャッシュは残る。トラックバック文章でたくさんの場所に爪跡がつく。
ブログによって(個人サイトによって)マスコミの構造が変わる、なんて誰かが言ってたけど、実際そうなりつつあるわけわけだから怖いよね。誰もが世界に情報を発信できるんだもん。無責任に。パソコンの文字情報で遊んでたつもりが、誰かを追い詰めて殺してしまうかもしれないじゃない? 変革は現れているけど秩序がもたらされる兆候はない。ルールも法律も整備されてなくて、最大公約数程度の薄まったマナーだけでぎりぎりバランス取ろうとしてる状態だもん。
本名なんて出せないよ。悪意の第三者に、面白がって無邪気にトラックバック打ちまくる低能なブロガーどもに、本名なんか出したら絶対対抗できない。怖いのは迷惑をかけて怒らせてしまった相手ではなくて、そこに群がる野次馬どもだから。こんなコト書いてたらそれこそ突撃厨に殺られるかしら?
匿名性、無責任性。無秩序、ルール。俺そんなことばっか書いてるなぁ。怖いんです。
全部インターネットのせいだ。
作品の作り手に直接メールを送ったり、公式サイトに行ってBBSに書き込んだりしてまで、批判をすることに、俺は反対だ。きっと良い結果を生まない。
基本的に俺らは「ソフトの受け手」なわけじゃん。CDを、映画を、小説を、ゲームを職業として作ってくれる人が居て、その人たちが送り出す作品を受ける人なわけですよ。作ってくれる人は俺らに届けることを目的にしてるんだから、我々が受け取ることは全然変じゃない。でも義務じゃない。権利があるだけ。そして俺らは、どこまで行っても受け手だ。「自分で音楽やってるよ!」って人であっても、多くの作品にとっての受け手であることは変わらないわけで。
好きな作品も嫌いな作品もある。好きな作品はほめて、嫌いな作品は「つまんなかった!」と思いっきり腐したい。俺もこのサイトでやってる。でもそれはあくまで「受け手の感想」の域を出ない。出ないべきだと思う。批評家になりたくない。
批評家ってのはアレでしょ。作品を批評して、それを作り手と他の受け手の両方に伝えて、それでお金をもらう人たちでしょ。批評家は作品を受けて「感想」を言ってるわけじゃない。自分なりに勉強して研究した結果を持った上で、いろいろ分析したり深読みしたりしてウンチクをたれるわけでしょ。そんで、その批評に対して責任を持つ。クレームも受けるし、ショボい批評をして評価が下がって仕事が来なくなるリスクもちゃんと背負ってるわけですよ。狂犬みたいにのべつまくなしに噛み付いてれば、面白がってもらえこそすれ、まともに扱ってもらえなくなり、批評家としての仕事は減る。食えなくなって廃業を余儀なくされる。そういう、厳しい仕事だ。
ポイントは責任もってやってるってことよ。食っていけるか食えなくなって死ぬかを賭けている。俺にゃそれは無理だ。そんな責任はとれない。
だから、俺は「つまんなかった!」って思ったことを、わざわざ作った人に伝えに行ったりしないんだよ。俺の「感想」なんて「責任ある批評」の域に絶対に行かない。そんなヤツの発する誉め言葉以外の言葉を、作り手に送る必要、全くない。それはちっとも「愛ある鉄槌」になったりしないと思う。
ある漫画家が読者から届いた手紙に書かれていた辛らつな酷評を読んだのをきっかけに筆を折ってしまった、なんて話もよくわかる。作品を世に送り出そうというモチベーションって、そういうものだ。受け手側の無神経で無責任な「批評の真似事」で、やーめた、なんつってサラリーマンに転職しちゃうアーティストだっているだろう。
「そんな弱い精神性だったらそのアーティストもその程度だったんだろ」と切り捨てていいのかな? ミュージシャンや漫画家や小説家みたいな「芸術家」に、そんな強靭な精神性を求める必要があるのかな? それを求めて、彼らの頭の中にしかない、結局俺らみたいな凡人では作り得ない作品が、世に出ない結果になるのは損失ではないのかな?
俺らの無責任な「感想」を、わざわざ作品の作り手に直接届ける必要なんてない。俺ら、責任とれないじゃん。ソフトの受け手の正論をアーティストに伝えて、いい結果が出たなんて歴史、きっと存在しない。俺らはソフトの受け手だ。アーティスト様の作品をありがたく受ける。そしてそれが納得いかなかったら「次の作品を手にしない」という最も効果の大きい拒否方法があるじゃないか。黙ってたって通じる。黙ってて通じないことは、それは俺一人が正しいと思う戯れ言ということじゃないか。彼は俺一人の為に作品を作っているわけじゃない。
昔はアーティストに直接、リアルタイムに言葉を伝えるなんて無理だったんだ。距離と時間があったし、マネージャーやプロダクションのフィルターがかけられた。今はダイレクトだもんね。
作品の作り手に直接メールを送ったり、公式サイトに行ってBBSに書き込んだりしてまで、批判をすることに、俺は反対だ。絶対に良い結果を生まない。でもそういう無神経なことできちゃう人、多いよね。自分が正しいからそれを作者に伝えたい。彼も目を覚まして次はいい作品を作ってくれる……とか思うのかな? 逆に終わるリスクの大きさを考えられない浅はかさ。君の言ってることの正しさなんて問題じゃないのに。アンタ何一つ責任とれないでしょ。メールアドレスさらすことが責任とることだと思ったら大間違いだぜ?
でも書き込んじゃう人多いよね。それで作り手がやる気をなくしてしまったら。
全部インターネットのせいだ。
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追記:
「公式サイトに正論書き込んじゃダメ」って内容で自分のサイトにひっそり書いたのに、それを公式サイトに第三者に書き込まれちゃうとは思ってませんでした……。
リファラを追って行ってみたら俺の文章、「論点がズレてる、作品の良し悪しなんて語ってない」とかって書かれてます。おっしゃるとおりですね。その意味で俺の文章はそのBBSへの書き込みに適していなかったです。だってそんなこと、想定していなかったもの!
でも、若干読み違われてるかな、という気もします。俺が言いたかったことは「無神経なソフトの受け手が、BBSやメールでどれほど正しい言葉を連ねたって絶対に良い結果は訪れない」ってことなんですね。その人の論旨の正しさなんて無関係なんです。彼らは多分「俺の頭脳で、ズバッと正しいことを言って、BBSを読んでる頭のいい人の多くが自分の意見に賛同・またはねじ伏せられて、その正しい結論がアーティストを進むべき正しい方向へと近づける」と思ってるんじゃないか、と思うんです。それが愚かで浅はかなのです。
無責任で匿名なソフトの受け手の言葉は、物事を正しい方向に動かす力よりもずっと、アーティストのやる気をそいでしまう力の方が大きいと思う。
無責任で匿名なソフトの受け手の言葉が見事な正論で、周囲の皆が賛同したとしましょう。心無い発言をした人間が謝罪をして、アーティストが何かしらイヤな気分になって、それでどうなると言うんでしょうか。まさかアーティストが目を覚まして『正論ありがとう!』ってなるなんて思ってないと思いますが。謝罪を受けて、そのBBSを見ている正しいファン達と、論破好きな正論を振りかざす人達が納得して、「ホラ俺らが正しかった」とほくそ笑んで、一体それが何になると言うんでしょう。
論点がズレてる? お笑いです。論点も何も、その論争が良い結果を生まないと言ってるのに。あなた何一つ迷惑を受けてないでしょう? アーティスト側のちょっとぶっちゃけ過ぎの書き込みに腹を立てて、ロジックでやっつけてやろうとしてるだけじゃないですか。ファンの愛ある行動の究極形が、BBSを正論で制圧することとか、アーティスト側に謝罪させることだと、本気で思ってるんですかね。正しさがナンボのもんだと。
戦争の最前線で血を流している兵士に、安全な場所から電話をかけて「いかに戦争が無意味か、その兵士がその場に至った経緯がいかに愚かか」を語ったとしたら、その内容の正しさなんて問題じゃないでしょう、っていつも思います。
raffineさんのところで安めぐみのサイトのBBSが荒れていることを知る。ちなみに俺はその問題となった安めぐみのテレビ番組を観ていない。
BBS、たいして真面目に読んでないんだけど、結局はみんな「書き込む人間には平等に権利がある」と思ってることだけはわかる。「自分の意見がもっとも冷静で真実に近い」と思ってるきらいもある。
俺がアイドルの公式サイトの管理人だったら、BBSを設置するなら「なれあい掲示板」って設定するけどね。「ここはファンがなれあい、めぐみちゃんを褒めちぎる掲示板です。建設的な意見はメールでお伺いします。空気の読めない正論は予告なく削除いたします」とかってルールで運営すると思う。だってそれが目的に忠実でしょう? 返事は「当初の予定どおり、まったりすごします」ってことで。
正論言ってる間、自分が場違いだなんて絶対に思わない。でも、戦場の最前線で怪我してる軍人に向かっていかに戦争が良くないことなのか説教するなんて、実際には誰もできやしないはずなんです。ちょっと大げさか。
正しいことを書けば、きっと皆理解してくれはず、と思う。理屈で相手をねじふせられれば、結果的に正義となって平和が訪れる、と思う。軍人の考え方ですよね。
ついでですけどもう一個。俺が次に普通のBBSを設置するとしたら「不適切な書き込みかそうでないか判断できない場合は書き込まないでください」ってルールの加えるね。お友達がそう言ってて、そりゃそうだ、なるほどなと思ったので。
BBSの書き込みなんて、法に触れるなんてことほとんどないし、体動かせずに涼しい自部屋からちょちょっと書き込めるし、お金もかからないし、リスクもないし、誰も追いかけてこないし、気が大きくなったり周りが見えなくなったりするんだろうなぁ。俺もBBSでは何度もいざこざ起こして後悔してるし、言動には気をつけようといつも自分を戒めています。
とは言うもののBBS、争いごとがたえないよね。「正論」という名の凶器が、相手を傷つけやすくなっちゃっている環境が、安易に転がってるわけだもんね。
全部インターネットのせいだ。
インターネットのおかげで、もう、わからないことなんかないんじゃないかって気がしてくる。まあそれは間違いなんだけど、そのくらい簡単にいろんなことがわかる時代だ。ものすンげーたくさんの人々の意見が、一瞬で検索結果として出てくるんだもんね。知りたいことがなんでもわかっちゃう、気がする。
こういう妄想をしていると、小学生時代の自分を思い出すよ。
当時俺、めちゃめちゃ自分が頭のいい人だと思っていた。母親に「東大行くよ」とか言ってたぐらいだ。小学校で習う勉強にわからないものなんてなかった。テストの時間なんつっても、まさに自分の実力がわかるきっかけと捉えて楽しんでやってた。ゲームセンターでクイズゲームに100円玉入れるのと一緒だった。
学習塾なんてのも、遊び場代わりに行ってた気がする。中学ン時、進研ゼミとかもやってたけど遊び半分だった気がするなぁ。当時は小学生の頃ほど勉強できないのに。
進研ゼミの解答用紙に、通信欄みたいなのがあるのね。特にわからないところなんかを書き込んでおくと、隣の通信欄に赤ペン先生がびっしり返事をしてくれるていう欄。俺、そこに書くべきことがなくてさ。わからないことは、教科書を見直せば書いてあるわけで。まともに質問に使うことがなかった。
っていうかあの通信欄無意味だ。勉強がわからない子供に「どこがわからないの」って尋ねることが愚かだからだ。まあいいけど。
で、俺その通信欄、途中から個人的なアンケートに使ってたんだよね。ほとんどの答案に「先生の出身地の、面白い方言を教えてください」って書いて出すの。すると赤ペン先生の皆さんが、生真面目にびっしり返信してくれるの。あれが面白くてさ。向こうは仕事だからね。子供の疑問には真面目に答えると。こっちは誰にでも同じ質問してるヤなガキなのに。そして「返事がない時はとても心配になる」わけで。
俺が25の頃やってたサイトに「mind the gap!」ってページがあって。ネットで出会った人にいろいろ質問する文化人類学的コーナー。例えば質問は「夜中に口笛をふくと何が来る?」とか。
いろんな地方のいろんな答えが集まって面白かった。でも途中で「こういうのは不特定多数の人が物凄い数来る、大手サイトでやった方が面白いんじゃないか」と思って中止した。自分ットコがデイリーアクセス数1万を越えるくらいになったら再開しようと思って現在に至る。……再開、ないんだろうな……。
つまり中学生の頃の俺と今の俺、やってることがちっとも変わらないのだ。いろんな人からいろんな答えが集まって、それを目の前に広げてニヤニヤしてる。そういうのを、面白がるのが好きなのだ。何も変わってないのだ。
そういうのやるの、向いてるよねインターネットって。画面の前でちょっと答えるだけだもん。世界中の人とダイレクトにアクセスできるし。わざわざ発信しなくたって、ちょっと検索すりゃいろいろ出てくるしさ。それでいろいろ知って、まるで全てを知ったような気になる感じ。何も成長してない、俺みたいなヤツにぴったりだ。
まるで全てがわかったような気になれる。情報を掌握して当たり前のような気になる勘違い。
全部インターネットのせいだ。
まず「Winnyが合法か違法か」という命題であれば合法であるに決まっている。Winnyは合法であることを前提に作られたソフトだからだ。存在意義がなくなってしまう。今、Winnyを取り締まる方法はない。
でもWinnyは悪い。その利用者の匿名性が悪い。匿名であることを保つこともWinnyの前提、存在意義のひとつ。それが悪いのだ。匿名性を保証することが悪いのだ。
匿名であることとは何か。無責任であるということだ。無責任な存在であることを保証する場合、ほんの少しでも悪いことができそうな環境を提供してはいけない。無責任になった途端、多くの人間が悪いことをするからだ。人間は法律という威圧がなければ、めちゃくちゃわがままにふるまおうとする。
インターネットを離れた実生活において、我々はほとんどの場所で「匿名が前提であること」を必要としない。道ですれ違う人が誰だかわからないことと、インターネット上の匿名状態は同じではない。
そして「匿名が前提の善意」は難しい存在だ。善行に繋がる内部告発であってもそれは結果的なもの。それが成立したのが匿名によるものであっても、それを善行たらしめたのは匿名によるものではない。悪意の場合を考えれば火を見るより明らかだ。悪意の匿名性ほど我々の恐れるものはないではないか。
だいたい、住基ネットも整備され、長年歌われていた国民一億総番号制もやっとこさスタートしたというのに、「誰が誰であるかを特定できない」なんてシステムは旧時代的なのだ。全ての商品に製造者責任が問われる現在、責任の所在をわからなくする方法の発明は必要ない。誰が誰であるか特定できないところに放り込まれ尚且つ関係を続けなければならない状態を、我々はたいへんに嫌がるはずである。
Winnyは悪い。それは無責任であることを保証する存在だからだ。悪いが違法ではない。それは「無責任であること」に対する法整備が足りていない、ということなのだ。法律によってしか我々が守られないとするならば、人間同志の関係性において無責任は極力排除していかなければならないと言えるだろう。
むしろそういった無責任性がメリット捉えられているとしたら、どうしてそんな理屈になってしまったんだろう。
全部インターネットのせいだ。
コメント
音楽配信メモの津田さんのコメントはないのでしょうか?
Posted by: るてぃか : June 15, 2004 04:42 AM
どうでしょうねぇ。俺も期待してたんですけど。
実際にはこの話題、MOK Radioで俺と津田さんでやってるんですよ。そん時に一度は結論づいてるわけですが。
俺的には上の理屈、間違ってる気、しないんですけどねぇ。
Posted by: dk : June 23, 2004 02:36 AM
半月ばかし前に俺も電車男を読みまして。結構感動しました。最初はやっぱり「こんなの作りだよ」とか思いながら読んでたんですけどね。途中から目が離せなくなって感動。ちょっと泣いてみたり32歳。電車サン、男性としてはやっぱりちょっと頼りない感じでイライラしましたが。そこがリアルだなぁとか思ったりね。
ああいう名スレ(名作スレッド)って、全く新しい読み物だよね。いろんな要素が上手に重なって奇跡が完成するわけで。名スレになる本流を作る中心人物。数奇な事件。たまたま荒らされずにうまく続いていく運命みたいなもの。あたたかく見守る人々。心に残るフックとなりえる発言をする名無しさん。そして……終わった後のスレッドを保存し、無駄を省いて、再度アップロードしてくれる人。
このアップロードしてくれる人が重要だと思うんだよね。電車男もその人が上手に「要らない書き込み」を間引いてくれたからこそ、中心人物の書き込みを目立たせてくれたからこそ読み物として成立してるわけで。俺は電車男、リアルタイムでは知らなかったけれども、きっと本流に逆らう口汚い書き込みや周囲の空気が読めてない書き込みがいっぱいだったんだと思う。アップした人が綺麗にフィルタかけてくれたおかげで、ちゃんと読めるんだろう。
俺もさ、電車男で感動してさ、同時に考えちゃったの。すげー量が間引かれた書き込み番号を見て。一緒ンなって感動できなかった「荒らし」の人がたくさん居たんだろうな、って。
多分、荒らしの人は最初からこのスレッドに対して「自作自演すんなヴォケ」とか「氏ね――――終了――――」とか散々書き込んでたと思うの。もう全否定で。場違いだ出て行けとか、文句を、揶揄を、茶化しを繰り返してたと思う。しかもトリップ(暗証番号)を解析して中心人物である電車男になりすましてみたり。それが読んでいる人を白けさせ、憎悪されてしまうことだとわかっているのに、やってしまう。
皆が協力する流れ、祝福する流れにどうしても同意できない、でもその場を立ち去れずにやっぱり悪態ばかりついてしまう、そんな人絶対いるもの。匿名だからね。狂ったように場を壊そうとばかりしちゃうんだろうね。
俺、その人、そういう荒らしを続ける人のことを考えると胸が痛くてさ。彼はきっと、最後まで本当に自分が人間として最低で、孤独で、どうにもならないハナツマミだってうすうす感づいてる。うすうす感づきつつ、本当の自分を直視しようとはしないんだよね。そして文句。悪口。全否定。
電車男は大団円を迎えて……最後の最後で彼は離脱したかもしれない。次に荒らす場所を求めて。自分の強い書き込みによって相手を傷ついたり、態度を急変させたりしたら、自分が生きてる証明になるじゃないか。自分が誰かに何か影響させられる存在だと信じたい。
自分が荒らしの人だったら……大団円を迎えて祝福に喜び合う人々の書き込みを見たら、傍観者のつもりが「友達だ」と紹介されて感涙してしまう人々の書き込みを見たら、絶望するほど圧倒的な孤独感を味わっちゃうと思う。
そして、あんなに幸せムードの名スレだったからこそ、そんな荒らしの人々もみんな巻き込んで全員笑顔で終わるようなことはできなかったんだろうか、って思うんだよね。しつこく場を荒らす書き込みをしてた人が、電車男になりすましたりして皆に憎まれてた人が、ちょっとずつ心を開いて思わず祝福の輪に入っちゃうような、そんな魔法のような誘導方法はなかったんだろうか、って。
そりゃ2ちゃんねるなんて荒んでて当たり前だけどさ、あのスレッドにはたくさんの奇跡が転がってたわけじゃん。人の心を動かす名言がいっぱい生まれたわけじゃん。空気の読めないダメな人たちが改心しちゃうような、そんな魔法が発生しても良かったんじゃないかな、とか思っちゃうわけ。色んなひとが集まって幸せを願うって、そんなことができる場所って現実にはあんまり存在しないじゃない? そしてそういうの、あの場には実は少しはあったかもしれない、って思ってサ。
普通だったらそんな奇跡期待しないけどさ。大人になっても一瞬「もしかしたらまた奇跡が」なんて思えちゃう不思議がある。その万が一ってやつがおこっちまうんじゃないかと思える幻想。
全部インターネットのせいだ。
昔、「窓際のトットちゃん」という本を読んだよ。ベストセラー本なのであなたも読んだことがあるかもしれないね。
そこに「トモエ学園」という学校が出てくるのよ。主人公のトットちゃんが通常の学校に見放された後にたどり着いたちょっと特殊な学校。そこには決まった時間割というのが存在してないのね。理科の実験をしたい子はそれをやり、お絵かきが好きな子は一心不乱に描き続ける。自分の興味のある科目を好きなだけやって、得意な分野をさらに伸ばせばいいという考え方。本の中でその学園は理想の学校として描かれていたの。
でも……今になってからの後付けの理屈じゃなくて、俺、当時からその学校を理想と思わなかったのね。そんなのすぐに限界が来る。自分ひとりじゃ学ぶことなんてすぐなくなる、って思ってた。自分が嫌いな教科から逃げる方法でしかない、って思ってたの。当時から。
俺、今でも子供には国語算数理科社会英語、全部教えるべきだと思うよ。歴史も古典も、物理も化学も全部教えた方がいい。ある程度は選択させても、ほとんどは押し付けるべきだと思ってる。だって、人間の頭がスポンジのようにどんなことも吸い込む時代なんて限られてるから。
そしてもっと大きな理由。我慢して学ぶってこと、絶対に必要だと思うのね。「社会に出てから因数分解なんてひとつも役に立たなかった。だからあの授業は無駄だった」なんて、全く短絡的な結論だと思う。我慢して学び、強いられて考えることによって脳は形成されていくんだと思う。少なくとも義務教育の中に、無駄な教科なんてひとつもない(なかった)。足りないくらいだと思う。
「のびのび育てたい」「暗記学習に埋没させたくない」なんてしたり顔で言う人多いけど、学校にいる時間にそれを無理強いしたところで子供は全然へこたれないよ。子供の順応力をバカにしちゃいけない。我慢させて学ばせる。競わせて悔しい思いをさせる。ルールを、強大な力を知らしめる。絶対に必要なことだ。子供の間に甘やかすことは大人の罪だ。
って思ったのはさ、例の小学生が小学生を殺したって事件を見てさ……
彼女、インターネットでいろいろやってたって言うじゃない。そこで悪口書き込んだり書き込まれたりしたって。そこには憎悪が渦巻いてるわけよ。子供の判断力で行けば、それが世界の全てになっちゃうわけじゃん?
俺、ホントにこりゃまずいなって思って。性表現とか暴力表現とかの問題じゃなくて、インターネットは子供に見せちゃいけないって思った。だって自分の興味の持った方向に、自分の望む分だけどんどん進んで知識を吸い込めちゃうんだもん。子供の頃に学ぶべきものは義務教育の内容、知るべきものは家族の愛だと思う。ネットに存在する刺激の強い事実を無秩序に体験させるべきじゃない。
ぶっちゃけ……俺が小学生の頃にネット漬けになってたら、俺、自分がどんな子供になってたか全く想像つかないもん。子供の頭はさ、すげー吸い込み能力あるけどさ、考えて判断するって能力には限界があるわけじゃん。善悪の判断のつかない人間に、インターネットの匿名性の高い悪意ばかり体験させて、いい結果生む訳ないと思うんだよ。
何が一番怖いって匿名性だよ。子供に匿名性に対しての分別なんてつくわけないんだよ。あなただって初めて見た時の2ちゃんねるの恐怖、感じたでしょ? 慣れれば平気。大人になれば平気。でも匿名の悪意の集合体が放つエネルギーは半端じゃない。判断力のない子供にゃ効果覿面だ。
笑い事じゃない。俺本気で今、ビビってるの。子供にインターネットを見せちゃダメだ。子供が希望する偏った知識欲を自由に満たさせてはダメだ。少なくともネットを使ってはダメだ。ネットの情報をコントロールするなんて不可能だから。
今俺らはその局面に立たされている。俺ら10年後、簡単にネット漬けの子供たちに殺されるよ。子供は欲望に素直だもん。ネットはものすごい凶器だよ。しかも相手は判断つかないんだよ。欲望に正直なだけで悪気すらないんだよ。
そして義務教育を強化すべきだ。国語算数理科社会英語の教育方法を変えるべきだ。もっともっとエンターテイメント性を。子供がひっくり返って笑って、しかも面白がって学べるように大人の全知全能を使うべきだ。もちろん「我慢して学ぶつらさ」と両方で教えるべき。そこに我々は今まで知能と金をあまりにも費やさなかった。放置しすぎた。絶対必要なことだ。絶対そうだ。絶対だ。
勉強することの面白さとつらさの両方を子供に充分に叩き込む。インターネットを禁止する。急務だ。10年前とは何もかもが違うのだ。
全部インターネットのせいだ。
「実験さんは正しい人ですから」「あなたは強い人で自制ができていいですね、うらやましい」
最近不思議とよく言われる言葉です。誉めてもらってるんだ、と思うのでありがたく受け取っています。「あなたは間違っている」と言われるのは避けたいと思っているし、「あなたは自制のできない人だ」となじられるよりよっぽどいい。望んだ状態であります。
でも「俺だってこうして生まれてきたわけじゃない。俺だって眉間にしわを寄せて歯を食いしばっている夜もある」と言いたくなる――こともありますね。たまにしか言わないけど。そういうのは本当に助けて欲しい相手にしか言わないんです。ちなみに今は全然そういうのないですよヘラヘラ。
「私はダメな人なので」「劣等感だけが友達で」「欠点だらけなので許してください」って表明する人、増えたなぁと思います。自分のサイトで自分がいかにダメかを書き連ねて悔やんでる人。一時期のエレファントカシマシのヒロジなら「生まれたことを悔やんで つらいつらいと 一生懸命同情請うて果てろ」とか何とか、血も涙もないこと言うんでしょうけど、俺はそんなこと言いません(言えません)。実際俺も凹んだことを自分のサイトで書いて、たくさんたくさんあり難い励ましのメールをいただいたりして、んで頑張ろうと思ったことも数知れずですし。
悲しいことやつらいことを文字にしてしまうことで、自分の中でおりになったものを吐き出して、過去の事実にしてしまうって方法はあるはず。それは前向きな方法として存在すると思います。ただ、問題は……
本当はダメじゃない人の場合。ダメじゃないのに、「ミソッカスの地位」が欲しくて、「私ってダメな人だから」みたいなことを言ってるのを見ると、よせばいいのに、本当にダメになっちゃうのに、と思います。
俺は言霊を信じていて「永久に私は成長しないから」とか言ってる人を見ると悲しくなります。だって俺には何も言えないもの。「なんでだよちゃんとしろよ」と俺が叱咤する必要なんかないくらい頑張って見えるし、「永遠にダメでいいよ」なんて許可出すほど偉くないし。一生そばにつきそって責任とってあげられるかわからないし。でしょ?
「私はダメ」って繰り返してつぶやいて、ダメであることを変えないことに慣れてしまうのは、寂しいことだと思う。「自分はダメだって気がついてる分だけ大丈夫」のつもりで、ダメ度のボーダーが下がってることに麻痺しちゃってること、あると思うんだけどな。
そんでそんな時に俺とぶつかって「あなたは強い人だから(人種が違うんだから)いいよね」とかって言われちゃうと、まあ、凹むわけですよね俺も。俺だって「俺とあなたは平等、俺と全く同じところまでやって当然」なんて言わないからせめて、「あなたは強い人だからいいよね、弱い人の気持ちなんてわからないでしょう」みたいな言葉を、いや、まあ、言ってもいいけど、ちょっとくらいはソフィスティケートしてくれないかなぁ、と思うわけです。俺だって凹むよ、と。
一番モヤモヤするのは「私はダメ」って人たちが寄り集まってる時。すごく安心すると思うんですね。
俺わかります。俺がモーニング娘のライブに行ってる時がそうだと思う。あそこにはたくさん同志が居て、話しかけやしないけど、負い目を感じなくて済む場所だと感じますもん。居心地がいい。
でも、なんていうか、自分の背徳に慣れちゃえる場所を増やすのは、楽だろうとは思うけど、結局いい結果は生まないと思うんですよね。
特に! そのダメなあなたが実は「ダメな私、って言ってるだけの人」でホントは全然ダメじゃない場合。ホントにダメな人(例えばBさん)があなたの行動見て安心して、浮上できないところまでダメっぷりを発揮しちゃうかもしれないじゃないですか。あなたはダメじゃないからその気になれば(例えば運命の恋に出会ったら!)浮上できるかもしれないけど、あなたと傷を舐めあってる相手はそうでないかもしれない。
そして……きっとあなたは、一緒にダメさを確認してたBさんを裏切らずに、一生二人三脚で頑張ろうとまで腹を括ってるわけじゃないと思うんです。居心地がいいから一緒に居るだけ。今、仲がいいからつるんでるだけ。Bさんと一緒にどこまでも落ちてくつもりなんてないくせに……って人が「ダメ連」とか言ってつるんでると、まあモヤモヤするわけですよ。おせっかいな俺としては。
あなたの言った「ダメを認める言葉」が、誰かにとっての言霊になってしまってるかもしれないよ、と、まあそういう話です。……全部俺が「強い人・正しい人」と仮定した場合に、偉そうにもクンロク垂れてみるとこうなる、って話です。偉そうに。
でも実際……「自称ダメな人」が簡単に肩を寄せ合えるようになりましたよね。そういうコミュニティ、そういう個人サイト、そういう匿名掲示板、いくらでも見つけられますもんね。簡単にぬるま湯に浸かってられる。これって……。
全部インターネットのせいだ。
コメント
あともう一個。親になった時の話だ。書くの忘れてた。
自分が親になって、ダメ親のまま「世の中ちゃんとした人ばっかりじゃないんだよアキラメロ」とか子供に言い訳するのかな?
そんで、子供がガッコ行って、友達がとんでもないクソガキで、かわいいわが子のコトいじめるわ悪いことそそのかすわして最悪! って思っても「子供にもダメな人はいる」って言ってあきらめるのかな?
そのクソガキの親がダメな人で、いや、もっと言っちゃえば自分と「ダメ連合」組んでた友人で、ダメさ加減全開にしてて、クソガキが我が子いじめてんのに「俺ら子供の教育なんて無理じゃん? アキラメテヨ」とかダメ友に言われた時、あきらめるのかな? 自分がダメなんだもん、しょうがないって。
俺はいやだな、それは。ちゃんとして頑張りたい。
一人のうちはいいさ。ダメっぷり発揮してても一人だもん。
Posted by: dk : June 1, 2004 03:57 AM
……なーんて書いても、いや、むしろ書けば書くほど「ふん、それができりゃ苦労しないよ!」って言われちゃうような、勝ち組の余裕シャクシャクの無神経な言葉に聞こえるのかな。そうかもしれん。
俺みたいな人間にとって、ウェブサイトって刃物かな? 誰かを傷つけるばっかりかな? 黙ってた方がいいのかな?
いや、そんなことない! 俺が本当にそう思った日は、サイト閉鎖する日だよ。そうでないから閉鎖しないよ。うん。
Posted by: dk : June 1, 2004 04:01 AM
私も「強いからいいよね。」みたいなことを言われちゃうタイプです。
なので、ソフィスティケートしてくれないかなぁと思うこともしばしば。
私の場合は「ダメだなぁ」というよりも「まだまだだなぁ」と常に思ってて、
それが=「強い」に繋がるみたいなんですが、そんなことないんだけどなぁ。
田舎の友達で普段は面白いのですが、
ときどき「私は偽善者だから」って乾笑いする悪い癖を持っている子がいます。
とりあえず、イイコトをしたんだったら「(悪く言うよりかは)自信を持ったほうがいいのに」と思うので、
余りに下がった状態のときは説教することもありましたけど、
何年付き合ってもその辺変わらないなぁということに気がついてからは疎遠になりました。
自分の言い方がキツいのかもしれないけれど、
でも、上を見る努力はしてほしいなとは思うわけです。あんまり続くとね。
こういうのも勝ち組の意見っていうものなんでしょうか?
Posted by: いづみ : June 1, 2004 09:18 PM
とりあえず一通り読んだ感想としては、sayonanaは
文字色を「#000000」にするともっと読みやすくなるん
じゃないかということです。
ネットは本来交わることのなかった類の人と容易に
交われることがメリットでもデメリットでも
ありますね。うまくメリットだけすくい取れる人が
本当に「強い」人なのかも。
Posted by: 津田 : June 1, 2004 11:57 PM
なるほど〜。
コミュニティサイトを徘徊してるときは当たり障りなくやってるつもりなんですけど、それはまた違うのかな。
あ、私信ですみませんが、来月入ったら即「ググる」買いますね(笑)。
(今月はムリ…時給制にとっては修羅場の月です(うるり)。)
Posted by: いづみ : June 2, 2004 07:25 PM
むしろ「それは勝ち組の意見だ、みんながみんなそんなに強い立場で発言できりゃ楽だ」っていつも言ってるのは俺の方なんですけどね。
つらいのは自分だけだとか、気楽なのは自分だけだとか、変な思い込みなしで生きていければ、と思ってます。
Posted by: dk : June 8, 2004 01:11 AM
「了解」って言葉、昔はこんなに使わなかったと思うのね。「了解を得る」とか「了解しました」とかってのは使っても「了解」だけで返答って場面、あんまり存在しなかったんじゃないかなぁ。
携帯電話でのメールで返信、すぐ「了解。」ってやっちゃうじゃない? 友人相手に、言葉では言わないのにさ。メールって日本語をどんどん変えていってるんだねぇ。
全部インターネットのせいだ。
新しく「famitsu my report」ってカテゴリを作ったわけですけど。もちろんゲーム雑誌・ファミ通の人気コーナー「私の報告書」に倣ったものだ。あのフォーマットでちょっと面白いこと書けたらいいな、って思ってるんだけど。
俺、文章で人を笑わそうとするの、あんまり挑戦してこなかったので。リハビリの意味も含めて。
テレビにしてもラジオにしても、日本の笑いって放送作家が支えてるわけじゃないですか。その放送作家のうち何割かが、「ハガキ職人」と呼ばれる時代を過ごしていたんだろうって思うんですよ。好きな番組……例えばその「私の報告書」でも「電気グルーヴのオールナイトニッポン」でもさ。
多分、ハガキ職人の彼らの目的はその時点では「大好きなこのコーナーに自分の作品を載せたい」「大好きな彼らに自分のペンネームを読ませたい、名前を覚えられたい」ってトコだと思うの。そっから始まって、採用されまくって、人を笑わせたり感動させたりしてるうちに、放送作家の道みたいなものを検討し始めるんじゃないかと。いや、実際には知らないけどさ。そうなんじゃねーかなーって。
俺の想像(日本の笑いは放送作家が支えてる、その放送作家の多くはハガキ職人が出世して成る)が当たっていたとしても、これからはそういうの少しずつ成立しなくなっていくのかな、って気がしてる。だってさ、どんなハガキ職人(またはその志望者)の投稿だって、ボツはあるでしょ。誰だってできればボツにされたくない。そしたら……自分のサイト作ればいいんだもん。自分のサイトでネタを発表した方がはるかに効率がいい。もちろん他人のでなく自分の作品が選ばれるっていう快感は存在するにせよ、放送作家という目的地を見据えて投稿しているわけではない以上、どうしたって効率を求めちゃうと思うんだよね。
昔に比べて、そういった投稿の質の良さで才能ある放送作家の卵がサルベージされる、っていう可能性は減ると思う。そういった変化によって、ハガキ職人から「他人以上に採用される」「ひとつのネタを吟味する」といったハングリー精神が奪われていってしまったら。日本のお笑いというものが若干でもレベルダウンしてしまうのかもしれない……なぁんて思ったわけです。
もしもそんなことになったら。
全部インターネットのせいだ。
どうして彼のサイトは、BBSを観るだけで別窓(インターネットエクスプローラがもう一枚)開くのか。同じサイトの中でしょう? 無料のBBSサービスとはいえ自分の借りてるサーバーとは別の場所だからわざわざブランクなの? そりゃ律儀すぎるってもんでしょう。
ちょっとprofileを見てみようと思っただけなのに、クリックの途端別窓、わざわざ×ボタン押さないといけなくなる。なんでかなぁ。TOPの文章読み終えて、ページの一番下から過去ログに行こうとしたら、また別窓。何故! 何故に!? 彼は俺のデスクトップをテメエのサイトの情報で埋め尽くしたいと考えているのか?
いや、自由だ。俺の常識なんてどこにも通用しない。彼は大して問題に思っていない。タブブラウザでも使ってれば全然気がつかないんだろう。「自分のブラウジング環境に合わせて個人サイトを統一しろ」なんて電波発言以外の何者でもない。
それでもやっぱり悪態をつきたくなっちゃうこんな夜。
全部インターネットのせいだ。
会社の若い衆たちが映画『キャシャーン』を観てきたとのこと。現時点で今年最も話題の作品ですよね。でも「映像先行でストーリーが追いついてない」なんて叩いてる人も多いとか。そういう記事、どっかの個人サイトで観た。大手新聞のサイトでも観た気がする。
彼らは(男女両方)全員「面白かった、もう一度観たい」と興奮していた。確かにわかりづらい部分はあったらしく「あの身体に書かれてた文字は何なの?」「多分こうだと思う」なんつって語り合っていた。非常に楽しそうであった。
俺観に行きもしないで「あ、映像先行の自己満足映画なんだ」って納得してたの。宇多田ヒカルの「traveling」の映像観てもそういう感じしたし。でも彼らは面白かったと言っていた。泣いたとも言っていた。だったら否定する必要なんて全くない。多分娯楽ってそういうことだ。
観もしないで断罪するところだった。危なかった。最近体験しないで体験した気になってしまうことが多過ぎる。
全部インターネットのせいだ。
例えば「人質になった!」みたいな稀有で人々の興味をひきつける体験をしたとしよう。
でも昔と違ってそれを書いて本にして出版する理由、ちょっと弱くなったね。だってテキスト、ウェブサイトで無料で公開すればいいんだもん。
「一人でも多くの人に読んで欲しい」「ありのままを伝えたいと思ったから」
みたいな理由じゃ、本にして金を取る理由にならない。ネットで公開した方が絶対伝わるもん。
「お金欲しくて。でもネットの課金ってまだまだ敷居が高いでしょ」
って言い切らなきゃいけないわけで。
全部インターネットのせいだ。
話は携帯電話にチェーンメールが送られてきたところから始まる。
頭の良い蛇はジャガリコ(蛇が利口)、豚が離婚したらとんがりコーン(豚が離婚)。
ではカバが兄弟げんかしたら何になるでしょう?
「ああ、今更そのメールね!」とため息つかれちゃうのは重々承知! だって俺、今日初めて知ったんだもん。
そのチェーンメール、迷惑にも仕事中に転送されてきたもんで、俺弱っちゃって。必要以上に真面目に考えて、結局わからなかったの。で、正解探しにグーグルですよ。卑怯ですけどね。まあ降参ということで。
そしたらここからが驚いてさ。解答に諸説あるのよ! たとえばコレとかコレとか見て欲しいんだけど。
まず、このあたりが正解らしいのは間違いないんだけど……
●「蒲焼きさん太郎」説
→カバがヤキを入れる、三太郎(兄弟)だから。
●「スイカバー」説
→カバは漢字で河馬。漢字を喧嘩別れさせてバラバラにすると水(さんずい)+可+馬。水可馬でスイカバー。
●「キットカット」説
→カバを樺に置き換える。漢字を喧嘩別れさせて木+華。「キとカと」でキットカット。椛の字説もあり。
ちなみに「have a break」を「カバがブレイク」と聞こえるから説もある。
●「カバヤオレンジソーダチューインガム」説
→「カバや、オレンジ争奪中、いがみあう」とのこじつけ。
●「カール」説
→喧嘩はバトル。カバからバを取り去ると、カ。で「カある」。
●「モカバニラアイス」説
→「もう、カバ兄、いらないっす」というこじつけ。
●「ばかばかしい」説
→カバが複数でカバカバ。逆さにするとバカバカ。菓子と合わせて、こんな問題「馬鹿馬菓子い」。
などなど。
検索してみるとほとんどが掲示板に対する書き込みで、チェーンメールで回ってきたなぞなぞに悩んだ人が手助けしてもらおうとしたものばかり。
それも共通点が多くて「出題者が正答を書き込んでいる率がひどく低い」「これには諸説あって……と複数教えてくれる賢者がいる」「これってチェーンメールでしょ? このなぞなぞBBSにチェーンメール問題は禁止! と鼻息を荒くする世話人がいる」など。
いずれにせよ「誰もが皆、今ひとつ釈然としていない感じ」ってのが一番強い共通点かもね。
現代的だよねぇ。これってまさに携帯電話が流行したおかげで広まったんだと思うんだけど、誰もが釈然としないから誰かに問いかける。釈然としないまま釈然としたくて誰かに尋ねてしまう感じ。
これってきっと、単なる出来の悪いなぞなぞがあって、その正答が例えば「蒲焼さん太郎」だったんだけど、別解の方がそれっぽいってことで誰かにどちらが正しいか尋ねて……みたいな状況で広まった、なんて状況を想像するんだけどどうだろう。
ネット見て周るとカバがサイだのブタだのに変わってしまっていて面白い。中にはサメなんてのもあったよ。この辺もチェーンメールの面白さだと思うんだけど。
で、最も驚いたのはそのヒット数! 相当たくさんの人がこのなぞなぞに頭を悩ませていて……つまりそれは俺が情報から取り残されていることの確認だったわけで。
わけのわからない噂に大の大人が翻弄されてしまうのは、情報の発信元がどんな人間か特定できないから。
全部インターネットのせいだ。
会社の同僚がファッションの流行について話してくれたのね。
「ファッションの流行を追うとき、やっぱり地方は損だ。地方に住んでいるとその流行の格差に愕然とする。
情報については現在は全く問題がない。インターネットのおかげで情報が遅れているということはない。情報面に関しては都会と地方の格差はゼロだ。だが、現物がない。今日、どこのブランドの何が発売されることを知っていても、たった今青山で何が流行なのかがわかっても、それを導入することができない。何故なら入るのは情報のみで実物がないから。情報がノータイムで入ってくるからこその苦悩なのだ」
なるほど。これほどの情報化が進んでいなければそんな苦悩は存在しなかったのに。人づての流行やテレビでの取り上げによって流行がたどり着く頃には流通も追いついていた昔と比べ、地方にとって今は「知っても享受できない甘い情報がいっぱい」という状況なんだと思う。
なるほど。それはオシャレさん達にとって相当の苦痛なのだろうと想像できる。でも……俺がフックしたのは情報と流通のタイムラグの部分じゃないんだよね。
田舎の生活にインターネットが導入された時の精神的なひずみの話をしたいんじゃないの。その「リアルタイムで流行を追いたい、最先端のファッションを着こなしたい」という考え方、その部分なんだよね、結局。何故、いち早く流行に飛び乗りたいのか。結局俺にはそれがわからないのだ。
新しいブランドの新しい服を誰よりも先に着て、それが世界の誰も欲しがらない服じゃ意味がないんでしょう? ネット情報で尊敬するカリスマと同じ格好をすぐに取り入れて、そこになんの価値があるの? 服装って自分でオリジナルで作らない限り、必ず「猿真似」だよね、極端な言い方すれば。誰か(カリスマやブランド全体)のセンスを取り入れるんだから。
その真似っこ町内一の速度で行なう事で、あなたはどんな満足を得るのだろう。誰に向かって自慢げな笑顔を見せたいんだろう? 田舎の生活もアーバンライフも関係ない。最先端ファッションを追いかける人たちは「追いかけて真似をすること」自体をオシャレであることと考えているのだ、と思うのだ。
ファッションに全く興味のない俺だから、こんな偏見に満ちた物言いになるのかもしれない。音楽に置き換えて考えてみる。
多分……やっぱり俺は流行に飛びつくような聴きかたをしないだろう。誰それが聴いてて凄くいいとゆってたらしい、と聞いても飛びつかないし。新しい音楽カテゴリーができたらしいと聞いても「一応体験しよう、ためしてみよう」とも思わないし。まずもって外資系CDショップで試聴して周らないし。
俺ってば、流れについていけてないんだよね。音楽の取り入れ方が地味ってことなんだろう。流行をたった今、取り入れることに価値を見出せないんだから。
余計なお世話だが、流行をいつも気にしている人は、次の年に着られなくなった流行の服や聴かなくなったCDの数々を目の当たりにしても、苦痛じゃないんのだろうか? 平気なんだろうか?
何にせよ、俺にはできない行動なのは間違いない。
流れについていこうが行くまいが情報だけは溢れている。取捨選択しなければ飲まれっちまうぞと俺を脅かす。俺は脅かされるばっかりで何もできない。おびえている。
全部インターネットのせいだ。
ちょっと前から俺と一緒に働いている同僚がこう言った。
「国分佐智子、サイコーにカワイイっすよ! ワタクシこう見えても一途な人間なんで、もしこの職場に国分さんが入ってくるような奇跡が起きたら、ワタクシ、マジで行きますよ。いいですね?」
俺にその許可を求めてどうするつもりなのか、って話である。彼は俺に、頻繁にそんな冗談を言ってくるのだ。その日もまたつぶやいていた。「マジ国分さんカワエーー。結婚してェー」
俺は突然意地悪な気持ちになって、同僚に尋ねることにした。
「俺にはその、この芸能人が好きだから実生活でも出会いたい、という気持ちが理解できないのだが……」
「なんでですか。もしあんなカワイイコが居たら最高じゃないですか」
「最高かね。最高にカワイイから、彼女と結婚したいのかね」
「そうっスよ、最高じゃないですか」
「そうかね。あれほどに可愛らしい顔の彼女が、実際にはスゲー嫌な、むかっ腹の立つ高慢ちきな女だったらがっかりするんじゃないのかね?」
「……」
「百歩譲って、顔があれほどに可愛らしいのに性格も素直で健気で頑張り屋さんのイイコだったとしよう。だとしたら彼女は非の打ち所のない人気者になってしまって、君は気が気じゃない状態になるのではないかね?」
「……」
「千歩譲って、例えばそんな素晴らしい彼女が君という男性に運命的な衝撃を感じ、君を愛し結ばれたとしよう。その時君は、圧倒的に素晴らしい彼女と自分とを比較した時、自分という人間のショボさにショックを受けるのではないのかね?」
「……ひどい」
「一万歩譲って、それでもふたりの結婚生活が続いたとしよう。ふたりは愛の結晶を授かる。それは、彼女というサラブレッドの血統を、君という馬の骨が汚してしまう結果になるのではないかね」
「……そこまで……」
俺のこの状態を、同僚のS嬢は「ココリコミラクルタイプの『夢のない男』そっくりですね、相変わらず」と表現する。俺はその番組もコーナー、一度も観たことがないのだが……。
Z君も冗談だとわかっているのでご安心を。俺は毎日のように矢継ぎ早な理屈を彼にぶつけて意地悪して遊んでいるのだ。彼が柳のように受け流し、ニヤニヤと笑いながら「ごもっともです」と言って終わり。それがいつものことだからね。
俺はどうしてそんなことを言ったんだろう?
多分俺は、人間というものに明確に格を感じているのだ。誰ひとりとして平等なんかじゃない。命の重さも人生の可能性も千差万別だ。人間の価値には違いがあり、かけがえのない人間とゴミクズのように扱われるべき人間の両方がいる。確固たる事実だ。
俺と将来、人生をともにする女性はどう思うんだろう? 俺の伴侶になった途端に、自分の未来がみすぼらしい、煤けた、色褪せたものに見えたりしないのだろうか? 俺は自信がない。
無意識のうちに俺は、俺より仕事のできない男を、俺より漢字を知らない男を、俺より不器用な男を探しているのではないか。自分という人間の価値を確かめるために。
あーあ、自己嫌悪。
人間の価値に違いなんてないって思いてー。人間はみんな一緒、生きているんだ友達なんだ、とか言いてー。
そんな弱音、グダグダ言ってないで自分で治せばいいんだ。それをウェブに公開して同意を求めることで逃げようとしてるのだ。ウェブへの公開とはそういうことだ。
全部インターネットのせいだ。
いやホント、「電車車内での携帯電話による会話が許せないのは、単純に声がうるさいとから」っていう主義の人は電車の中で黙ってちゃくれないかと思うんだが、どうか。
実際、携帯電話に限らず、電車の中でどうしてそんなにうるさいの、という人居るよね。子供や学生だと不思議と我慢できるんだけど、あるいは年中酔ってるオジチャンや厚顔無恥なオバチャンであれば諦めもつくんだけど、俺と同じくらいの年代だと凄く腹が立つんだよね。俺ぐらいの世代を総じて馬鹿と思われたくないから。
そうは言っても、実は昔よりは腹が立たなくなってる。俺も大人になったということなの?
飲み屋のトイレ。俺の使っている小便器が空くのを待っていた男が突然しゃべりだした。しかし俺は全く驚かない。何故か。携帯電話を使っていると想像できたからだ。
夜、帰宅途中。すれ違う少女がブツブツと何かつぶやいている。自転車に乗った少年が一人バカ笑いしている。だが俺は動じない。何故か。携帯電話を使っていると想像できたからだ。
十年前であれば、対象の存在が想像できない者が突然しゃべりだしたら、それは酔っているか壊れているかどちらかであった。ボランティア精神が皆無の俺にとって、そんな人々は交際範囲に存在しない。つまり俺の人生にとって異端だったのだ突然しゃべりだす人なんてェのは。
でも今は違う。携帯電話を手に入れて、誰もが目の前に居ない人と高らかに会話をスタートする。俺も十年前とは確実に変わった。昔に比べて周りの会話が気にならなくなっているようだ。周囲でわかりやすい日本語が流れていても、気に留めなくて済むようになった。自意識過剰な十代を過ぎたから、ってだけじゃないと思う。周囲と自分を切り離す、という考え方が進んでいる気がする。
携帯電話でしゃべって、毎日のように複数の相手とメールして。同じ十年前には考えられないほど、コミュニケーションの方法が増え、活発になっている。それは「人が寂しがりになったから」だろうか。人は十年前よりも誰かと繋がっていたくなったのだろうか。なんだか違う気がする。
人とのコミュニケーションに意図や理屈をつけて、効率化をはかろうとしてるだけなんじゃないか。他人の会話は聞こえない、知らない誰かとは干渉したくない。知っている相手とだけ、自分を理解してくれる人とだけ、自分の都合のいい相手にだけ、自分の都合を聞いて欲しい。だけどそのタイミングは相手に決められたくない。相手の都合に左右されない離れた位置で、態度だの何だのツッコミを入れられない状況で相手に言葉を送りたい。
コミュニケーションの質が利己的に変わってるんだなぁ、って気がするんだよね。ネットワークで時代は変わっている。ユビキタスな環境を手に入れることで構造自体に不満を覚えなくなる代わりに、自分の都合を左右されるのをひどく嫌がるようになった、って思うんだけど。
そんなこと言って、実はそれが俺。突然の誰かに影響されて自分の都合が変わるの、心から嫌。誰にも邪魔されない、一人の部屋に帰りたくて仕方がない。恋だって直接告白した回数よりも、ラブレターの数のが多かったような。
全部インターネットのせいだ。
インターネット上に自分のサイトを持ち、自作の詩を設置する――これが思いのほか多いんだよね。日記や雑文とは別に詩のコーナーを設けてるサイト管理者の人、結構多い。
俺に言わせたら詩ってめちゃくちゃ恥ずかしいモノなのね。詩というものの定義は難しいんだが――心からあふれる感動を、読むものをうならせちゃうような「詩的表現」を使って表すもの、なんじゃないかって考えてるのね、俺。ところが、俺がネットで見かける詩ってそういうもんじゃない。
今夜も電話、くれなかったね……。
携帯持ったまま、ずっと待ってるのに。
バカみたい。テレビも我慢して待ってたのにな。
でもこれって仕方ないの?
たしかにもともとアイツ、そんなにマメじゃないし。
そう考え直すとちょっと心が軽くなった。
L、O、V、E。
携帯のメールの新規作成の本文に書いて、
恥ずかしくなってやっぱり送らなかった。
私って恥ずかしがりの子猫……。
(LONELY気分/実験44号)
みたいなやつ! いやー、ちょっと違うなぁ、もっとコッ恥ずかしいヤツよ!
詩、いいのよ? 俺は詩の世界をバカにしない。たくさんの人の心を打つものだと思ってる。でも、アンタの書いてるのは「(発表するテキストとして)ちゃんとした推敲すらしない駄文」じゃないか、と言いたいわけ。
詩的な、頭をひねった暗喩も別の事柄を想起させるキーワードもなく、ただ自由律でセンテンスを並べてるだけ、メロディに乗せるのも無理、ここが新しいヨって点もない、単なるその場の気分の羅列じゃないか、と。全体を通した論点は、子供ですら日々感じてるような原始的な感情だけ。俺はそれは人に発表する価値ないと思うんだよね。しかも後付けで題名つけてまで!
自分のサイトで詩を発表している人に告ぐ。あなたの趣味は否定しない。でも見直してくれ、それは単なる散文じゃないか? ここの表現はオリジナルだって自信のある箇所のない、あるいは書くにあたって何ひとつ自分へ当てた制限のない、そんな究極フリーハンドな詩だったら多分発表しない方がいい。だってつまんないもの。その文で表現できる景色は読む側の経験の域を出ない、色褪せた見慣れた世界に決まってるから。
詩っていうのはきっと、制約のない自由度の高い文学作品なんだろうと思う。だからこそ詩を、「推敲に次ぐ推敲なんて面倒だゼ」って人の逃げ場にしちゃダメなんだって思うんだよね。うん、そう思います。考えて書けと。考えずに吐き出すことの恥を知れと。
なーんつって、俺にそんなコト言う資格、ないんだよね。前も書いたことがある事柄だが、俺は文字だけで綴られる他人の詩に、純粋な意味では感動できない。なぜなら他人の言葉だからだ。俺がほう、とため息をつくのはその言い回しがうまいときだ。言葉遊びが巧みなときだ。それは詩としての感動の力とは別物だよね? 皆さんが「ああこの詩は素敵」と思うときってのはもっと詩全体のパワー、行間にみなぎる不思議な感動の力によるものなんでしょう? 俺、そういう感動した記憶、ないんだよね。だから偉そうに言う資格がないのでした。だから文句を言うのでした。
だからこそ心ある人よ。お願いですから「だまされたと思ってこの詩を読んでみてください。きっと感動します」なんて言ってあなたの大好きな詩を俺に紹介しないでください。わかったフリして自分に嘘をつくのも、正直に感動できないことを告げることで心の枯れた男だと思われるのもイヤなのです。
でも、推敲の足りない詩を発表する人増えたよね。臆面もなく。
全部インターネットのせいだ。