結構な倍率だったらしいんだけど、ラッキーなことに当選したので行って来ました。いやー、素晴らしかったです。名盤確定。
俺、ファーストがめちゃくちゃ好きなのね。セカンドサードと切なくて美しいメロディの曲中心で、それは素晴らしかったけどちょっとロック的に物足りないものを感じてたのも事実なんだけど……今回のアルバムは全然ロック! 熱が漲ってる感じです。アコースティックな曲も含めて断然ロック。
集まった数十名の前でニューアルバムを大音量で流して、LOST IN TIMEの二人が曲の解説をするっていうイベントなのね。前半7曲・後半7曲を分けての構成でしたが、途中ダレすることなくあっというまの時間、あっというまの14曲でした。以下、解説の時に二人が言ってたことのメモ。
旅立ち前夜
LOST IN TIMEの前に海北がやっていた異端者というバンドの曲。自分としては封印していたつもりだった曲を、久しぶりにあった前バンドのメンバーから「どうして今演奏しないのか、演奏してくれた方が嬉しいし、当時の自分たちも輝く」みたいなことを言われて吹っ切れた。
最後の一球
タイトルのとおり野球の曲。昨年の夏の高校野球は本当に熱かった。いまだに毎週、DVDを見ている(高校野球のDVDなんか出てるのか……)。自分は松坂世代だし、野球少年であったこともあるのでこの曲は気に入っている。
26
26歳になった自分だからこそ言えることがある。気づいたら周囲に自分の後輩(年下の者)が増えて驚いた。アルバムの中でも相当好きな1曲。
車輪の下
最近、喜怒哀楽という感情の中でも「怒る」ということが軽視されているんじゃないか。「怒っちゃダメだ」みたいなこともよく言われる。すごく大事な感情だと思う。ぶつけどころのない怒りを歌った曲。
翔び魚
「翔」って字、羽のついた羊なんて面白いと思ってる。
カッターナイフ
シングルのカップリングで、他の人があまり歌わないようなところに突っ込んだ曲なんだけど、あんまり話題になってなくてそのことがむしろショックだった。ただ綺麗だけの聞こえのいい歌詞なんて歌いたくない。
然様ならば
「然様ならば」は「左様ならば」でも同じ意味。「然様ならばここでお別れしよう」という文章において、別離の部分をあえて口に出さずにいようとした気持ちが、「然様なら」を別れの挨拶にさせた。接続詞が別れの挨拶になっているのは日本語だけだ。美しい言葉だとあらためて思う。
雨が上がって
歌詞が難産で、最後の最後に完成した曲。
されど犬走る
「変な歌詞」と言っているんだけど、こういう歌詞も好きだ。
背中のバラッド
アルバムの中でも一、二を争う好きな曲。年を取った父親の背中が小さく見えた。皆さんも良かったらお父さんにあらためて声をかけてみて欲しい。
鼓動
これも異端者の曲。ツインボーカルのバンドだったので一人で歌ってみたらしっくり来なかった。そこでドラムの大岡が初のボーカルに挑戦。大岡も二日考え抜いて歌詞も加えた。それは「信じたいのに 信じてたのに」というたった2フレーズだけだが、それには強い意味があるし、LOST IN TIMEとしての初めての競作として満足している(クレジットも二人の連名)。大岡のボーカルも周囲には思った以上に好評。
さぁ旅を始めよう
昨年は転換の時期だったと思うが、まさにその再出発を歌った曲。
告白
その再出発を歌っていく中でも、特に「海北個人としての気持ち」が詰まっている曲。この曲もアルバムの中でかなり気に入っている。
まだ故郷へは帰れない
曲名は「まだフルサトへは〜」なのだが、なぜかインタビューなどでしつこく「まだコキョウへは〜」と繰り返される(歌詞中でもフルサトと歌っているのに!)。最近は訂正もせず、どちらでも良いかな、と思っている。実際には月に一回とか実家に顔を出しているのだがそういう意味ではなく、まだこの場所でやることがあるから、それをやり抜くまでは戻れないという気持ちで歌っている。
コメントが少ないトコがあるのは俺の記憶力のレベルの低さによるものです。もっともっとたくさんいろいろ話してくださいました。
最後に挨拶があった後、サプライズプレゼントとして1曲、「然様ならば」を歌ってくれたよ。弾き語りが物凄く胸にしみて言葉につまるような想いでした。本当に素晴らしかった。
海北さん、半年以上お酒を飲んでないんですって。実際には全く飲まないのではなく、月に一回のつきあいで飲むって感じらしいんだけど。酒びたりになっているくらいだったら今は本を読みたい、説教くさくて申し訳ないが人生は日々勉強で、今まで知らなかったことが多すぎて自分に腹立たしい、と言ってました。お酒を減らしたからだと思いますが……海北さん痩せてグーンと色男になってました。朴訥とした印象がシャープになってて、ぶっちゃけ「見た目人気」もアップするんちゃうか、と思ってしまいました。
あと、いつもならアルバムが完成すると達成感と開放感があるんだけど、今回は全然違うんですって。むしろもう次へ向かっていて、毎日曲作りに励んでいるとか。今年中に次のアルバム発売、のスケジュールにならなかったとしても、レコーディングは終わらせたいという気持ちで制作を進めていると。凄いよなぁ。あんな名盤(一回聴いただけですけど!)作った後に、もう次から次から歌いたい曲が頭の中にひしめいているなんて。
いやー、LOST IN TIME、ブレイクするんちゃうか近いうちに。まだ聴いてない人は損しないうちに体験してみてください。
![さぁ、旅をはじめよう [Original recording] - LOST IN TIME](http://ec2.images-amazon.com/images/P/B000M2DJPO.01._AA240_SCLZZZZZZZ_V47021369_.jpg)
さぁ、旅をはじめよう [Original recording]/LOST IN TIME ¥2,520
甲本ヒロトと真島昌則の二人を「本物のロックンロール・ライブ職人」であると仮定してみる。アルバムはもちろん大事だが、それよりもまずライブが目的の筆頭にある人たちなのだと仮定してみる。
10年やって彼らはザ・ブルーハーツを解散した。メンバーの状況や環境にも動きがあって、俺らなんかはそれが直接的な理由だと思ってた。だから二人がザ・ハイロウズを組んだ時にたいへん喜ぶとともに、「ブルーハーツの解散の理由は、筆頭にメンバー間の不和みたいなものがあったんだな」と思ったものだ。
ハイロウズの解散にそういう不和は感じられなかった。だから解散は唐突にも感じられたし、「10年を一区切りにしてる人たちなのかな」なんて想像もしたものだ。ザ・クロマニヨンズを聞いて、ブルーハーツからハイロウズに変わった時のようなドラスティックな変化を感じなかったからこそ、そう思った(思えば後期のハイロウズは、ブルーハーツ的な楽曲もやっていたような気がするのだが)。
ハイロウズのライブを思い返して思いついたことがある。彼らはただ単に、「かっこいいロックンロール・ライブの完成形」を目指してるんじゃないか。ハイロウズのライブは中期から、内容に大きな変化がなく、定番とも言える曲構成で行なわれていた。新しいアルバムが出ればそのタイミングのツアーでは新曲も多く再現されるものの、次のツアーでも演奏される曲は少なくなっていた。アルバム発売とは別のタイミングでのライブでは、まさに完成形とも言える、「ハイロウズのライブと言ったらこれ」みたいなセットリストを披露するようになっていた。ちょっと新しいアルバムが出たからといって、簡単には揺るがないような強固なセットリストを。
クロマニヨンズは、またそういうセットリスト完成への旅に出かけた、ということなんじゃないのか。全く新しいことをやりたくなって音楽性をがらりと変えて歩き出したというよりは、完成形になってしまったハイロウズを傍らに置き、一からまた、そのピース集めをする為の旅に。10年間かけて、クロマニヨンズのライブと言ったらこれ、と言わんばかりの雄雄しいセットリストを精製する為に。……なんてことを考えたんだ。
彼らはすでに「本物のロックンロール・ライブ」の完成形を二度作り上げた天才的な職人だ。クロマニヨンズでも必ず成功するだろう。そして次の10年後、ブルーハーツ、ハイロウズ、クロマニヨンズのめちゃめちゃ美味しい部分だけを抽出した、神がかった素晴らしさのライブをやるのかもしれない。
その時……俺はまだ音楽を楽しめる人間でいたい。ブルーハーツを聞いて心をふるわせた学生の頃のように、宝物を目の前にしてわけもなくわくわくした気分に、その時もまたなりたいと思う。そして、ヒロトとマーシーの送り出す魔法には、それをさせる力があるような気がするのだ。
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ザ・クロマニヨンズ (初回限定盤)(DVD付) [Limited Edition] /ザ・クロマニヨンズ ¥3,625
いやー、素晴らしかったですよ! 天気も最高だし食い物もうまいしいい風吹いてるし。三日目しか参加しなかったんですが大満足でした。
特にYAZAWA! マジでかっこよかった!
今日もいろんなステージで数々の格好良いロックンロール・アクトがあったと思うのね。みんな泣いたり震え上がったりするような格好良さがいろんな場所で見られたと思う。でも「ロック・スター」はYAZAWAだけなんだよ。マジかっこええ。
俺、シーサイドトレインで行けばすぐだとか思ってグレイプバインの冒頭観てたんだけど、行列のそばでお姉ちゃんに尋ねると「19時で終わりですので、並んでもたぶん乗れませんよ」とか言われる始末。急いで歩いてグラスステージへ。汗だくで到着したら開始直前の様子。
良かったーなんつって前の方に行くと、何やら人だかりが。その正体は……猫ひろしでした(笑)。猫さんタッパないし、前のほうで観たかったんだろうなぁ。若い子たちがどんどん握手を求めて、腰低く全てに対応し、若い男性に「ニャーッ」って言われれば「ニャーッ」と応え、それでも終始すまなそうに「勘弁してくれ」って顔してました。でも若い人たちは容赦ない。ちなみに「ニャーッ」の時の指は曲げないんですよ。
ほどなくステージスタート。もう度肝を抜かれましたよ。YAZAWAの名前がビジョンに浮かんで、SEが鳴って、照明がギラギラ回り出したと思ったら突然消灯。真っ暗の中に響くエンジン音。ステージ両側の大型ビジョンの横に巨大なバイクに乗ったサングラスのクールガイが登場。ほどなく爆音と共にステージ前に一列に用意された筒から巨大な火柱が立つ。大歓声の中YAZAWA登場。ちょっとだけ観て帰ろうと思ってた俺も、この時点で最後まで観ることに切り替えましたね。
YAZAWAのステージ。めっちゃくちゃ格好良いんですよ。一挙手一投足がクール。マイクスタンドをいきなり引き寄せる仕草(その時必ずマイクがゴーンと音を立てる)、両手を広げて上に向けた手の平をひらひらと上下させて挑発する仕草、競歩みたいなステップで上手下手に移動し、かぶっていた帽子を気障に放り投げ、それでいてマイクや返しの音量調節の細かい指示を袖に出し、マイクスタンドを蹴り上げて一回転させるワイルドなパフォーマンス! YAZAWAが動くたびに俺は心の底から絞り出すような声で「かっこいい〜」とつぶやいてました。グレイト! まさにロック・ショウ! まさにロック・スター!
日本にいる他の誰がやっても、パロディになってしまう感じ。「あ、ゴージャスなロック・スターっぽい感じを演出してるのね」となってしまうだろうところなんだけど、YAZAWAは違う。本物だからね。会場にはあれを「過剰に茶化したロックっぽい演出」だと思ってる若い人も多いかもしれない。でもYAZAWAは本気。ハスに構えて「俺ってばこんな感じ求められてるっしょ? じゃあちょっとやり過ぎなくらいやっときますよ! お安い御用!」とかそういう要素ないと思う。あれは本気だし、他の多くの人が真似事としてエッセンスを取り入れてるから過剰に見えるかもしれないけど、あれ、絶対本気だから。だからマジかっこええ。
いやー、YAZAWA最高。去年のROCK IN JAPAN FESの大トリがサザンオールスターズで、さすがだ、ものすげえ、彼らが日本一だと思ってたけど、それを凌駕したね。だって俺、YAZAWAの曲ほとんど知らなかったけど、全然ノリノリだったもん。あれが本物のパワーだよ。
いいもの見せてもらいました。ありがとうROCK IN JAPAN。来年も期待してます。ありがとう!
えー、そうは言ってもYAZAWA以外にもいろいろ観たので、所感を箇条書きで。
・スネオヘアーは無理にロックっぽくせず、そこが格好よかったですね。最初ってことで相当な人数集まってた。ちょっとテンポ早目の「アイボリー」がラストでめちゃくちゃしびれました。
・YAZAWAを観るまではフラワーカンパニーズが今日のベストアクトと思ってました。勢いあったしノリも良かった。会場と一体になってる感じが素晴らしかった。でもけいすけさんはどうしてあんなに赤い顔をしてたんだろう? 日焼け? 飲酒?
・曽我部も良かったなァ〜。「ジュークボックス・ブルース」でいつもどおり(?)ステージから観客席前に飛び降りて伴奏無しで客をばんばん煽ってる時、マイクをあっさりガードマンのお兄ちゃんに渡してる姿がなんだか可笑しかった。ラスト2曲が「青春狂想曲」「サマーソルジャー」でグッと来たんだけど、俺としては「STARS」やって欲しかった。それにしても曽我部……体重とヒゲをどうにかした方が……そろそろ……マジで……。
・みなと屋って去年、あんなに並んでましたっけ? 何がいけないんだかわからないんだけど、20分くらい待たされました。ハム焼きとハム汁を食べました。美味しかった。
・サンボマスターは良くも悪くも去年の延長線上、って感じでしたね。さすがに最近は「最後の一曲」って言った後に「もう一曲だけやらせてもらってよろしいか」と叫んでも誰も驚かなくなりました(笑)。
・Theピーズは「とどめをハデにくれ」が良かったなぁ。基本的に捨て曲がほとんどない奇跡的なロックンロールバンドなんですけどね。とはいっても一番盛り上がってたのは「バカになったのに」だったかな?
・ohanaは良いよねホントに。何が凄いってあの圧倒的な多幸感。あんなに幸せ振りまいてるバンド、他にあるだろうか(いや、ない:反語表現)。俺ohanaの音源って相変わらず持ってないんだけど、全然楽しめちゃうもん。夏フェスの定番だよね、彼らは。彼らそれぞれのバンドに戻った時よりも、全然フェスティバルに似合ってる。言い過ぎかな?
・矢野顕子さん、もう何やらせても天才芸で、しゃべってもピアノ弾いても歌っても、しみじみとも神々しい感動振りまいちゃう感じ。俺ついつい聞きながら寝てしまいました(寝たんかい!)。ちなみに「この曲を、ここに出席できなかった清志郎さんに」ってMCがあってグッと来たんですけど、よく考えたらROCK IN JAPAN FES 2006には清志郎呼ばれてなかったですよね……。でもなんだか嬉しかった。あの歌声はきっと届いてる、そんな気がしました。
・charaってもしかして、フェスとかあんまり出ないんだっけ? レイクステージがぎっしり人で埋め尽くされて、シートエリアも立って観てくださいとか指導される始末。選曲も「やさしい気持ち」とかスワロウテイル・バタフライの「あいのうた」とか、皆が泣きながら合唱できるものがセレクトされてました。俺の好きな「勝手にきた」をやってくれて嬉しかった。chara可愛いなぁ。年齢を感じさせない。あ、でも声はちょっと出てない感じだったかな。
・帰りのバスが、思ったよりも並んだんだよなぁ。去年は恐ろしいほどの手際の良さで、バス乗り場ついた途端に乗車、ぐらいのスピード感でその手際の良さに感動したんだけど、今回は電車の時間を心配するほどの行列でした。去年と何が違ったんだろ。
そんな感じのROCK IN JAPAN FESでした。ありがとう! 来年もきっと行きます! 楽しかった!
誤解を恐れずに言えば、俺は「岡村靖幸の不在」に直面している現在、特に喪失感のようなものを持っていないのね。それは彼の不在期間が長く複数あって(活動期間が短く断続的で)、それに慣れてしまっているということもあるし、また俺が「非現場主義」の人間で、岡村靖幸に実際に会いに行かなくても(ライブに通い詰めなくても)平気ということも多分にあると思います。でも理由はそれだけじゃない感じ。
俺は岡村靖幸と彼の音楽を心の底から愛しています。俺より彼や彼の作品を愛している人はたくさんいるだろうし、思いの強さや彼に投じた様ざまな物量を明確に比較することは無意味だとは思うものの、「誰にも負けないくらい!」って言えるくらい愛してます。他人と比較しないならばもっと胸が張れます。俺は岡村靖幸と彼の音楽に対して、自分的にもよくやったと評価できるくらいの愛情と時間を注いでいます。自分の人生だからはっきりわかる。
でも、現在の不在に喪失感をおぼえないのです。
それは「代えが利くから」なんだなぁ、と思っています。……絶対誤解を招く表現だなぁ。
岡村靖幸自身は日本の音楽シーンにおいて、全く代えの利かない存在だと断言できます。ああいう天才は他にいない。彼のようになりたくて彼のように振舞って見せたり彼の香りをエッセンスとして自分作品や行動に用いるミュージシャンはいても、彼の代わりは誰にもできないのです。それは間違いない。彼のような天才は、彼のような変態は、彼のような怪物は他にいません。でも、俺の生活の中では代えが利いてしまう。
部屋には山積みで、手に入れたけど未聴というCDがあるわけです。一度聴いてピンとこないまま放置しているCDを含めたら数倍あるかもしれない。彼らは俺との出会いを今か今かと待っています。俺も彼らを放って置いたまま、テレビを観たり居眠りをしたり、誰かとしゃべったりしているのです。俺の部屋の中だけに限定した時ですら。
世界にはその何倍という、天文学クラスの物量の音楽があるわけです。俺が気に入るかもしれない気に入らないかもしれない音楽が俺を待っている。
音楽に限らなければ、小説でも映画でも、テレビでもラジオでもどんなエンターテイメントだって、もっと言えば人との出会いだって仕事だって、土地だって国だって季節だって時代だって、体験していない無数の存在があるわけです……ってそれは話を広げ過ぎ。失敗失敗。
俺は結局岡村靖幸を「天才的音楽をやるミュージシャン」としてしか捉えていない。闇雲でもいつもそばにいて欲しい伴侶として、とにかく幸せでいて欲しい家族として、どうしても優しい言葉をかけたくなる友人として考えていないんですね。もっと言えば全てのミュージシャンに対して、全てのCDに対してそう思っています。享受するエンターテイメントの一部でしかない。だから「ああ、岡村ちゃん麻薬なんてやって出て来ない、寂しい、何も手につかないよ」とはならないのです。同じように「加護ちゃんタバコで謹慎で画面に映らない、ああ寂しい」とか全然思わない。喪失感がない。俺を喜ばせるものはいくらでも他にあるからです。岡村靖幸のCDもDVDもいつでも聴けるし観られる。
もちろん岡村靖幸が更生したり健康になったりして活動再開してくれたらめちゃくちゃ嬉しい。彼が今幸せに過ごしていると聞いたら素直に喜ぶ。決して不幸を望んだりしない。それはもちろんです。喪失感がないってだけですから。
だからきっと、岡村靖幸がいつの日か新しいアルバムをリリースする日が来た時、俺が普段やりもしないレビューの文章を書いたとしても、「どんなにシーンが熱狂にうなされていても常に俺の心が100%満たされることはなかった。ここ数年の日本の音楽界にぽっかりと存在していた空洞、ミュージックフリークたちに果てしない喪失感を抱かせていたもの、それは天才・岡村靖幸の不在である」みたいな表現には絶対にならないです。そんな陳腐な嘘を俺がつくことはない。そんなおべんちゃらなぞ全く必要ないぐらい、俺は岡村靖幸を愛している自信もありますし。
バンドの解散とかに直面して何も手につかなくなってる人とは、俺は人間の種類が違うんだろうなぁと思います。俺の方が断然ヤなヤツっぽい。あたたかみがない。たいへん理屈っぽいですよね(ついで言っちゃうと「巨人が負けると次の日機嫌が悪い人」と似たような違和感を覚えますね。俺はそこまで生活を同化させないなぁ、っていつも思います)。
昔むかし、「罪を犯したら芸能界から追放しよう」ってエントリを書いて、そこで「代わりはいくらでもいる」って言ったのはそういうことなんです。今と当時とで俺の考えに若干ブレてるところもあるかもしれないけど、そう思ってます。
<蛇足>
蛇足の追記。
直後にこういうこと書いちゃうとむしろわけがわかんなくなっちゃって、ホント蛇足だと思うんですけど、追記。
こういう話題で岡村ちゃんを例として挙げるのは、俺としてはやっぱり必然なんだよね。それは俺の人生の三大ミュージシャンの一人が岡村靖幸であるって言えるほど愛してるからって理由が大きいけど、それだけじゃない。岡村靖幸自身が「天才ミュージシャン・岡村靖幸としてしか愛されない」ということに苦悩していたらしいから、だと思うんだよね。「一人の男性・岡村靖幸として普通に愛されたいのに、言い寄ってくる女性は皆天才ミュージシャン・岡村靖幸を求めてであり、そこでボクはいつも一人ぼっちだ、年賀状だって全然来なかった」と嘆き泣いているのが岡村靖幸だから。
『俺は結局岡村靖幸を「天才的音楽をやるミュージシャン」としてしか捉えていない』なんてさっき書いたばかりの俺も、なんというか同情と言うか同じ男としてというか、そんなことないよ一人の男岡村靖幸のことを愛してくれるヒトだって絶対にいるよ、と慰めてやりたいと思うんですね。俺にとってCDの中に住むミュージシャンは、究極を言えば傀儡であり芸者であり楽団でしかないはずで、そういうことを上の文章で長々と書いたわけなんですが、岡村靖幸に関して言えば、他のミュージシャンと比較するとちょっと違う感情を禁じえないんです。そうするとそれが彼の作品のナイーヴな世界観と、たまに対面することにできる彼の言葉(インタビュー記事等)から得られる「贔屓目」によるものだとわかってしまい、そうなると「人間の種類が違う」まで言い切ったさっきの結論はなんだったの、ってことになっちゃうわけなんですけどね。うーん。何と言うか。
いや、まあ、喪失感はないですから。ホントに。いやホントホント。
うーん。
小沢健二のことを考えてたんだよね。
シングル「春にして君を想う」を1996年に出して沈黙期に入って、2002年に思い出したようにアルバム『Eclectic』を出してまた沈黙して……去年突然小説を発表したらしい。読んでないけど。
小沢、食べていけてるんだろうか。もちろん食べていけてるに決まってる、俺なんかより全然裕福に決まってる、小沢の家系のハイソなことって言ったら! って感じなんだけど。
で、思いついたのが「小沢健二の年収を計算する」って企画ですよ。
小沢健二の今の収入って、彼が今まで出した音楽作品による印税が全てだと想うんですね。本人名義のCD・ビデオ・DVDが売れることによる収入。カラオケで彼の曲が歌われることによる収入。テレビや街で彼の曲が流れても……儲かるのはJASRACですもんね。だとしたら、レコード会社関連、CDショップ関連に勤めている人から情報を手に入れて、カラオケ会社のサイトにある人気ランキングと1曲いくらっていう使用料金を調べたら、小沢健二の今の年収が計算できるんじゃないか、って思ったの。
小沢健二が今、音楽に無関係な仕事をしてるって考えにくいでしょう? 小沢健二が小沢健二であることと無関係に、一般企業に就職したりアルバイトしてたりするのって、想像できないじゃん。やっぱり彼の才能に関わらない「誰がやっても同じ結果が得られるモノゴトを仕事にしている」ってのはないんじゃないか、って気がする。
ま、親族がやっている仕事を裏方で手伝って給料をもらっている、みたいな感じだったら年収、計算できないけどね。
年収を計算するなんてそんな下品なことして何の意味があるのかって話だけどね。小沢健二のことを考えてたら素直にそう思ったんだもんしょうがないじゃん。
普通に食べていけてるんだろうなぁ。むしろ一般よりずっと裕福なんだろうなぁ。「音楽だけやって普通に食べていけたらいいな」と思いながらサラリーマンやってるミュージシャンだってたくさんいることをわざわざ取り沙汰するなら、やっぱり世の中に平等なんて存在しなんだなぁと再確認ですよ。
小沢今ごろ、何してるんだろう。小沢がまた「痛快ウキウキ通り」みたいなビビッドでみずみずしいポップスをシングルカットしてくれる日なんて、もう二度と来ないんだろうなぁ。
パーリスさんのゴールデンアイドルポップス大賞2005・冬(下半期)に参加させていただきます。
最初に言い訳しちゃいますけど、俺なんて不勉強で全然網羅できてないので、「実験が2005年下半期に発売されたアイドルポップスの中から選りすぐった曲を自信を持ってご紹介!」みたいな構えでないことをまず最初に申し上げたい。たまたま出会って気に入った好きなアイドルポップス曲、というスタンスでお願いします。
ちなみに2005年上半期の俺の第一位はユンナの「ほうき星」でした。また俺のセレクトに関しては、ハロープロジェクト関連楽曲は対象外とさせていただいています。
■5位:Giant X'mas〜友情にリボン〜/3rd.X'mas
3rd.X'masって誰なんだ、って感じですよね。dream・長澤奈央・SweetS・星井七瀬・嘉陽愛子・PARADISE GO!! GO!!・斉藤未知の合同ユニットのことです。楽天使・宍戸留美・LIP'Sによる合同ユニットであるところの七つ星みたいなもんですな。まあ楽天使自体が中山忍・河田純子・田山真美子による合同ユニットだったわけなんですけど……って何の話でしたっけ?
この曲「Giant X'mas」けっこう好きでしたよ。まず「ジャイアント」って響きの言葉を持って来たところがえらい。新しい。あと曲がまんまワム!の「Last Christmas」を下敷きにしてて、それはパクリというよりオマージュなのだと感じたので、ああこういう使い方もあるんだな、クリスマスなんて思い出の産物だしな、なんて都合のいいことを考えたので高評価。
■4位:ひまわり/SUGAR
(地味だけど)ドラマの主題歌だったこともあって耳にする回数は多かったですよね。SUGARって中心メンバーがわかりづらいですよね。最初ホクロ(スジン)かと思ってたんだけどやっぱり日本語(アユミ)を推してるのかも? って印象だった。ところが最近は新入り(ハリン)がメインで映ってることが多い気がする。メンバーチェンジ直後でもないのに……迷走してるのかもな。この曲は普通にいい曲で好き。
■3位:Real love/PARADISE GO! GO!
「in the night→いんじゃない」「what can I→わかんない」という超超王道の英日空耳押韻をさらりとやっちゃう故意犯的なところが素敵。っていうか俺、ただこういう曲が好きなだけなんだなぁって再確認してしまいました。ちなみに「real love」って「replica love」とは対極です……。
■2位:パシオン/Buzy
相変わらず完全にポルノグラフィティなんですけどね。アイドルにもかかわらずすでにビデオクリップに登場するのが本人たちじゃない、ってのも素晴らしいですが、中心の當山奈央の堂に入った歌声がちっともアイドルっぽくないところも素敵。
■1位:不機嫌になる私/岩田さゆり
これいいよなぁ! まず小松未歩作詞作曲の曲がいい。ぶっちゃけ歌が下手で声量がなくてたどたどしい感じがまたいい。タイトルもいいですね。ちなみに「とろとろとろとろ、と、ろ、りー♪」のコですよ。俺も最近知ったんですけど。
まあこんな感じの5曲でお願いします。
他にも長澤奈央の「Fun time」とかperfumeの「コンピュータドライビング」とかHINOIチームの「KING KONG」とか好きな曲もあったんですけど。あと星井七瀬の「パーマパビリオン」とかdreamの「Come Go With Me」とかちゃんと聴いてないけど聴けば絶対気に入るって曲もあったんですけど。
まあこんな感じの5曲で。お願いします。
家庭用ゲーム機用ロールプレイングゲームの人気作「ファイナルファンタジーシリーズ」の最新作のイメージソングに、氷室京介の「CALLING」が採用されたとか(情報元:ミュージックマシーン 8月29日)。読んで一発目「おおっ、マジで?」と変な声出しちゃいました。
懐かしいなぁ! 当時俺高校3年生だったんじゃないかな? その曲が収録されているアルバム『NEO FASCIO』と布袋寅泰のファーストアルバム『GUITARHYTHM』は、当時狂ったように聴いてたよね。俺の高校生時代なんてボウイの解散直後でさ、アルバムを聴きまくるのは当たり前、J-pop関連の雑誌も立ち読みしまくってました。特に二人は当時、テレビにもほとんど出演しなかったですからね。なんだか一生懸命情報を集めようとしてた記憶があります。好きだったんですねぇ。
ボウイ大好きだった俺も、氷室派か布袋派かと尋ねられれば布袋派だったんだけど、『NEO FASCIO』は本当に良く聴いたなぁ。素晴らしく良く出来ていて、彼の作品の中でも最高峰なんじゃないかしら……なんて『memories of blue』以降聴いてない俺が知った口たたいちゃいけないですね。でも大好きだったのは本当で、人生の百枚には余裕で上位に入ります。
コンセプトアルバムになってるんですよ。しかも当時氷室は既に自ら「KING」とか言ってて、メディアにも露出せずにとにかく「大物だから安売りはしません」ってスタンスだったの。それがファシズムをテーマにしたアルバムを出すわけですからね。もちろん当時の世相を反映してのことだったと思いますが、それでもやっぱり「ヒムロック、大きく出たなぁ」って思いましたもの。でも全編にわたってそんな眉間に皺のよった感じの作品かっていうとそんなこともなくて、シングル曲あたりから色恋沙汰(笑)についても語り始め、トリ「CALLING」大トリ「LOVE SONG」という美しい2曲に締めくくられて終わる展開になってるわけです。で、ついついもう一度再生ボタンを押してしまう、と。まあ最初の「OVERTURE」は飛ばしちゃうんですけどね(笑)。
化粧してて格好よくて、未来っぽかったりド派手だったり、田舎の平凡な高校生にとってはどこをとっても憧れの対象、というイメージをこれでもかって体現してくれてたんですよ。これがロックだ! これ以上格好いい音楽なんて存在しない! とか思ってたもんなぁ。
とにかく捨て曲ナシですからね。どれもキャッチーなメロディで覚えやすい。その上「意味がよくわかんないけど格好いい、多分これがデカダンってやつだ」という味わいの歌詞が全開にいい味出してる。絶頂期のボウイの洒落っ気(今思えばいなたいのだけど)をいい意味で氷室主体にした感じだったんだなぁ。その作りこみっぷりが、前作『フラワーズ・フォー・アルジャーノン』よりもずっとボウイのファンだった人々を喜ばせたんじゃないか、と思います。
こんな話長々と書いてもつまんないですね。ま、俺の思い出話ですよ。オジサンこういう音楽聴いて育ったんだなぁ。俄然聴きたくなって、一昨日『NEO FASCIO』、mp3ファイルにエンコードしちゃいましたよ。iTunesで聴く氷室ってのもいいもんですね。かっこいい氷室を知らない世代の人はぜひこのアルバム、聴いてみて欲しいなぁ。
……Amazonで買いやすいようにリンクしようとしたら、再発されてるのCCCDでやんの。東芝EMIは使えねぇなぁ! 中古CD屋で100円で買えますけどね。
最近のお笑いブームに乗って、俺も喜んでお笑い番組を見ています。ホントに新人お笑いユニット、多いですもんね最近。面白い人も多いし。五年前とかと比べると、ネタ番組が増えましたよね。結局は「お笑いオンエアバトル」の人気のおかげなんだろうな、って思ってるんですけど。
お笑いユニットが集まってお笑いバラエティ番組を作るのを俺は「夢で逢えたら方式」と呼んでるんですが、そういう番組今たくさんありますもんね。「はねるのトびら」「リチャードホール」「完売劇場」あたり? 「少女B」なんてのもそうですよね。内村の笑う犬シリーズや「めちゃイケ」も元々そういう感じだったと記憶しております。
……閑話休題。
俺がどんなお笑いユニットのどんなネタに笑うかというと、ネタの面白さはもちろんなんですけど「息もつかせぬ矢継ぎ早のトーク」なんですね。テンポが速いが好きなんだな。こっちが面白さを理解するギリギリのタイミングで次のお笑いポイントに行って欲しいんです。そういうネタにはゲラゲラ笑っちゃいます。ひーひーゆうてます。
じゃあそういうお笑いだけが好きかというとそういうわけじゃないんです。声に出して笑うことはないけど、観ていて表情を変えることはないけど、面白いなぁ……ってしみじみ感じるネタをやるお笑いユニットもたくさんいます。「脳内で可笑しい状態」って言うのかな。頭で考えて、なるほど面白い、うまい、考え抜かれていると感服するのです。そういうのも決して嫌いじゃない。脳内で面白い笑いにしかない良いところってありますから。
電気グルーヴ×スチャダラパーのアルバム『電気グルーヴとかスチャダラパー』は喜んで初回版を買って喜んで何度も聴いたのです。文字通り付録のフォトブックが文字通り豪華かつかさばる仕上がりになっていてびっくりです。
電気グルーヴとスチャダラパーという二組のコラボレート作品ですからね。歌詞もたいへん面白おかしくなってます。これがまさにめちゃくちゃ「脳内で可笑しい状態」なんですよ。別にクスッとくるわけじゃないけど、ホント面白いなぁ、すげぇなぁ、という感じ。そういう実力で言えば間違いなく日本でトップクラスの二組の「ユーモアとブラックジョークの詰め将棋」という感じで。隙がないんですよね。「わ、今んとこダサい。言葉のツメが甘い。現実に引き戻される」みたいなのが一切なくて。こういう作品を聴くと「やっぱり吹き出して笑えることが全てじゃない」って再認識しますね。
ただやっぱり、感服はするけど感動はしない……みたいなんです。笑いというものにうるさい五人の頭脳が存分に発揮されてるので突っ込みどころなんてどこにもないけど、合議で決まったクールな結果っていう印象がある。胸に爪あとが残らないっていうのかなぁ。制汗デオドラント、みたいな。
例えば電気の『オレンジ』や『VOXXX』ってアルバムでは、まさに理詰めの脳内で面白い作品になってるんですが、やっぱり作品中に何度も突き抜けてるトコ、暴走してるトコがあるわけですよ。むしろそこが愛すべきフックになっている気がするんですね。そこがひっかかってついつい何度も聴いてしまう感じがあったんです。そういう点ではこの『電気グルーヴとかスチャダラパー』はちょっと異なっているな、という気がします。
これほど計算しつくされた精緻にも笑えるCDってそうそうないと確信しています。ただ「凄み」みたいな部分では電気グルーヴやスチャダラパーの単体での作品に軍配が上がるのかなぁ、って気がしました。こういうコラボレート作品というのは、「合議の結果だからほころびはひとつもない」って状態にはなるものの、さらにそこから一歩こっちへ踏み込んでくるものがない……みたいな宿命を背負っているのかもなぁ、なんて思いましたね。
いやいや。ホント面白い作品なんですよ。脳内で。
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電気グルーヴとかスチャダラパー(初回生産限定盤) [LIMITED EDITION] ¥3,360
ついでって訳じゃないけど、今日もROCK IN JAPAN FESについて書いてみたい。
大成功だったんじゃないかなぁ。うるさいほど繰り返してる注意事項も、モッシュやダイブの禁止も、諸手を挙げて前面賛成ってわけじゃないけど、フェスを成功させる為に必要だったんじゃないか、と思います。俺はRIJF初めてでしたが、とても楽しめましたもん。
いやあ、そりゃあ楽しいのはライブアクトの内容によると思うんですよ。それにしても、それ以外のところで現実に引き戻されたり、嫌な気分になったりすることがなかったからさ。素晴らしいな、って思って。
朝から晩まで会場に居る間、三回トイレに行ったかな。一度も待たなかったよ。トイレは常に空いていた。小便器用しか入らなかったからかな? 使われ方も綺麗だったよ。そばの蛇口もすぐ空いて、手を洗うのもすぐだった。
退場がね、すごく早かったの。俺、サザン終わった後しばらくぼんやりしてて、出口へ急ぐことはしなかったのね。どうせ大行列だと思って。ああ、退屈するだろうな、とか思ってたんだけど。ところが、まあ俺が一人で参加してたこともあって、さくさく歩いていったらすぐ出口なのよ。これが友人と一緒だと並んで歩かなくちゃいけないから、一人のときみたいに歩くことはできなかったかもしれないけど、とにかく早かった。長蛇の列にもかかわらず、グラスステージから駐車場まで徒歩15分。しかも駐車場からバスに乗るまで3分ぐらいしかかからなかった。バスに乗るまでに散々待たされて、すし詰め状態で駅まで耐えなきゃいけないのを覚悟してたのに、あっさり乗れて余裕のある人数で出発したんだよね。後から後からバスは来ていて、ものスゲー人数のバス待ち客にあっさり対応してたのが凄いなぁと思って。フェスが終わった後寝床へたどりつくまでのストレスなんて、少ない方がいいに決まってるもんね。フェス主宰者と茨城交通の底力を拝見いたしました。
会場とか運営とかには本当に文句ないです。回し者みたいな言いかたですが、感謝してます。
峯田が書類送検ですって。確かにちょっと出しちゃったというよりはずっと脱いでたので、事件といえば事件な気がします。ただ……俺は初めてじゃなかったからか、全然不自然に感じなかったんだよね。峯田が全部さらけ出して歌うってのが、すごく当たり前に思えたのね。あの会場で同じように銀杏BOYZを聴いていて、峯田が全裸であることを、嫌がらせ目的のわいせつ物陳列に当たる行為だと思う人がいるなんて、思いもよらなかった。まあ、若い女の子もたくさん居たわけですから、成人男性のチンコに免疫がない場合もあるとは思うけど……ミュージシャンがさらけ出すものに驚いたり受け入れ切れなかったりするのも、ロックのひとつの形だと思うけどなぁ。
っていうかまあ、「チンコ出しOKのフェス」として認定されちゃうってのも問題ではあるよね。地方自治体とがっぷり組んでやってかなきゃいけない事業だからこそ、法律違反を見逃すわけにはイカン、ってことだろうな。俺としてはわいせつ物陳列罪自体の見直しを要求していきたい!
サザン観終わって、花火が上がって消えて、さあ帰るって段になった時に、物悲しいというか、すごく寂しくなったのね。周りはみんな友達とかと荷物をまとめつつ感想をしゃべってて、あ、俺これから家まで一人かーと思ったら無性に寂しくなった。
ところが、駐車場までずんずん一人で歩いてると、他の人たちに比べて自分がずいぶん身軽だってことに気がついて、これ、悪くないじゃん! って思い直したわけ。そうじゃん、俺、元々ひとり大好きじゃん! 頭の中で今日のフェスについて色々考えながら帰る、悪くないじゃん。俺、これでいいやと思いました。来年も一人で行こう!
って結論が出て気分が軽くなったわけですが、勝田駅に到着すると駅前でぼんやりしている友人と遭遇! 当日来ていることは知ってたんですが、行動範囲が違うということで会うのをあきらめてた人だったの。すごい偶然だって驚いてしばらくしゃべって、それから別れました。別れた途端、無性に寂しくなりました……(ここ笑うところ!)。
最寄の駅まで電車に揺られてても、反対側の席に座ってる可愛い女の子が俺と同じリストバンド(フェスで通行証)をしてるわけですよ。よっぽど「今日のベストアクトなんだったと思います?」なんつって笑顔で話しかけようとして、でもやっぱり勇気が出なくてやめました。理由は一人のほうが気が楽だからです。おしまい。
ROCK IN JAPAN FESに行ってきました。最終日だけだけどね。日に当たりすぎて今も身体がほてってます。あ、単に眠たいだけか。
眠たいので観たものを順に、思いつくままの言葉で書きます。
とにかく暑かった! 何リットル摂取して何リットル放出したかわかんないくらい。こんなに暑がったのは久しぶりだなぁ。とにかく暑かったです。
すべり込みセーフで一発目のサンボマスターに間に合いました。良かった。グラスステージ(会場内にある三つの野外ステージの中で最大のもの)の人の集まり方、サザンオールスターズを除くと一番集まってた気がします。「会場内の皆さんにお知らせがあります。朝から、今一曲やっただけで、早くも伝説が生まれようとしています!」なんつーお得意の山口節も軽やかに炸裂。最新シングル含みで人気のナンバーを連発。凄かった。当然泣きました。気づいたら「愛と! 平和!」とか言ってましたからね俺も。きゃー。
ブサンボマスターは知ってるけどサンボマスターは観たことない、って人がすげえ人数居たんじゃないかな? サンボ単体のライブを観ている時とは明らかに違う笑い声がそこここから聞こえてきたのが印象的です。
次はエレファントカシマシ。シートエリア(会場は立って楽しむライブエリア、座って楽しむシートエリア、泊まりに使うテントエリアの三箇所に分かれています)で観てたんだけど、結構盛り上がっちゃいました。ヒロジ相変わらず白の長袖シャツに黒のスリムパンツ。髪の毛がかなり伸びてて、近くのギャルが「超ロン毛ー」とか言ってました。っていうか「デーデ」「珍奇男」やるとは思わなかった! あの人はフェスをなんだと思ってるんだろう。フェス向けの選曲をもうちょっと考え直した方がファンは増えると思います。俺は「珍奇男」聴けて大喜びだったけどね! 一緒に歌ってるの周囲で俺一人。
銀杏BOYZ。松葉杖で登場ということでちょっとライブアクトも抑え気味かな……と思ってたらそんなことなかった! すげぇパワーだ! 圧倒された! 次のライブに影響してしまう為終了しなければならない時間なのに、「あと一曲とか言ってるけど俺は二曲やるんだ」と言い張って演奏を始める峯田。「人間」の弾き語りが始まってしまって、スタッフが歌ってる峯田の前に行って何かを頼んで、峯田がそれに頷かず、スタッフがわらわら集まって他のメンバーのアンプなんかをいじり始めて、マジかよ途中でちょん切っちゃうの? と思ってたら何事もなく爆音が出た。これまた俺の目から涙が景気よくボンボン出るのよ。泣いたなァー。今日のは「チンコ出す」レベルじゃなくて完全に全裸だった。ずっと全裸。曲が終わってやっぱりドラムセットの向こうへ単身飛び込んで(いつも驚いてしまう俺)、立ち上がった時にはズボンを履いてたというおまけネタ(?)付き。ステージを去る峯田が「今日のこと、ぜってぇ忘れねえからな!」って捨て台詞して帰っていくのが印象的でした。
曽我部恵一バンドを観る為に移動……したはずなのに、とりあえず腹ごしらえっつって「みなと屋」で浜汁食ってる間に(多分前倒しで)曽我部は始まってしまい、メールで友達と合流できそうな雰囲気だったので曽我部をあきらめてしまった。「STARS」聴きたかったなー。
DJブースを覗いたらロケットマンの出番で、ふかわりょうがレコードを回してました。上手だった!(と思います) 盛り上がってたなぁ。DJブースでお笑いライブを観まくり・DJで踊りまくりってのも楽しそうなんだけども、その為に他のライブを観ないなんて選択、なかなか勇気出ないよなぁ。
それから斉藤和義。「モルダウ」をやるとは思わなかったよ。中学生時代の合唱コンクール以来だ。郷ひろみの「モンロー・ウォーク」のカバーも良かったけど、やっぱりラストの「歩いて帰ろう」が一番盛り上がるんだねぇ。俺が一番感動したのは「うたうたいのバラッド」で、斉藤和義が弾き語りを始めた瞬間、初めて涼しい風が吹いたの。魔法みたいに。嘘じゃないよ! 本当なんです。良かったなー斉藤和義。
間に合わないかと思ったけど予定が押していたのか、Theピーズも全曲観ることができました。ピーズ、RIJFに出るたびにステージが小さくなって行ってるらしく、本人たちもMCで言ってました。でも出られることがまず重要ですもんね(去年は出てませんから)。いつもどおりの素晴らしいライブでしたよ。もっとしゃべりを多く、ダラダラやるのかと思ってたら次々と曲をやってましたね。ラスト「とどめをハデにくれ」を演っておいて、「やっぱりもう一曲」なんつって「グライダー」を演るのは反則ですね! やっぱ「グライダー」はしみます。
グラスに戻ってきて坂本龍一。正直俺は「戦場のメリークリスマス」と「エナジーフロー」しか知らないのでなんともコメントできませんが、かなり観客置いてき掘の狂ったライブだったそうです(友人談)。ギター(とキーボード?)で、コーネリアス小山田圭吾が参加してたのがすごいですね。実はバンドのメンバー全員凄い人らしいんですが。皆さん外人なので知らないのですよ……。YMOの曲もやってくれたので、それはかろうじてわかりました……。
そしてサザンオールスターズ。凄かった。それこそそのままベスト盤みたいな選曲だったもんなぁ。かかる曲かかる曲、イントロで会場全体が「ウォーッ!」って吠えるのよ。実際みんなどの曲も良く知ってる感じで。かかる曲かかる曲「あ、そうか、まだこの名曲残ってたったんだっけ」と思わされる。大ヒット曲だけを演奏してるのに曲数が尽きないという。それがまず凄いよなー。尋常じゃない。特に30代の人々に喜んでもらえるように選曲したっぽい。たしかに「TSUNAMI」をやらないなんて考えづらいもんね。「勝手にシンドバッド」も「フリフリ'65」も「ホテルパシフィック」も演って、しかも最新シングル「BOHBO」が全然色褪せない。っていうか既になじみ過ぎてて良い意味で「完全に他の曲と溶けあっちゃってる」。それもすごい事実だよなー。あの人たちは凄い。アンコール「みんなのうた」が終わった後SEとして「忘れられたBig Wave」がかかったわけですが、「あれから10年も忘れられたBig Wave」って歌われている曲は15年経ってもこうして変わらず愛されてるっての、すばらしいことだよなーとか思いましたもん。
花火、綺麗だったな。思わず感傷的になっちまった。素晴らしいフェスでしたよ。
【追記】
全然間違ってました……。俺の事実誤認を訂正していただきました。
・峯田はドラムセットに突っ込んだあと、起きあがれずスタッフに抱えられて退場。
・ズボンをはいてた出てきた男はドラムの村井。
・「ぜってぇ忘れねえからな!」と言って退場したのはサンボ山口。
……派手な勘違いだなぁ俺。失礼しました。ご指摘ありがとうございます! ごめんなさい。(8/8 11:14am)
ヘッドフォンの中で峯田が猛烈に怒鳴ってるわけですよ。聴いてる人の為なのか自分の為なのか抑えられない衝動なのか、とにかく一生懸命怒鳴ってる。喉も枯れよとばかりにがなりたてるその姿に(実際にゃ見えないけれども)、やっぱり胸を打たれるわけです。
特にヘッドフォンで聴く音楽は、自分に直接語りかけてくるような気持ちになる。一対一で向き合っているみたい。そりゃそうですよね、部屋の隅で鳴ってるスピーカーに比べたら、俺の頭にチョクに語りかけてくるわけですから。
一生懸命な歌い方で、胸に刺さるような生々しい言葉で、俺の胸に語りかけてくる音楽があります。それは汗臭く、なりふりかまわず、ミュージシャンの全力をかけてメッセージを発してくる。聴いてる俺としてもそれは真摯に受け止めるわけです。感動することもあるし、正直うざったいなと、暑苦しいなと感じることもある。それは結局のところ、曲による。
逆に、全く汗臭さを感じない音楽もあります。洗練された音で、「こういう作りの音楽は馬鹿にしようがないでしょう?」といわんばかりの知識をバックボーンとして持って、耳障りよく部屋を彩る音楽もありますよね。聴いてる俺としても時にはうっとりと身をゆだね、時には批評家気取りで「この構成は……」なんて難癖を頭に描いたりします。それは結局のところ、やっぱり曲によるわけで。
種類が全然違うわけですし、完成度とか好き嫌いとは全く別ではあるものの、不恰好でも全力を振り絞って語りかけてくるような音楽ってのは、やっぱり自分との間の距離が近い気がしますよね。他人事にできない切迫感がある。この距離感に関しては、俺だけじゃなくて皆さんに同意していただけるところだと思うんですけど。
じゃあさ、銀杏BOYZの峯田とcapsuleの中田ヤスタカ、どっちが一生懸命音楽をやってるかっつったら、どっちってことはないんです。同じかどうかもわかりませんけど、汗かいて大声出してるからって峯田の方が本気でやってるんだ、とは言えない。当たり前ですよね。
「音楽を作る」っていう行動を死に物狂いでやる、ってのがちょっとピンと来ない感じなんですよね。……ん、語弊があるな。作品作りに本気で打ち込んで、終わった途端に寝込んでしまうよな入れ込み方ってのはあると思いますし、自分の内側へ内側へ向かうような世界観の音楽をやって、それこそ生き死ににかかわっちゃうミュージシャンがいるってのも知ってます。別に音楽作りってものを馬鹿にしてるわけじゃないんです。
なんていえばいいのかな……峯田はそれこそ自殺行為みたいな破滅的衝動的なライブパフォーマンスを見せてくれるわけですけど、じゃあ汗を飛び散らせて、転げ回りながら、それこそ捻挫や骨折しながら作曲してる、ってわけじゃない気がするんですよ。扱う楽器が違うだけで、中田ヤスタカと変わらないんじゃないか、みたいな。
ものすごい難産の、猛烈な紆余曲折を乗り越えた、すンげー手のかかった曲があるとするじゃないですか。実際たくさんあると思いますけど。それが結果的にとてもすんなり聴けるいい曲だったら、その経緯がわからないのはもちろんだし、サラッと天から降りてきた曲なのかどうかすらもわからないわけですよね。
「迷いを感じる曲」なんてよく言うじゃないですか。あのミュージシャンは今ターニングポイントにいるらしい、みたいな。アルバム全体に一貫した勢いがなく迷走している、みたいな評価。それって単純に言えば曲として面白くないだけで、作りながらの迷ったり七転八倒したりしてたかどうかでは関係ないわけじゃないですか。
……んー、ダメだ。なんかうまく書けない。自分の考えてることのはずなのに、全然表現できてねぇ。結局それは、俺の考えがまとまってないということなんでしょうけど。
えーとですね。
銀杏BOYZを聴きながらね、小沢健二のことを考えてたのよ。彼は「自分がモテない」とか「童貞であることがコンプレックスだ」みたいな経験ないわけですよ(多分)。
小山田圭吾との蜜月の季節にフリッパーズギターをやって、彼本人の世界観を最も表現した『犬は吠えるがキャラバンは進む』を作って、みずみずしい果物が溢れんばかりに盛られたバスケットみたいな『LIFE』を作って、美しいばかりに透き通った『球体の奏でる音楽』を作って、6年の歳月を経てたくさんの変化を背負って見せた『Eclectic』を作ったわけですよ。
小沢健二は、才能と知識に満ちていて、ナイーヴだけど自信ありげで、老成されているようでいたずらっ子……みたいな人だった気がするんです。彼はそれぞれ別の表情を持つ自分のアルバムを作る時、見えないところで苦悶を繰り返していたのかしら? それとも天才は天才らしく、どの作品もすんなりと「今、自分が表現すべき最高の音楽」としてあっさり上梓したのかしら?
小沢健二が一生懸命音楽を作っている姿ってのを想像してみて、うまく思い描けなくて、じゃあ峯田だったらのた打ち回りながら作るかなって想像してみて、それも違うような気がして、じゃあ音楽作るのって汗のかかない静かな作業、あるいはそれこそ自動書記みたいに天から降ってくるのを受け止めるであったり、スタジオで音を合わせてる間にガーッと盛り上がって出来上がるのであったり、そういう作業ばっかりなのかしら? ……とか考えたの。小沢健二のことを考えて、そんなことまで思いを馳せたの。
あーダメだ。ホント今日はダメですね。何を書きたいのかさっぱりわからない。長いし。見直しすらしてないし。すみません。
俺が作曲というものにチャレンジしたらわかるのかもしれない。あるいは音楽というものを一生の仕事としていこうと決心しない限りわからないのかもしれない。
ホントすみません。あー、えっと、すみません。
職場でね、各地にちらばった事業所に仕事のメールを送るとするじゃないですか。その時、添付ファイルが大きいとためらわれるんですよ。
昔だったら通信環境も悪かったから、「こんな大きなファイル送りつけてきやがって、受け取るのに10分もかかったよ!」なんて叱られたんです。最近は環境も良くなってすぐに受信できる。俺のためらいはそこではなくて「リソースが無駄」ってことなんですよ。
だから俺、大きいファイルは添付しないで、「ここのサーバの上に置いておくので各自取りに見に来てください。常に最新のものを置きますからローカル(自分のパソコンの中)に保存しないように」ってお願いするようにしてます。
例えばAという文書ファイルが、俺のパソコンにも皆のパソコンにも入ってて、たまに必要になったらそれを読む……っての、バカらしいでしょ? ネットワークの真ん中にひとつ置いておいて、皆でそれを見に行けばいい。メールで送りつける必要がない。会社の資産のとしてパソコンを、全部でひとつと考えた場合、ハードディスクに同じファイルが何個も何個もあるのって、容量の無駄遣いでしょ、って話。
これをね、音楽に置き換えてみるわけですよ。結論としてはすごくオーソドックスな「未来の音楽配信の姿のひとつ」なんですけど。
みんながCD、持ってるじゃないですか。あれも実は同じことだと思うんですよ。音楽データが保存されているディスクが世界中にある。実は無駄、ですよね。
例えばソニーの本社のメインサーバに、東京事変の新曲のデータがあるわけですよ。世界にそこにしかない。俺らはその曲を聴く権利を買うわけです。最新のiPodで曲を選ぶと、メインサーバから音楽のデータがラジオの電波みたいにビューンって飛んでくる。キャッチして聞く。もう一度聞くと電波がビューン。でもiPodの中にはデータは入ってないんです。保存されてるのはその曲を聴く権利を意味するキーワードだけ。
パッケージはね、あった方がいいと思うんですよ。その方が愛せるから。やっぱり手にとって喜びたい。ジャケットの写真を愛でたり、寝転がって歌詞カードとにらめっこしたりしたいから。でも、わざわざデータが入ってる必要はない。だってデータって見えないでしょう? 実はあなたが手にしているそのCDの中にデータが入っていなかったとしても、あなたがステレオの中に挿入して思ったように曲がかかったら、それであなたはきっと気づかないし満足だと思うんです。
そのシステムのいいところはさ、課金システムですよ。俺らはその曲を一回聞くごとに10円とか払うわけです。一回聴いたら10円。10回聴いたら100円。100回聴いたら……ちょっと割引してもらっちゃおうかな。
無制限に聴けないのは窮屈と言うか、聴くたびにお金払ってると思うと落ち着かない気もするんです。でも……俺ら1枚のCD、平均何回聴いてるかな? 10曲入りのCDを3,000円で買ってきて30回聴いてるかな? 平均で。聴いてない気がするんですよね。
聴きたい曲を一回聴くごとに10円支払う。そのお金はちゃんと曲を作った人、歌ってる人、演奏してる人、録音した人、プロモーションした人……その他もろもろの携わった人たちにちゃんと分配されるわけ。どこぞの著作権管理団体が今やってるようなどんぶり勘定じゃないよ。聴かれたら聴かれた分だけ、ちゃんとお金が入る。その曲が愛された分だけ、見返りがある。
中古CD買うと思うのね。すげぇ名盤だ、○○さん(ミュージシャンの名前)、ありがとう! って思ってもそのミュージシャンには一銭も入らないわけですよ。好きな曲を何度も何度も聴いて、本当に好きだ、もしもこのミュージシャンに出会うことがあったら絶対にお礼を言おう、あの曲が人生で一番好きですって言おうって思ってても……そのミュージシャンはうるおわないわけですよ。
もちろん、お金の為だけじゃない。ミュージシャンとしてもリスナーとしても、なんでもお金で解決できれば素晴らしい世の中ってわけじゃない。でも、創作とか芸とかを職業にして生きていこうと決めた人たちに、その作品へのリスペクトとして、発売時期だけじゃなくずっと安定的に(聴かれた分だけ)お金が入ったら、それは素晴らしいことだと思うんです(実はカラオケってその状況に近いかも?)。
そういうシステムは、現在のCD主体のかたちでは構築できないですよね。音楽配信のやり方がベストだと思う。聴くたびに常にちょっとずつお金を払うというシステムも、リスナーとしては最初抵抗があるかもしれないけど、聴けば聴くほど作った人が喜ぶのだと思えば、そのうち気にならなくなる気がするんです。
そしたら昨日書いたような、新譜至上主義みたいなこともなく、昔の素晴らしい曲を歌い継がれることで皆が幸せになる、って思うんだよなぁ。
先日のMOK Radioにあの音楽評論家の萩原健太さんにゲスト出演していただいたじゃないですか。その時萩原さんこんなことをおっしゃってたんです。
「今の音楽業界の新譜至上主義とかね。なんで新譜を新曲でやらなくちゃいけないんだ、と。無理やりひねりだしたような曲を出していかなくちゃいけない状況はいやですよね。こんなに過去にいい曲があるのに、なんでわざわざ新曲作らなくちゃいけないんだ、と。もちろん今しか作れない曲ってのはあるし、それはいいことだと思うし素晴らしい曲ができればそれはいいと思うんだけど。昔のいい曲を今の時代に歌い継ぐってのも大事な姿勢だと思うんですよ」
ホントにその通りだなぁ、って思って。アーティストとかクリエイターとか呼ばれる人は、どうしてずっと作品を作り続けて、新作を発表し続けなくちゃいけないんだろう? どう考えたって素晴らしい作品ばかりを出し続けられるわけがない。鬼気迫る名作を出した後、凡庸な作品を出したっておかしくない。本人だって出す作品が常に前の作品を越えた、って自信満々で出してるとは限らないわけだし。アーティストが人生すり減らして命を削って創作を続けて、それを職業としていくのって本当にたいへんだと思うんですよ
(アーティストとして生きていくならそのくらいの覚悟と精神的な強さが必要だ! それがないなら創作で食っていくのなんてやめちまえ! ぐらいのことを言うリスナー(ソフトの受け手)もごまんと居ますけどね。同意できません)。
前にも書いたっけ。女の子友達が「20年とか愛し続けてるミュージシャンがいて、今でもライブに行くんだけど正直つらい、新作が毎回好きになれるわけじゃない、昔の曲を演ってくれると心底うれしい、私はいつまで彼を追いかけ続けなきゃいけないんだろう」みたいなことを言ってた。長いこと真摯なファンを続けている人の、すごい素直な気持ちだと思うんだよね。
結局は「昔発表した名曲で、ずっとちゃんとお金が入るシステム」「昔のいい曲を今の時代に歌い継ぐことで、アーティストがうるおうシステム」ってのが構築されればいい、ってことですよね。
(つづく)
岡村靖幸が覚醒剤で逮捕というニュースは、岡村靖幸を人生の三大ミュージシャンとして愛し続けている俺の耳にも入ってきておるぞよ。
「へっへっへ実験さん、前にあんなこと書いて、今回のニュースどう思ってるんですか? 岡村靖幸のこと超好きでしたよねへっへっへ?」
みたいな質問をされることを想像しちゃった。それを想像するだけでうんざりしちゃったので先に書いちゃおう。
俺があそこで書いたのは「そういう法律をスタートさせて、犯罪を抑制しようよ、影響大きいから」ということですよ。けっこう本気だったんだけど同意を得られませんでした。俺と同じように考える人が少ないというのは寂しいことだが仕方のないことです。同意が得られない法律は制定されんだろ。
俺は自分が得られる喜びが少し失われてでも犯罪が抑制されればいいと思ってるし、そうやって抑制されると信じてますよ。でもどうやら違うらしい。多数が「意味ないよ、抑制されないよ」って言うんだからそうなんだと思う。多数派であっても彼らは俺じゃない。
「犯罪を犯したら芸能界を追放する・人前には出さないし作品も出させない」っていう厳格な法律ができて、その後それでも自らの弱さで犯罪を犯したミュージシャンがいて、それ以後その人の新しい作品が出ないとしたら仕方がないですよね。全然甘んじます。ただ、今はそういう法律がないんだから、存在しない法律に従うバカは居ないわけで。その点俺もあなたも一緒。
今後も同じように、覚醒剤でつかまって活動できなくなるミュージシャンって出るんだろうし、減らないんだろうなぁ。いやだいやだ。麻薬とか、本気でなくなればいいと思ってます。お酒でいいじゃんお酒で。ああ、いやだなぁ。今後も同じことが続くんだよ。対策ないのかなぁ。
今回の岡村靖幸逮捕に、俺まったく驚かなかったよ。不思議なくらい。不在な時間に慣れきってたってのもあるかもしれない。部分的にそういう噂を聞いてた、ってのもある。今後彼が復帰して活動するならその作品を愛せたらいいなと思うし、復帰しなかったらそれはそれで全然しょーがない。何一つ、誰を恨むこともないわけで。感情的にゆさぶられるようなことはひとつもない。今後の不在を、俺はとても素直に受け入れました。
俺、岡村靖幸を愛してるよ。復活の夏、観に行ったライブではずっと恋する乙女のように両手の指を組んで、うっとりとそのアクトに見惚れてたっけ。泣いたなぁ。一度だけ、DJイベントでほんの数メートル先に座っている岡村靖幸におののいて、話しかけるなんて恐れ多くてありえない選択肢だったことを思い出します。作品の素晴らしさにこの身を恋焦がしたのなんて、わざわざ書くに値しないほど俺にとっては当たり前の事実です。
でも今は「ずっと待ってるから!」とか「信じてるから!」みたいな言葉は浮かんでこないなぁ。「愛してるからこその叱咤をおくります!」って気にもならない。本当に素直に、現実を受け止めただけであります。
今また、彼の「真夜中のサイクリング」を聴いています。ああ、素晴らしい。全く色褪せることなく彼の作品は素晴らしい。『禁じられた生きがい』以前の、あるいは『家庭教師』以前の作品ばかり誉められる彼だけど、新しい作品だってめちゃくちゃ素晴らしい。俺はこれらの作品を愛し続けていく自信があるし、むしろそれだけだ、という気もする。しています。
aikoの最新アルバム『夢の中のまっすぐな道』の一曲目、「青い光」が好きで好きで。もうめちゃくちゃ好きなわけ。何が好きなのかって考えると、メロディがとか曲のつくりがとか、そういうの全然わかんなくて、ただ「せつないところ」が好きなんだなぁとか思うのね。声が裏返るところとか。文字にしてしまうと全然ダメだなぁ。俺の文章はダメだけどホント名曲。
「そのアルバムはこの一曲の為だけに買っても損じゃない!」級の名曲ってあるじゃないですか。『夢の中の〜』をそういうアルバムに認定してしまえばいいんだけど……なんだかそれもできない。
このアルバムね、すごくいいんだけど、きれいな曲たくさん入ってて胸にしみるんだけど、「aikoのCD、聴いてみたいんだ。1枚貸してよ!」って言われたときに渡せる感じじゃないのね。なんというか……aikoのアルバムを聴いてきて、愛してきて、その上でご褒美みたいに喜べる作品、みたいな気がするのよ(『暁のラブレター』を聴いてない俺が言うのも何だけど!)。別に難解なアルバムじゃないんだけど……まあ、派手さがないっていうのかなぁ。
どんなミュージシャンのどんなアルバムにも「おすすめはコレ!」「この曲一番人気!」みたいな曲があるじゃない? 多くの場合それはやっぱりシングルなんだけど、aikoのアルバムっていつも、シングル以外にそういう宝物みたいな曲があるのね。それを聴いていつも「ああ、アルバム買って良かった……」って感動に打ち震えるのがファンなんだけども。『夢の中のまっすぐな道』の場合「青い光」がまさにそれに当たって、それ以外にもシングル3曲入っててつかみもオッケーで、ちっとも文句なんかないはずなのに、全体を通して見ると地味なんだよね。地味というか、落ち着いてるというか。
「青い光」が好きで好きで、でも俺、これはaikoファンにとってのボーナスなんだなって気がしてるのね。知らん誰かにポンッと聴かせて一発でトリコにしちゃう曲じゃない代わりに、aikoファンだったら絶対しみじみと感動できる、みたいなさ。
今後aikoがこういう路線を続けるのは素直に楽しみ。胸に響くような静謐な名曲がこれからも届けられるとしたらやっぱりとても嬉しい。そして、それはオッサンの気持ち悪い思い込みによる勘違いかもしれないんだけど、「青い光」みたいな地味な曲が深く胸に響き渡るのは、今までaikoの楽曲を愛してきたからなんだなぁ、これからも安心して聴き続けていけばいいんだなぁ、とそう思ったって話ですよ。たいした結論じゃないですね。
うーん、追記。aikoがそういう路線に行くのって、彼女のパブリックイメージであるところの、オーバーオール履いてラジオで面白おかしくしゃべって、サービス精神満点でおどけて笑うaikoとはかなり遠い位置にいっちゃってる気がするんだよね。それでもいいんだけど。
そう考えると、aikoのアルバムってずっとそういう感じだったっけ。あ、そうか。そうじゃんね。ニカッと屈託なく笑うaikoが、両手を広げて楽しげなラブソングを飛び跳ねながら歌ってくれる、みたいなイメージの曲も毎回あるけど、アルバム全体で見ると、いつも、静か。等身大で静か。そうだった。
そうじゃんね。もともとそれがaikoのアルバムで、それがどんどん研ぎ澄まされてってるってことなんじゃんねぇ。そうかそうか。だったら俺、昔からずっとaiko聴いてて、やっぱり良かったなぁと思うよ。うん。
今更こんなこと言うのも何だけど、「青い光」名曲です。あなたがaikoの曲を愛したことがあるなら、きっとわかってくれると思います。(05/07/14 09:44am)
■今さら気がついた。電気グルーヴ×スチャダラパーの『電気グルーヴとかスチャダラパー』に収録されている「ANI VS 瀧」「瀧 VS ANI」の2曲は、去年だったかネットを盛り上げたK-DUB SHINEとDEV LARGEのDISり合いのパロディなのか。
人気のフリーペーパーR25で蛍のコラムを読んだよ。蛍ってばたいへんデリケートで、住む環境にシビアなんですって。人間のすむ街の明かりを嫌がってどんどん追いやられ、それこそ絶滅の危機なんですって。「昔はこのへんでも蛍が見られたんだけど」なんてわりと聞く話ですもんね。
蛍が見られる地域の人たちは悪いけど照明つけずに生活してくれないか。環境開発禁止。っていうか引っ越せ。じゃないと蛍が絶滅しちゃうよ。日本の情緒とか風情を守る為にも、君らは旧時代的な生活に甘んじるか、そこを立ち退いてくれたまえ。
……なーんて言えないもんね。何様だっつー話で。俺らが「たまーに蛍を見に行きたいから君らヨロシク」って。そんな話あるかってことですよ。その地域に住んでる人だって、無茶な開発はされたくないと思ってはいるものの、他の地域よりも圧倒的に不便な生活ってのはイヤなはずだもん。
「初夏を感じに蛍を見にでかける」なんてのは季節を楽しむ情緒ある行動だけど、やっぱりゴージャスな生活の人たちの考え方だよね。「ゆとりある生活」みたいな言葉を使うといい感じでまろやかになるけど。なんつーか、生きるか死ぬかの瀬戸際の国の人たちでは味わえない幸福だ。なんだか言い方は悪くなっちゃったけど、この裕福な平和を全力で守って行きたいです。俺も蛍見に行きたい。
R25には、蛍を撮影しようとする携帯電話の明かりを蛍が嫌がる、なんてこともあるらしいよ。相当敏感だよなぁ。BINKAN世代。
っていうか、携帯電話のデジタルカメラで、蛍の光なんて撮影できるわけないんですよ。撮影できたとしてホント、真っ黒の中に白い点があるかないか、って写真にしかならないはずです。
百歩譲って、たいへん美しく蛍の光が撮影できたとしましょうや。その映像を何回楽しむか。その映像を見て、本当に美しいと感じるか。どちらも否だと思うんです。夜の空気、塗りこめたような闇、川の流れる音と湿気、冷たい風、圧倒的な静けさ、限界までひそめた自分の呼吸の音と耳の中でなる心音。そういうのとセットで楽しむから、蛍の光って感動的なんだと思うんです。素人の撮影でいかほどに蛍の美しさが真空パックできるか。できやしないんです。
情緒を感じに行って、蛍の幻想的で美しい姿を見て感動して、それを保存して何度も楽しみたいと(あるいはmixiだのブログだのに更新して自分の感動を友人と共有したいと)思うのは当然の心理だとは思いますけども。だとしても、「素人の機材じゃどうせこの感動を記録できやしない」「そういう行動自体が目の前の美しさを壊してしまう可能性がある」みたいなことはちゃんと知っておきたいですよね。とても贅沢な遊びだからこそ、そういう知識をわきまえた上で楽しむ必要がある、と思うなぁ。
……ってまぁ、問題はこれだけ偉そうに語っておいて、俺、生まれてから蛍見たことないの。さっきの「夜の空気が……」みたいなのも全部想像。わかったような口きいてんじゃねーよ、ってことですよね。
結論としては、どっちも好きだしどっちも全肯定なんだけどさ。
LOST IN TIMEの新曲「蛍」は聴いたかな? 俺は2週間くらい前にたまたまネットラジオで聞くことができたんだけど。もうすぐ新曲っていう記事を雑誌で見かけて、LOST IN TIMEの面々の写真を見つめて、「本当にどうもありがとう」って観客に向かって感謝を伝える海北の言葉を思い出して、また「思い出し泣き」しそうになった。年を取ると本当にすぐ涙が出るようになるからヤングのみんなは楽しみにしてなっさーい。
海北のMCは飾らない、朴訥としたしゃべりだ。飾る飾らない以前に別にトークは上手じゃない。「ここのMCの部分でこれは伝えてやろう」って決めてとりかかるらしく、ちゃんとその言葉に向かって進んでるんだけどやっぱり少したどたどしい。言葉よりも気持ちが先行しちゃう感じ。ああ、海北って本当にいい人なんだろうなぁ、と思うわけ。裏オモテがないとまでは行かなくても、見たまんまのいい人なんだろうな、って思う。
作者の人間性と作品は常に切り離して考えられるべき。俺の友達が言ったこと。俺もそう思う。作者がどんな人だって、作品が輝いていれば何一つ問題ないじゃないか。作品に罪はない。今の俺は本当にそう思う。
でも……もしも海北がもしもめちゃくちゃ酷いヤツだったら。例えば罪のない弱い命を面白がりつついたぶり殺すのが趣味なんだけど表明はせず、バレそうになったら自分の好きな人に情で訴えて身代わりになってもらって、後ろで舌を出してニヤニヤ……みたいなめちゃくちゃ酷いヤツだったら。俺やっぱりショックだと思う。彼の作品、LOST IN TIMEの作品は素晴らしくて一点のくもりもないわけで、切り分けて考えられるべき作者の部分がどんなに酷くても色褪せないはずなのに、やっぱりショックだと思う。俺は海北のこと、MCでしゃべる姿しか知らないのに。
なんかそんなことを考えつつ、彼の真面目なMCを思い出すだけで胸が詰まる。せつなくも美しい歌詞を眺めるだけで感情が高まる。俺は彼を勝手に「純粋で美しい心の人」という設定にして、勝手に気持ちを増幅させているのだ。だからMCを思い浮かべるだけで涙ぐむのだ。
サンボマスター。サンボマスターのライブに、山口のMCに俺は人生で体験したことがないほど泣かされた。泣けて泣けて止まらなかった。泣いた後ってなんだか自分の中で何時間も何十時間も過ぎ去ったみたいに、いろんなことが過去になる。いろんなものを浄化させて、いろんなものを手の届かない場所の宝石に変えちゃうのがサンボのライブだ。
たぶん、これまた全くもって勝手な想像だけど、山口は結構ヤな奴だと思う。「いい人かも」とは思えても、やっぱり「人が良さそう」って感じではない。それは相反するファクターではないはずにもかかわらず俺は思う。「彼はいい人と呼ぶには頭が良すぎるのだ」。
MCで山口はいかに自分がモテない人生を送ってきて、そして今もモテないかを繰り返す。誰々はモテているのに俺のファンは男ばっかりだ、童貞やニートばっかりだと自嘲的に笑う。まさに落語研究会出身といわんばかりの手腕で、自分を低く表現してきっちり「下げて」くれる。自分はあーたがたみたいなモテない、無職の、ダメなやつらと一緒だから、だから今日はお互いの力で最高のライブにしようじゃないか、と持ちかけてくる。わざと自分を低く見せて、だからあなたたちもオーケーなんだ、自分たちのライブが格好いいと思ってくれるなら観客のあーたがたも格好いい、あーたがたは間違っていない、とことさらに繰り返してくれる。
でも実は、会場では若い女の子たちの「山口さんかっこいいー!」という嬌声はそこここから上がっているのだ。会場にいる誰の耳にだって届いている。だが山口は自分への女性からのラブコールはほとんど聞こえないふりをする。野暮な言い方になるが、それを拾ってしまったら「演出が成り立たなく」なっちゃうから。今の山口はモテるはずだし、相当自信だってついているはずなのだ。だが彼はサンボマスターの山口役をちゃんと引き受けてくれている。
海北とどっちがピュアか、なんて比べるのが無意味なことだって俺もわかってる。でも多くの人が海北の方がピュアだと言うだろうね。真摯で真面目だと。山口の泣かせるMCはあざとくて悪く言えば演出過多、今日もうまいこと盛り上げて泣かしてやるぞぐらいのこと、山口はきっと考えてるだろう。でもそれが、山口のピュアで生真面目なサービス精神であることも間違いないのだ。
前に俺、フィクションもノンフィクションもないんだ、何を感じたかが問題なんだ、なんて書いた。それと同じだと思う。場をコントロールできない不器用なやり方で感動させる海北。緻密な計算と経験で場を制しMCまで含めて完璧な感動巨編を作り上げる山口。どっちが正しいなんてことはない。俺はどっちも好きだしどっちも全肯定しちゃうっていう、それが結論なんだ。とっくにわかっている。
そして蛇足ってわかっていて付け足すならば、33歳の俺は最近涙もろくて仕方がないってことなんだ。そんだけなんだ。
なんだかまとまらなかった。でも俺がLOSTもサンボも好きで泣きながら聞いてるってのはわかってくれただろ?
阿部義晴のソロ作品が良くないわけがない、と思うのね。
高校生の頃、当然のようにユニコーン、聞きまくってましたよ。「Maybe blue」に恋をして、『PANIC ATTACK』で完全に打ちのめされるわけですよ。珠玉のアルバムですからね。まあユニコーンの場合『PANIC ATTACK』以降なんと解散まで珠玉の時代が続くわけですけど。
『PANIC ATTACK』のカラフルだけどシンプルな作品群ったらないよね。一曲目の「届かない」の「とぉ〜」って雄叫びから始まるジェットコースターはツイストで目を覚ませってなじられるまで走り続けますからね。いい作品だった。じゃあユニコーンのアルバムの中でベストの作品なのかって言われたらわからない。ユニコーンのアルバムはほんとどれも良過ぎて選べないんだけど。
『服部』発売当初、アルバムの中でどの曲が一番好きかって質問に「おかしな2人」って答える人が多かったんだよね。俺も大好きで。ところがこの曲って、当時ユニコーンのメンバーが「あまりにも前作を好きだったお客さんを突き放し過ぎだから」という理由で入れた曲だ、なんて話があるんだよね。それこそファンサービスとして、ファン対策として入れられた曲だって。当時からそういうこと豪語しちゃうところがユニコーンのすごいところでもあるんだけど。
当時ユニコーンのメンバーは「おかしな2人」はファン対策でしかない、「デーゲーム」はメンバー全員好きだって言ってる、なんて言ってた。俺は当時「おかしな2人」が好きで、「デーゲーム」なんて地味な曲のどこが、って思ってた。でもホラ、そこがやっぱり俺よ。メンバーが好きって言ってるんだから良いに決まってるなんて頭を切り替えて聴いてたらどんどん好きになって……友達に「やっぱデーゲームだよね」なんて通ぶる始末。でも実際好きだったんだけどさ。
それからユニコーンはごった煮としか言えない混沌時代へ。メンバー全員が持ち寄った名曲が集まればアルバムの出来上がり。ユニコーンのアルバムと当時人気だった「ビートパンクっス! 髪の毛ツンツンっス!」みたいなバンドのアルバム比べちゃうと、やっぱりありがたみが違っちゃうんだよね。「美味しいけどこれ、焼肉のタレの味しかしないじゃん? ユニコーンってば満漢全席だヨ」みたいなさ。どれもこれも素晴らしかったなぁ。
俺当時、5人は天才だって思ってたもん。ユニコーンは天才集団なんだ、って。だから『スプリングマン』で解散した時も全然悲しくなかったもん。むしろ「これからはアルバム換算で今までの5倍、珠玉の作品が聴けるのか!」って嬉しくなったぐらいで。
そして今俺は……ユニコーンのメンバーの誰の作品も聴いてない。さすがに奥田民生の曲は、ヒットシングルが多いのでよく耳にするけど、本人の作品を買って聴いてたのは『FAIL BOX』までだ。EBIも阿部も手島も川西も、誰の作品も聴いてない。
良いに決まってるって思うんだよね。ユニコーン全盛期ほどの勢いはないにしても、たぶんそれなり以上に良い作品を出してると思うんだ。才能のかけらも感じないしょっぱいことはしてないと思うのね。でも、食指が伸びないんだよなぁ。聴いてみようって腰が上がらない。
CDショップに行けばさ、聴いたことないCDばっかりがずらっと並んでるわけですよ。中古CD屋に行けば、数百円数十円で手に入るCDがいくらでもある。その中に気に入る音楽がないかって言えばあるに決まってて、ただ俺は出会わないだけなわけですよ。実際俺の部屋には買ったけど聴いてないCDがうずたかく積まれてるわけ。良いに決まってて、聴きたいと思って、所有したいと思って、だからこそお金を出した結果として目の前にCD現物があって、そんで聴いてない(まあ俺が阿呆だからってのもあるんだろうけど)。買ったのに聴いてないCDがあるわけで、そう考えると、「ユニコーン当時良かったからきっと阿部のソロも良いんだろうな」とはわかっているものの、どうしても順番的に後になっちゃうんだよね。
だとすると、やっぱりシングルの力ってすごいんだなぁ、って思うわけ。シングルを街で聴いてオオーッなんつって感動したら、やっぱりアルバム聞きたくて居ても立ってもいられなくなるもの。CDを積んだままなんかにできない。寝る時間削って聴いちゃう。それって呼び水としての、グリーティングカードとしての、自己紹介としての役割をシングルが果たしてるわけだよね。もちろんプロモーションがちゃんとしてたからこそ俺も気がつくことができたんだろうし。
聴けば気に入るんだろうなってのはわかってても、実際に聴くにたどり着かない音楽がたくさんある。なかなか難しいものだなぁ、そういう意味で、シングルで人の心をキャッチするってのはやっぱり重要なんだなぁ、と。
ユニコーンの思い出話までわざわざ引っ張り出して、俺が言いたかったのはそういう話よ。
川辺りを走り抜けた頃 ふと目に止まった花模様
きれいだな まぶしいよな 見れないなぁ
通り雨待つ橋のたもと 言葉をなくしたセミのよう
言おうかな 言わないかな 言えないなぁ
ぎゅっと握った君の左手に 宇宙を感じたんだ
悲しい調べはもういらないんだ
世界の秘密を暴いてしまうくらい
デタラメなフレーズで紡いだ小さな僕の希望
風の噂で聞いた言葉 耳をふさいでやり過ごした
嘘かな 本当かな 嘘だよなぁ
恥ずかしがり屋の夕暮れが 街を赤く染めている頃
サヨナラ サヨナラ サヨナラ
手を振る君を追いかけながら 闇雲に走った
変わり行く景色が僕を大人にした
涙の欠片と「ありがとう」の言葉だけ
ウツムク少女に届けて小さな僕の希望
いつもより静かな夜が 世界を支配した
数え切れない星達が 照らしたサヨナラ
(サヨナナ/エガワヒロシ)
……この名曲がたぶん演奏されるだろうライブが、本日インターネット中継されるとのこと!
http://www.livecheers.com/top.html
こちらのページでまず会員登録をします。もちろん無料です。ログインのところの、オレンジ色の「新規登録の方はこちら」のところね。メールアドレスを入力します。……まあ、メールアドレスの入力って抵抗ありますけど、今のところ俺んトコには変なダイレクトメールとかは来ない感じなので大丈夫だと思いますよ。あとは簡単です。ホントかんたん。
でも俺、このインターネットライブは観ないんですよ。なぜなら現場に行ってきますから!
「サヨナナ」が始まった途端にカメラに向かって手を振るので、観ててください!
ニューロティカってバンドがあって、俺の青春だったわけだ。バンドブームに乗り切れなかった代わりに結成から20年経った今も現役で活躍してる。活躍? うん、活躍してる。
ミュージシャンズ・ミュージシャンってのともちょっと違うかもしれないけど、多くのアーティストからリスペクトされてる。おかげで結成20周年記念のトリビュートアルバムが物凄いメンツだった。……発売、一年以上前だけどね。今俺の中でまたロティカブームが来ているので、ここでそのトリビュートアルバムを紹介しておきたい! ロティカ本体の楽曲が良いのは当たり前だから! 全曲は無理なので特にコレ、って曲のみを!
1曲目からソウル・フラワー・ユニオンの「チョイスで会おうぜ」なわけです。俺らの若い頃チョイスっつったらラフィンノーズで言えば「GET THE GLORY」みたいなもんですからね。俺もめちゃめちゃ好きなアゲアゲナンバーなんですけど。このソウルフラワーのカヴァーがすごい! ロティカのカヴァーでありつつ自身の前身バンドニューエスト・モデルのカヴァーなんですよ。音がまんま『ソウル・サバイバー』〜『クロスブリード・パーク』の頃の音なわけ。いきなり名盤決定ですよ。ロティカとニューエストの両方好きだったって人はこの曲聞かないうちに死なない方がいいと思う!
氣志團が寸劇も合わせて4曲もやってるんですが、俺としては結構笑ってしまいました。そうそう、こういう寸劇も含めてロティカなんだよね。白鳥松竹梅の「技見せていい? 技」が可笑しくてさぁ。修豚哀歌II(I LOVE YOUなんて言えねえ)って選曲も渋すぎ。しかも長渕アニキのパロディになってるんだよね。もっとコイーでまた笑っちゃいました。
AMAZONの個人レビューに書いてあるんですが、チバユウスケが愛とか恋とかって言葉で熱く歌ってるのはかなり珍しいらしい。
AV女優の蒼井そらがボーカルをとる”蒼井そら&ロティカ・アミーゴス”の演奏はニューロティカのメンバー自身ですからね! キュートなボーカルがめちゃめちゃ可愛い。シングルカットすりゃいいのにって感じの名曲ですよ。
他にもみんな……ジェット機もポリシックスもJINDOUもアナーキーも大槻ケンヂもPUFFYも……愛情たっぷりにカヴァーしてるんですよ! いやあ本当にいいですよ。ロティカ最高!
15年前は聴いてたけどなぁニューロティカって人は、ぜひこの機会に(っつっても発売一年後ですけど)聴いて欲しいです!
食べたい!
もみたい!
ヨロシク!

A.I カンパニー~Tribute to NEW ROTE’KA~ CD2枚組 ¥3,292
岡村靖幸は正真正銘の、むしろキチガイじみた天才です。年齢と長かったブランクによるものかボーカルやダンスのキレは一時期ほどではないものの、やっぱり一流。アルバム『家庭教師』を筆頭とした作品は歴史に残る名盤で、彼に最大級のリスペクトを送るミュージシャンも多いのです。格好よくて、可愛らしくて、頼りがいある稀有な存在。何十年も好きでいさせてくれる俺らの英雄。それが岡村ちゃん。
でも岡村ちゃんは常に悩んでいるんです。「モテない」って。俺らから言わせりゃモテないわけないんだけど、本当にモテないんだってよく言ってる。まあ雑誌に書いてある情報を鵜呑みにしてるわけですが、ライブのMCとかでもそれに近いこと良く言ってるよね。
彼の苦悩は「天才ミュージシャン岡村靖幸でなく、一人の人間岡村靖幸として見てもらえない」ってことらしいの。彼の周りにむらがる人々は、彼がミュージシャンだからちやほやしているのでしょう、と。有名人でなくなったら誰も自分を愛してはくれないって決め付けて、襲い来る猛烈な孤独感にいつも身をよじっているの。彼はとても不器用で繊細で、俺らがあんまり問題としてとらえない小さなことが、自分と社会との折り合いのつかない感じに拍車をかけているらしいわけです。それこそ十年も前から彼は「ボクのこと好きって言うけどどうして?」って歌ってたわけで。
彼はすごいスピードでうつろいゆく流行に必死でついていこうとする不器用で純粋な青年なわけですよ。例えば俺が彼と出会った時、天才ミュージシャン岡村靖幸としてでなく、一人間として、男としてつきあい語り合うことができるだろうか、って考えてみるわけ。彼はそれを望んでいたとして……。
……できない! 全く自信がないのよ。彼の作品に完膚なきまでノックアウトされて、魅了されて、イカれてしまった俺が、その事実を全く抜きにして彼を単なる男としてつきあうことができるのか、って。彼の才能に憧れ嫉妬し、それこそ見返りを求めない無償の愛すら感じているこの俺が。その感情がまるで存在しないかのように接して、なんやかやアドバイスしてやることができるか否か……。いや、できない。全く自信がないんだよね。
上に書いたのはまあちょっと大げさかもしんないけどさ、大好きな天才ミュージシャン岡村ちゃんを天才ミュージシャンとして見ない、なんてのは確かに俺には無理なわけ。もし俺みたいに感じている人が多いなら、それこそ岡村ちゃんの苦悩も仕方がないのかな、って思っちゃうよね。
……何言ってるんだろうね。33男の気持ち悪い妄想。俺と出会って一友人としてつきあっていけるか否か、ですって。全く不要な心配ですね。ありえませんから!
岡村ちゃん大百科が届いたの。開封して、ものすげえサプライズが待ってたの。「こんなの付録につけちゃっていいの!? 知らなかったよ!!」ってなビッグなサプライズが。
それ見て、彼の純粋な魂の部分にちょっと触れた気がして、俺に何ができるだろうって考えて、何もできやしないって思ったの。俺にできることはただ彼の音楽を聴いて、しみじみと感動にうちふるえるだけ。そんだけなんだよね。

岡村ちゃん大百科(完全生産限定盤)
CD8枚+DVD2枚 ¥16,065(15%引)
椎名林檎はかつて「ギブス」という曲の中で写真に撮られることを嫌がるのだと歌った。理由は「だって写真になっちゃえば、私が古くなるじゃない?」。
当時はナルホドと思った。写真の中の自分はいつまでも若いままで、老いる自分は新品として生まれた瞬間からすごいスピードで遠ざかる。なるほど俺たちは日々古びて行ってるのか、と。
でもそれって、思いっきり周囲と比較した時の考え方だ。自分より年下の人たちがどんどん生まれて、自分より年上の人が死んで減っていく。自分は年上の人として追いやられて最後はいなくなる。同い年の人々が一列に並んだ状態で、ベルトコンベアーの上にしゃがんでいるわけで。でも、死に向かうコンベアーの上の、自分が今どの位置にいるかなんて、知ったところであんまりメリットがない気がする。
素直に考えたら、写真の中の自分より今の自分の方が新しい。写真の中の古い自分はいつまでも古いままで、ちっとも俺に追いつけない。ただ古いままぼんやりそこにいて、ちっとも進歩がない。肉体や考え方が若々しいことに、一体どれほどの意味があるのか。俺は今まで自分にインプットされ蓄積されたものを最大限に生かして、今の自分をもっと好きになれる新しい自分でありたい。明日は今日よりもっと自分を好きになりたい。
なんか妙に前向きな人みたいな発言になっちゃったなぁ。でも止まっている写真の中の俺より今の俺が最新型でありたいのは本当。いつも進行形でありたいよね。……あんまりこういうポジティブなこと言うと薄っぺらくなっちゃうかな。根拠の無いポジティブ思考は現実逃避でしかないからね。
ベルトコンベアーの途中でサ、最新でいようとし続けられることが何より幸せだよ。コンベアーから落とされてしまう悲しみに比べたら数億倍ラッキーじゃん。アタシが古くなって、だからどうだって言うのさ。若さは美しいが、美しいことイコール若いことじゃないんだぜ。
……ギブスって英語で書くとgipsなのに日本語だとギブスなんですよねぇ。ブスブス言うなって。
エガワさんのライブに行ってきました。今回はバンド形式なんですが、なんと3ピースでした。ギターの田村さんが今回おらず、エガワさんがギターを弾きつつ歌ったのでした。……これがまた格好良かったんだよなぁ。いや、田村さんこそ格好良いので、不在で寂しかったんですが(「GREEN」も聞けなかったし)、3ピースってやっぱ音がシンプルで、これもまた格好いいなぁと思ったわけですよ。だってエガワさんがギター止めると、ボーカル以外はベースとドラムの音しかないですからね。すげーシンプル。素直に良いと思いましたよ。「サヨナナ」やった時は、サビのところでああやっぱりキーボード欲しいかな、なんて思ったりもしましたが。
セットリストはこんな感じ。
君のいない部屋
RAIN
白い世界
レモネード
サヨナナ
LOVE
俺、「レモネード」って曲大好きなんですが、ライブで拝見したの初めての気がする。途中のメロディをラップで歌うというアレンジだったんですがそれも格好よかった。エガワさん多芸だなぁ。ラップも良かったですハイ。
ライブの内容には全然関係ないんですが、お店の人にこちらへどうぞと促された場所が最前列のど真ん中で、めちゃめちゃ居心地悪かったです。やっぱ俺は端っこに立って偉そうに腕組んで観てるのが合ってる。最前列真ん中って、誰も俺のことなんて見てないの明らかなのに、やっぱりなんだか気恥ずかしくて肩がこりました。次回はまた端っこ族に復帰します。
そして、4月4日は我々のradio.gsのスペシャル企画でライブなんですよね。俺らと同じネットラジオの枠組みの中で番組を持っている人たちを中心にライブイベントがある、と。そこにエガワさんも出演されてアコースティックライブをやると。楽しみ! でも40人限定でしか入場できないため、こちらのフォームから応募して抽選なんですよね。貴重なライブ。あなたの応募が当たりますように、お祈りしてますので! 一緒に観ましょうよ!
電気グルーヴの二人が出演しているNEWS23を観たよ。録画してまで。水曜日は瀧が「笑っていいとも!」に出てたりね。これも映画「ローレライ」の宣伝なのかしら? ……宣伝効果あるのかしら?
電気グルーヴの二人(石野卓球・ピエール瀧)の発言が筑紫哲也と噛み合うわけもなく、たいした掘り下げもなくコーナーは終了。まあこんなもんだろう。ライブもなかった。これは当たり前か。
っていうか瀧、太りすぎ! 電気の二人がスーツで出演ということ自体がネタだったわけですが、上着のボタンが引きちぎれそうな勢いだったもの。
NEWS23って同じコーナーに岡村靖幸を出したり、一体何がしたいのかよくわからない。なんの効果を求めてるのかね。いつも観てない客層も取り込めるから、一時的に視聴率は上がるかもしれないけど。「電気の二人が筑紫を小ばかにしてトーク」ってのが前提になってるなら、それを企画した製作側の勝利ですな。思ったとおりの展開になってたと思います。
あるいは、電気の二人に誰かの悪口とか言わせたかったのかな? 昔、ダウンタウンの番組でゲストに呼ばれたりすると、必ず嫌いなミュージシャンとか尋ねられてた気がする。
そういう、バラエティ的飛び道具みたいに思われているのは心外だろうけど、実際、電気の魅力ってそういうところにある気がするのね。彼らの「悪意」みたいなものって、年齢によって磨り減ったりしないじゃないですか。
若い頃に「死ね!」とか「破壊!」とか社会通念や公序良俗に反することを歌ってた人たちも、年を取って(社会的地位っぽいものを手に入れて)、急に愛だの命だのしか歌わなくなったりしますからね。別に一生同じことを歌い続けろとは言わないけど、若さに任せて人が目を背けたくなるようなことやっておいて、後から変わっちゃったらやっぱり「日和った」と言われても仕方ないよね。
その点、電気のスタンスはちっとも変わらないね。直接的な言葉は使わないものの、常に「バカを馬鹿にする」って姿勢は同じだもんね。
俺、アルバムだったら『VOXXX』が一番好きなのね。本当に本当に電気グルーヴらしいアルバムだと思うの。それこそディズニーランドみたいに緻密に構築されたエンターテイメントの世界だなぁと。
そんで、その次に好きなアルバムが『ORANGE』なわけ。あの悪意。聞いた後にやるせなくなるような、友達がまくし立てる他人の悪口に長いことつき合わされたような気分の悪さ。なんだかなーと思いつつ、また聴いちゃうんだよね。
いずれにせよ電気グルーヴ再始動、嬉しいですね。俺は特に瀧の映像作品とか卓球のソロとか全く追えてないですし、『VOXXX』に勝るとも劣らないすごいアルバムを期待したいです。

左:『VOXXX』電気グルーヴ ¥2,905
右:『ORANGE』電気グルーヴ ¥2,711
東京の冬。何が寒いって駅で電車待ってる時間が一番寒い。それより寒い瞬間ってないでしょ? すげー早朝に玄関開けて猛烈な極寒だったとしても、行き先に向かっていけば気が紛れるじゃん。でも電車待ってる間はホント、どうしようもないんだもん。寒い。
気を紛らわすには音楽が一番。ポケットからiPod shuffleのニセモノを取り出してTheピーズでも聴こう。この前、ピーズのフォルダからランダムに数十曲にピックアップして詰め込んできたんだ。だからめちゃくちゃな選曲。
今のピーズが表現してる事柄を、一言で説明しようとしたら何になるんだろう。なんだかいろんな言葉が出てきて、結局「人生」なんてめちゃめちゃな陳腐ワードで落ち着いた。ホントかよ。
でもそれは現在の話。昔のTheピーズは一言で「バカロック」としか言えない時代があったんだよ。最初の2〜3枚。今は「バカロック」なんて音楽やってる人いないけどね。バカっぽいロックやってる人は無数にいるのだが。
居酒屋に乗り込むのがちょっと遅れたら、料理なんざ何も残っちゃいない。空いた皿を見て俺の唇から漏れるメロディは、Theピーズの「カラーゲ」だ。カラーゲ食いたかったぜ、誰だ一人でふたつもみっつも四つも食べたんは、だ。そういう曲なのだ。
すごいインパクトだ。この曲を知っている人間が、自分が食えなかったカラアゲが盛ってあっただろう皿を見つめた上で、この曲のメロディを口ずさまずにいることなどできない。カラアゲを誰かに食われちまったら「カラーゲ残しといて欲しかったぜ♪」と口からこぼれ出るのだ。
あなたは作曲家だ。あなたは今、今までにない最高のメロディを手に入れた。すんごいキャッチーなのが降ってきた! 猛烈に素直で優しい美メロが浮かび上がった! この時点で名曲確定だ! さぁ、どんな歌詞をつける?
きっとあなたは愛の言葉を乗せようとするだろう。この世界へ広がろう広がろうとしてじっとしていないこの美しいメロディーの力に、はかなくも真っ直ぐな愛情を乗せようとするに違いない。多くの人がそうするだろう。
待ってくれ。あなたがもしも、金が欲しいなら待ってくれ。俺にアイディアがある。
その美しいメロディーに、めちゃめちゃフツーだが、ちょっと間抜けで、一人でいるとき思わず口ずさめてしまうような言葉を乗せてみてはどうだろう。例えば「玄関の鍵が見つかんねぇ」とか。「石鹸の匂いが超きちー」とか。それをシングルにして、サビで繰り返したらきっと。この曲を覚えた誰もが一生、この曲の呪縛にかかる。鍵が見つからない限り「玄関の鍵が見つかんねぇ〜♪」と口ずさんでしまうのだ。間違いなく。うまくいけば大儲けだ。ラブソングで大儲けってのは生半なことでは無理だから。
初期のTheピーズには、そういう呪いのかかった曲がたくさんある。俺は十代の頃に彼らの音楽と出会ったばっかりに、数々の呪いを背負って生きている。カラアゲを食われた時、タクシー代を浮かしたい時、髪の毛の色を明るくしたい時、ブスにフラれた時、電車がなくなって家まで歩いている時、常にTheピーズのメロディが頭を支配する。ピーズの人は大儲けしなかったみたいだけど。
……なーんてことを電車の来ない駅のホームで考えていた。猛烈に寒かったんだけど。
すごいキャッチーなメロディで「寒いホームで待ってっけど、電車が来ねぇー」ってのをサビの言葉にしたシングル出したら、絶対に勝てる気がするんだけどな。俺、絶対歌うと思うわ。寒いホームで。一人ん時。

グレイテスト・ヒッツ Vol.2/The ピーズ ¥1,500
……っていうか今、ピーズのアルバムほとんど1,500円で再発売されてるのか! いい時代だな!
びっくりラーメン180円を食べていたら女子高生6〜7人の集団と遭遇したのね。大また開いてゲラゲラ笑ってて。料金の安いこの店は彼女たちにとっても憩いの場なのかもしれないなー、とか思って。しかも彼女たちの風貌はミスタードーナツよりこちらの方が似合っている感じだったのね(失礼!)。
店内の有線放送でBoAの「メリクリ」が流れててさ。
※「メリクリ」のシングルはCCCDじゃありませんでした!
前にこの曲の歌詞に出てくる「メゲる」という単語に反応して「この言葉遣いは女子高生はしないのではないか」なんて書いたことがあるんだけど。
世代による言葉遣いの違いって……
……男性よりも女性の方がずっと大きい気がするのね。もうおばあちゃんになってしまった女流作家(例えば栗本薫とか)が、現代的な言葉遣いの女の子を作品に登場させると、途端に作品全体が色褪せちゃうみたい感じになるじゃない? この言葉遣いはいくらなんでもしないだろ、と思わされちゃう。どうしても。地の文章は平気でもセリフのところでボロが出ちゃう、って結構ありがちなパターンじゃないかな。
でもその違和感を、実は若い女の子たち自身は感じてないんじゃないか、って考えたの。「メリクリ」の「メゲる」も彼女たちは使わないけれど、だからって居心地悪くはならないんじゃないかな。なぜなら彼女たちにとって、友達同士で使っている「標準語じゃない自分たち語」が全てだから。メディアに出てくる同年代の人々だって所詮他人だからね。むしろ他人の言葉との違いを面白がってるのだから、その違和感ごと面白みなのかなぁ、とか思ったんだよね。
とかぼんやり考えてたら女子高生たちの一人の携帯電話にメールが届いて。なんかあったらしく大騒ぎ。正直な話、やかましい。あと言い方は悪いけど……「美少女」と呼べるようなルックスとはかけ離れたコばっかりだった。系統は違えど、かけ離れたモン同士で寄り合ってみましたー、みたいな。
彼女たちみたいな女の子って、実はテレビには出てこないんだよね。テレビに出てくるのはB級C級であってもアイドル、アイドル予備軍のかわいい子だからね。性格俳優を目指すブス女優の卵は出ていても、基本的には可愛らしいコばかり。顔はブス、髪の毛サビサビ、スタイルも悪くて、下品で、おしゃべりが面白いわけでもない……みたいなコはテレビには出てこない。漫画には出てくるんだけど。
テレビには「真面目な優等生っ子」や「見るからにヤンキー娘」は出てくるけど、こういう単にブスで下品な子は出てこない。おかげで現実を知らない俺なんかは「現実はすごいことになってるなぁ」といちいち驚いちゃうんだよね。本当はこっちのほうがずっとずっと「フツー」なのに。
でもまぁ、もうしばらくこのままであって欲しいって思いますね。テレビに出ている女の子がみんな、「下にズボン履いてるからいいワ」みたいにガニ股に足を広げたままブラウン管に登場してる……なんて世界、オジサンとしてはいやだもん。テレビの世界の方がよっぽどフツーじゃないんだろうけど、女の子の膝は閉じてるものあっていて欲しいんだよね。とっくに幻想なのはわかってるけどさ。
……BoAの「メリクリ」、いい曲だね。でもCCCDなんだよなぁ、って思ってたらベストアルバムがCDで出るんだね。しかもプロモーションビデオ全14曲のDVD付きで3,900円? リンク先のAmazonだったら15%OFFで3,315円か……年度末に成績達成させるための駆け込み企画なのかもしれないけど、これは買いだなぁ……。

メリクリ/BoA
『BEST OF SOUL -PERFECT EDITION- [LIMITED EDITION]』収録
なんて書いたんですが、「メリクリ」のシングルはCCCDじゃありませんでした! いいがかりでした! 申し訳ございません。でも、このベストアルバムにはCCCDだった作品もいっぱい入ってますよね。嘘をついてしまった事実は変わりませんけれども、このベストアルバムはオススメできますし、俺は購入予約しましたよ!(追記050128)
氷室京介がBOOWY時代の曲を演ったり、その特集のDVDを出してバカ売れしたりしてる。ヤバい。このままでは再結成してしまうのではないか。リズム隊の松井常松と高橋まことが現状大もうけしているとも思えないので、金銭的な救済の意味も含めてオファーが来たら飛びつくような気もする。あ、あぶない!
BOOWYは実際に日本における伝説のロックバンドだ。「俺の青春だったよ、今でも色褪せない」と褒めちぎるオッサンオバサンと同じくらいの人数で「格好悪いから当時から聞いてなかったヨ」と困った外人みたいなポーズをする人が居るのは知ってる。いずれにせよ影響力がめちゃくちゃ大きかったのは間違いない。俺にとってもBOOWYは青春で、今でこそ昔のCDを引っ張り出して聴くことはほとんどないけれど、大大大ファンだった事実は変わりない。
もしも再結成したらどんな音楽をやるんだろう、と思わないわけがない。興味はある。
NOKKOのことを思い出す。ガールズボーカルのロックバンドREBECCAで一世を風靡して、惜しまれながら解散して、ソロ活動スタートさせて……タレントとして芸能活動始めて迷走してたわけです。まさか俺、NOKKOがゆるいバラエティ番組の進行役やって、ビジーフォー・スペシャルと並んで笑ってるなんて日が来るとは思ってなかったもん。すぐ終わっちゃったけど。迷走してしばらくしてREBECCA、再結成して音源も出してる。REBECCAはその後解散宣言をしていないはずなので、現在活動休止中ではあっても存在はしてるはず。……まったく盛り上がらなかったんですよね。
BOOWYがREBECCAと同じようになるとは思わないけど、ぶっちゃけた話当時BOOWYを支えてたファン層のうち半分くらい、J-popリスナーとして最前線にはいない気がするの。平たく言うと隠居? 実は大して盛り上がらなかったりするんじゃないのかな。実際には。
もしも再結成したら、お祭り騒ぎにはなって、ライブ会場は30代40代のお客様で満員の懐メロ大会。ここまでは予想できる。でも新曲を発表してくれるなら、あの80年代に作られた名曲なんか軽く超えちゃうくらい格好いい曲を世に送り出してもらって「やっぱすげェ」って褒めちぎりたいわけじゃん。……別に今の彼らにそれができないっつってるわけじゃないんだけどさ。なんとなくそれは無理、って気がしてるじゃない?
「再結成しないまま格好いい伝説のままで居て欲しい」みたいなしょっぱいことも言いたくないけど、「やっぱ当時の方が格好よかったね」って言われるのがわかってるのなら、祭りもしなくていい気がするなぁ。この2000年代にソロで活動する彼らがBOOWYを超えたと自他共に確信できる作品ができたら、その時は単に「同窓会」って意味で集まってセルフカバー曲でもシングルに切って和むってのはアリだと思うけどね。
でもなんか、今年あたり再結成の話再浮上しそうだなぁ。あぶないなぁ……。

KYOSUKE HIMURO ~21st Century Boowy VS HIMURO~ An Attempt to discover new truths (仮) ~史上最高のトリビュート~/氷室京介 ¥3,800
やっぱりTMGEを聴いてきた人たちは「ROSSOはTMGEとは違う、全然良い」とおっしゃる。やっぱりそうなのか。
門外漢の俺が同じに感じてしまうのはやっぱり無知ゆえなんだろうね。TMGEを愛してきた人たちが、ROSSOはTMGEとは違うしさらにかっこいい、って言うんだから間違いないんだろうと思う。
例えばユニコーンの『BOOM』と『ヒゲとボイン』はやってる音楽全然違うけど、両方ともユニコーンじゃん?
例えばハイロウズはファーストアルバムで、ブルーハーツより勢いのあるガーンとくるジェット機みたいなロックをやってたと思うけど、途中から普通に「ズバリ、ブルーハーツ」な曲もたくさんやってる気がするじゃん?
「ちょっと別ジャンルの曲に寄ったCD出せば違う音楽やってる気もするけど、結局同じ人がやってるなら途中からそんなに違わなくなってく」「同じバンド続けてたとしても今のこの曲と同じ音出してたかもしれない」とか言い出すのは、目の前の素晴らしい現実に泥をかけるような行為かしら。
俺もROSSO、めちゃくちゃ格好いいと思いますよ。すげーと思う。文句なんて一個も出てこない。ただ、「ROSSOはTMGEと全く違うのだ」、って今言う行為に意味があるのかどうなのか、TMGE聴いてない俺にはよくわからないってだけで。
クリスマスプレゼントを考える。今年もまた、地元の実家近くでクリスマスパーティーがあるのだ。毎年そのパーティーぐらいでしか会えない昔からの仲間がいて、そこで小さいけれど幸せな時間を過ごすの。あの時間が幸せなんだよなぁ。毎年絶対行ってる。
で毎年プレゼント交換やってるのよ。各自持ち寄って番号つけて、パーティーの最後にくじ引きするの。子供みたいな気分で楽しいんだよね。プレゼントは1500円まで、って決まってるんだけど。
決まった金額まででプレゼント交換用のプレゼント考えるの、けっこう悩ましいんだよ。誰に当たってもそれなりに喜ばれるもので、できればちょっとはインパクトがあって、しかも1500円……なんていうとなかなか見つからない。結局食べ物系に落ち着いちゃったりして。食べられりゃ文句はねーだろ、みたいなさ。
自分が嬉しいものって、相手にプレゼントして喜んでもらえるかどうかわからないもんね。CDとか本とかあげたいなぁと思うけど、やっぱり二の足を踏んでしまう。誰だって自分が体験したいものが欲しいわけで、全然欲しくない本とかもらっちゃったら、やっぱり困った顔になっちゃうかもしれないし。
そういえばさ、昔、村上春樹の「ノルウェイの森」って本をクリスマスプレゼントにする、なんてのあったよね。あの本の発売時期がちょうどクリスマスシーズンだったのかな? 上下巻で上巻が赤、下巻が緑ってクリスマスカラーになってたんだよね。あれ以来「クリスマスプレゼントに本を」っていうの、見かけない気がするなぁ。あったっけ? 本のクリスマスプレゼントって他に思い浮かばないや。
村上春樹の「ノルウェイの森」を思い出すと、同時に頭の中にビートルズの「Norwegian Wood(ノルウェーの森)」が流れる人も多いと思います。あの本、大ベストセラーだったもんね。
「好きな仲間と過ごす」「好きな本と過ごす」「好きな音楽と過ごす」……そういう時間ってのが素晴らしいなぁ、って思うんだよね。当たり前のことのことなんだけど。クリスマスがそういう過ごし方ができたら最高だよなぁ。そういう幸せな「小さな時間」だったら大歓迎ってことで。
そうそう、「小さな時間」っつって思い出した(わざとらしい?)。エガワヒロシさんのページの「free music」のコーナーで、また新しい曲が無料ダウンロードできるようになったんです。それが「小さな時間」って曲なの。これまた綺麗な名曲なので聴いてみてください。無料だし。ある意味これ、エガワさんからのクリスマスプレゼントかもね。
ああ、好きな曲ばかり選んだCDをクリスマスプレゼントにする、なんてのもアリだよなぁ。……編集してる「小さな時間」すらないから無理かぁ。うーん。
そんな俺なので(どんな俺だ)、CDレンタルも使わないのでありました。映画を観ない為レンタルビデオショップの会員じゃない、という理由もある。でも基本はやっぱり「CDは持ってたい」ってのがあるんだよね。
結構多くの人が、CDレンタルショップでCDを借りて楽しんでるんですよね。俺がやらないってだけで、皆はそうしてる。
例えばCDからMD(ミニディスク)にダビングして楽しむのは可、なんですよね? デジタルダビングが1回だけだから、それ以上は広がらないってことなんですよね確か。あるいは、音楽専用のCD-Rメディアにコピーする分には問題ないんですよね? CD-Rメディア自体に料金が含まれてるわけですよね。
ということは、借りてきたCDを、データ用CD-Rメディアにコピーするのは違法ってことになるのかしら。あと、コピーして自分の手元に残ったCD-Rを元に、誰かにコピーしてプレゼントするってのはマズい感じですよね。あと、プレゼントじゃなくてお金を受け取るとさらにヤバい気がしますよね。
でも正直、何が違法なのかよくわからない。よくわからないけど、どうやら個人がレンタルショップで借りてきたCDを自分と友達用くらいにコピーして、そんで捕まったってケースがないのは間違いない気がする。
俺はレンタル→コピーっての否定しないよ。俺も若い頃、相当カセットテープにダビングしてたもん。カセットテープでしか持ってない音源、いくらでもあったもん。今、まさに買い直したりしてるけど。
もうさ、完全に美学なわけですよ。美意識? 音楽聴いて、喜んで、好きになって、その音源がMDとかコピーしたCDしかない、なんて耐えられないわけですよ。友達に「そんなに良いなら貸してよ」って言われた時に金色のディスクを渡すのも、「歌詞カード、カラーコピーだけど」っておずおず差し出すのもイヤなわけですよ。
これはもう俺の美意識だから、他人からしたら知ったこっちゃないんだろうけど、俺としては「レンタル→コピー」は格好悪い。歌詞カードからジャケットから綺麗にカラーコピーして完全複製品を作るのも、二十歳過ぎてやるのはかなり格好悪いと思ってる。いや、この美学は「電車の中でSPA!が読めない」みたいな俺特有のものですから気を悪くしないで下さいね。俺限定ってことで。
だから……口に出してまで強く唱えないけども、「レンタルショップに並ぶCDはコピー制御された音源でもいいんじゃないかな」なんてちょっと思ってる。俺が使わないから、ってだけだけどね……。弱気。弱気の意見。
逆に中古CDはすごい買うわけ。それって二次流通だから、CD作った人には一銭も入らないでしょ? 「二次流通は正当な入手方法だ、後ろ暗いところ何にもない!」とも思うけど、好きなミュージシャンが微塵も得しないってのを考えるとちょっと申し訳ない気がする。レンタル料金には、ほんの少しでも著作権者に行くお金が含まれてるはずだから。そういうシステムのはずだからね。
未だに悩んじゃう。俺の美学の基準ってなんなんだろね。結局新品のCDを買うのが一番いいってことだけはわかってる。
俺としてはいつの日か、「音楽の入ったメディアを買ってくるんじゃなくて、音楽を聴く権利を購入する形になって、それはわざわざどこかに記録されないで、ブロードバンド通信なり無線なりで中央のサーバーにアクセスしていつ聞くことができる権利、って形でお金を回収するシステムになって、希望者にはジャケットとか手に取れるものも購入できる」みたいな未来にならないか、って夢想してるのね。わりとオーソドックスなユビキタス環境だと思うんだけど。
さらに、そのアクセス回数で、何回その音楽が聴かれたか愛されたかがわかって、聴けば聴くほどミュージシャンにほんの少しでも音楽が入るみたいなシステムになればいいなぁ、って思ってるんだけど。
夢だけどねー。夢っていうか、俺みたいに思っている人があんまりたくさん居ないんだろうなっていう意味で。技術的にはそのうち可能になる気がしてるんだけど。
夢だけどねー。
曽我部恵一の新しいアルバムを購入。これまたお気に入りで聞いている。いいなぁ。今年は俺としてはかなり豊作の年だよなぁ。なんて悦に入っていたわけですが。
CDを取り出すために破ったPP袋を捨てようとして手を止める。おっとっと、PP袋にシールが貼ってあったよ。捨てるわけにはいかない。
俺さ、こういうシールまで捨てないでとっておくのよ。みみっちいんだけども。袋から切り取って、CDケースをはずして、裏表紙の中に保存しておくの。こういうところに貼られたシール一枚すら、その作品の一部って気がするんだよね。病的かしら。
CDケースの背中のところに来る帯とか絶対に捨てられない。これまたケースの裏側に収納。なんか付録としてステッカーとかついて来たりするじゃない? 絶対使えない。コーネリアスのイアフォンも未だに未使用で保管してあるよ。
「売る時に価値が下がる」なんて言葉も頭によぎるし。CD売ったことなんて一度もないけど。これからも売ることないけど。
CDがさ、「初回限定デジパック仕様」とかあるじゃない? 発売日出荷分だけ、ケースが豪華なやつ。「三方背BOX入り」とかさ。どうせ買うなら絶対ああいうの買いたいんだよね。発売日逃して通常盤買わなきゃいけないあの「負けた!」っていうみじめな気分。ボーナスCDとかボーナスDVDがついていなくて「もったいないことしたー」と思う人は多いと思うけど、あの初回限定の特別ケースにまでこだわる人ってどのくらいいるんだろう?
正直さ、整理する時には邪魔なわけ。普通のCDジャケットにしてくれた方がナンボかありがたい。並べてても揃わないでしょ。綺麗に並んでてそいつだけ出っ張ってるのもワル目立ちしてて気分悪いし。「あなた、自分の作品をズラッと棚に並べてくれるファンのこと考えてないの?」って言ってやりたい。むしろCD棚に入らなかったりしてサ。腹立つんだよね。電気グルーヴの『Last Supper』とか嫌がらせとしか思えないもん。迷惑なわけです。
じゃあ通常盤買えばいいのに、それができない。やっぱり初回の特別なやつ持ってないのはどうしても気に入らないのよ。で、棚に並べた時、自分でなくてそのCDのジャケットデザインをしたやつを呪うわけ。「お前のせいで!」って。デザイナーの方、すみません。
かなりヘヴィーなCDコレクターの人になると、ケースごと捨てちゃうんですってね。CDの中身と歌詞カードを薄いソフトケースにしまって、それ以外は全部捨てちゃうんですって。そうしないともう、収納場所の体積的にも追いつかないんだとか。図書館かよ! みたいなね。
俺にはできないなぁ。CD自体と歌詞カード以外捨てちゃうなんて。「裏ジャケットもミュージシャンからのメッセージの一部だ!」みたいなことまで言わなくても、やっぱり捨てられない。CD盤と、歌詞カードと、裏ジャケットと、ケースと……っていう全体を愛でていたいんだよね。そんな俺だもの、PP袋に貼ってあるシールを捨てなくたっておかしくないでしょう?(おかしいか)
俺自身、CDはすぐmp3ファイルにエンコードして、パソコンやmp3プレイヤー(Rio SU30)で聴くことが多いわけだし、音楽配信ってのも大賛成でもっともっと便利になって欲しいなって思っているわけだけど、それとは別に、できることならジャケットだの歌詞カードだのっていうアイテムをちゃんと持ってたい。俺の好きなものだよって手元に置いていじくりたい。その作品を持ってるゾっていう所有欲をじかに触って満足させたい。だからジャケットはやっぱり捨てられないなぁ。
ま、結論としては「ちゃんと整理して保存したいので、デザイナーさん、奇抜なケースは控えてください」ってことですな。シールくらいは貼っててもいいよ!

STRAWBERRY/曽我部恵一
(裏ジャケットの八時半の方向に、ピンク色の文字の載った透明シールが入ってるの、わかりますか?)
若い頃と比べて、今の方が音楽が好きかどうか尋ねられたら、今の方が好きだと答える自信がない。まあ、下らない命題だからシカトしてもいいのかもしれないけどね。お金は確実に今のほうが使ってるよね。あと、ファッションの為に聴くことがなくなったかな。俺これ聴いてるぜ(フフ、オシャレだろ?)みたいなのは、今は微塵もない。「ルーツ知っておかないと恥ずかしいからこれも知識としてはおさえておく必要があるかな……」とか脅えることもなくなった。昔はちょっと思ってた。結局そんな聴き方しなかったけど。
でも若い頃……友達から借りたテープをダビングしてさ、それこそ擦り切れるまで聴いたじゃない。カセットレーベルにていねいな字で曲名書いて、場合によっちゃレタリングシートでレタリングして悦に入って。聴いてひっくり返して繰り返して聴いて。口ずさんで。雑誌の記事に「ミュージシャン本人による全曲解説」なんてあればむさぼり読んだもんだった。……いや、別に昔を思い出そうコーナーじゃなかったね。
曲名がサ、頭に入ってないの最近。mp3ファイルに変換してRio SU30で聴いていると、ちゃんと曲名も表示されてサ、昔に比べたら全然便利なのに、ちょっと見りゃすぐ確認できるのに、繰り返して聞いてるCDでも曲名が頭に入ってない。なんなんだろね、あれ。ちゃんと表示されるのに。あなたのiPodでも表示されるでしょ?
カセットテープで聴いてたりしたらさ、曲名なんてカセットレーベル信じるしかないわけですよ。ほとんどノンストップな曲順のアルバムだと「たぶん、今のところで曲は変わったはず」とか予測を立てなきゃならなかったりして。だから最初に聞くときは曲と曲名と確認しながら聞くのに必死だったもんな。そうそう、友達がダビングしてくれたテープがA面B面逆で、おかしいなぁおかしいなぁ言いながら聴いてたことあったっけ。友達が聴いてる途中のテープを適当に巻き戻してダビングしたら裏返しだったらしい。曲名と曲がどうにも合わなくてさ。「さっき歌詞で扱われてた言葉がこの曲のタイトルか! すごいトータルコンセプトアルバムだなぁ」とか感心したりして。全然違ったんだけど。
ちっとも曲名が頭に入らなくてさ、最近。よくない傾向だよなぁ。曲名だって、ミュージシャンが曲に与える、ものすごく大事なファクターで、強いメッセージ性を持っててもおかしくないのに。
東京事変の新作、聴いたよ。いいねぇーやっぱり。椎名林檎の才能は全然枯れてないね。何度も聴いてます。正直な話、アルバムを聞いても椎名林檎名義での作品との違いはわからなかったけれども、逆にそれをラッキーに受け止めています。「御祭騒ぎ」→「母国情緒」→「夢のあと」の流れがすごいよね。文字通りお祭り騒ぎの後に取り残されちゃう感覚、みたいなさ。
今回も、東京事変を組んでから一発目の今回も、曲のタイトルがシンメトリーに並んでるわけです。
1.林檎の唄
2.群青日和
3.入水願い
4.遭難
5.クロール
6.現実に於て
7.現実を嗤う
8.サービス
9.駅前
10.御祭騒ぎ
11.母国情緒
12.夢のあと
椎名さん、曲名って後からつけるのかな? まさか「アルバムのこの位置に入れるための曲!」って思いながら作る曲ばかりじゃないでしょうから。曲名のシンメトリーにこだわるのは美しくて俺も好きなんだけど、やっぱりアルバムとして通して聴いた時に最も美しくなるように曲順が決められるのだとすると、元々ついてた曲名が犠牲になることもあるのかな、と思った。「これじゃシンメトリーにならないから改題しよう」みたいなさ。
(最後が「夢のあと」で「林檎の唄」と正確にシンメトリーになってないのは、「林檎の唄」が元々椎名林檎名義で出されたものだからあえて違いを出したのか、それともシンメトリーが今後崩壊していくことを示唆してるのか……なんつってね)
ま、実際、曲名なんてなんでもいい、って人も多いしね。作る側にも聴く側にも。
でも昔は、曲と曲名バッチリ合ってたなぁ、頭の中で。最近はダメだぁ。特に曲名が歌詞として、サビのキメの言葉に出てこないヤツはダメね。老化? まだ早いと思いたい。音楽聴くことへの愛情も薄れてないぞと言いたい。よーし、今日から歌詞カードと首っ引きでリスニングだ! LISTEN! 4!
百聞は一見にしかず、とはよく言うが、一見したからって信じちゃダメだよね、ってのが今日の結論。そりゃそうだ。見たものそのまま信じてたら、手品師みんな大富豪様になっちまう。
マボロシのさ、「SLOW DOWN!」が格好よくてさ。プロモーションビデオを録画して繰り返し何度も見てるんだけど。Mummy-Dがこんなにもロックだとはなぁ、と驚き。派手なファッションも絶妙な取り合わせで素敵。二人とも「ヒゲの上に鼻血だらけ」になったりするのがまた良い。ふてくされたウサギの着ぐるみの動きもイカす。わかりやすいエロスを題材にわかりやすい詞と音で構成されてるのに薄っぺらくない感じ。これが「鳴ってる」ってヤツなのか? なんだよ「鳴ってる」って。
俺ここでも書いたけど、この二人組、第一印象が一緒なの。ライムスターのMummy-D(坂間大介)とスーパーバタードッグの竹内朋康によるデュオなんだけど、二人ともパーマにヒゲなのね。パッと見いっしょで。俺最初、両方Mummy-Dだと思ったもん。
ところが繰り返し見てたら、2回目「いや、それほど似てないな」、4回目「全然似てない」、6回目「何を間違ったんだろう?」って感じで、過渡的なスピードで別人であることが認識できるようになったの。間違いようがない。ほら、わかるでしょ。最初そっくりに見えてたものが、一度違うと気がつくと全然似ていると思えなくなる感覚。
俺、モー娘の辻加護は当初から全く似ていると思わなかった。「身長と髪型だけじゃん! これ見分けられない奴アホや!」とか思ってた。ところが俺、マボロシでその考えひっくり返っちゃったもん。「第一印象同じなんだもん、最初は仕方ないよ」と。第一印象で同じと感じてしまうポイントは、髪型とかヒゲとか、そういうわかりやすくて「微妙な配置の問題」とかでないトコロなんだろうね。メガネとか。体型とか。
ほら、日本人から見た黒人って基本的に第一印象が同一だ、なんて話もあるじゃない。黒くて大きくて彫りが深い、なんて強烈な特徴があったら、配置の違いくらいじゃ印象の差、出ないだろうしね。
坂間大介と竹内朋康、って字面だけ読んだら間違えちゃうなんてありえないしね。「百聞は一見にしかず」が「実際に見ることが全てに勝っている」という意味のオールマイティーカードではないってことはハッキリするわけで。
……ま、大した結論じゃないけど。マボロシ格好いいよ、ってことで。そういうことで。
AmazonでマボロシのCD買ってみては、と紹介するつもりだったんだけど、マボロシのシングル、CCCDだったよ。知らなかった。俺プロモビデオで見てただけだから。仕方がないので別のマボロシを紹介して終わりにする。
俺、彼女の「ほんとはね。」って曲が好きでさぁ!
ソニンがカヴァーしたのなんか速攻買いましたよ! もうスゲーいい曲で。よーく風呂場で熱唱してましたよ。最後の英語んトコも完璧に暗唱。
ソニンの「ほんとはね。」、池袋サンシャインの通路の途中の中古CD売り場で、レンタル落ちのやつがバンバン100円で売られてたので是非買ってみてください! 名曲だよ! あの曲はソニンタンに合ってたと思うなぁ。
あれ、より子の話題のつもりがソニンタンの話題になってる。
気がつきましたか? より子の名前から「。」が取れてるの。俺、より子が休止したのってこの「。」から逃れたかった為なんじゃないか、って思うんだよね。モーニング娘。自体が嫌いだったかどうかはわからないけど、同一線上で扱われるのがつらかったんじゃないかなぁ、と。マネジャーがモーニングを育てた人だったんですよ。
だから再デビューするときは絶対「。」ナシだと思ってたけど、やっぱり当たってたなぁ。……ってまぁ、今さら言うのは簡単なんですけどね。
Hazel Nuts Chocolate(略してへなちょこ)のアルバム『Bewitched!』の最後に「かわいいベイビー」って曲が入ってる。美味しいディナーをごちそうになった後の時間の、紅茶と一緒に出てくるシンプルで上品なケーキみたいな曲。可愛らしくて大好きなんだけど。
曲の中ではラブラブなふたりが小さなベッドで添い寝しているシーンが可愛らしく描かれてるのね。一緒に目を閉じて寝ようって申し合わせたはずなのに、自分だけそっと目を開けて見てみると、相手が「目を開けるのはわかってたよ」って顔して得意げにこっちを見ていた、ってシーンがあるんだけど。
主人公はそこでそんな相手のことを「かわいいと思う」わけだ。
ここでわかることはふたつある。
ひとつは、ふたりがラブラブということね。当たり前だけど。例えば、もしも相手が目をあけてこっちを見ていなくて、約束だからって「目、開けてないよね?」って目をつぶったままで居たとしたら、多分「かわいいと思う」のだ。得意げにこっちを見ていなくても。もしも目をつぶった一瞬で子供みたいに寝てしまったとしたら、多分「かわいいと思う」のだ。それで会話は終わってしまうから少し寂しいかもしれないけど、あふれ出る愛情は微塵も減らない。
「そんな君が好き」ってやつは嘘かもしれないってこと。好きなんだから、相手のどんな仕草も言動も愛しく思えて当たり前なのだ。かわいいと思うに決まってるのだ。
もうひとつわかることは……そんな説明をする時は、この曲の歌詞を引用させてもらった方が話が早いということだ。数年にわたって「J-pop歌詞の無断引用野郎」とか言われ続けてるとどうしても意固地になってしまうものですね。
『Bewitched!』、名盤ですよ。こちらのリンク先で試聴できます。
岡村靖幸のビデオ「Peach show '89」を観てたらさ、急に気が付いて。オープニングと「どんなことして欲しいの僕に」の時に演じられる寸劇の中で、小道具として携帯電話が使われるんだけど、その携帯電話がさ、小さくて二つ折りなのよ。アレっと思って、俺の頭の中で一生懸命考えてみて、そしてやっぱり、1989年の時点では携帯電話はあのサイズじゃなかったはず、って結論に達したんだよね。
89年って言ったら15年前、俺まだ18〜19才ですよ。大学入りたてですよ。19才の秘かな欲望ですよ。携帯電話はおろか、ポケットベルも持ってなかったよ。留守番電話だって小さいカセットテープに録音するタイプだったし、コードレスフォンだって今主流の小電力型でない「微弱型」って言われるショボいタイプが売られてる時代だったよ。当時出会った親友が言ってたの覚えてるから間違いない。
そんな89年の映像作品なのに、携帯電話ですよ。しかも二つ折り。二つに折った状態で、大きめのタバコの箱程度の大きさなのよ。絶対おかしいと思ってさ。
デジタルガジェットにも詳しい津田さんに尋ねたら「ああ、余裕であるでしょう、その時代には。NECは当時から二つ折りでしたよ」なんて言われてさ。えー、俺の記憶ってそんなにショボいの? とか情けなくなって。
悔しくて調べてみましたよ。まずココ。ほら、802型ってこんなにデカいよね! ……ってこれは87年か。2年も違うんじゃ話にならない。2年もあったら携帯電話、全然別物になるもんね。
ココのちょうど真ん中当たり、女性が右向いて持ってるのが89年の携帯電話。こ、こんなに小さいのか既に! でも二つ折りじゃない。同じページで二つ折りのドコモNシリーズの発売は91年って書いてある。写真もある。その差2年。
次はココ。ほら! NEC! 1989年でこのサイズ、この形ですよ! そうだと思ったんだよなー! うんうん。ね? そう考えると岡村のビデオ、不思議じゃないですか? 不思議でしょ? 不思議って言って!!
なんつって、実際は俺、結構ショックで。自分の記憶のショボさに。1991年の時点ではこんなにたくさん小さい携帯電話(ムーバシリーズ)発売されてるんだねぇ。俺もっと最近のことかと思っていたよ。高額な贅沢品で、自分には関係ないからって当時全く視野に入ってなかったんだなぁ。「Peach Show '89」が発売された1989年の12月には、既に参考商品として二つ折りの携帯電話が発表されていたとしても全然おかしくない。いや、ドコモのNECシリーズ以外に存在してたのかもしれない。あーあ、俺の記憶ショボい。へぼむ。
俺としては「岡村靖幸ビデオ作品の製作スタッフは、当時から現在の携帯電話の形態がこうなることを予測していたのだ!」っていう結論を期待してたんだけどねぇ。まあ当時としては「えっ、あれが電話? 未来的だな〜」っていう映像にはなっていただろうと、それは間違いないだろうと思うけどね。
Hazel Nuts Chocolate(ヘーゼルナッツチョコレート。略してへなちょこ)の新譜『Bewitched!』を買った。ンもう名盤。何やってるの君ら。早く! は・や・く! 買って! 聴いて! すごい! たいへん! 事件!
へなちょこはゆっぱを中心とした三人組。もうこの人天才! 最近「あんまり天才って言葉を軽々しく使うのは……」なんて話題にもなりましたが、でもゆっぱちゃんは天才確定。作詞作曲プログラミングまでやって、歌って絵まで書いちゃうんだよ。もう天才。相当な才能だよ。横を素通りしたらあんた損だ。
『Bewitched!』の内容はさ、2004年型・絵本世界のファンタジーって感じでサ、めちゃめちゃ輝いてるわけ。メロディはいいし、声に魅力あるし、笑ったりホロっときたり、こんな完成したエンターテイメントはないと思いました。断然オススメです! 買ったのいつだっけ。この前の日曜日。ずっと聴いてるもん俺。返事は「日曜どうでしょう」なんつって。
断然オススメ、ではあるものの、全員には薦められないかもしんない。ってのは近くで「でもあの世界観はついていけないなー」って意見を聞いたから。『Bewitched!』は実験4号が自信を持って薦める名盤である、ってのは間違いないとして、以下、「へなちょこは世界観がちょっと……」って言う人への反論ね。
そりゃさ、魔法使いがどうのとか、ポコポン探検隊がどうのとか、そんなんが33才男の喜ぶ世界観かって尋ねられたらさ、そりゃ無理って答える人も多いよね。
でも、音楽ってちょっとぐらい世界観が飛躍してても、音楽としてのクオリティがしっかりしてたら全然気にならないし、むしろエンターテイメントとして楽しめちゃうと思うのね。
これがさ、富士見ファンタジー文庫の名作をCD化したものだったら俺もきびしかったと思うのよ。それはどっぷりファンタジーにつかって大真面目にファンタジーのみの世界観を発信してそうだから。「わ、本気じゃん、この人」って一歩引いちゃうわけ。
へなちょこのファンタジーはさ、別に自分たちの世界観を否定するわけではないけど、ほんの少し批評的というか、自覚的なんだよ。「冒険にでかけよう、でもシャンプーはどこでする?」とかさ。「魔法使いになりたいけど、彼がイヤだって言ったらどうしよう?」とかさ。「海はいいわよ、でもビキニの人はちょっと……」とかさ。楽しげに歌われつつも、微妙に一人ツッコミが入るのよ。で「あ、ちゃんとエンターテイメントとしてやってる。俺と目線は一緒じゃん」って安心できるわけ。
この世界観がダメって言ったらさ、スピッツだってダメに決まってるわけよ。大の男がタマゴがどうのババロアがどうの歌ってるわけでしょ。じゃあスピッツのあの「夢の正宗ワールド」が全てに共感して、あの世界に住みたいかっつったら違うでしょ。音楽として、エンターテイメントとして面白がってるだけじゃんか。
あるいはさ、それこそ「世界の終わりのこの街で、永遠の愛を語ろう」とかさ、「絶後の悲しみの果てに、一抹の希望の輝きを見た」とかさ、愛だの死だのを大げさに切実に歌ってるのだって、リアリティあるかって尋ねられたら胸張ってイエスって答えられるモノばかりじゃないわけで。大げさだな、フラれただけだろ、みたいなさ。そっちの非現実性はOKで、どうしてこっちはダメなのかって聴きたいよ。
「そんなこと言って実験さん、ホントは魔法使いになりたいんでしょ? 夢見がちなんでしょ」って思われちゃうなら、まあ、それはそれでもいいんだけどさ。
なんかこれをエンターテイメントとして楽しむ器がなくて、そんでメロディやボーカルや編曲の良さに気が付かないんだったらかわいそうだなぁ、と思いましたよ。そのくらい、このくらいムキになって、いきって説明したくなるほどに、へなちょこの『Bewitched!』、良かったってことです。
問題は、「だって実験さんよ、アンタ、ファミコンゲームの話題の時に、今さら竜と魔法と剣の世界のファンタジーRPGなんてできるか、33男にそれはキツイって言ってたじゃないか、何が違うんだ」って尋ねられたとしたら、ってことね。
全然違うのよ。全然違うんだけど、うまく説明できないんだよなぁ……。
大学の頃さ、サークルの20人くらいで軽井沢行くことになって。俺ら仕切る立場だったから、道を確認する為とか言って事前に一度行ったのよ軽井沢。夜中に車出してさ。予行演習とか行って。
真夜中にね、高速ぶっ飛ばしてるわけ。同乗した友人が俺を含めて4人。4人もいる意味ないんだけど。返事は「それ、俺も行ったらまずいですか?」なんつって。
関越自動車道って、途中から水銀灯がなくなっちゃうのよ。真っ暗で、車のヘッドライトだけが頼りでさ。超こえーよとか言ってて。
んで、俺の思いつきで「ライト消してみようぜ」なんつって。運転してたヤツが面白がってすぐ消して。そしたら本気で真っ暗よ。視界すべて漆黒の闇よ。すぐライトつけて全員で「こえーー!!!」。
一本道だからさ、ハンドルきったり急ブレーキかけなきゃいけないようなこと何もないけど、とはいえ時速100キロ以上出してるからね。一瞬で100メートルとか進むわけで。なんかありゃ即死のスピードですよ。
今思い出しても怖い。暗闇で猛スピードだもん。自殺みたいなもんだ。普通そんな馬鹿なことしない。
やっぱ自殺はしたくないわけですよ。生きたい。本能的に生きたいと思ってる。破天荒な無茶するヤツだって命は捨てられない。執着しますよ。当たり前。
人間ってやっぱり、デフォルトで生きたがってる。生きてて良かったと思ってる。つらいことや悲しいことがあったり、逆に何もなかったとしてもやっぱり根っこは生きたいと思ってる。女にフラれようが親友に裏切られようが、死にたくない。絶対そうだ。素直に考えたら絶対そうだ。
だから……もンのスゲーつらい目にあってる人はさ、できることならそういう人間関係を目の前に置くのをキャンセルしてさ、遠くに逃げたりしてもいいと思うよ。死にたいなーって本気で思ってるのなら、どっかで休んでいいと思う。そしたらちょっとはフラットに戻るんじゃないか。死にたい死にたいって冗談を言って実際はその気がなくて、周囲の人をいつも心配させてる人と比べたら、きっとずっとたいへんだから。
「生きててよかった そんな夜を探してる」って歌うこの曲……マジ名曲ですよね! ヤバいくらい。しかもこの曲、やっと発売されるのが俺の誕生日なんだよね。買います。買ったほうがいいと思った。ここで視聴できます。
ケイスケが毎日「死んでてもよかった 今夜はそんな夜でしかない」なんて思ってるわけじゃない、はずだ。そんな絶望的な曲じゃない。ケイスケだって俺らだって「あ、生きててよかったな」って思うコト、ちっさくても日々見つけてて、それを貝殻ひろうみたいに集めてるんだと思う。いつも。目の前にスゲーいやなことがあるとそれも見えなくなっちゃうかもしれないけど、実は「生きててよかった」って思えること、いっぱいあると思う……のです。
それに自然に気がつくようになるまで、ちょっと休憩するのが良いと思います。
同じミュージシャンを、心からずっと好きで居つづけられるのってラッキーだと思うんですよ。これ今日の結論ね。
自分が変わるのと同じように、ミュージシャンがやる音楽も変わるじゃないですか。昔はゴスロリっぽい格好してロックやってたのに気が付いたらレゲエかよ、みたいな。そこまでわかりやすい変化じゃなくても、「微妙にメタル寄りになってた時期」とか「打ち込みでピコってた時期」みたいなのはあるでしょ。そういうのが全部受け入れられたとしたら、それはラッキーだと思うんです。
俺の数少ない女の子友達がね、むかし一世を風靡したロックバンドのボーカリストが好きで、今も追いかけているんだけど正直つらい、ライブで当時の曲をやってくれればあの頃に戻れてうっとりできるけど、今の彼がやってる音楽は心から大好きと言えるものばかりじゃないし、ぶっちゃけ新曲出さないでぐらいまで思うけどそれは彼の活動としても健康的なものではないし、悩んでしまう、愛情は減っていないけど、私は彼をいつまで追いかければいいんだろうと悩む、なんて言ってた。
ああ、リアルだなぁって思って。彼女は彼女なりに、好きなミュージシャンに対して誠実であろうとしてるんだなって。
音楽なんて、ミュージシャンに対して誠実であろう、なんて必要ないわけですよ。つまんない音楽始めたら聴かなくなればいい。昔の大好きなアルバムを誉めてるだけで充分だし、聴きたくないけどファンだから買うってのこそ失礼って考え方もあるだろうしね。どっちも誠意っちゃ誠意だなぁ。
たとえばおニャン子クラブでもジャニーズでもいいんですけど、子供の頃に大好きだったアイドルがある日突然色褪せて見えて、急速に興味を失うなんてのは良くある話ですよね。それは自分のおかれている環境に左右される部分も大きいわけですが……その話はまた今度。心から好きだと思って、情熱も時間もお金もかけてたものが、急に石ころに見えてしまうことだってよくあるわけですよ。返事は「相手のあることだし、仕方がないんじゃないかな」って感じで。
そう考えると、ずっと好きで居させてくれるミュージシャンってのは本当に頼れる存在。そんな頼り甲斐のあるミュージシャンをセレクトできた自分は、本当にラッキーだなぁと思います。
岡村靖幸がニューアルバムを出すんです。彼は俺が心から好きで、好きだという気持ちを一瞬たりとも色褪せさせないで居てくれる人。さすが天才、天才でいてくれてどうもありがとう、あなたに出会えて、そして恋することができた私はとても幸運です、って思う。
楽しみだなぁ。早く聴きたい。33男ですが、彼の前では俺は恋の熱病にうなされる小娘になれるわけです。無精ひげ&すね毛ボーボーのこの俺が。
あ、まだ32男だったっけ俺。誕生日まだだ。
部屋の入り口に立って、何かを思い出そうとする。頭の中の彼女がベッドのふちに座ってこっちを見て笑う。──もう、全くの想像。だって彼女がこの部屋に来たのなんて一度か二度じゃないか。しかもこの部屋で何か、むずむずするようなことがあったわけじゃない。
誰もいない部屋がさびしく見えるのは、自分の感情が記憶を捻じ曲げるからだ。「誰もいない」「あのひとが居ない」という事実が自分の中のセンチメンタリズムを増幅しているに過ぎない。だってコレ、いつも通りの部屋じゃん。今こうしているのは俺自身がセレクトした納得の結果だったんだろう? 細かく思い出せばこれで間違ってなかったと言えるのに、断片的に浮かび上がるのは彼女の笑顔。笑い声。よかったことばかり。自分で終止符を打っておいて、寂しがるなんざお笑い種だ。
エガワヒロシさんってミュージシャンが居て。日曜日に俺らと同じ枠組のネットラジオをやっているから、俺の紹介を読んだ人もいるかもね。ゴーイング・アンダー・グラウンドのプロデュースやってたりとか、めちゃめちゃ才能ある人なんだけど。ま、実際にゃ爆発的な大ヒットを重ねたわけじゃないことは事実で、今はインディーでやってる。
エガワさんのサイトでさ、エガワさんご本人の曲(mp3ファイル)が無料でダウンロードできるのね。これがものすごいいい曲でサ。せつないの。こんなん無料でOKなんて、いい時代だよね。
ほら昔はさ、たくさんの人に自分の音楽を聞いてもらうためにはデビューするしかなかったじゃない。自分の音楽を広く伝える為の選択肢として、芸能人になるしかなかった。今は違うもんね。目的到達に純粋に近づきやすくなってるのかもしれない。2004年にして。返事は「たしかにここまでが長かったですね(笑)」だ。
この曲の中の主人公のように(俺はこの曲の主人公=エガワさんとは思えないわけなんだけど)、毎日毎日思い出の相手のいない部屋で思いにふけったりしない。一人暮らしの部屋で一人でいるのなんて当たり前だし何の疑問もない。だからこの曲に共感できるかって言ったらできてないのかも。でも、この曲のせつなさ悲しさはわかる。ノンフィクションであったり自分と同一であったりする必要なんてない。そういうのがエンターテイメントの良さだもんね。
この曲はさみしくて素敵。でも俺はぜんぜんさみしくない。週末は姪っ子の顔でも見に実家に帰ろうかな。あ、金曜日はエガワさんのライブに行って来よう。
昨日の続きですが、だとすると結局アイドルにもっとも必要な才能ってのは、「強運」しかないんじゃないかって気がしてきた。
顔の良さなんて、テレビ出てる人とそのへんブラついてるコンパニオンと、大して変わらない。パフォーマンス能力もきっと大して変わらない。オーラは……ぶっちゃけわからない。ビッグなアイドルタレントと身近に接したことなんてないからなぁ。
だとしたらもう、強運しかないじゃんね。いい曲もらえるか、いい番組もらえるか。その時カブるキャラクターのライバルが居るか居ないか。そういうのホント、たまたまだもんね。みんなの頭の中にも浮かぶでしょう? 「あのアイドル、顔も歌もスタイルもトークも水準以上なのに、なんで人気出なかったんだろう?」って人。運がなかったんだと思うんだよね。
だとしたら、若い女性タレントをアイドル(偶像)と呼んで崇拝するのも至極頷ける結果だ。だって彼女達はめっちゃくちゃ強烈な強運の持ち主なんだから。あやかっておかないとね。
元COLOR……って言っても知らないですよね。4人組のアイドルが居たわけなんですけど、メンバーチェンジを経て改名したのがBuzy。ポルノグラフィティの曲作ってる人たち(プロデューサーの本間昭光とギターの新藤晴一)による作品。ポルノそのままって感じの曲。
これめっちゃ好きなんですが、売れたって話は全く聞きませんでしたねぇ。
サザンオールスターズの「愛の言霊」が売れるならこの曲も売れていいんじゃないかって気がするけどね。いい曲もらえる運があっても、それだけじゃダメってことなのね。確かに彼女達も、決して「強烈な強運の持ち主」って感じじゃないしなぁ。
好きなミュージシャンってのはつまり、信用できるミュージシャンってことですよ。
好きなミュージシャンって何かと考えてみるわけですよ。
俺の場合はそれは「顔」とか「背格好やファッション」はやっぱり関係ないわけですよ。そりゃアイドルに適用する方法ですから。
「声」とか「歌のうまさ」ってのはかなり関係ありそうで、実は違うんですよ。「歌がべらぼうにうまい、好きなミュージシャン」はいっぱい居るけど、「歌がべらぼうにうまいから好き」ではないですし。
となると、結局は「その人のつむぐ詞」「その人が作る曲」が好きなんだとしかいいようがない。つまりクリエイターとして好きなのだと。
さらに言うと「表現力」みたいなのはありますね。これ「歌のうまさ」「演奏の上手さ」とは違う。「グルーヴ感」とか言いたいんですが、俺自身何がグルーヴなんだかさっぱりわかってないので「表現力」。KANの作った「今度君に会ったら」って曲、ピンと来なかったわけなんですが、aikoに歌わせたら鳥肌がたつほど良かったわけですよ。そういうの。
それから……言葉にしづらいんですが、「その人の存在から派生する説得力」みたいなのも実はあるかも。その人に対する知識や思い入れが「好きなミュージシャン」とさせちゃう部分のコトなんですけど……これは今度書くことにしよう。返事は「今度はやります」ってことで。
結局はそのミュージシャンが好き、じゃなくてその人の作品が好き、ってことですよね。レコードだけじゃなくてライブだってパフォーマンスって作品でしょ。それが好きだと。そのミュージシャンが大らかな性格だろうが神経質だろうが、甘党だろうが水虫持ちだろうがしったこっちゃない。過去に出した作品が好きだから好きってだけで。つまりさ、「信頼」ですよね。この人は俺が好きだと思う作品を複数出してきたから信頼できる、この人は俺がつまんないと思う曲ばっかり売ってきたから信用なんねぇ、次の新曲だって聴く必要ないに決まってる、ってことですよ。
本人が製作にかかわっていて、本人名義で出すということは、その「作品と一蓮托生」みたいな気持ちがあるに決まってる。だからこそ発表するんでしょう? だったら信じますよ、前回と同じ判断基準でドロップされた曲なら、きっと良いに決まってるから、ってね。そういう積み重ね、ひとつひとつの作品の好きポイント×その曲数=そのミュージシャンの信頼だと思うんです。
アイドルで考えてみた時に思ったんです。
俺、藤本美貴のソロ作品ってシングルからアルバムから本当に、アイドルをズラリ並べてもトップクラスに好きなんです。だから聴いてると「ミキティさいこーっ!」とか思う。でもモーニングのメンバーとして見た時、別にどうでもいい。彼女に思い入れなんて全然ない。俺「ミキティさいこーっ」って思ってたのは彼女が過去に出した作品によるものなんですよ。作詞作曲編曲の力がメインで、彼女だからこその表現力もあいまって、彼女の持つ「強気でプライドが高そうだけどなんか貧乏臭い」みたいな佇まいも重なって、「ミキティさいこーっ」って思ってるんですよ。あれらの曲が他の誰かに提供されてて、全然つまんない曲与えられてたら見向きもしなかったと思う。
そう考えるとアイドルCDに対する信頼なんて、薄っぺらなものですよね。本人がプロデュースしてるわけじゃないし、無能な製作陣につかまっちゃうと一生日の目を浴びない。例えば「藤本美貴がまたソロ活動します!」ってコトになったとして、「でも作詞作曲プロデュースは、あの『市井紗耶香を葬ったA級戦犯』、たいせー」ってことになれば、もういきなり期待度ゼロ以下、信頼もクソもあったもんじゃないわけですよ。
だから、アイドルに比べるとミュージュシャンは信頼を積み重ねやすいと思う。いい曲を世に出すことがそのまま信頼に繋がる。そこで売上のコト考えちゃうと話が濁るんでここではパス。いい曲で信頼を積み重ねて行って欲しいし、俺もそこに乗っかって新しい音楽に触れていきたいと思ってるわけですよ。
一番難儀なのは、「信頼していいのか悪いのかさっぱりわからないミュージシャン」ね。俺、KICK THE CAN CREWの「TORIIIIIICO!」って大好きで、めっちゃええやんキック、変わったやん、マジ最高マジ最高とかって思ってたわけです。そしたらその後に出したシングル「性コンティニュー」「パンク寸前のPUNK」「GOOD MUSIC」どれもこれも大ッ嫌いな仕上がりで、なんじゃこりゃ全然ダメ、全く信用できねぇって思ったんです。ありゃたまたまだったと。そしたら最近のKREVAのソロシングル「希望の炎」が思った以上に気に入って、なんだよどうすりゃいいんだよ、どうしろっていうんだよ、って感じですよ。どうしろっていうんですかね。イヤどうもしなくていいんですけど。ちなみに上のリンクは在庫切れかも。10908枚限定発売なので。
出る曲出る曲大好き、チョー信用しちゃうってミュージシャンにたくさん出会えることが幸せってことですよね。皆さんには信用できるミュージシャン、何組くらい居ます?
早くもドリームスカムトゥルーの「OLA! VITORIA!」のサビのところが頭の中をぐるぐる回っている。全然好きじゃないはずなのに。Voices of KOREA/JAPANの「Let's Get Together Now」の時もそうだった通り、繰り返し聴いてるうちに気持ちよくなってくる音楽ってのはたくさんある。
ってか繰り返し聴いてればどんな音楽でも好きになる。音楽ってのはそういうもんだ。
だから俺はまず、第一印象を信じることにしている。Theピーズのライブで生まれて初めて「ヒッピー」を、エレファントカシマシのライブで初めて「悲しみの果て」を聴いた時の寒気のするような感動を忘れない。ファーストインプレッションで心底良いと感じた曲は、自分の人生の一曲になる。
でも……繰り返して聴いてるうちにそのランキングを駆け上がってきちゃう曲もある。第一印象が悪くても、気がついたら大好きになってた曲。あるでしょ。
曲単体に限らず、アルバムだってそうだ。それが、反復によって自分の中に根付いたから気持ちよいのか、その曲だけが持ってる自分への魔法が気持ちよいのか、区別がつかなくなるわけ。好きな曲ってのは自分に効く魔法を持ってるわけで。第一印象最高で、だんだん嫌いになっていく曲って少ないからね(飽きちゃう曲はあっても嫌いとは違う)。
『Eclectic』小沢健二
小沢健二のアルバム『Eclectic』が、俺にとって『LIFE』や『犬は吠えるがキャラバンは進む』と比較して宝物度の低い作品であることは事実だ。でも……繰り返し聴いてるうちに魔法にかけられている気分になったのは事実だ。それを感じて、俺『Eclectic』聴くの、ぱったりやめてしまった。これで好きになっちゃうの、なんだかつまんない気がして。『LIFE』を初めて聴いた時の、むいた蜜柑のひとふさひとふさからあふれ出るめくるめくような甘酸っぱさにうっとりとするようなあの感覚。小沢のインタビューを受けて「なるほど仰るとおりだ、この人は本当に天才なんだ」って確信させられるような喜び。それが『Eclectic』のじわじわ聴いてくる喜びと並列になってしまったら、なんだか自分の青春が色褪せちゃうような気がしたんだよね。
……ちょっと大げさかな? 俺がそれだけ『LIFE』が好きってだけなんだけどさ。
『Eclectic』を『LIFE』に勝るとも劣らない名盤だと褒め称える人は多い。でも彼らは……『LIFE』の小沢健二の作品、ってわかっててその上で成長変革を遂げた彼の新作と知って『Eclectic』を受け入れたんじゃないのかな? いや、俺だってそうだけど、俺は結局『LIFE』の続編のような作品を求めてたわけよ、愚かにも。
『Eclectic』を褒めちぎる人になんだか共感できないばっかりに、俺は思う。彼らは『LIFE』なしに『Eclectic』に出会って、そしてそんな風に愛情を注いでたのかしらと。『Eclectic』と何度も添い寝して、その上で生まれた愛情を自ら慈しもうとしてるのではないのかしらと。
てめェが『Eclectic』に一目惚れできなかったから、ただこうやって羨んでいるだけなんだけどさ。
小沢、今頃何してるんだろ。大方の予想通り「音楽に飽きて、小説家としてデビュー」なんて形ですら受け入れるから、彼の作品に出会いたいなぁ。贅沢な望みなのかなぁ。
コメント
僕は「Life」よりも「犬」派です。
「Eclectic」出た頃、絶賛していた人たちって、今でも時々取り出して聴いている人たちほとんどいないような気がします。
耳で聴かず「小沢健二の作品」という文脈で語っているだけだったような、妙に居心地の悪い感じを当時受けました。
小沢の持っていた「Life」的なモノは、僕はむしろそのフォロアーとして語られていることは無いかもしれないけれど、ノーナリーブスの作品にその匂いを感じます。
そんでもって、熱心なファンだった訳でもなかったノーナリーブスが産み出している作品が既に、ファンに期待される「Life」的な「Life」以降の作品を小沢以外のミュージシャンになっている気がするし、それすらも超越したんじゃないか、とすら思います。
で僕は、むしろ、小沢にしかできない「犬」的なものをもう一度小沢に作ってもらえないモノかと期待してしまうのです。
Posted by: equrean : June 23, 2004 01:43 AM
そう考えると小沢って、アルバムごとに全く違うことをしてるんですよね。そう考えると『Eklectic』がああいった作品になったのも納得できちゃう、みたいな。
そういう文脈で考えれば『球体〜』だってちゃんと存在意義があるし、いい曲も入ってるのに、あんまり話題にしないですよね。前の2枚がやっぱり凄すぎるのかな。
俺も『犬』的なもの、聞きたいですね。実は『Eklectic』って、対象を愛するひとりの女性に置き換えた『犬』的なもの、だったのかもしれない、とか思ったりもしますけど。
小沢、今なら「天使達のシーン」、どんな風に歌うんですかね。
Posted by: dk : June 23, 2004 02:52 AM
「刹那」は買っていないのですが、
それ以前に自分で編集したシングルコレクションCDは時々取り出し
てはやっぱり、いいなぁって思います。
「球体の奏でる音楽」があって、これらのシングルが生まれたんじ
ゃないでしょうか?過時期って言い方は失礼かもしれないけれど。
そうして生まれた「ある光」が収録されたオリジナルアルバムが生
まれていたら、「犬」的なものだったのかもしれないと思ったりも
したんですが、そんなアルバムはリリースされませんでしたからね。
でも、リリースこそれないものの、実はレコーディングは終わって
いたんじゃないのかなぁなんて、妄想をしてしまいます。それくら
いの余裕の才能に満ちあふれていたそんな時期もあったように思う
のです。
「天使たちのシーン」は小沢がやるなら青木達之さんのドラムが無
いと駄目な気がします。
それか、大槻ケンヂのソロアルバムに収録されているほとんど今の
特撮のメンツでカバーされた、プログレチックな「天使たちのシー
ン」くらいコテコテにやってくれるなら、カバーするのもいいかも
しれませんが、これを越えるのは相当難しいでしょうね。
最初これを聴いたときは、バカにしているのか?とも思ったんです
が、結構これはこれでマジでやっているのかもしれないなぁ、なん
て感じたりもしました。
笑えるんだけれど、同時に泣けるって気がします。
もし、昨今のトリビュートアルバムブームの企画として小沢健二ト
リビュートがリリースされても、「天使たちのシーン」を歌おうと
思う人はいないんじゃないかな。
Posted by: equrean : June 24, 2004 01:23 AM
スピッツに「メモリーズ・カスタム」って曲がある。マサムネが「メモリーズ」ってシングルを、アルバムに収録する時に大サビを付け加えて「メモリーズ・カスタム」って曲にしたのよ。俺その曲好きでサ。単純に格好よくて。
しかもさ、一度「〜カスタム」を聴いたら「メモリーズ」が物足りないの。単純に足りない感。ああ、こんなことできるんだなぁ、って思って。
っていうのはさ、なんかの曲をリミックスっつったって編曲が変わるだけじゃない? メロの順番が変わるとか使われてる楽器が変わったりするだけで、本体たる詞曲はいっしょでさ。間引くことはあっても大きく足されることって少ない。
あ、HIDEの「ロケットダイブ」を世界のHOTEIがトリビュートアルバムで演った時に勝手に「さらば赤い髪のエイリアン 君作ったロケットに愛を込めてアディオス」って歌詞を足して歌ったのを思い出した。いや、今回の話には関係ない。
そんな、後から大サビを付け加えて曲をさらにゴージャスにしちゃうって手があるなんて俺、知らなかったの。1曲として完成させちゃったら、子供として産み落としちゃったら、その子の存在意義にも関わるようなことは、普通親としてしないんじゃないかと。一個の作品のままで居させたがるんじゃないかって思ってたから、「そんなコトしていいんだ」って思ったの。
で、思いついたわけ。12ヶ月連続でシングル出すわけ。最初の曲がAメロBメロCメロ(Cメロがサビ)って曲だとするじゃない? その人が、今度はBメロCメロDメロ(Dメロがサビ)って曲を作って次の月に出すわけ。当然3ヶ月目はCメロDメロEメロ(Eメロがサビ)よ。
テクノとかハウスみたいな構造の曲じゃダメよ。当たり前すぎるから。それをできる限り歌謡曲、Jポップの理屈でやることに意義があるわけ。みんな毎月追いかけて聴いて、「ああ、内容的に12ヶ月目でAメロに戻ってリンクするんだな」って思ってると、それを10ヶ月目でやっちゃうわけ。ええっ、じゃああと2ヶ月どうするのよっていうと未体験の驚きの大団円が待っている、という。そんな12ヶ月連続シングル。面白くない?
で、もちろん歌詞も続けさせたいわけですよ。内容は多分、何でもないようなことが幸せだったのだと後から気がつくけど、二度と戻ることはできないのだなぁ(詠嘆)、としみじみする曲がいいと思うんだけどどうかな。
俺に曲書く才能があったらなぁ。
森山直太朗ってどうしてこう、わかりづらいことをやろうとするんだろう。
新曲を聴いて思い出したのは「みちのく一人旅」だった。演歌よろしく唸っているところから、そういう指摘を甘んじて受けるつもりでこの曲やってるのは明確なんだけど。
テレビの音楽バラエティ番組とかにゲストで出演する彼を見て、その一癖も二癖もある彼の言動に驚いた人もいるだろう。一応はサービス精神はあるんだけど、決してパーソナリティのお笑いタレントが作る流れに迎合しようとしない頑なさ。「絶対に知的レベルで一段上に居てやろう」といった鼻持ちならない感じ。あれは何らかの自信や選民意識の現われなのかね? 逆に何かが不安なのかな? 両方?
彼の「さくら(独唱)」が発売62週目にしてとうとう100万枚突破ですって。ミリオンまでにこれだけ時間をかけたのは歴代4作品目、ミリオン自体がSMAP「世界に一つだけの花」、中島みゆき「地上の星」以来、1年2ヶ月ぶりだとか。それだけ久しぶりに選ばれた国民的Jポップなわけですよ。彼が「さくら(独唱)」のような素直に胸に響く、おだやかなメロディーの曲を切なく歌い上げてくれることを、誰もが心待ちにしているのは明白。
どうしてこう、わかりづらいことをやろうとするんだろう。「さくら(独唱)」のような曲が望まれてるからこそ、そうでないわかりづらい曲を、「さくら(独唱)」の効き目があるうちに印象付けたいって思ってるのかな? あんまり意味ないと思うけどな。
「僕は君が思うような人間じゃない」と繰り返し、最後にゃ「もはや僕は人間じゃない」と歌う森山。「さくら(独唱)」の大ヒットによって押し付けられる大衆の印象に苦悩してるとも思えないし、「もはや神」あるいは「もはや人間以下」と結論付けられるほどの大ヒットでもなかったと思う。
宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」を聴いてさ。なんか色々考えちゃいました。
今までになくメッセージ性の強い曲ですよね。言葉を伝えたがってるというか。
でもさ、なんだろ。どうして「みんなの願いは同時には叶わない」んだろ。それが彼女が我々に伝えたかったことなのかしら。
世の中ちっとも平等だなんて思わなくて、俺が今みたいにチャラついてるのと別の場所で、死ぬか生きるかの世界で強大な力に脅えたり、生まれてきたことを悔やみながら真っ暗闇の中で頭抱えてる人がいるのは知ってる。でもそういう誰かの不幸せが、俺が幸せなことによるものだって思いたくないんですけど。神様は誰かのラッキーの代わりに誰かにアンラッキーを与えて、わざわざチャラにするために存在するのかしら?
俺はどっちかといえば、人間なんてどこまで行っても一人、愛なんて思い込みでしかない、わかりあえるなんてありえない、ぐらい極端なことを言いかねない人間なのね。でもそうやってナルシスティックに気取っても意味ないし、家族大事にして友達と笑うの楽しいから、どこまで行っても一人ってわかっててそれでも仲良し生活を楽しもうとしてるんだけど。でもその仲良し生活の行き着く場所に「自分の幸せのおかげで誰かが不幸せ」って思いたくないなぁ。だったら一人で行くって断言した方がいいや。
この曲の歌詞のどこに希望があるのか。この静謐なる絶望感を、660円払って買った若い子たちは――いやいや、若い子たちにこそこういうのは必要か。こういうやるせない感覚は実生活で味わうより音楽だの映画で体験する方がいいか。うん。そう思うことにする。
カラオケで歌おうとしたらめちゃめちゃ難しいメロディだよね。こんなに難しくては、伝えたい歌詞も伝わらなくなっちゃいそうな。って考えるとアレだな。これは聴く為の音楽なんだなぁ。だまって、できることなら座って聴く音楽。なるほどね。
どこまでも美しくて、音楽の楽しさと正反対にある1曲。
ちょっと前、グアムに行って来たの。仕事でよ。会社の人々とよ。
つったってまぁバカンスぶくみで、ホテルのプールで騒いだりしたんだけど。
会社の仲間が皆で、プールで遊んでるわけ。二つの小さな浮島に一人ずつ乗って綱引きしたりとか。飛び石の上をバランスとりながら渡ってくやつとか。
途中から彼ら、10人くらいで水球とか始めてるの。下半身水に浸かったハンドボール? あれ1時間とかやってたからね。彼らの体力に脱帽。俺だったら確実に18時以降おねむの時間だよあんなのやったら。
皆がそうやって半日遊んでるのに、俺、たった一人結局参加しなかったのね。ずっとビーチサイドで観てたの。何度も何度もおいでって誘ってもらえるんだけど。行かずに観てた。
あの場に居てね、綱引きうまくいかなかったり、水球でチームの人に迷惑かけたりすると、俺へこむのよ。ゲームなのに! 遊びなのに! 自分の体力とセンスのなさで周りを盛り下げることが俺をへこませるの。
それに、疲れるのがイヤなの。水遊びなんて本気でしたら、まず間違いなく口もきけないほど疲れるわけじゃないですか。わかってるのにそこへ飛び込まないわけ。
なんて理由もあるんだけどさ。参加しなかった最大の理由。
もう、楽しいわけですよ! 観てるだけの方が全然!
彼らがうまくいったり失敗したりするのを見て、大声で笑って、野次ったり拍手したりしてるのがものすごく楽しくて。「いいぞー!」なんて大声でゲラゲラ笑ってた。あんなに笑ったの久しぶりで。
あれ、自分が参加してたらああは笑ってなかったな。真面目にやったりへこんだりしてたと思う。
なんか高見の見物野郎って感じでヤな感じ? 同僚たちにもそう見えてたかな? それはそれでしょうがない。でもとにかく楽しかった。すっげー和んだ。彼らのおかげで、仕事の出張が優雅なバカンスになったんだよね。ついでに自分のそういう特徴にも気付かされ。
楽しかったなぁ、グアム。いいよね。近くて。また行きたい。
笑ったなぁ。和んだ。おっきな声出した。楽しかったよ。
何にも思い浮かばないので昔の文章をサルベージ。denki biribiriというサイトの為に2001年8月に書いた文章です。今ちょうど、コレクターズのモッズカバー集を聴いてるところなので、タイミング的にはぴったりかな、ということで。
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ローマ字を最初に習った時、ワクワクしなかった?
アルファベットって奴に物凄い憧れを持ってた頃だからね。ローマ字を習うことで、英語自体を制覇できるような気がしてた。
ところがそのローマ字ですら、すぐには覚えられなかったんだけど。まあ「ローマ字は1日にして成らず」って言うからね。でも、ローマ字を学ばせることは、教育上逆効果なのではないか、という説を唱える向きもあるらしい。
というのも、日本語と日本語以外の外国語とでは表記と発音の相互関係があまりにも違いすぎるから、って言うのね。日本語では当たり前の1文字1音ってヤツは、他の外国語からするとかなり珍しいものらしいからね。
で、ローマ字がアルファベット2文字で1音というルールであるばっかりに、他の外国語を学習した時に「頭の中でローマ字読みしてから、外国語へ変換する」という作業がつきまとってしまうらしいんだよね。純粋に新しい言葉として表記と発音を学べばいいのに、そこに「ローマ字との違いはどこか」という覚えなければならないポイントがひとつ増えてしまう、っつー。
そんなこと言ったってねぇ。新しく外来語を覚える時の取っ掛かりとしては、ローマ字物凄く便利だと思うんだけど、どうしてかねぇ?
すげー名曲! こういう綺麗なメロディ・せつない歌詞の曲がカラオケで歌えたら! たくさんの人々がこんな名曲を知らずに死んでいく。かわいそうなことですね(そんなに大見得きっていいのか俺?)。
でもホラこの曲名。ローマ字だとなんて読んでいいかわかんないでしょ? 正解は「ジュリエッタ」。
※最新のベストアルバム「THE GREATEST TRACKS」にも収録されています!(05/09/02)
読み方って、英語でない、しかも固有名詞になると突然わからなくなるよねぇ。ひらがなカタカナ漢字以外の文字として、アルファベットより先にローマ字を習った俺たちが、ローマ字の呪いの囚われてしまうのは仕方ない気がする。
だとすれば、どんな外来語であっても最初に触れた時、瞬間的にローマ字読みしてしまうのは当然のコトだろ?
だからブランドであるところの「ELLE」だって、当然最初は「エレ」または「エッレ」と読んで然るべきなのだ。日本全国民が「ELLE」を見て、一度頭の中で「エレ……じゃなくて……」と思いながら「エル」と発音しているはずなのだ。予備知識なしで一度も間違わず「エル」という発音にたどりついた人間など皆無だ。そうだろ? 「私は違った」なんて絶対に言わせねーぞ!
そうなると当然「calvin klein」は「かるびんくれいん」だし、「VERSACE」は「ばーさす」だし、「agnes b.」は「あぐねすびー」だ。つまり「こんめ・か・でゅ・もで」なのだ。違うとは言わせねーぞ、コラ!