<?xml version="1.0" encoding="EUC-JP"?>
<feed version="0.3" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xml:lang="en">
  <title>サヨナナ</title>
  <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/" />
  <modified>2012-05-04T15:08:54Z</modified>
  <tagline></tagline>
  <id>tag:replica-love.jp,2012:/sayonana//1</id>
  <generator url="http://www.movabletype.org/" version="2.661">Movable Type</generator>
  <copyright>Copyright (c) 2012, dk</copyright>
  <entry>
    <title>「友人がTwitterで捕まった（嘘）」を完結させる</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000719.html" />
    <modified>2012-05-04T15:08:54Z</modified>
    <issued>2012-05-05T00:08:54+09:00</issued>
    <id>tag:replica-love.jp,2012:/sayonana//1.719</id>
    <created>2012-05-04T15:08:54Z</created>
    <summary type="text/plain">本題に入る前にMOK Radio #72を振り返って。パーソナリティが遅刻することも酔いつぶれることもなく、3時間テンション高くしゃべり尽くすことができて、とても充実した回だったのではないでしょうか。もともとMOK Radioって「津田さんとタクヤさんだけだとシャベリの面で不安だから実験４号（当時）も呼ぼうぜ」ってとこからこの3人になったわけなんですけど、そういう意味からも#72は最も理想的な形で終われたんじゃないでしょうか。津田さんタクヤさんは「次回は来年」とか言ってましたけど俺はこの夏でも秋でもぜんぜんかまいませんよ！　いつでもやりましょう！ でも実際のところ来年でしょうか……。実は、ちらっと言ってたんですが、MOK Radioで種明かし（？）したいと思いながら書いたエントリーがあって、それについていつか番組内で話題として取り上げてもらいたいってずっと思っていたんです。でもなかなか叶わず……。次回のMOKが来年ということでもう待てないぜと判断し、今日ここで説明しちゃおうと思います。以下本題。 該当エントリーは一昨年の6月に書いたこちらのエントリーです。 友人がTwitterで捕まった http://replica-love.jp/sayonana/archives/000713.html 未読の方は是非まず読まれて、その上で以下をお読みください。 ……読んでいただけましたか？ 読んでいただけましたか。どうですか。「こういうこと言うやつにはなりたくない」「盗人猛々しい」と思いませんでしたか？　少なくともこのエントリを公開した当時、むちゃくちゃひどい言葉でののしられたんですよ。 このエントリは「友人の発信する売春の情報をリツイートして『お前も犯罪だ』って言われた男」のおとぎ話なわけですけど。彼の長ったらしい言い訳が癇に障ったみたいなんです。 彼の言っていたのは…… ・自分は儲けていない、お金は受け取っていない ・セックス自体がすばらしいものだから広めるべき ・法律が時代に即していないのが悪いので、反故しても問題ない ・むしろ奪われた旦那にだってプラスがある（感謝されてもいい） ・皆がwin-winでハッピーだ ・みんなやってることで、自分だけが責められるいわれはない ・個人がやってる程度のことで規模も小さい ・むしろ崇高な快楽に対する冒涜である ・情報の内容として一次も二次も一緒だということはわかるが自分が根源ではない ・悪いのは自分たち以外の誰かである ・もうすぐ法律も改正されるから待つ必要はない（先駆者としてほめられたい） というようなことでしたよね。 で。 彼の言い分のうち……「セックス」を「音楽」に、「売春」を「著作隣接権者に許諾を受けていない音楽のUSTREAM配信」にすげ変えてみたらどうなるか、っていうことなんです。 誰かが自宅から「ちょっとまわすわー」なんてツイートして、好きなCDをUSTREAMで流し始めて、それを聞いていい曲だな、って感じてリツイートしたことありませんか？　リツイートしているのを見たことありませんか？（俺の記憶が確かなら、たしか「DOMMUNE」って、著作隣接権許諾を受けた曲ばかりではなかったように思いますが、違いますか？） このエントリを書いた当時、「USTREAMを使えばこんなに簡単にCDの音楽が配信できるようになったんだ」ってことにまず驚きましたよね。2003年からネットラジオ配信の企画に参加させてもらって、わざわざサーバを立てたり、誰も説明してくれない海外のサービスを試行錯誤して使ったりって面倒を見守ってきたを思い返すと、恐ろしく簡単になったなぁ、って。だって携帯電話（iPhone）ひとつでできちゃうんですから！ そんで「ああ、こりゃ一儲けする人が出て逮捕されるな」とも想像したんです。俺にも思いついたから。 一つホームページ作ってそこに広告バナーを貼りまくるでしょ。そんでオリコンまたはカウントダウンＴＶにランクインした「今週のヒット曲」を、毎週定時に、順番に、予告どおりに配信するわけです。そういうことをする人が現れると思ったんです。ご丁寧にUSTREAM配信の録音の仕方、mp3ファイルの切り出し方、ケータイ着メロの作り方まで説明してくれるようなページで。ネットに繋がったパソコンひとつあれば世界中どこにいても発信できるんですから、こりゃ検挙されるまでに時間がかかるぜヘッヘッヘってほくそ笑んでも不思議じゃないと思いませんか？　しかもその「今週のヒット曲」の配信情報はリツイートであっという間に広がって行きます。中高生には「無料で着うたフル取れるところない？」なんて情報をやりとりするのに微塵の罪の意識もない子も少なくないらしいですからね。リツイート自体が罪に問われるわけもなく、毎週あっという間に広がるだろうなって思ったんです。今週のベストテン配信始まるぜ、ってね。ホームページで毎週違うUSTREAMの新しいチャンネルを書き換えればいいわけですから閉鎖に追い込まれる可能性も低いわけですよ。広告収入、かなり見込めると思ったんです。 で、警察が力技で突き止めて（あるいは突き止めたフリで）、見せしめの逮捕が発生する。その時、そのページのURLを拡散した人に何の罪の意識もないと思うんです。にもかかわらず「お前も同罪だよ」って言われたら。本当にそれが同罪だった時に……深夜思いつきでUSTREAMを始めて、数人の友人がそれ聞いて盛り上がるって遊びをしていた人と、何の違いがあるのか、って話になりませんかね。 まあ実際には「今週のヒット曲を定時配信する犯罪者」が検挙されるような事件は今のところ見当たらないわけですけどね。 先の売春がどうこうって長ったらしい文章を書いた時にはね、ひどく叩かれたんです。でもね、俺、深夜ふわっとUSTREAMでCDを流し始める友人のことを、それをリツイートしている友人のことを、悪い人だなんて思ったこと一度も、一度たりともないんですよ。彼らの人となりを知ってて、間違いなく信頼できる、胸張って推薦できる友人ばっかりなんです。自信があります。俺に娘がいたら嫁に出したっていい、ぐらいの。彼らは悪い人じゃない。大好きな友人です。でも「違法は違法」って枠にはめた時にね、何が違うんだろうってうまく説明できないんです。彼らがどんな説明をするだろうと思ったときに、箇条書きで書いたような言葉ばっかり出てきちゃったんです。 インターネットに散らばってるいろいろなトラブル、炎上、事件、いさかいごとを見かけるたびにね、「自分だって同じなんじゃないの？」って必ず問いかけるんです自分に。罪状は違っても、究極のところで一緒のことを自分でもやってないか、って。やってたら人のこと指差せないんじゃないかって。罪とされていることの根っこを自分なりに理解して、それとおんなじことはしないんです。少なくとも誰にも言わないです、根っこの同じことを自分がやっているなんて。 理由は、さっき箇条書きにしたような言い訳を、自分が言いたくないからです。盗人猛々しい言い訳をしたくない。だから……俺の親愛なる友人たちが、いい曲を楽しむ為にリツイートしてるだけの友人たちが、上の箇条書きに出したようなこと以外の、エクセレントに納得できる「胸張ってやってる根拠」を言ってくれないか、何か見つからないかって探してるんです。 一昨年のあのエントリ読んで、どう思いました？　そんで今、どう思ってます？　自分に当てはめてみて、どうでした？　皆さんの感想が聞きたくて、一昨年、盛大に嘘を書いてみたんです。 そんで俺の言いたかったことは、さんざん書いたけど本当に言いたかったことは、「人のことののしったり見下したりするのもいいけども、自分の根拠は、いざって時に出すつもりの言い訳は大丈夫でした？」ってことなんです。……やっぱり「みんなやってるから」とか「規模が小さいから」とかになっちゃいますか？...</summary>
    <author>
      <name>dk</name>
      
      <email>replica_love@hotmail.com</email>
    </author>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://replica-love.jp/sayonana/">
      <![CDATA[<p>本題に入る前に<a href="http://www.musicmachine.jp/sp/radio.html" target="_blank">MOK Radio #72</a>を振り返って。パーソナリティが遅刻することも酔いつぶれることもなく、3時間テンション高くしゃべり尽くすことができて、とても充実した回だったのではないでしょうか。もともとMOK Radioって「津田さんとタクヤさんだけだとシャベリの面で不安だから実験４号（当時）も呼ぼうぜ」ってとこからこの3人になったわけなんですけど、そういう意味からも#72は最も理想的な形で終われたんじゃないでしょうか。津田さんタクヤさんは「次回は来年」とか言ってましたけど俺はこの夏でも秋でもぜんぜんかまいませんよ！　いつでもやりましょう！</p>

<p>でも実際のところ来年でしょうか……。実は、ちらっと言ってたんですが、MOK Radioで種明かし（？）したいと思いながら書いたエントリーがあって、それについていつか番組内で話題として取り上げてもらいたいってずっと思っていたんです。でもなかなか叶わず……。次回のMOKが来年ということでもう待てないぜと判断し、今日ここで説明しちゃおうと思います。以下本題。</p>

<p>該当エントリーは一昨年の6月に書いたこちらのエントリーです。<br />
友人がTwitterで捕まった<br />
<a href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000713.html" target="_blank">http://replica-love.jp/sayonana/archives/000713.html</a><br />
未読の方は是非まず読まれて、その上で以下をお読みください。</p>

<p>……読んでいただけましたか？</p>

<p>読んでいただけましたか。どうですか。「こういうこと言うやつにはなりたくない」「盗人猛々しい」と思いませんでしたか？　少なくともこのエントリを公開した当時、むちゃくちゃひどい言葉でののしられたんですよ。</p>

<p>このエントリは「友人の発信する売春の情報をリツイートして『お前も犯罪だ』って言われた男」のおとぎ話なわけですけど。彼の長ったらしい言い訳が癇に障ったみたいなんです。</p>

<p>彼の言っていたのは……<br />
・自分は儲けていない、お金は受け取っていない<br />
・セックス自体がすばらしいものだから広めるべき<br />
・法律が時代に即していないのが悪いので、反故しても問題ない<br />
・むしろ奪われた旦那にだってプラスがある（感謝されてもいい）<br />
・皆がwin-winでハッピーだ<br />
・みんなやってることで、自分だけが責められるいわれはない<br />
・個人がやってる程度のことで規模も小さい<br />
・むしろ崇高な快楽に対する冒涜である<br />
・情報の内容として一次も二次も一緒だということはわかるが自分が根源ではない<br />
・悪いのは自分たち以外の誰かである<br />
・もうすぐ法律も改正されるから待つ必要はない（先駆者としてほめられたい）<br />
というようなことでしたよね。</p>

<p>で。<br />
彼の言い分のうち……「セックス」を「音楽」に、「売春」を「著作隣接権者に許諾を受けていない音楽のUSTREAM配信」にすげ変えてみたらどうなるか、っていうことなんです。<br />
誰かが自宅から「ちょっとまわすわー」なんてツイートして、好きなCDをUSTREAMで流し始めて、それを聞いていい曲だな、って感じてリツイートしたことありませんか？　リツイートしているのを見たことありませんか？（俺の記憶が確かなら、たしか「DOMMUNE」って、著作隣接権許諾を受けた曲ばかりではなかったように思いますが、違いますか？）</p>

<p>このエントリを書いた当時、「USTREAMを使えばこんなに簡単にCDの音楽が配信できるようになったんだ」ってことにまず驚きましたよね。2003年からネットラジオ配信の企画に参加させてもらって、わざわざサーバを立てたり、誰も説明してくれない海外のサービスを試行錯誤して使ったりって面倒を見守ってきたを思い返すと、恐ろしく簡単になったなぁ、って。だって携帯電話（iPhone）ひとつでできちゃうんですから！</p>

<p>そんで「ああ、こりゃ一儲けする人が出て逮捕されるな」とも想像したんです。俺にも思いついたから。</p>

<p>一つホームページ作ってそこに広告バナーを貼りまくるでしょ。そんでオリコンまたはカウントダウンＴＶにランクインした「今週のヒット曲」を、毎週定時に、順番に、予告どおりに配信するわけです。そういうことをする人が現れると思ったんです。ご丁寧にUSTREAM配信の録音の仕方、mp3ファイルの切り出し方、ケータイ着メロの作り方まで説明してくれるようなページで。ネットに繋がったパソコンひとつあれば世界中どこにいても発信できるんですから、こりゃ検挙されるまでに時間がかかるぜヘッヘッヘってほくそ笑んでも不思議じゃないと思いませんか？　しかもその「今週のヒット曲」の配信情報はリツイートであっという間に広がって行きます。中高生には「無料で着うたフル取れるところない？」なんて情報をやりとりするのに微塵の罪の意識もない子も少なくないらしいですからね。リツイート自体が罪に問われるわけもなく、毎週あっという間に広がるだろうなって思ったんです。今週のベストテン配信始まるぜ、ってね。ホームページで毎週違うUSTREAMの新しいチャンネルを書き換えればいいわけですから閉鎖に追い込まれる可能性も低いわけですよ。広告収入、かなり見込めると思ったんです。</p>

<p>で、警察が力技で突き止めて（あるいは突き止めたフリで）、見せしめの逮捕が発生する。その時、そのページのURLを拡散した人に何の罪の意識もないと思うんです。にもかかわらず「お前も同罪だよ」って言われたら。本当にそれが同罪だった時に……深夜思いつきでUSTREAMを始めて、数人の友人がそれ聞いて盛り上がるって遊びをしていた人と、何の違いがあるのか、って話になりませんかね。</p>

<p>まあ実際には「今週のヒット曲を定時配信する犯罪者」が検挙されるような事件は今のところ見当たらないわけですけどね。</p>

<p>先の売春がどうこうって長ったらしい文章を書いた時にはね、ひどく叩かれたんです。でもね、俺、深夜ふわっとUSTREAMでCDを流し始める友人のことを、それをリツイートしている友人のことを、悪い人だなんて思ったこと一度も、一度たりともないんですよ。彼らの人となりを知ってて、間違いなく信頼できる、胸張って推薦できる友人ばっかりなんです。自信があります。俺に娘がいたら嫁に出したっていい、ぐらいの。彼らは悪い人じゃない。大好きな友人です。でも「違法は違法」って枠にはめた時にね、何が違うんだろうってうまく説明できないんです。彼らがどんな説明をするだろうと思ったときに、箇条書きで書いたような言葉ばっかり出てきちゃったんです。</p>

<p>インターネットに散らばってるいろいろなトラブル、炎上、事件、いさかいごとを見かけるたびにね、「自分だって同じなんじゃないの？」って必ず問いかけるんです自分に。罪状は違っても、究極のところで一緒のことを自分でもやってないか、って。やってたら人のこと指差せないんじゃないかって。罪とされていることの根っこを自分なりに理解して、それとおんなじことはしないんです。少なくとも誰にも言わないです、根っこの同じことを自分がやっているなんて。</p>

<p>理由は、さっき箇条書きにしたような言い訳を、自分が言いたくないからです。盗人猛々しい言い訳をしたくない。だから……俺の親愛なる友人たちが、いい曲を楽しむ為にリツイートしてるだけの友人たちが、上の箇条書きに出したようなこと以外の、エクセレントに納得できる「胸張ってやってる根拠」を言ってくれないか、何か見つからないかって探してるんです。</p>

<p>一昨年のあのエントリ読んで、どう思いました？　そんで今、どう思ってます？　自分に当てはめてみて、どうでした？　皆さんの感想が聞きたくて、一昨年、盛大に嘘を書いてみたんです。</p>

<p>そんで俺の言いたかったことは、さんざん書いたけど本当に言いたかったことは、「人のことののしったり見下したりするのもいいけども、自分の根拠は、いざって時に出すつもりの言い訳は大丈夫でした？」ってことなんです。……やっぱり「みんなやってるから」とか「規模が小さいから」とかになっちゃいますか？</p>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>「ネットひきこもり」になってしまった</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000718.html" />
    <modified>2012-04-28T15:08:46Z</modified>
    <issued>2012-04-29T00:08:46+09:00</issued>
    <id>tag:replica-love.jp,2012:/sayonana//1.718</id>
    <created>2012-04-28T15:08:46Z</created>
    <summary type="text/plain">8年使っていたVAIOが壊れたりしたのもあって、自宅でのインターネット利用が極端に減ってしまいました。職場で、そして通勤時間中の携帯電話でネット閲覧はできるものの、自分にとってのインターネットライフはやっぱり自宅PCによるもの。複数のブラウザ、複数のタブを開いて、何かをダウンロードしながら、音楽を聴きながら、思いつくままにネット空間をさまよう……的な時間のすごし方はやっぱり自宅PCじゃなきゃできない。携帯電話からのネット利用が、俺にとって常にかりそめの姿にしかならない理由は、ずばり「マウス右クリックからのコピー＆ペースト、別窓で別作業へゴー」という一連の流れが指先オンリーでできないから、だったりします。まあそれは置いておいて閑話休題。 自宅でのネット利用が減って、「ネットひきこもり」になってしまった。自宅にひきこもって、外部世界との交流をせずにインターネット閲覧ばかりしている状態……の逆。ネットの世界はこれほどに広大に広がっていて毎日新しいニュースであふれて楽しそうなのに、参加できずに日々自分の手の届く範囲でだけ活動している状態。ネットから離れてひきこもっちゃってる状態が俺の言うところの「ネットひきこもり」です。 俺はWindows95の時代にウェブチャットの為にPCを買って、以来いくつかのハンドルネームを使いながらネットの世界に生きてきました。HTMLをしこしこいじってホームページをつくったり、日記サイトの投票ランキング企画に参加したり、「バトン」と呼ばれる一連のネット遊びにブログで参加したり、インターネットラジオのリスナー数に一喜一憂したりしてきました。面白いことを考えたらインターネットを通じて友人に伝えて、その反応を糧にして日々を過ごしていた、って言ってもいい。「実験4号（実験40号）」のハンドルネームが、俺の生活の半分だった時期もそれなりに長い気がしてます。ネットの向こう側の友人の反応の為に生きていた、って実感があります。 ひるがえって現在。一緒にインターネットラジオのパーソナリティをやっていた友人二人は超のつく有名人になって今も活発に「インターネット上での発信・発言」を続けてます。というか俺は今も二人を友人だと思ってますが（友人のつもりでいますが）、彼らが日々どうしているかインターネットを通じてしか知りません。最近どうよって電話することもないです。もともと学生時代の友人にも電話をかけたりするほうでもないけど。すっかり縁遠くなってしまいました。 当時仲良かったネットで知り合った友人は友人同士、今もtwitter上でお互いコミュニケーションをとっているし、タイミングが合えば会って飲んだり遊んだり、共にライブに出かけたりしているように見えます。ように見えると書いたのは、よくわからないから。友人のことはtwitterでフォローしているものの、まともにタイムラインを追っていないから実際のところがわからない。たまに見ると今も仲良くやりとりをしていて、そして何だか……今更そこに参加しづらいみたいな、取り残された感を持ってるわけです。 友達なんて離れたってナンボのもんですよ。今はメールだのSNSだのあるから交流しやすくなったものだけど、もともと親友と1年2年会わなくたってどうってことはなかったじゃないですか。久しぶりに会っても一瞬で元通りになれる自信がある。ネットで出会った友人だって同じ、のはずなのに。同じ、と思ってるんですが。 皆がtwitterやfacebookに流れても、俺はmixiとmixiで繋がっている友人（マイミクシィ）に特別な愛情を持ってました。でもこうしてアクセス頻度が下がってみたら……友人たちのmixiでの発信も減ってみたら、ぶっちゃけた話、「このハンドルネームの人って誰だったっけ」ということが増えてくるものです。この人と俺は、この人だけっていうやりとりをしていた記憶があるのに、それが何だったか思い出せない。この人は俺の友達ですって胸張って言える自信がない。でもmixiというシステムは、当時と同じように俺と彼とを変わらぬ友人であると紐付けたままなんですよね。 SNSだろうが何だろうが「人との繋がり」ですもん。人と繋がって「実験40号とやりとりするのは楽しいよね」って思ってもらう為には、まず自分から発信しなければダメ、ってことですよね。今の俺は、ネットの友人に何ひとつ与えられてないです。ただ、断続的に閲覧するmixiとtwitterのログから友人の近況を知るだけ、受け取ってる。俺は受け取るけど、友人は俺の近況を知りません。だって発信していないもの。俺に笑わしてもらうこともない。だって発言してないんだから。ギブアンドテイクは成り立たず、どんどん取り残されていく。発信してなきゃ、ネットでは死んでるのも同じ。発言しなかったら、ネットではクズなんです。反応ゼロ、応答ゼロ。期待はずれゼロ。全部です。 俺がまた、インターネットでのコミュニケーションに自分の1日の半分の時間を費やすようになる日が来るかどうかと聞かれたら、たぶんＮＯのような気がします。でも……少なくとも今よりもっと、ネットで出会った友人と仲良く交流したい、またいろいろやりとりして笑いあったり共感したりしたいと思っています。でも物理的な問題（余暇時間だの何だの）を除いても、単純に踏み越えづらい壁がある気がしちゃってるんです。一度ひきこもってしまったら、今更なれなれしく友達ヅラしづらい性分なもので。だから止まっちゃう。止まったら死なのに。発信し続けなければ、何かを切り売らなければ死と一緒……と要ったら言葉が強過ぎますけれども。 今の俺にできることは……すごいスピードでフローしてしまうSNSでの発信に関しては今までと変わらず半分あきらめて……30分でも1時間でもまとめて考える時間を持って、文章を書いて、それをインターネット上にストックする、ってことを積み重ねてくことくらいかもしれません。やっぱりそこかもしれない。頻度は極端に落ちたけども、やっぱりそれしかないかも、って思ってます。他にできそうにない。そんで友人に読んでもらって、ちょっと面白いな、ほんのちょっと他と違った見所あるな、って思ってもらうことが、今俺ができることの気がしてます。 でもやっぱり、それはそれとして……ネットで出会った友人と飲みに行ったりしたいなぁ。花見をしたりマージャンしたり、居酒屋や朝までやってるファストフード店で、あるいは友人の家で、時間を忘れてダベったりしたいなぁ。友人が言う誰かの悪口を「よしなって」なんつって諌めたりしながら、わいわいお酒飲んだりしたいなぁ。 「誘ったって実験さん、忙しいって断るじゃんよ！」 「イベントやっても来ないじゃん！」 そうなんですよね……どうしたもんですかね……勇気もないしねぇ……。 ネットひきこもり。毎日毎日会社と自宅を往復して、休日はそれなりに忙しく出かけたりして、その上でいつも「ああ俺は毎日ひきこもっている」って気にやんでいる俺なんです。...</summary>
    <author>
      <name>dk</name>
      
      <email>replica_love@hotmail.com</email>
    </author>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://replica-love.jp/sayonana/">
      <![CDATA[<p>8年使っていたVAIOが壊れたりしたのもあって、自宅でのインターネット利用が極端に減ってしまいました。職場で、そして通勤時間中の携帯電話でネット閲覧はできるものの、自分にとってのインターネットライフはやっぱり自宅PCによるもの。複数のブラウザ、複数のタブを開いて、何かをダウンロードしながら、音楽を聴きながら、思いつくままにネット空間をさまよう……的な時間のすごし方はやっぱり自宅PCじゃなきゃできない。携帯電話からのネット利用が、俺にとって常にかりそめの姿にしかならない理由は、ずばり「マウス右クリックからのコピー＆ペースト、別窓で別作業へゴー」という一連の流れが指先オンリーでできないから、だったりします。まあそれは置いておいて閑話休題。</p>

<p>自宅でのネット利用が減って、「ネットひきこもり」になってしまった。自宅にひきこもって、外部世界との交流をせずにインターネット閲覧ばかりしている状態……の逆。ネットの世界はこれほどに広大に広がっていて毎日新しいニュースであふれて楽しそうなのに、参加できずに日々自分の手の届く範囲でだけ活動している状態。ネットから離れてひきこもっちゃってる状態が俺の言うところの「ネットひきこもり」です。</p>

<p>俺はWindows95の時代にウェブチャットの為にPCを買って、以来いくつかのハンドルネームを使いながらネットの世界に生きてきました。HTMLをしこしこいじってホームページをつくったり、日記サイトの投票ランキング企画に参加したり、「バトン」と呼ばれる一連のネット遊びにブログで参加したり、インターネットラジオのリスナー数に一喜一憂したりしてきました。面白いことを考えたらインターネットを通じて友人に伝えて、その反応を糧にして日々を過ごしていた、って言ってもいい。「実験4号（実験40号）」のハンドルネームが、俺の生活の半分だった時期もそれなりに長い気がしてます。ネットの向こう側の友人の反応の為に生きていた、って実感があります。</p>

<p>ひるがえって現在。一緒にインターネットラジオのパーソナリティをやっていた友人二人は超のつく有名人になって今も活発に「インターネット上での発信・発言」を続けてます。というか俺は今も二人を友人だと思ってますが（友人のつもりでいますが）、彼らが日々どうしているかインターネットを通じてしか知りません。最近どうよって電話することもないです。もともと学生時代の友人にも電話をかけたりするほうでもないけど。すっかり縁遠くなってしまいました。<br />
当時仲良かったネットで知り合った友人は友人同士、今もtwitter上でお互いコミュニケーションをとっているし、タイミングが合えば会って飲んだり遊んだり、共にライブに出かけたりしているように見えます。ように見えると書いたのは、よくわからないから。友人のことはtwitterでフォローしているものの、まともにタイムラインを追っていないから実際のところがわからない。たまに見ると今も仲良くやりとりをしていて、そして何だか……今更そこに参加しづらいみたいな、取り残された感を持ってるわけです。</p>

<p>友達なんて離れたってナンボのもんですよ。今はメールだのSNSだのあるから交流しやすくなったものだけど、もともと親友と1年2年会わなくたってどうってことはなかったじゃないですか。久しぶりに会っても一瞬で元通りになれる自信がある。ネットで出会った友人だって同じ、のはずなのに。同じ、と思ってるんですが。</p>

<p>皆がtwitterやfacebookに流れても、俺はmixiとmixiで繋がっている友人（マイミクシィ）に特別な愛情を持ってました。でもこうしてアクセス頻度が下がってみたら……友人たちのmixiでの発信も減ってみたら、ぶっちゃけた話、「このハンドルネームの人って誰だったっけ」ということが増えてくるものです。この人と俺は、この人だけっていうやりとりをしていた記憶があるのに、それが何だったか思い出せない。この人は俺の友達ですって胸張って言える自信がない。でもmixiというシステムは、当時と同じように俺と彼とを変わらぬ友人であると紐付けたままなんですよね。</p>

<p>SNSだろうが何だろうが「人との繋がり」ですもん。人と繋がって「実験40号とやりとりするのは楽しいよね」って思ってもらう為には、まず自分から発信しなければダメ、ってことですよね。今の俺は、ネットの友人に何ひとつ与えられてないです。ただ、断続的に閲覧するmixiとtwitterのログから友人の近況を知るだけ、受け取ってる。俺は受け取るけど、友人は俺の近況を知りません。だって発信していないもの。俺に笑わしてもらうこともない。だって発言してないんだから。ギブアンドテイクは成り立たず、どんどん取り残されていく。発信してなきゃ、ネットでは死んでるのも同じ。発言しなかったら、ネットではクズなんです。反応ゼロ、応答ゼロ。期待はずれゼロ。全部です。</p>

<p>俺がまた、インターネットでのコミュニケーションに自分の1日の半分の時間を費やすようになる日が来るかどうかと聞かれたら、たぶんＮＯのような気がします。でも……少なくとも今よりもっと、ネットで出会った友人と仲良く交流したい、またいろいろやりとりして笑いあったり共感したりしたいと思っています。でも物理的な問題（余暇時間だの何だの）を除いても、単純に踏み越えづらい壁がある気がしちゃってるんです。一度ひきこもってしまったら、今更なれなれしく友達ヅラしづらい性分なもので。だから止まっちゃう。止まったら死なのに。発信し続けなければ、何かを切り売らなければ死と一緒……と要ったら言葉が強過ぎますけれども。</p>

<p>今の俺にできることは……すごいスピードでフローしてしまうSNSでの発信に関しては今までと変わらず半分あきらめて……30分でも1時間でもまとめて考える時間を持って、文章を書いて、それをインターネット上にストックする、ってことを積み重ねてくことくらいかもしれません。やっぱりそこかもしれない。頻度は極端に落ちたけども、やっぱりそれしかないかも、って思ってます。他にできそうにない。そんで友人に読んでもらって、ちょっと面白いな、ほんのちょっと他と違った見所あるな、って思ってもらうことが、今俺ができることの気がしてます。</p>

<p>でもやっぱり、それはそれとして……ネットで出会った友人と飲みに行ったりしたいなぁ。花見をしたりマージャンしたり、居酒屋や朝までやってるファストフード店で、あるいは友人の家で、時間を忘れてダベったりしたいなぁ。友人が言う誰かの悪口を「よしなって」なんつって諌めたりしながら、わいわいお酒飲んだりしたいなぁ。</p>

<p>「誘ったって実験さん、忙しいって断るじゃんよ！」<br />
「イベントやっても来ないじゃん！」</p>

<p>そうなんですよね……どうしたもんですかね……勇気もないしねぇ……。<br />
ネットひきこもり。毎日毎日会社と自宅を往復して、休日はそれなりに忙しく出かけたりして、その上でいつも「ああ俺は毎日ひきこもっている」って気にやんでいる俺なんです。</p>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>必要なのは有能で強いリーダーじゃない（橋下市長出演の朝まで生テレビを観た）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000717.html" />
    <modified>2012-01-28T16:22:38Z</modified>
    <issued>2012-01-29T01:22:38+09:00</issued>
    <id>tag:replica-love.jp,2012:/sayonana//1.717</id>
    <created>2012-01-28T16:22:38Z</created>
    <summary type="text/plain">橋下市長の出演する「朝まで生テレビ」を観ました。橋下市長の大阪都構想の良いプレゼンの場だな、と思いながら観ていましたが、後日のインターネットで見かける反応もおおむね自分と同じようだったと感じています。橋下市長の政策は明確で、その上十分に勉強してあって記憶力も一流。他のパネラーはまったく太刀打ちできていませんでした。そりゃそうですよね。政策が気に入らないんじゃなくて橋下市長の進め方が気に入らない、としか反論できていないんですもん。 そして強く感じたのが、司会者を含めた多くのパネラーが、橋下市長の政策の裏にあるもの、あるいはイデオロギーみたいなものをものすごく、ものすごく気にしているってこと。俺は橋下市長は、例えば国歌斉唱時の不起立の問題の場合、それぞれの教育現場で話し合って「起立不要」「国歌斉唱不要」という判断を下して、それがルールに則っていれば構わないと答えるだろうと思っているんだけど、多くのパネラーは橋下市長が日の丸万歳的な立場の人なのか否か、憲法第九条を変えて軍隊を持つべきと思っているのか否か、そんなことばかりを気にしているように思いました。 それは結局、司会者の田原さんが言っていた「擦り寄り」の問題なんでしょうね。橋下市長を中心とした大阪維新の会に擦り寄れるのはどこの政党なのか、どこの団体なのか、どのイデオロギー集団なのか、ってこと。大阪維新の会に擦り寄って、現在の波に乗りたい。波に乗って思ったとおりに国を動かしたい（しかも私腹も肥やしたい）。擦り寄っていいのは誰だ、ってことなんだと思います。 擦り寄って、大勢について、同じ側にいるんだから細かいことでぶつからないよねって暗黙の了解を得て、公の場でなく密室でいろんなことを秘密裏に決めてって思うように日本を動かしたい。結局はそういうことなんですよ。「巨悪」なんて陳腐な言葉で言い表すのも笑っちゃうくらいに、大きなグループの偉い人たちが何もかもを決めている。この国を動かしているのは総理大臣でも国会でもなくて、それらのグループの偉い人たちであることは間違いないですよね。政治家、官僚、経団連、宗教団体、行政法人、各種の組合、資産家、そんで米国……みたいなものの偉い人が決めているんですよね、全部。 いや、とっくにわかってたことですよそんなの。わかってます。俺だってそんなこたぁわかってましたよ。 でも橋下市長が大阪府（と大阪市）でやろうとしていることは、そのとっくにわかっていた、偉い人たちが暗黙の了解で決めていたものをちゃんと引っ張り出して、明るい場所でみんなで決めようぜ、って言ってるんだと認識しています。東浩紀さんは橋下市長の言ってることは「みんなしっかりしろ」のみだって言ったけど俺は違うと感じてる。橋下市長の言ってるのは「既得権益で甘い汁吸ってるやつに任せるのやめて、全部白日の下にさらして、直接関係してる人たちみんなで会議で決めようぜ」ってことだけだ、と思ってます。そこに、橋下市長個人のイデオロギー、例えば国歌斉唱をどうしたいかとか憲法第九条をどうしたいかとか関係ない。案件ごとに、密室じゃない場所で、話し合って決めてくってこと。 それなら俺賛成。それを全力で推し進めてくれるなら、大阪維新の会グループの人が国政にうって出るのも歓迎しちゃう。「オープンにして、会議で決める」。当たり前なはずなのに、実際には全然できていなかったこと。 こういうことに思いをはせていくと、実はジャーナリストの津田大介さんがやろうとしてるのも、かなり似てるんじゃないか、なんて思ったりします。彼も彼自身のイデオロギーとは全く関係なく、「政治メディアを作りたい」って言ってる。政治で今こんなことが動いてる、ぱっと見た感じはこう、でもそれを成り立たせてる根拠って実はこれとこれ、さあアナタはどう考えますか、っていう素材出し。知らないところで決まって行くいろんなことに丁寧にフォーカスをあてて、有志が話し合える場を提供したい、って思ってると思うんですよね、たぶん。本人に尋ねたわけじゃないけど。 資本主義社会が限界まで来てて、日本だけじゃなく世界的に閉塞感がものすごくて、社会の構造自体どうにもならないところまで来てる。そこで必要なのは全体を動かせる有能なリーダーじゃなくて、今までごく少数の偉い人が密室で決めてきたことを全部やめさせて、何もかもをオープンにして、ひとつひとつの案件について意思と知識のある人たちがちゃんと集まって会議して決めて、それを積み上げていく構造作りだと思うんですよね。 昔は代議士に頼んで決めてもらうしかなかった。情報が限られているから知識も限られていた。でも今は違う。誰もが自分の得意分野の知識を持って政治に参加する、という構造を作るテクノロジーがあります。知識がなくたって、一から確認していけば「それはおかしいだろう常識的に」ってツッコミが入れられる。そのツッコミを技術を使って集積して、決定事項を束ねて行けば、代議士は必要ないし、国を動かしてるグループの偉い人に甘い汁を吸わせ続けることもなくなるんです。絶対にできると思います（例えばの思いつきを昔ここに書きました）。 全体を動かせる有能なリーダーは必要ないです。でも、その「オープンにして、会議で決める」って大改革を成功させるまで、引っ張ってってくれる人は必要かな、と思います。...</summary>
    <author>
      <name>dk</name>
      
      <email>replica_love@hotmail.com</email>
    </author>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://replica-love.jp/sayonana/">
      <![CDATA[<p>橋下市長の出演する「朝まで生テレビ」を観ました。橋下市長の大阪都構想の良いプレゼンの場だな、と思いながら観ていましたが、後日のインターネットで見かける反応もおおむね自分と同じようだったと感じています。橋下市長の政策は明確で、その上十分に勉強してあって記憶力も一流。他のパネラーはまったく太刀打ちできていませんでした。そりゃそうですよね。政策が気に入らないんじゃなくて橋下市長の進め方が気に入らない、としか反論できていないんですもん。</p>

<p>そして強く感じたのが、司会者を含めた多くのパネラーが、橋下市長の政策の裏にあるもの、あるいはイデオロギーみたいなものをものすごく、ものすごく気にしているってこと。俺は橋下市長は、例えば国歌斉唱時の不起立の問題の場合、それぞれの教育現場で話し合って「起立不要」「国歌斉唱不要」という判断を下して、それがルールに則っていれば構わないと答えるだろうと思っているんだけど、多くのパネラーは橋下市長が日の丸万歳的な立場の人なのか否か、憲法第九条を変えて軍隊を持つべきと思っているのか否か、そんなことばかりを気にしているように思いました。</p>

<p>それは結局、司会者の田原さんが言っていた「擦り寄り」の問題なんでしょうね。橋下市長を中心とした大阪維新の会に擦り寄れるのはどこの政党なのか、どこの団体なのか、どのイデオロギー集団なのか、ってこと。大阪維新の会に擦り寄って、現在の波に乗りたい。波に乗って思ったとおりに国を動かしたい（しかも私腹も肥やしたい）。擦り寄っていいのは誰だ、ってことなんだと思います。</p>

<p>擦り寄って、大勢について、同じ側にいるんだから細かいことでぶつからないよねって暗黙の了解を得て、公の場でなく密室でいろんなことを秘密裏に決めてって思うように日本を動かしたい。結局はそういうことなんですよ。「巨悪」なんて陳腐な言葉で言い表すのも笑っちゃうくらいに、大きなグループの偉い人たちが何もかもを決めている。この国を動かしているのは総理大臣でも国会でもなくて、それらのグループの偉い人たちであることは間違いないですよね。政治家、官僚、経団連、宗教団体、行政法人、各種の組合、資産家、そんで米国……みたいなものの偉い人が決めているんですよね、全部。</p>

<p>いや、とっくにわかってたことですよそんなの。わかってます。俺だってそんなこたぁわかってましたよ。</p>

<p>でも橋下市長が大阪府（と大阪市）でやろうとしていることは、そのとっくにわかっていた、偉い人たちが暗黙の了解で決めていたものをちゃんと引っ張り出して、明るい場所でみんなで決めようぜ、って言ってるんだと認識しています。東浩紀さんは橋下市長の言ってることは「みんなしっかりしろ」のみだって言ったけど俺は違うと感じてる。橋下市長の言ってるのは「既得権益で甘い汁吸ってるやつに任せるのやめて、全部白日の下にさらして、直接関係してる人たちみんなで会議で決めようぜ」ってことだけだ、と思ってます。そこに、橋下市長個人のイデオロギー、例えば国歌斉唱をどうしたいかとか憲法第九条をどうしたいかとか関係ない。案件ごとに、密室じゃない場所で、話し合って決めてくってこと。</p>

<p>それなら俺賛成。それを全力で推し進めてくれるなら、大阪維新の会グループの人が国政にうって出るのも歓迎しちゃう。「オープンにして、会議で決める」。当たり前なはずなのに、実際には全然できていなかったこと。</p>

<p>こういうことに思いをはせていくと、実はジャーナリストの津田大介さんがやろうとしてるのも、かなり似てるんじゃないか、なんて思ったりします。彼も彼自身のイデオロギーとは全く関係なく、「政治メディアを作りたい」って言ってる。政治で今こんなことが動いてる、ぱっと見た感じはこう、でもそれを成り立たせてる根拠って実はこれとこれ、さあアナタはどう考えますか、っていう素材出し。知らないところで決まって行くいろんなことに丁寧にフォーカスをあてて、有志が話し合える場を提供したい、って思ってると思うんですよね、たぶん。本人に尋ねたわけじゃないけど。</p>

<p>資本主義社会が限界まで来てて、日本だけじゃなく世界的に閉塞感がものすごくて、社会の構造自体どうにもならないところまで来てる。そこで必要なのは全体を動かせる有能なリーダーじゃなくて、今までごく少数の偉い人が密室で決めてきたことを全部やめさせて、何もかもをオープンにして、ひとつひとつの案件について意思と知識のある人たちがちゃんと集まって会議して決めて、それを積み上げていく構造作りだと思うんですよね。</p>

<p>昔は代議士に頼んで決めてもらうしかなかった。情報が限られているから知識も限られていた。でも今は違う。誰もが自分の得意分野の知識を持って政治に参加する、という構造を作るテクノロジーがあります。知識がなくたって、一から確認していけば「それはおかしいだろう常識的に」ってツッコミが入れられる。そのツッコミを技術を使って集積して、決定事項を束ねて行けば、代議士は必要ないし、国を動かしてるグループの偉い人に甘い汁を吸わせ続けることもなくなるんです。絶対にできると思います（例えばの思いつきを昔<a href="http://d.hatena.ne.jp/yurusu/20090701/seitou" target="_blank">ここ</a>に書きました）。</p>

<p>全体を動かせる有能なリーダーは必要ないです。でも、その「オープンにして、会議で決める」って大改革を成功させるまで、引っ張ってってくれる人は必要かな、と思います。</p>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>漫画と雑誌をスキャン業者でデータ化して捨て、タブレットPCで読む</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000716.html" />
    <modified>2011-08-28T15:01:48Z</modified>
    <issued>2011-08-29T00:01:48+09:00</issued>
    <id>tag:replica-love.jp,2011:/sayonana//1.716</id>
    <created>2011-08-28T15:01:48Z</created>
    <summary type="text/plain">■一念発起 部屋も片付かないし漫画と雑誌を捨てようって決めたんだよね。でも読み返したくなった時のことが怖い。だからデータ化することに決めたんです。 で、スキャナを買ったのが2年くらい前。オートでスキャンしてpdfは作ってくれるものの、断裁をはじめとしてやっぱりなんだかんだ手間なんです。せっかくスキャナ買ったのに全然進まなかった。しかも「寝転がって読む」ってのが俺の読書スタイルなんですが、pdfを読むならやっぱりパソコンの前に座る必要があって、それもストレスだったんですよね。やっぱりiPad的な機械を買わないと。 そんで一念発起して、「業者に発注して漫画と雑誌をデータ化する」「寝転がって読めるような機械を買う」というふたつを決めたんです。 ■スキャン業者に雑誌と漫画を送る スキャン業者は「Re本」ってところに決めました。 http://www.fba-works.com/scan24/ 決め手は「他社じゃ嫌がる雑誌のスキャン、当社は大歓迎です」みたいなことを書いてたこと。俺自身、自分でスキャンする際、雑誌のページ同士が張り付いちゃうのがものすごく難儀だったし、雑誌のスキャンは値段が別って企業も多いんです。「雑誌まかせて」っていうスタンスの表明は、俺にとってもアドバンテージになりました。 で、5月のゴールデンウィークにダンボールに詰めて送って、1ヶ月前後かかるコースを選択。特に急ぎじゃなかったんだけど1ヶ月経っても届かず、メールで問い合わせてみたら「震災関連の影響で遅れている。もう1ヶ月待って欲しい」との返信。その間、サイトもメニューも一新されてしまい、俺の選んだコースはなくなってました。結局pdfでデータ納品されたのは結局7月末。約3ヶ月……まあ、急ぎじゃないわけだし全然かまわないけどもね。 俺は1冊95円のメニューに以下のようなオプションをつけて頼んだんだよね。 ・A4サイズ ・24bitカラー ・OCRなし-ファイル名変換なし ・カバースキャンなし ・再スキャン無料（納品後30日以内の再スキャン無料） そんで50冊で6650円（1冊133円だった）。でも今はメニューが変わって1冊100円が基本コースになり、勝手に以下のサービスがつくみたい。 ・A4サイズ ・カラーまたは256階調グレースケール ・OCRあり ・ファイル名変換あり ・カバースキャンあり ・再スキャン無料（納品後30日以内の再スキャン無料） ・Kindle又はReaderのチューニング（余白トリミングなど） ・納期の保証付き（24時間、72時間、5営業日の保証あり） 実際、納品された後ファイル名をちまちま付けていくのはかなり面倒だったので、1冊100円でそういうの全部やってくれるようになったのはかなりの改善だよね。今の方がいい。ただ、俺が待たされてる間に「納期の保障付き」ってサービスが始まったのは若干解せないけど……。まあ、急ぎじゃなかったから全然いいんだけどね……。 ■データ納品に使われたGiga File便がいい感じ データの納品はメールでダウンロードURLが知らされる方式。「Giga File便 v3」って無料オンラインストレージ（無料ファイル転送サービス）が使われてたんですけど、ここ便利ですね。 http://www.gigafile.nu/v3/ これ、1ギガバイトOKなんです。宅ふぁいる便が50MB、firestorageが250MB、ってことを考えると1GBってのはかなり良いのではないでしょうか。しかもアップロードの時、複数ファイルを選択して、後は放置でOK、しかもそのアップロードをしてる最中にもファイル追加を受け付けてくれるってのがまた便利ですよね。まあ今回はアップロード関係ないわけですけど。情報として。 ■ASUS TF101を購入 そして、スキャンの納品を待っている間に俺は、ASUS Eee Pad Transformer TF101を買ったんです。価格.comでAmazonが最安値だったので即クリック。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0052BIEHI/replicalove-22/ref=nosim...</summary>
    <author>
      <name>dk</name>
      
      <email>replica_love@hotmail.com</email>
    </author>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://replica-love.jp/sayonana/">
      <![CDATA[<p><b>■一念発起</b><br />
部屋も片付かないし漫画と雑誌を捨てようって決めたんだよね。でも読み返したくなった時のことが怖い。だからデータ化することに決めたんです。</p>

<p>で、スキャナを買ったのが2年くらい前。オートでスキャンしてpdfは作ってくれるものの、断裁をはじめとしてやっぱりなんだかんだ手間なんです。せっかくスキャナ買ったのに全然進まなかった。しかも「寝転がって読む」ってのが俺の読書スタイルなんですが、pdfを読むならやっぱりパソコンの前に座る必要があって、それもストレスだったんですよね。やっぱりiPad的な機械を買わないと。</p>

<p>そんで一念発起して、「業者に発注して漫画と雑誌をデータ化する」「寝転がって読めるような機械を買う」というふたつを決めたんです。</p>

<p><b>■スキャン業者に雑誌と漫画を送る</b><br />
スキャン業者は「Re本」ってところに決めました。<br />
<a href="http://www.fba-works.com/scan24/" target="_blank">http://www.fba-works.com/scan24/</a><br />
決め手は「他社じゃ嫌がる雑誌のスキャン、当社は大歓迎です」みたいなことを書いてたこと。俺自身、自分でスキャンする際、雑誌のページ同士が張り付いちゃうのがものすごく難儀だったし、雑誌のスキャンは値段が別って企業も多いんです。「雑誌まかせて」っていうスタンスの表明は、俺にとってもアドバンテージになりました。</p>

<p>で、5月のゴールデンウィークにダンボールに詰めて送って、1ヶ月前後かかるコースを選択。特に急ぎじゃなかったんだけど1ヶ月経っても届かず、メールで問い合わせてみたら「震災関連の影響で遅れている。もう1ヶ月待って欲しい」との返信。その間、サイトもメニューも一新されてしまい、俺の選んだコースはなくなってました。結局pdfでデータ納品されたのは結局7月末。約3ヶ月……まあ、急ぎじゃないわけだし全然かまわないけどもね。</p>

<p>俺は1冊95円のメニューに以下のようなオプションをつけて頼んだんだよね。<br />
・A4サイズ<br />
・24bitカラー<br />
・OCRなし-ファイル名変換なし<br />
・カバースキャンなし<br />
・再スキャン無料（納品後30日以内の再スキャン無料） <br />
そんで50冊で6650円（1冊133円だった）。でも今はメニューが変わって1冊100円が基本コースになり、勝手に以下のサービスがつくみたい。<br />
・A4サイズ<br />
・カラーまたは256階調グレースケール<br />
・OCRあり<br />
・ファイル名変換あり<br />
・カバースキャンあり<br />
・再スキャン無料（納品後30日以内の再スキャン無料） <br />
・Kindle又はReaderのチューニング（余白トリミングなど） <br />
・納期の保証付き（24時間、72時間、5営業日の保証あり） <br />
実際、納品された後ファイル名をちまちま付けていくのはかなり面倒だったので、1冊100円でそういうの全部やってくれるようになったのはかなりの改善だよね。今の方がいい。ただ、俺が待たされてる間に「納期の保障付き」ってサービスが始まったのは若干解せないけど……。まあ、急ぎじゃなかったから全然いいんだけどね……。</p>

<p><b>■データ納品に使われたGiga File便がいい感じ</b><br />
データの納品はメールでダウンロードURLが知らされる方式。「Giga File便 v3」って無料オンラインストレージ（無料ファイル転送サービス）が使われてたんですけど、ここ便利ですね。<br />
<a href="http://www.gigafile.nu/v3/" target="_blank">http://www.gigafile.nu/v3/</a><br />
これ、1ギガバイトOKなんです。宅ふぁいる便が50MB、firestorageが250MB、ってことを考えると1GBってのはかなり良いのではないでしょうか。しかもアップロードの時、複数ファイルを選択して、後は放置でOK、しかもそのアップロードをしてる最中にもファイル追加を受け付けてくれるってのがまた便利ですよね。まあ今回はアップロード関係ないわけですけど。情報として。</p>

<p><b>■ASUS TF101を購入</b><br />
そして、スキャンの納品を待っている間に俺は、ASUS Eee Pad Transformer TF101を買ったんです。価格.comでAmazonが最安値だったので即クリック。<br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0052BIEHI/replicalove-22/ref=nosim" target="_blank">http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0052BIEHI/replicalove-22/ref=nosim</a></p>

<p>俺と仲のいい、頭のいい友人は皆、当然iPad2を推薦してくれるのだけど、結局俺はTF101を買ったのでした。なぜかというと……まあ、最たる理由は俺が天邪鬼、ってことですかね。</p>

<p>手に持つ時だけじゃなくてテーブルにおいて使いたい時もあるだろうな、ってのは想像がついたんです。その時キーボードがいい意味でのスタンドになってくれると判断しました。なのでどちらかというと「人前でキーボードから分離させて見せて、おおっとか思わせたい」とかってのは全然なかったですね。っていうか家から外に持ち出さないし。</p>

<p>到着したのでいそいそと開封。取扱説明書が劇的に薄くて小さい。情報量も少なく非常に心もとない感じです。iPadに倣ったんでしょうけど、正直そこは真似ないでいいのになと思いました。</p>

<p>最初に充電しないといけないんですが、パーツがひとつ足りないんです。実際には足りないわけじゃなくて、取扱説明書で2個のパーツとして書いてあるアダプターと充電ケーブルが、繋がった状態で梱包されていたという。まあこれはすぐに気づきました。</p>

<p><b>■TF101のインターネット接続設定に悩む</b><br />
充電完了後、電源を入れてみると立ち上がりが早い！　見た目はノートパソコンなのに、起動や反応は携帯電話と同じっていうのが単純にすごいと思いました。タッチスクリーンの動きもなめらか。なんのストレスもありません。</p>

<p>ところがインターネットの接続方法に悩んでしまいました。思ったようにネットに繋がらないんです。取扱説明書にも大した説明がなくて……。結局自宅の無線LANを設定した時に入力したDC9D〜っていう13桁のパスワードを入力するだけだったんですが、なんせ自宅の無線LANの設定なんてしたのいつだったか全然思い出せなかったですからね。設定した時の資料みたいなものも見つからず、結局自宅のノートパソコン（windows）の無線LANの設定を、パスワードを解読するフリーソフトで無理矢理取り出して、やっとネットに繋ぎましたとさ。</p>

<p>ネットに繋がっちゃえばブラウジングはさくさくで、俺の気分もぱっと明るくなりましたとさ。</p>

<p><b>■Android初体験</b><br />
俺、スマートフォン使ってないもんで、Androidは初体験だったんです。しかもAndroid3.0。これまた慣れなくていろいろ悩んじゃいました。</p>

<p>まず「アプリケーションを終了する×ボタンがない」ってこと。Windowsだったら「今まで使っていたアプリケーションを終了して、別のアプリケーションを立ち上げる」ってのは当たり前じゃないですか。×ボタンがないから終了できないような感じなんですよAndroid3.0。デスクトップに戻れば別のアプリケーションを立ち上げられるんだけど、履歴を戻るとさっきのアプリケーションはそのまま立ち上がるので、「あ、最小化してただけで裏で動いてたのか」って不安になっちゃう。結局Android3.0はそういうものって割り切るしかないみたいなんですが、「安定して使う為には使わないアプリケーションは必ず閉じてから（じゃないとメモリを食われる）」っていう意識が強い俺にとってはどうにも慣れない感じです。</p>

<p>また、タブレットPC向けに作られたAndroid3.0の市場が、まだまだ全然未成熟ってこともわかりました。スマートフォン用に作られたAndroid2.X用のアプリはたくさんあるんですが、3.0用なんて全然ない！　2.X用のソフトでもだいたい使えるみたいなんですが、縦長に最適化された画面が横長になっちゃって切ない感じです。</p>

<p>しかもfacebookやGoogle+やmixiみたいなwebサービスは、ユーザーエージェントがAndroidというだけで、強制的にスマートフォン用の画面を表示させるんですよね。なのでTF101で見ると、スマホ用のシンプルな画面が横長に伸びている状態です。もう少しAndroid3.0市場（タブレットPC市場）が盛り上がってくれれば、ユーザーエージェントを判別する時も「3.0だからPC用サイトに飛ばそう」ってやってくれるようになるのかもしれません。</p>

<p><b>■スキャンしたpdfをTF101で読む</b><br />
さあ、いよいよスキャンしてデータ化した雑誌、漫画を読む時が来ました！</p>

<p>TF101にはSDカードスロットは二つありまして、一つは画面（本体）側にmicroSDカードが、もう一つはキーボード側にSDカードが入ります。とりあえず本体側にpdfの山盛り入ったmicroSDカードを差して、いざ読書です。アプリケーション「MyLibraly」を起動！</p>

<p>まず気になったのは、次のページを読み込むのに時間がかかること！　wordで作ったような文字のみのpdfならそんなことないんですが、スキャンした画像たっぷりのpdfだと、次のページへ遷移して1〜2秒くらいピントが合わない状態で待たされます。これは正直がっかりでした。指でめくる動きはスルスルサクサクなのに、なかなかピントが合わない。</p>

<p>でも……実際に読んでみると全く気になりませんでした。現在表示されているページを読んでいる間に、次のページを読み込んでくれるんですね。実際に漫画や雑誌を読み始めてみると、ピントが合わなくてイライラするって瞬間はほとんどありません。次のページへの移動じゃない、まとまったページ数の遷移の時以外、たいへんスムーズに読むことができました。</p>

<p><b>■SDカードじゃなく本体に保存する</b><br />
ってやってる間に問題発生。あるところでページ内容が真っ白になってしまって表示されないんです。かといってフリーズしているようでもない。ちょっといじってみると、どうやらSDカードからの読み込みに時間がかかってそうなっちゃってるっぽい。</p>

<p>ということで本体のSSDにデータをコピーすることに。SSDからの読み込みだったら時間はかからないでしょう。「ファイルマネージャー」というエクスプローラのようなもので保存場所を探します。「My document」みたいな名前のフォルダが……ないんですこれが。あれ？　どこに保存すりゃいいの？</p>

<p>結局、これは絶対違うだろうと思っていた「sdcard」っていうフォルダがそれに当たる、ということがわかりました。だってSDカードは「Removable」って名前で表示されてますから。なんでSSDの保存フォルダに「sdcard」なんて名称をつけたんでしょうか。よくわかりません。</p>

<p>「sdcard」フォルダの中に「comic」「magazine」フォルダを作り、そこにデータをコピーして、エラーなく読めるようになりました。よかったよかった！</p>

<p><b>■寝転がって読んで大団円</b><br />
キーボードをはずしてタブレット型にして、念願の「寝転がって読む」の環境を獲得しました！　……のですが、またひとつ問題が発生しました。ページが大きく表示されるように縦型にして読んでるわけですが、横向きに寝て読もうとすると、画面が縦型から横型に回転してしまうんです。左右に大きな空白があいてページは縮小表示されちゃう。画面を縦長のままロックする方法があるのかもしれませんが、設定画面を見る限り「画面を横長のままロックする」という設定しかなくて……。結局、画面が回転しないギリギリ程度に斜めにして読んでいる俺です（笑）。</p>

<p>でも……全然快適です！　掛け値なしにTF101買って良かった！　雑誌の保存を諦めてスキャンして良かった！　ジップロックに入れれば風呂場に持ち込むこともできるし、部屋は片付くし本当に重宝しています。</p>

<p>Re本もTF101も、俺にとってはお金を払う価値のある、すばらしいものでした。十分に満足しています。これを読んでるあなたも是非勇気を出して、部屋で場所をとっている漫画や雑誌をスキャンしちゃいましょう！　おすすめです！</p>

<p><b>■最後に</b><br />
後日談ですが、ずっと保存してた「捨てられなかった雑誌」って、手軽に読めるようになってもやっぱりそうそう読まないですね！（笑）　スキャン直後は懐かしんで読んでましたが、実際にはそんな毎日毎日古い雑誌を読んでるわけでもなくて、その点はデータ化しても変わらなかったなぁ、と思いました。まあそうですよねぇ……。</p>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>9月6日はクレームの日だから</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000715.html" />
    <modified>2011-08-06T14:21:54Z</modified>
    <issued>2011-08-06T23:21:54+09:00</issued>
    <id>tag:replica-love.jp,2011:/sayonana//1.715</id>
    <created>2011-08-06T14:21:54Z</created>
    <summary type="text/plain">　9月6日を「お店の人ありがとうメールの日」にしたらいいんじゃないかと思うんです。 　既にどこかの会社が9月6日をクレームの日と制定していて「クレーム応対検定」とかやってるみたい。たしかに今はクレーム対応ってものすごく重要視されてるもんね。お客さま対応にどれだけ力を注ぐかが勝利の鍵、みたいな風潮でどこの企業もお金をかけてる。 　ちゃんとした調査結果を元にしてるわけじゃないけども、肌感覚的に、酷いクレームの話を耳にすることが増えたような気がするのね。突出して我侭な客の対応に、サービス提供側がものすごく苦しめられた、みたいな話を良く聞くようになったような。「酷いクレームの噂話」って言われたら、誰だってきっと一つ二つ思い浮かぶと思う。 　酷いクレームまで行かなくても、サービス提供側の落ち度を逃さずに上げ連ねて、普通じゃ得られないこんなお得な体験しちゃった、ってことを自慢してる人も増えたような気がする。「へえ、ラッキーだったじゃん」って思えることも多いんだけど、正直自分がサービス提供側の立場だったら……って考えて返答に窮することもままあります。図々しく生きなきゃ損、ペナルティがないならぎりぎりまで自分の欲を満たしたい……って人をよく見かけるようになった気が、します。あくまで肌感覚ね。 　俺はCDレンタル屋だのビジネスホテルのフロントだの、接客業でアルバイトしたりしてたから、「自分がサービス提供側だったら」っていつも考えちゃうのね。そうするとやっぱり、「支払金額に対する真っ当で至極一般的な対価が明らかに得られていない」という場合を除いて、クレームを言おうって気にならないんだよ。「それはそれ、これはこれ」って分けて考えられない。少なくとも自分が言われて嫌だろうと思うクレームは言いたくない。「自分がクレーム受ける側だったら絶対イヤだけど、自分が得する可能性があるなら相手にはクレームをぶつける」っていうダブルスタンダードは俺には無理。そこで辻褄をあわなくしてしまうと、自分の中の自分が狂っちゃうもん。 　……っていう「お人好しな俺」アピールはどうでもいいとして。閑話休題。 　酷いクレームの話をよく聞くようになって、頭にくる酷い目にあったらお客さまセンターに言ってやろう、ネットに書いてやろうって行動が当たり前に、日常茶飯になってる昨今。あえて「あの店のあの人は良かった！」って思ったことをわざわざメールにしてお客さまセンターに送る、っていうのをみんなでやったらどうか、って思うんだ。 　苦情や意見をサービス提供側に直接伝えたりネットに晒したりすることで、酷い対応をした者は反省し（あるいは痛い目にあって）、結果的にはよくなるかもしれない、とは思うんだけど、それってすごくネガティブだと思うんだよね。それを無くす必要はないけれど、ポジティブ側の受け口も用意してやらないと、バランス悪いような気がするんです。 　だから9月6日はクレームの日として頭で覚えて、そんでもってあえて「あの店の店員さん、気持ちよかったなぁ」っていう思い出をメールにして送信する日にするのはどうかな。別に直近の出来事じゃなくてもいい、過去の話でもいいから「あの時は嬉しかった」ってことをわざわざ書いて送るの。9月6日は絶対ひとり1通以上、ありがとうのメールを書くことにして、気分良かった思い出のことをわざわざ思い出すんです。なんかあったかなぁ……って。 　「嬉しかった」まで具体的じゃなくてもいい。なんてことないけど、いつもテキパキ応対してもらって助かってますとか、あなたがお店に居ると知った顔ってことで少し安心するとか、そんなんでもいい。母の日とか、敬老の日とか、ボスデーとかみたいに、サービスを提供してくれる側の人に気持ちを伝える日にするの。 　そんなメールがたくさん集まったら、サービス提供側は絶対嬉しいし、やる気出すと思うんだよね。来年の9月6日にまたメールもらえるように頑張ろうって素直に思える気がする。送った側だって気分がいいし、ポジティブな、みんながwin-winの、幸せな循環ができるような気がするんだよね、1年の1日をきっかけにして。 　「お客さまは神様です」なんてよく言うけど、絶対ウソだと思ってる。間違ってると思ってる。だってサービス提供側と客とは支払うお金によってまったく対等な立場になるじゃないですか。対等じゃなかったら売らないか買わないかが発生するわけで。支払うお金と提供されるものが全く同じ価値としてバランスが保たれているなら、その上でなおどちらかが傍若無人にふるまってどちらかがへりくだってひれ伏すなんて、気持ちの悪いことだよ。絶対に対等。それが大前提。 　対等っていう前提にたったら、後は人間対人間じゃん？　接客する側にプロ意識を求めるなら、俺も客としてのプロ意識を持ちたい……まで言ったら大げさだと思うけど、相手の立場になって、相手の気持ちを考えて、気持ちよくやりとりしたら気分いいじゃんね。「お客さまは神様です」なんていう大嘘にまどわされて、わざわざ「傲岸なヤな客」にならなくても、人間対人間の部分でいい気分をもたらす存在でありたいよね。 　そのきっかけのためにに、年に一度、「お店の人にありがとうメールの日」。いいと思うんだけどなぁ。 　こういうのやるとしたら、企業側が言い出すのはヘンですよね。かっこわるい。テレビとか新聞とかが言い出しっぺになってくれたらいいんだけど（そんなポジティブな循環の提案なんてしてくれたことないので）無理なので、公共団体に期待することになっちゃいますかね。 　あ……ACかな、やっぱり。...</summary>
    <author>
      <name>dk</name>
      
      <email>replica_love@hotmail.com</email>
    </author>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://replica-love.jp/sayonana/">
      <![CDATA[<p>　9月6日を「お店の人ありがとうメールの日」にしたらいいんじゃないかと思うんです。</p>

<p>　既にどこかの会社が9月6日をクレームの日と制定していて「クレーム応対検定」とかやってるみたい。たしかに今はクレーム対応ってものすごく重要視されてるもんね。お客さま対応にどれだけ力を注ぐかが勝利の鍵、みたいな風潮でどこの企業もお金をかけてる。</p>

<p>　ちゃんとした調査結果を元にしてるわけじゃないけども、肌感覚的に、酷いクレームの話を耳にすることが増えたような気がするのね。突出して我侭な客の対応に、サービス提供側がものすごく苦しめられた、みたいな話を良く聞くようになったような。「酷いクレームの噂話」って言われたら、誰だってきっと一つ二つ思い浮かぶと思う。<br />
　酷いクレームまで行かなくても、サービス提供側の落ち度を逃さずに上げ連ねて、普通じゃ得られないこんなお得な体験しちゃった、ってことを自慢してる人も増えたような気がする。「へえ、ラッキーだったじゃん」って思えることも多いんだけど、正直自分がサービス提供側の立場だったら……って考えて返答に窮することもままあります。図々しく生きなきゃ損、ペナルティがないならぎりぎりまで自分の欲を満たしたい……って人をよく見かけるようになった気が、します。あくまで肌感覚ね。</p>

<p>　俺はCDレンタル屋だのビジネスホテルのフロントだの、接客業でアルバイトしたりしてたから、「自分がサービス提供側だったら」っていつも考えちゃうのね。そうするとやっぱり、「支払金額に対する真っ当で至極一般的な対価が明らかに得られていない」という場合を除いて、クレームを言おうって気にならないんだよ。「それはそれ、これはこれ」って分けて考えられない。少なくとも自分が言われて嫌だろうと思うクレームは言いたくない。「自分がクレーム受ける側だったら絶対イヤだけど、自分が得する可能性があるなら相手にはクレームをぶつける」っていうダブルスタンダードは俺には無理。そこで辻褄をあわなくしてしまうと、自分の中の自分が狂っちゃうもん。</p>

<p>　……っていう「お人好しな俺」アピールはどうでもいいとして。閑話休題。</p>

<p>　酷いクレームの話をよく聞くようになって、頭にくる酷い目にあったらお客さまセンターに言ってやろう、ネットに書いてやろうって行動が当たり前に、日常茶飯になってる昨今。あえて「あの店のあの人は良かった！」って思ったことをわざわざメールにしてお客さまセンターに送る、っていうのをみんなでやったらどうか、って思うんだ。</p>

<p>　苦情や意見をサービス提供側に直接伝えたりネットに晒したりすることで、酷い対応をした者は反省し（あるいは痛い目にあって）、結果的にはよくなるかもしれない、とは思うんだけど、それってすごくネガティブだと思うんだよね。それを無くす必要はないけれど、ポジティブ側の受け口も用意してやらないと、バランス悪いような気がするんです。</p>

<p>　だから9月6日はクレームの日として頭で覚えて、そんでもってあえて「あの店の店員さん、気持ちよかったなぁ」っていう思い出をメールにして送信する日にするのはどうかな。別に直近の出来事じゃなくてもいい、過去の話でもいいから「あの時は嬉しかった」ってことをわざわざ書いて送るの。9月6日は絶対ひとり1通以上、ありがとうのメールを書くことにして、気分良かった思い出のことをわざわざ思い出すんです。なんかあったかなぁ……って。<br />
　「嬉しかった」まで具体的じゃなくてもいい。なんてことないけど、いつもテキパキ応対してもらって助かってますとか、あなたがお店に居ると知った顔ってことで少し安心するとか、そんなんでもいい。母の日とか、敬老の日とか、ボスデーとかみたいに、サービスを提供してくれる側の人に気持ちを伝える日にするの。</p>

<p>　そんなメールがたくさん集まったら、サービス提供側は絶対嬉しいし、やる気出すと思うんだよね。来年の9月6日にまたメールもらえるように頑張ろうって素直に思える気がする。送った側だって気分がいいし、ポジティブな、みんながwin-winの、幸せな循環ができるような気がするんだよね、1年の1日をきっかけにして。</p>

<p>　「お客さまは神様です」なんてよく言うけど、絶対ウソだと思ってる。間違ってると思ってる。だってサービス提供側と客とは支払うお金によってまったく対等な立場になるじゃないですか。対等じゃなかったら売らないか買わないかが発生するわけで。支払うお金と提供されるものが全く同じ価値としてバランスが保たれているなら、その上でなおどちらかが傍若無人にふるまってどちらかがへりくだってひれ伏すなんて、気持ちの悪いことだよ。絶対に対等。それが大前提。<br />
　対等っていう前提にたったら、後は人間対人間じゃん？　接客する側にプロ意識を求めるなら、俺も客としてのプロ意識を持ちたい……まで言ったら大げさだと思うけど、相手の立場になって、相手の気持ちを考えて、気持ちよくやりとりしたら気分いいじゃんね。「お客さまは神様です」なんていう大嘘にまどわされて、わざわざ「傲岸なヤな客」にならなくても、人間対人間の部分でいい気分をもたらす存在でありたいよね。</p>

<p>　そのきっかけのためにに、年に一度、「お店の人にありがとうメールの日」。いいと思うんだけどなぁ。</p>

<p>　こういうのやるとしたら、企業側が言い出すのはヘンですよね。かっこわるい。テレビとか新聞とかが言い出しっぺになってくれたらいいんだけど（そんなポジティブな循環の提案なんてしてくれたことないので）無理なので、公共団体に期待することになっちゃいますかね。<br />
　あ……ACかな、やっぱり。</p>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>文章表現力の問題だ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000714.html" />
    <modified>2011-02-02T18:01:49Z</modified>
    <issued>2011-02-03T03:01:49+09:00</issued>
    <id>tag:replica-love.jp,2011:/sayonana//1.714</id>
    <created>2011-02-02T18:01:49Z</created>
    <summary type="text/plain">今、私は大通り沿いを歩いてる……と思ってください。そういう設定です。 1車線ずつの車道の両側に歩道があって、私は左側の歩道を歩いています。ちょっと先に信号のある大きな交差点がありまして、私の目的地は右斜め向こう側なので、到着する為には直進方向と右方向の二度、横断歩道を渡る必要があります。 右を走る車道を見てみると、たまたま車通りがありません。周囲に横断歩道は見当たりませんが、向こう側の歩道にはらくらく渡れそうに見えます。しかし私は、この場で車道を横切ることをせず、交差点に向かって直進します。それはなぜか。交差点まで歩くと何秒かかるのか、交差点の信号が何秒スパンで変わるのかを知らないからです。 私は直進方向と右方向へ二度渡るわけですから、交差点にたどり着いた時、どちらの信号が青だろうと（赤だろうと）、待たずに渡ることができます。渡った後にしばらく待つことはあるかもしれませんが、交差点にたどり着いた途端に赤信号で足止めをくらう、ということはありません。直進方向と右方向のどちらが青信号でもかまわないという、選択の余地があるわけです。これがもし、先ほどの横断歩道のない場所で向こう側に渡っていたら、おおよそ2分の1の確率で足止めさせられていたことでしょう。 先の行動に対しての十分な予備知識がない場合、目の前にある良さげな状況に飛びついてしまわずに、必要な状況で選択の幅を持てるように動いた方が賢いやり方だ、と私は信じています。 ……。 ……といったようなことを考えながら、遠くの交差点を眺めつつ歩いている俺です。こういう考え方のことを何と呼ぶのか俺は知らないけれども、たぶんこういう考え方には名前があるんだろうな、と考えています。そしてもう一つ、この状況とこの状況を受けての俺のこの考え方を、スマートに説明する文章というのはどんなものだろう、ということを考えています。 図を描いてしまえば一目瞭然なのかもしれませんがそれはしたくありません。できることなら日本語で整然と説明したい。エクセレントな文章表現に憧れているからです。 昔……テキストサイトと呼ばれるタイプのホームページがたくさんあった頃、誰かが発起人になってひとつのテーマで皆が文章を競い合うタイプのイベントがありました。それはお題を受けて、皆が好きなことを書くだけのイベントでしたが、例えばあの頃、自分に気持ちや思い入れに関係なく、一つの事象を、いかにわかりやすく簡潔に伝えられるかという文章表現力のコンテストがあったとしたら、それはそれで面白かったんじゃないか、と思います。面白い文章、印象に残る文章を書くことがもてはやされた時代でしたが、面白みはないけれどもシンプルでコンパクトでイージーな文章で、もれなく必要なことを伝えるっていう競技があったら、チャレンジのし甲斐があったんじゃないだろうか、なんて想像します。 前述の「交差点にたどり着くまでは車道を横切らないという考え方」の話、あなただったらどんな文章で説明しますか？　このブログではもうトラックバックは受け付けていないけれども、同じ内容をあなたがいい文章で表現できた時は、よかったら俺に教えてください。前述の説明は、文章表現力の問題なんです。 えっ、俺の前述の説明じゃ意味がわからなかった？　……それは俺の文章表現力の問題ですね。ごめんなさい！...</summary>
    <author>
      <name>dk</name>
      
      <email>replica_love@hotmail.com</email>
    </author>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://replica-love.jp/sayonana/">
      <![CDATA[<p>今、私は大通り沿いを歩いてる……と思ってください。そういう設定です。</p>

<p>1車線ずつの車道の両側に歩道があって、私は左側の歩道を歩いています。ちょっと先に信号のある大きな交差点がありまして、私の目的地は右斜め向こう側なので、到着する為には直進方向と右方向の二度、横断歩道を渡る必要があります。</p>

<p>右を走る車道を見てみると、たまたま車通りがありません。周囲に横断歩道は見当たりませんが、向こう側の歩道にはらくらく渡れそうに見えます。しかし私は、この場で車道を横切ることをせず、交差点に向かって直進します。それはなぜか。交差点まで歩くと何秒かかるのか、交差点の信号が何秒スパンで変わるのかを知らないからです。</p>

<p>私は直進方向と右方向へ二度渡るわけですから、交差点にたどり着いた時、どちらの信号が青だろうと（赤だろうと）、待たずに渡ることができます。渡った後にしばらく待つことはあるかもしれませんが、交差点にたどり着いた途端に赤信号で足止めをくらう、ということはありません。直進方向と右方向のどちらが青信号でもかまわないという、選択の余地があるわけです。これがもし、先ほどの横断歩道のない場所で向こう側に渡っていたら、おおよそ2分の1の確率で足止めさせられていたことでしょう。</p>

<p>先の行動に対しての十分な予備知識がない場合、目の前にある良さげな状況に飛びついてしまわずに、必要な状況で選択の幅を持てるように動いた方が賢いやり方だ、と私は信じています。</p>

<p>……。</p>

<p>……といったようなことを考えながら、遠くの交差点を眺めつつ歩いている俺です。こういう考え方のことを何と呼ぶのか俺は知らないけれども、たぶんこういう考え方には名前があるんだろうな、と考えています。そしてもう一つ、この状況とこの状況を受けての俺のこの考え方を、スマートに説明する文章というのはどんなものだろう、ということを考えています。</p>

<p>図を描いてしまえば一目瞭然なのかもしれませんがそれはしたくありません。できることなら日本語で整然と説明したい。エクセレントな文章表現に憧れているからです。</p>

<p>昔……テキストサイトと呼ばれるタイプのホームページがたくさんあった頃、誰かが発起人になってひとつのテーマで皆が文章を競い合うタイプのイベントがありました。それはお題を受けて、皆が好きなことを書くだけのイベントでしたが、例えばあの頃、自分に気持ちや思い入れに関係なく、一つの事象を、いかにわかりやすく簡潔に伝えられるかという文章表現力のコンテストがあったとしたら、それはそれで面白かったんじゃないか、と思います。面白い文章、印象に残る文章を書くことがもてはやされた時代でしたが、面白みはないけれどもシンプルでコンパクトでイージーな文章で、もれなく必要なことを伝えるっていう競技があったら、チャレンジのし甲斐があったんじゃないだろうか、なんて想像します。</p>

<p>前述の「交差点にたどり着くまでは車道を横切らないという考え方」の話、あなただったらどんな文章で説明しますか？　このブログではもうトラックバックは受け付けていないけれども、同じ内容をあなたがいい文章で表現できた時は、よかったら俺に教えてください。前述の説明は、文章表現力の問題なんです。</p>

<p>えっ、俺の前述の説明じゃ意味がわからなかった？　……それは俺の文章表現力の問題ですね。ごめんなさい！</p>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>友人がTwitterで捕まった</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000713.html" />
    <modified>2010-06-02T17:44:37Z</modified>
    <issued>2010-06-03T02:44:37+09:00</issued>
    <id>tag:replica-love.jp,2010:/sayonana//1.713</id>
    <created>2010-06-02T17:44:37Z</created>
    <summary type="text/plain">友人が逮捕されて、自分も巻き込まれそうになってるんでちょっと相談に乗ってください。 平たく言うと売春なんですけど。友人が売春の斡旋をやっておりまして、暇な主婦から女子高生まで、希望されるお客さまに情報を提供するってのをTwitterを使ってやってたんですよ。これが評判良くって。友人のやることだし、俺もリツイートして手伝ったりしたんですよ。 そんで友人が売春禁止法違反で捕まった後、友人が「リツイートしてたお前も同罪だろ」って言い出したわけですよ。セックスしてお金を儲けたい人がいて、俺の友人がその情報をネットに出して、それを見た人が勝手に自由恋愛して、勝手に金品の授受を行なって、たまたま情報の斡旋をした友人に謝礼を渡してるって構図なわけですけど、その情報をネットに流すってのが犯罪なら、リツイートしたお前（俺ね）も犯罪じゃねえか、とまあこういうわけです。俺は金も受け取ってないし、そんなのが罪になるかって突っぱねてるんですけどね。あ、ちなみに客になったことはあります（笑）。でもまあそれも自由恋愛の範疇ですからね。相手は若いっぽかったけど。みんなやってることでしょ。誰にも迷惑かけてないです。 っていうか、セックスして儲けたい女がいて、金払ってやりたい男がいて、それを紹介したいやつがいて、三者ともにWin-Winでやってるのに、何が犯罪なのか、って気がしませんか？　もともとセックスって崇高ですばらしいものだし、できることなら皆で共有すべきことだと思うんですよ。それを結婚みたいな制約の中だけで楽しめるもの、って決め付けてる法律はクソだと思いますね。法律がクソだから守らない。守る必要なんかないんですよ。クソなんですから。セックスは最高でハッピーなものなわけで、それを真面目ぶった年寄りに制約されたりしたくないですね。 セックスは法的に認められた生涯の伴侶だけのものだ、みたいな権利の囲い込みもどうかと思うんですよ。例えば売春してるのが主婦なら、そりゃあ旦那は最初はいい気分じゃないかもしれないけど、主婦だってセックスして若返って綺麗になるかもしれないし、旦那が疲れて相手できないところの埋め草になってるかもしれないし、場合によっちゃ上手になった夜のテクニックで旦那に奉仕してくれるかもしれない。「こんな素晴らしい女と結婚できた旦那はすごいやつだ」って、旦那自身の評価だって上がる。もちろん女の評価も上がる。しかも家計に臨時収入がもたらされる。つまり旦那にとってもプラスがあるってことじゃないですか。犯罪だからダメって蓋してしまうのはあまりにもつまんないことじゃないですか？　旦那によっては権利を侵害されたってわめき散らすかもしれないけど、根源的にはその旦那の為になってると思いますよ。感謝されこそすれ、非難されるなんて有り得ないぐらい。 っていうかみんな多かれ少なかれやってるでしょう？　みんなやってることなら悪いことだって悪くないんじゃないかな。俺の判断基準は「みんなやってるから」。俺を罰するよりまず法律の方を先に変えるべき。少なくとも俺だけが責められるいわれはない。俺が犯罪者だったらリツイートした全員を捕まえろって言いたいですよ。そう、俺より悪いことやってる奴いくらでもいるでしょう。俺は皆がハッピーになることやって誰にも迷惑かけてないのに、古い法律からはみ出してるだけで裁かれるなんてまっぴらなんですよ。 個人のやることだから規模も影響も小さいし。組織だってやってたら叩かれるかもしれないですけどね。個人がちょっと売春の斡旋したからって目くじら立てるこたねえだろ、って思う。むしろそうやって抑えつけることは、セックスっていう人間にとってプリミティブに感動できる快楽に対する冒涜である、とすら思う。制約でがんじがらめにして誰かの管理下に置こうと仕組んだって、セックスの素晴らしさに境界なんてないんだから。 ただ、「捕まったのはお前の友人だろ、あいつだけを悪者にしていいのか」って言われるとちょっとためらうんですよね……。彼が一次で俺が二次、彼は金もらってるけど俺はもらってない。だから全然違うって思うんですけど、まぁTwitter上に流れた情報だけ見ればおんなじですもんね。友人は俺がリツイートすることを当たり前だと思ってたし俺もそう思ってた。彼の一次情報と俺の二次情報に、違いがあるのかっていったら全然ない気もする。それに俺は、彼のやっていたハッピーなことに参加したくてやったわけで、そりゃあ違法かもしれないけど、間違ったことはやってないって思ってます。だから友人が捕まるってのは不本意。でも自分が捕まるのは絶対にやだ。 でも同様のことをして「リツイートした自分も共犯者である」って自首するバカなんて世の中にいるのかな？　俺は一銭ももらってないし、この情報に触れた人はみんなハッピーになってるんですよ？　誰も不幸せになってないんですから。少なくとも友人が捕まったからって俺は自首したり罰を望んだりしないです。感情を抜きにして言えば、悪いのは友人であってリツイートした俺ではないから。友人というか……悪いのは俺ら以外の誰かですよ。たぶん。 どうせそのうち法律も改正されると思いますよ。それが誰にとっても幸せなわけだから。それまで待つ必要もないから先んじてやってるだけで。むしろ時代の先駆者として評価してくれてもいいくらい。っつっても俺はそんなこと望んでなくて、単純にセックスという文化が素晴らしいから、素直に周囲の人に知って欲しくてリツイートしてるだけなんですけどね。 まあ実際には売春の斡旋してる友人なんていないし、俺もそんな情報リツイートしてないし、買春したこともないし、売春を悪くないなんて思わないし、上記の話が全体的にウソなんですけど、ここまで書いた俺の話、どう思いました？　皆さんの意見が聞きたいなぁと思って、盛大にノリノリで嘘を書いてみました。...</summary>
    <author>
      <name>dk</name>
      
      <email>replica_love@hotmail.com</email>
    </author>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://replica-love.jp/sayonana/">
      <![CDATA[<p>友人が逮捕されて、自分も巻き込まれそうになってるんでちょっと相談に乗ってください。</p>

<p>平たく言うと売春なんですけど。友人が売春の斡旋をやっておりまして、暇な主婦から女子高生まで、希望されるお客さまに情報を提供するってのをTwitterを使ってやってたんですよ。これが評判良くって。友人のやることだし、俺もリツイートして手伝ったりしたんですよ。</p>

<p>そんで友人が売春禁止法違反で捕まった後、友人が「リツイートしてたお前も同罪だろ」って言い出したわけですよ。セックスしてお金を儲けたい人がいて、俺の友人がその情報をネットに出して、それを見た人が勝手に自由恋愛して、勝手に金品の授受を行なって、たまたま情報の斡旋をした友人に謝礼を渡してるって構図なわけですけど、その情報をネットに流すってのが犯罪なら、リツイートしたお前（俺ね）も犯罪じゃねえか、とまあこういうわけです。俺は金も受け取ってないし、そんなのが罪になるかって突っぱねてるんですけどね。あ、ちなみに客になったことはあります（笑）。でもまあそれも自由恋愛の範疇ですからね。相手は若いっぽかったけど。みんなやってることでしょ。誰にも迷惑かけてないです。</p>

<p>っていうか、セックスして儲けたい女がいて、金払ってやりたい男がいて、それを紹介したいやつがいて、三者ともにWin-Winでやってるのに、何が犯罪なのか、って気がしませんか？　もともとセックスって崇高ですばらしいものだし、できることなら皆で共有すべきことだと思うんですよ。それを結婚みたいな制約の中だけで楽しめるもの、って決め付けてる法律はクソだと思いますね。法律がクソだから守らない。守る必要なんかないんですよ。クソなんですから。セックスは最高でハッピーなものなわけで、それを真面目ぶった年寄りに制約されたりしたくないですね。</p>

<p>セックスは法的に認められた生涯の伴侶だけのものだ、みたいな権利の囲い込みもどうかと思うんですよ。例えば売春してるのが主婦なら、そりゃあ旦那は最初はいい気分じゃないかもしれないけど、主婦だってセックスして若返って綺麗になるかもしれないし、旦那が疲れて相手できないところの埋め草になってるかもしれないし、場合によっちゃ上手になった夜のテクニックで旦那に奉仕してくれるかもしれない。「こんな素晴らしい女と結婚できた旦那はすごいやつだ」って、旦那自身の評価だって上がる。もちろん女の評価も上がる。しかも家計に臨時収入がもたらされる。つまり旦那にとってもプラスがあるってことじゃないですか。犯罪だからダメって蓋してしまうのはあまりにもつまんないことじゃないですか？　旦那によっては権利を侵害されたってわめき散らすかもしれないけど、根源的にはその旦那の為になってると思いますよ。感謝されこそすれ、非難されるなんて有り得ないぐらい。</p>

<p>っていうかみんな多かれ少なかれやってるでしょう？　みんなやってることなら悪いことだって悪くないんじゃないかな。俺の判断基準は「みんなやってるから」。俺を罰するよりまず法律の方を先に変えるべき。少なくとも俺だけが責められるいわれはない。俺が犯罪者だったらリツイートした全員を捕まえろって言いたいですよ。そう、俺より悪いことやってる奴いくらでもいるでしょう。俺は皆がハッピーになることやって誰にも迷惑かけてないのに、古い法律からはみ出してるだけで裁かれるなんてまっぴらなんですよ。</p>

<p>個人のやることだから規模も影響も小さいし。組織だってやってたら叩かれるかもしれないですけどね。個人がちょっと売春の斡旋したからって目くじら立てるこたねえだろ、って思う。むしろそうやって抑えつけることは、セックスっていう人間にとってプリミティブに感動できる快楽に対する冒涜である、とすら思う。制約でがんじがらめにして誰かの管理下に置こうと仕組んだって、セックスの素晴らしさに境界なんてないんだから。</p>

<p>ただ、「捕まったのはお前の友人だろ、あいつだけを悪者にしていいのか」って言われるとちょっとためらうんですよね……。彼が一次で俺が二次、彼は金もらってるけど俺はもらってない。だから全然違うって思うんですけど、まぁTwitter上に流れた情報だけ見ればおんなじですもんね。友人は俺がリツイートすることを当たり前だと思ってたし俺もそう思ってた。彼の一次情報と俺の二次情報に、違いがあるのかっていったら全然ない気もする。それに俺は、彼のやっていたハッピーなことに参加したくてやったわけで、そりゃあ違法かもしれないけど、間違ったことはやってないって思ってます。だから友人が捕まるってのは不本意。でも自分が捕まるのは絶対にやだ。</p>

<p>でも同様のことをして「リツイートした自分も共犯者である」って自首するバカなんて世の中にいるのかな？　俺は一銭ももらってないし、この情報に触れた人はみんなハッピーになってるんですよ？　誰も不幸せになってないんですから。少なくとも友人が捕まったからって俺は自首したり罰を望んだりしないです。感情を抜きにして言えば、悪いのは友人であってリツイートした俺ではないから。友人というか……悪いのは俺ら以外の誰かですよ。たぶん。</p>

<p>どうせそのうち法律も改正されると思いますよ。それが誰にとっても幸せなわけだから。それまで待つ必要もないから先んじてやってるだけで。むしろ時代の先駆者として評価してくれてもいいくらい。っつっても俺はそんなこと望んでなくて、単純にセックスという文化が素晴らしいから、素直に周囲の人に知って欲しくてリツイートしてるだけなんですけどね。</p>

<p>まあ実際には売春の斡旋してる友人なんていないし、俺もそんな情報リツイートしてないし、買春したこともないし、売春を悪くないなんて思わないし、上記の話が全体的にウソなんですけど、ここまで書いた俺の話、どう思いました？　皆さんの意見が聞きたいなぁと思って、盛大にノリノリで嘘を書いてみました。</p>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>金も払ってないくせにと言われたくない（NHK）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000712.html" />
    <modified>2010-03-14T17:45:15Z</modified>
    <issued>2010-03-15T02:45:15+09:00</issued>
    <id>tag:replica-love.jp,2010:/sayonana//1.712</id>
    <created>2010-03-14T17:45:15Z</created>
    <summary type="text/plain">2ちゃんねるや2ちゃんねるのスレッドまとめブログが好きな人というのは、だいたい図々しい人、厚顔無恥な人が嫌いなものだ。「盗人猛々しい」的な振る舞いをする人が嫌いなものだ。だから、図々しい人が被害者顔して救済を求めていたりすると知識を総動員してやりこめたい、懲らしめたいと思う。ネットで匿名で発言している人に、そういう人は多い。 そういう人は自分がそれなりに常識的で、「ちゃんとしてる側の人間だ」みたいな顔しているけど、得てしてNHKの受信料を払っていない。受信料を払わないのは「俺はNHKなんて観ないから」という理由にもかかわらず、12月31日には紅白歌合戦のTwitter実況で盛り上がる。ケータイ大喜利のシステム不良に対して「このぬるい感じがNHKだよねー」と腐す。地震があればチャンネルを変えまくってNHKを観て確認し「民放より遅い」と断罪する。受信料を払っていない理由が「NHKなんて観ないから」なのに、だ。 彼らが「図々しい人が嫌い」なのにもかかわらず、「『NHKは観ない』という理由でNHK受信料を支払わないわけだが、たまに観るNHKの番組に対しては文句を言いたいし、言ったところで特に罪悪感に苛まれない」という、その根拠は何なのか。「みんなそう」だからだ。 ……。 ……と言うような脳内ツッコミを自分の頭の中に芽生えさせてからずっと、俺はNHKの受信料を支払っている。だって「図々しい行為をしてる自分」が嫌なんだもん。誰から糾弾されるわけでもないのに、糾弾される前の理論武装のひとつとして、俺はNHKの受信料を支払い続けている。 受信料を払い続けて思うことは、「NHKの受信料てば、いくらなんでも、余りにも、法外に、2010年の現在で常識的に考えて、絶対何が何でも間違いなく、高額すぎるよ」ってことですよね。 NHKの受信料を支払ってない人たちは知らない情報かもしれないけど、NHKの受信料って2ヶ月で2,690円だ。……全国的に誰も彼もがこの価格かは知らない。少なくとも俺は2ヶ月に一度この金額を支払っている。 2ヶ月で2,690円、高いですよね？　1ヶ月で1,345円支払うコンテンツ、他に何があります？　少なくとも俺個人は1ヶ月に1,345円分、NHKを観ていない。紅白歌合戦も観ないし、オリンピックも観ないし、地震の時も観ない。ケータイ大喜利ですら少なくとも1年以上観ていない。NHKの番組には魅力がないと感じている。1ヶ月に1,345円支払って手に入れるコンテンツが複数あるなら、俺は絶対にNHKを捨て、別のものを選択する。でも、電波を受信して映るテレビを使用してたら、チャンネルを留めるか否かにかかわらず、NHKに受信料を支払わなきゃならない。これが現在のルールだ。 ……おっとっと、待ってください。俺は別に、ここであなたがどっかで仕入れてきた知識をお伺いさせていただいて「こうこうこう言う理由で、支払わなくても大丈夫。っていうか合法。絶対勝てる！」みたいな講釈が受けたいわけじゃないです。「○○って言ったらNHKの人、うまく追っ払えましたよ！（自慢）」みたいな情報を必要としているわけじゃありません。そういう情報は全然要らないから大丈夫です。不要です。念のため。 ただ単に、NHKの受信料2ヶ月2,690円と、その支払方法があまりにも2010年度的じゃない、ということが言いたいだけです。NHK側からの目線で言うところの「心無い人以外はちゃんと支払ってくれている」みたいな仕組みで、いつまでも続けるべきでないのは間違いありません。だってNHK受信料に関して言えば、「いろんな法解釈だの実例の知識だのを行使しない、図々しくできていない人に支えられているシステム」なんだから。正直者が馬鹿を見る、をこの大不況の2010年に誰よりも雄弁に教えてくれるのがNHKです。 なぜ民放と同じ方法で成立させられないのかがわからない。ばんばんCMを流せばいいじゃないですか。政党とか省庁とか天下り先の団体とか、NHKで流すのにぴったりの広告主があるでしょう？　そこから存分にお金を取って、そのお金で制作すればできるでしょう？　できなくっても今よりコスト削減できるでしょう？　完全に想像で言ってますけど、現在の科学技術だったらそれほどお金をかけずに番組制作できるでしょう？　工夫次第でどうとでもなるところを工夫しないで済ませてるところたくさんあるでしょう、NHK。 もう俺、最近ケータイ大喜利ですら観るのやめちゃったくらいにイヤなんです。ムカついてるんです。NHKに。NHKに毎月毎月、観ていない受信料を支払いたくない。お金を取られる代わりにストレスだけ貯めこまなきゃならない毎日が嫌なんです。毎日毎日不愉快なんです、1ヶ月1,345円支払うのが！　不幸せなんです！　テレビ置いてるだけで利用しないコンテンツ料金を支払わなきゃならないのが！　馬鹿馬鹿しくて不愉快で、苛々して腹立たしくて病気になりそうなんですよ！　嫌で嫌で嫌で嫌でしょうがないんです！　毎月毎月毎月毎月利用しないコンテンツ料を支払うのが！　嫌なんです！　もう気が狂いそうなんですよ腹立たしくて！　NHKのおかげで！　NHKのお金の取り方のせいで、心の安寧が奪われて毎日が不幸に感じられて仕方が無いのです！　月に！　1,345円あったら！　一体！　ほかの！　どんな！　面白い！　コンテンツが！　享受できるかと考えると！　胸が！　張り裂けそうなんです！　頭にくる！　身震いするほどの怒りが俺の身体を焼き尽くす！　NHKは！　俺を不幸にする団体だ！ ……と、つい怒りで取り乱してしまったフリをしちゃうぐらいに、NHKの受信料が高額過ぎると思っています。テレビを所有するだけで一方的にこんな契約をしなきゃならないのは理不尽ですよね。でも何かを発言して「受信料も払っていないくせに」とツッコミを食らうのも嫌なんです。 俺の思いつく解決方法なんて、「どう調整してもNHKが絶対に映らない、NHKからの電波を映像に絶対に変換できないテレビ」を作ってもらうことぐらいです。大手電機メーカーは利権の問題で絶対にやってくれないでしょうね。地デジチューナーを開発してくれる小規模メーカーだったら、なんとか可能ではないでしょうか。...</summary>
    <author>
      <name>dk</name>
      
      <email>replica_love@hotmail.com</email>
    </author>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://replica-love.jp/sayonana/">
      <![CDATA[<p>2ちゃんねるや2ちゃんねるのスレッドまとめブログが好きな人というのは、だいたい図々しい人、厚顔無恥な人が嫌いなものだ。「盗人猛々しい」的な振る舞いをする人が嫌いなものだ。だから、図々しい人が被害者顔して救済を求めていたりすると知識を総動員してやりこめたい、懲らしめたいと思う。ネットで匿名で発言している人に、そういう人は多い。</p>

<p>そういう人は自分がそれなりに常識的で、「ちゃんとしてる側の人間だ」みたいな顔しているけど、得てしてNHKの受信料を払っていない。受信料を払わないのは「俺はNHKなんて観ないから」という理由にもかかわらず、12月31日には紅白歌合戦のTwitter実況で盛り上がる。ケータイ大喜利のシステム不良に対して「このぬるい感じがNHKだよねー」と腐す。地震があればチャンネルを変えまくってNHKを観て確認し「民放より遅い」と断罪する。受信料を払っていない理由が「NHKなんて観ないから」なのに、だ。</p>

<p>彼らが「図々しい人が嫌い」なのにもかかわらず、「『NHKは観ない』という理由でNHK受信料を支払わないわけだが、たまに観るNHKの番組に対しては文句を言いたいし、言ったところで特に罪悪感に苛まれない」という、その根拠は何なのか。「みんなそう」だからだ。</p>

<p>……。</p>

<p>……と言うような脳内ツッコミを自分の頭の中に芽生えさせてからずっと、俺はNHKの受信料を支払っている。だって「図々しい行為をしてる自分」が嫌なんだもん。誰から糾弾されるわけでもないのに、糾弾される前の理論武装のひとつとして、俺はNHKの受信料を支払い続けている。</p>

<p>受信料を払い続けて思うことは、「NHKの受信料てば、いくらなんでも、余りにも、法外に、2010年の現在で常識的に考えて、絶対何が何でも間違いなく、高額すぎるよ」ってことですよね。</p>

<p>NHKの受信料を支払ってない人たちは知らない情報かもしれないけど、NHKの受信料って2ヶ月で2,690円だ。……全国的に誰も彼もがこの価格かは知らない。少なくとも俺は2ヶ月に一度この金額を支払っている。</p>

<p>2ヶ月で2,690円、高いですよね？　1ヶ月で1,345円支払うコンテンツ、他に何があります？　少なくとも俺個人は1ヶ月に1,345円分、NHKを観ていない。紅白歌合戦も観ないし、オリンピックも観ないし、地震の時も観ない。ケータイ大喜利ですら少なくとも1年以上観ていない。NHKの番組には魅力がないと感じている。1ヶ月に1,345円支払って手に入れるコンテンツが複数あるなら、俺は絶対にNHKを捨て、別のものを選択する。でも、電波を受信して映るテレビを使用してたら、チャンネルを留めるか否かにかかわらず、NHKに受信料を支払わなきゃならない。これが現在のルールだ。</p>

<p>……おっとっと、待ってください。俺は別に、ここであなたがどっかで仕入れてきた知識をお伺いさせていただいて「こうこうこう言う理由で、支払わなくても大丈夫。っていうか合法。絶対勝てる！」みたいな講釈が受けたいわけじゃないです。「○○って言ったらNHKの人、うまく追っ払えましたよ！（自慢）」みたいな情報を必要としているわけじゃありません。そういう情報は全然要らないから大丈夫です。不要です。念のため。</p>

<p>ただ単に、NHKの受信料2ヶ月2,690円と、その支払方法があまりにも2010年度的じゃない、ということが言いたいだけです。NHK側からの目線で言うところの「心無い人以外はちゃんと支払ってくれている」みたいな仕組みで、いつまでも続けるべきでないのは間違いありません。だってNHK受信料に関して言えば、「いろんな法解釈だの実例の知識だのを行使しない、図々しくできていない人に支えられているシステム」なんだから。正直者が馬鹿を見る、をこの大不況の2010年に誰よりも雄弁に教えてくれるのがNHKです。</p>

<p>なぜ民放と同じ方法で成立させられないのかがわからない。ばんばんCMを流せばいいじゃないですか。政党とか省庁とか天下り先の団体とか、NHKで流すのにぴったりの広告主があるでしょう？　そこから存分にお金を取って、そのお金で制作すればできるでしょう？　できなくっても今よりコスト削減できるでしょう？　完全に想像で言ってますけど、現在の科学技術だったらそれほどお金をかけずに番組制作できるでしょう？　工夫次第でどうとでもなるところを工夫しないで済ませてるところたくさんあるでしょう、NHK。</p>

<p>もう俺、最近ケータイ大喜利ですら観るのやめちゃったくらいにイヤなんです。ムカついてるんです。NHKに。NHKに毎月毎月、観ていない受信料を支払いたくない。お金を取られる代わりにストレスだけ貯めこまなきゃならない毎日が嫌なんです。毎日毎日不愉快なんです、1ヶ月1,345円支払うのが！　不幸せなんです！　テレビ置いてるだけで利用しないコンテンツ料金を支払わなきゃならないのが！　馬鹿馬鹿しくて不愉快で、苛々して腹立たしくて病気になりそうなんですよ！　嫌で嫌で嫌で嫌でしょうがないんです！　毎月毎月毎月毎月利用しないコンテンツ料を支払うのが！　嫌なんです！　もう気が狂いそうなんですよ腹立たしくて！　NHKのおかげで！　NHKのお金の取り方のせいで、心の安寧が奪われて毎日が不幸に感じられて仕方が無いのです！　月に！　1,345円あったら！　一体！　ほかの！　どんな！　面白い！　コンテンツが！　享受できるかと考えると！　胸が！　張り裂けそうなんです！　頭にくる！　身震いするほどの怒りが俺の身体を焼き尽くす！　NHKは！　俺を不幸にする団体だ！</p>

<p>……と、つい怒りで取り乱してしまったフリをしちゃうぐらいに、NHKの受信料が高額過ぎると思っています。テレビを所有するだけで一方的にこんな契約をしなきゃならないのは理不尽ですよね。でも何かを発言して「受信料も払っていないくせに」とツッコミを食らうのも嫌なんです。</p>

<p>俺の思いつく解決方法なんて、「どう調整してもNHKが絶対に映らない、NHKからの電波を映像に絶対に変換できないテレビ」を作ってもらうことぐらいです。大手電機メーカーは利権の問題で絶対にやってくれないでしょうね。地デジチューナーを開発してくれる小規模メーカーだったら、なんとか可能ではないでしょうか。</p>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>混雑した電車にて、出入り口付近に陣取る人々</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000711.html" />
    <modified>2010-02-11T17:23:34Z</modified>
    <issued>2010-02-12T02:23:34+09:00</issued>
    <id>tag:replica-love.jp,2010:/sayonana//1.711</id>
    <created>2010-02-11T17:23:34Z</created>
    <summary type="text/plain">毎日毎日通勤の電車に乗っていれば、マナーの悪い人の行動に苛立つことだって少なくない。電車の中で遭遇する、他人による腹の立つ行動は複数あるが、その中でも俺が顕著に怒りを感じる対象は「出入り口付近に陣取る奴」である。 たぶん、多くの人にとっての苛立たしい行動は「お年寄りに席を譲らない」「大声でしゃべる」「携帯電話で話す」「座席に座って足を投げ出す、広げる」「席を詰めない」「背負ったリュックサックを他人にぶつける」「携帯音楽プレイヤーから音が漏れる」「子供が騒いでいるのに素知らぬ顔をする」「乳児幼児を連れているということが何もかもの免罪符になると勘違いして、自分で抱けば済むはずのところをベビーカーに乗せて突入してくる」などだろう。もちろんそれらは迷惑なのだが、「出入り口付近に陣取る」という行動とは全く異なっている部分がある。それは「やっている本人が悪いと気づいているか否か」という点だ。先に列記した行動は既に迷惑行動として語りつくされているし、誰が考えても悪だ。悪なのにいまだにそれらを繰り返しているのは単純に頭の輪あるいい人なだけであり、彼らに対して今さら何か言葉をかける気力もおきない。輪廻転生のサークルからはずれて一刻も早く存在しない存在になってくれることを念じるだけだ。 「出入り口付近に陣取る奴」が多いと、出入り口付近だけが異様に混雑する。座席前のエリアはそれほど混雑しておらず、それこそ吊革の利用は一箇所おき程度だったりするのにもかかわらず、出入り口付近に人が密集していることは多い。おかげで誰にとっても電車から降りづらく、乗りづらい状況が発生する。しかも密集した中に立ちながら、密着する他人に腹を立てたりしている。自分が出入り口付近に陣取っているにもかかわらず、だ。座席前エリアで他人と密着しなければならない確率は出入り口付近と比べて低いことは自明である。 「出入り口付近に陣取る奴」は自分の行動が迷惑であることに気づいていない。むしろその他のマナーの悪い人間に苛立っていて、「自分はこんなにちゃんとしているのに、躾のなっていない人間が多くて被害を被っている」ぐらいのことを考えている。駅のフォームや車内の放送であれほど「入口の付近には立ち止まらず、車内中程までお進みください」と連呼しているにもかかわらず、だ。迷惑な行動としてあれほどまでに繰り返されている警告を無視して、なおかつ「私は常識人、マナーに関して私は被害者」という顔をしていることが信じられない。 「出入り口付近に陣取る奴」が出入り口付近に陣取る理由は、奥へ行きづらいこと、奥へ行ってしまったら降りづらいことの二点だろう。もしかしたら「座席と座席の間のエリアよりも面積が広いこと」もあるかもしれない。私はそれほど長く乗っているわけではないから、車内の一番奥には行かずに出入り口付近に居たいと思うのだ。周囲の人間よりも自分の方が先に下りるからという理由を頭に浮かべた時に、周囲の人間がどこで降りるのかという情報を全く持っていないことに気がついていない。「私は他の人と比較してそんなに長く乗らないから」という根拠にまったく根拠がないなんて考えもしないのだ。その程度の判断基準だ。 車内で過ごす際、人はどんなことを希望するだろうか。「座りたい」を除けば、まず「密着したくない」「ぶつかりたくない」という2点が挙げられるだろう。まず「密着したくない」というのは当然誰にもある。人間はパーソナルスペースというものを持っていて、誰もが自分の周囲の空間を保ちたいと思っている。超満員の電車の中で発狂せずに我慢できるのは人間だけ、なんていう話を聞いたことがあるが、相当な忍耐力が必要な所業である。「ぶつかりたくない」というのも当然だろう、他人にぶつかれば相手に迷惑をかけて恨まれるし、他人にぶつかられれば痛い思いをすることになる。 乗車率の高くない状態の電車を想像して欲しい。座席はほぼ埋まっている。まず電車に乗り込んで、出入り口付近に立つ奴。これがまず悪い。彼らの頭に筆頭に浮かんでいるのは「あんまり奥に行ったら降りづらくなる」だ。彼らが諸悪の根源なのだが、しかし気持ちが全くわからないわけでもない。自分が座席に座っている時、立っている人がほとんどいない状態だったら、自分の前に立って吊革につかまる者に対して「なんで俺の前に来るんだよ、他の場所に立てよ」と思うことはあるだろうから。自分がそう思ったことがあるなら、そう思われたくないばっかりに座席前エリア以外に立ちたくなる気持ちもわかる。少しわかる。 次の駅に着き、別の客が乗ってくる。今乗ってきた客は、既に出入り口付近に陣取っている客の背中を通り抜けて車内の奥に行こうとはせず、既に陣取っている人と人の間に立とうとする。なぜか。他人にぶつかりたくないからだ。既に陣取っている人の後ろを通ろうとすれば、声をかけても少しは他人に触らざるを得ない。座席前エリアに余裕があることがわかっているにもかかわらず、既に陣取っている人にぶつかるのが嫌でその場にとどまってしまう。今いる位置のうち、ぎりぎり周囲に空間が得られる場所を探そうとする。「密着したくない」よりも「ぶつかりたくない」を優先させた結果だ。そして「ああ、他人と密着するのは嫌なのになぁ」と思いながら我慢の時間を過ごすことになる。 「密着したくない」と思いながら密着に近い状態で過ごす時間は長い。勇気を出して既に陣取っている人の後を通り、他人にぶつかってしまうのは一瞬で済む。にもかかわらずその場にとどまってしまうのが愚かな行動である、と言っているのだ。その一瞬を嫌がることでその場にとどまり、自分も周囲もストレスの強い時間を長く過ごす。さらには「まあ自分もそんなに長く乗らないし（すぐ降りるし）」というわけのわからない理由で自分を誤魔化そうとする。ひたすら事勿れ主義としか言いようがない。 根本的なことを言えば、誰も出入り口付近に陣取らず、奥へ奥へと入っていけば乗客の満足度の平均は確実に上がる。他人とぶつかりながら自分だけが奥へ行こうとする必要もない。少し考えればそれがわかるのに、それができない。かといって「すみません」の一声をかけて既に陣取っている人の後ろをすり抜けることもしない。 ひとつの考え方を紹介しよう。 自分が車内に立ったら、自分を基準にして出入り口側と車内奥側、両側を見る。自分と他人（あるいは車内奥の車両連結部）との空間距離を測る。出入り口側よりも車内奥側の方が空間が空いているならば、あなたは車内奥側に少し移動すべきだ。出入り口側に立っている人と、車内奥側に立っている人の、ちょうど真ん中にあなたは立つべきである。自分を基準にして、車内奥側に立っている人よりも、出入り口側に立っている人があなたの位置から近いならば、あなたは愚かだ。 この考え方を持てば、車内で過ごす時間のストレスは減り、車内にいる乗客の満足度の平均は確実にあがる。 そんなに長く乗るつもりもないのに、車内奥まで行ったら降りる時に面倒だし、周囲の人との摩擦も迷惑をかけるのではないかと思っているならば、その心配は要らない。人は、他人が降りることについては歓迎だからだ。自分のそばの人が降りれば自分のパーソナルスペースは増える。しかも、降りようとする人の動きに抗うことで万が一その他人が降りられずにその場に残ってしまったら、次の駅まで気まずいのは自分である。だから人は降りる他人の動きには必ず協力する。 電車の中にマナーの悪い人は多く苛立たしい。だが他人をマナーの悪い人間であると見下して、自分のしている迷惑な行動に気づかないのは愚かなことだ。根拠のない理屈にしがみついてストレスの強い時間を我慢するのではなく、皆がもう少し気持ちよくすごせるように頭を使うべきではないか。悪いのはマナー意識の低い他人ではなく、常識人である自分なのではないかと一度疑ってみて欲しい。 ちなみに俺が「出入り口付近に陣取る奴」としている中に、座席の真横のスペースに立つ者1名ずつは含まれない。理由は特に邪魔ではないからだ。...</summary>
    <author>
      <name>dk</name>
      
      <email>replica_love@hotmail.com</email>
    </author>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://replica-love.jp/sayonana/">
      <![CDATA[<p>毎日毎日通勤の電車に乗っていれば、マナーの悪い人の行動に苛立つことだって少なくない。電車の中で遭遇する、他人による腹の立つ行動は複数あるが、その中でも俺が顕著に怒りを感じる対象は「出入り口付近に陣取る奴」である。</p>

<p>たぶん、多くの人にとっての苛立たしい行動は「お年寄りに席を譲らない」「大声でしゃべる」「携帯電話で話す」「座席に座って足を投げ出す、広げる」「席を詰めない」「背負ったリュックサックを他人にぶつける」「携帯音楽プレイヤーから音が漏れる」「子供が騒いでいるのに素知らぬ顔をする」「乳児幼児を連れているということが何もかもの免罪符になると勘違いして、自分で抱けば済むはずのところをベビーカーに乗せて突入してくる」などだろう。もちろんそれらは迷惑なのだが、「出入り口付近に陣取る」という行動とは全く異なっている部分がある。それは「やっている本人が悪いと気づいているか否か」という点だ。先に列記した行動は既に迷惑行動として語りつくされているし、誰が考えても悪だ。悪なのにいまだにそれらを繰り返しているのは単純に頭の輪あるいい人なだけであり、彼らに対して今さら何か言葉をかける気力もおきない。輪廻転生のサークルからはずれて一刻も早く存在しない存在になってくれることを念じるだけだ。</p>

<p>「出入り口付近に陣取る奴」が多いと、出入り口付近だけが異様に混雑する。座席前のエリアはそれほど混雑しておらず、それこそ吊革の利用は一箇所おき程度だったりするのにもかかわらず、出入り口付近に人が密集していることは多い。おかげで誰にとっても電車から降りづらく、乗りづらい状況が発生する。しかも密集した中に立ちながら、密着する他人に腹を立てたりしている。自分が出入り口付近に陣取っているにもかかわらず、だ。座席前エリアで他人と密着しなければならない確率は出入り口付近と比べて低いことは自明である。</p>

<p>「出入り口付近に陣取る奴」は自分の行動が迷惑であることに気づいていない。むしろその他のマナーの悪い人間に苛立っていて、「自分はこんなにちゃんとしているのに、躾のなっていない人間が多くて被害を被っている」ぐらいのことを考えている。駅のフォームや車内の放送であれほど「入口の付近には立ち止まらず、車内中程までお進みください」と連呼しているにもかかわらず、だ。迷惑な行動としてあれほどまでに繰り返されている警告を無視して、なおかつ「私は常識人、マナーに関して私は被害者」という顔をしていることが信じられない。</p>

<p>「出入り口付近に陣取る奴」が出入り口付近に陣取る理由は、奥へ行きづらいこと、奥へ行ってしまったら降りづらいことの二点だろう。もしかしたら「座席と座席の間のエリアよりも面積が広いこと」もあるかもしれない。私はそれほど長く乗っているわけではないから、車内の一番奥には行かずに出入り口付近に居たいと思うのだ。周囲の人間よりも自分の方が先に下りるからという理由を頭に浮かべた時に、周囲の人間がどこで降りるのかという情報を全く持っていないことに気がついていない。「私は他の人と比較してそんなに長く乗らないから」という根拠にまったく根拠がないなんて考えもしないのだ。その程度の判断基準だ。</p>

<p>車内で過ごす際、人はどんなことを希望するだろうか。「座りたい」を除けば、まず「密着したくない」「ぶつかりたくない」という2点が挙げられるだろう。まず「密着したくない」というのは当然誰にもある。人間はパーソナルスペースというものを持っていて、誰もが自分の周囲の空間を保ちたいと思っている。超満員の電車の中で発狂せずに我慢できるのは人間だけ、なんていう話を聞いたことがあるが、相当な忍耐力が必要な所業である。「ぶつかりたくない」というのも当然だろう、他人にぶつかれば相手に迷惑をかけて恨まれるし、他人にぶつかられれば痛い思いをすることになる。</p>

<p>乗車率の高くない状態の電車を想像して欲しい。座席はほぼ埋まっている。まず電車に乗り込んで、出入り口付近に立つ奴。これがまず悪い。彼らの頭に筆頭に浮かんでいるのは「あんまり奥に行ったら降りづらくなる」だ。彼らが諸悪の根源なのだが、しかし気持ちが全くわからないわけでもない。自分が座席に座っている時、立っている人がほとんどいない状態だったら、自分の前に立って吊革につかまる者に対して「なんで俺の前に来るんだよ、他の場所に立てよ」と思うことはあるだろうから。自分がそう思ったことがあるなら、そう思われたくないばっかりに座席前エリア以外に立ちたくなる気持ちもわかる。少しわかる。<br />
次の駅に着き、別の客が乗ってくる。今乗ってきた客は、既に出入り口付近に陣取っている客の背中を通り抜けて車内の奥に行こうとはせず、既に陣取っている人と人の間に立とうとする。なぜか。他人にぶつかりたくないからだ。既に陣取っている人の後ろを通ろうとすれば、声をかけても少しは他人に触らざるを得ない。座席前エリアに余裕があることがわかっているにもかかわらず、既に陣取っている人にぶつかるのが嫌でその場にとどまってしまう。今いる位置のうち、ぎりぎり周囲に空間が得られる場所を探そうとする。「密着したくない」よりも「ぶつかりたくない」を優先させた結果だ。そして「ああ、他人と密着するのは嫌なのになぁ」と思いながら我慢の時間を過ごすことになる。</p>

<p>「密着したくない」と思いながら密着に近い状態で過ごす時間は長い。勇気を出して既に陣取っている人の後を通り、他人にぶつかってしまうのは一瞬で済む。にもかかわらずその場にとどまってしまうのが愚かな行動である、と言っているのだ。その一瞬を嫌がることでその場にとどまり、自分も周囲もストレスの強い時間を長く過ごす。さらには「まあ自分もそんなに長く乗らないし（すぐ降りるし）」というわけのわからない理由で自分を誤魔化そうとする。ひたすら事勿れ主義としか言いようがない。</p>

<p>根本的なことを言えば、誰も出入り口付近に陣取らず、奥へ奥へと入っていけば乗客の満足度の平均は確実に上がる。他人とぶつかりながら自分だけが奥へ行こうとする必要もない。少し考えればそれがわかるのに、それができない。かといって「すみません」の一声をかけて既に陣取っている人の後ろをすり抜けることもしない。</p>

<p>ひとつの考え方を紹介しよう。<br />
自分が車内に立ったら、自分を基準にして出入り口側と車内奥側、両側を見る。自分と他人（あるいは車内奥の車両連結部）との空間距離を測る。出入り口側よりも車内奥側の方が空間が空いているならば、あなたは車内奥側に少し移動すべきだ。出入り口側に立っている人と、車内奥側に立っている人の、ちょうど真ん中にあなたは立つべきである。自分を基準にして、車内奥側に立っている人よりも、出入り口側に立っている人があなたの位置から近いならば、あなたは愚かだ。<br />
この考え方を持てば、車内で過ごす時間のストレスは減り、車内にいる乗客の満足度の平均は確実にあがる。</p>

<p>そんなに長く乗るつもりもないのに、車内奥まで行ったら降りる時に面倒だし、周囲の人との摩擦も迷惑をかけるのではないかと思っているならば、その心配は要らない。人は、他人が降りることについては歓迎だからだ。自分のそばの人が降りれば自分のパーソナルスペースは増える。しかも、降りようとする人の動きに抗うことで万が一その他人が降りられずにその場に残ってしまったら、次の駅まで気まずいのは自分である。だから人は降りる他人の動きには必ず協力する。</p>

<p>電車の中にマナーの悪い人は多く苛立たしい。だが他人をマナーの悪い人間であると見下して、自分のしている迷惑な行動に気づかないのは愚かなことだ。根拠のない理屈にしがみついてストレスの強い時間を我慢するのではなく、皆がもう少し気持ちよくすごせるように頭を使うべきではないか。悪いのはマナー意識の低い他人ではなく、常識人である自分なのではないかと一度疑ってみて欲しい。</p>

<p>ちなみに俺が「出入り口付近に陣取る奴」としている中に、座席の真横のスペースに立つ者1名ずつは含まれない。理由は特に邪魔ではないからだ。</p>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>もっと麻薬を嫌おうよ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000710.html" />
    <modified>2009-08-01T17:14:10Z</modified>
    <issued>2009-08-02T02:14:10+09:00</issued>
    <id>tag:replica-love.jp,2009:/sayonana//1.710</id>
    <created>2009-08-01T17:14:10Z</created>
    <summary type="text/plain">　もっともっと麻薬ってものを忌み嫌って良いと思うんです。知られてしまったら「人間それやったら本当におしまいだよね、救いようがないよね」「そんな人とは一生絶対にわかりあえないよね」って言うぐらいの禁忌になればいい。報道聞いてぎょっとしちゃうような、人間だったら絶対に手を出してはいけない罪になればいい。一般的な感覚の人に尋ねた時に、不謹慎にも「こういう人は本当に死刑でいいと思うよ」みたいな発言が出ちゃうような、そういうランクの罪と同じように扱われる悪いことになればいいと思います。一度麻薬に手を染めた人が人前に出るなんて有り得ない、テレビでの芸能活動に復帰するなんて考える余地もないレベルで許されない、そのぐらいの扱いになればいいと思います。 　そうしたら少しは根絶に近づくんじゃないかって思うから。今の日本の、麻薬で捕まっちゃった人に対する「あーあ、手ぇ出しちゃったねー」「見つかっちゃったかー」でそれなりに納得しちゃうような、ほとぼりがさめるまでは表立った活動しない程度でハイＯＫみたいな、そういう感覚の人が減りますように。いなくなりますように。 　なんというか、あの見下した感覚が嫌なんです。自分は手を出さない、自分は中毒になったりしないっていうことを前提に、その位置から、手を出してしまった心の弱い人を見下す感じが嫌いなんです。ひどい環境にいる人たちが麻薬漬けになってるのを、抵抗できなかったんだね、弱かったんだね（俺はそんなバカなことしないけどね）って感じで切り離しちゃう感じが不愉快なんです。彼らが麻薬に手を出すのは、そしていつまでも蔓延しているのは、見下してる側の人間の心に「手を出すのは我々と違う低い世界の人たちだから」みたいな溝があるから、という気がしてならないんです。 　麻薬ってのはお金を生みますよね。麻薬生産専用みたいに扱われてる国があって、麻薬を生産することを生業にしてる人たちがいる。その国にはやっぱり麻薬が蔓延していて子供から大人まで麻薬でたくさんの人が死んでる。そうなる理由は、それで儲ける国があって、それで儲ける人がいるからですよね。本当に一部の、世界を動かしてるレベルの権力者が儲けるために、麻薬は生産され続ける。何百年も変わらない歴史です。俺らの日々の生活からいくとどうしても「麻薬、暴力団、悪徳金融……」みたいな貧困なイメージにつながりがちだけれけども、麻薬の問題ってのはたぶん、そんなちっぽけな場所にはないと思うんです。一握りの強大な力を持つ人たちがさらに甘い汁を吸うために、何百万何千万人って弱い人たちが犠牲になる、そのもっとも顕著な例が麻薬だと思うんです。 　麻薬生産国を動かすような一握りの人間たちにとって、麻薬に手を染める人たちなんて究極に見下す対象で、彼らのことを人間だなんて全然思ってない。自分のさらなる利益のために弱い人たちが死んでいくことに罪の意識がない。この見下しの構造が、俺らの心の中にある見下しと、根本的にはあまり変わらない気がするんですよね。「中毒になろうが死んでしまおうが関係ない」って。 　誤解を恐れずに極端なことを言い方するならば、他人事として麻薬を認めることは遠くの国の戦争を認めることと同じだよ。他人事の世界の麻薬を憎まないことは、他人事の世界で弱い立場の人が殺されていくことを憎まないことだよ。立場や心の弱い人たちを見下して、その命を踏みにじって生きているってことだよ。片棒かついでるのと同じことだよ。 　「未成年のタバコや飲酒の延長線上的な、ロックでアウトローな世界の象徴としての麻薬」みたいな低俗で貧困なイメージの世界からいつまでも抜け出さず成長せず、「キメるなら周囲に迷惑かけないよーにね！」みたいな無責任なことを言う人が嫌いです。麻薬を使用した環境で作られた音楽作品が好きだからといって、「NO MUSIC,NO LIFE!」という言葉を表層のまま受け取って、「（自分が聴いて楽しむために）通常では考えられない振り切れた音楽作品がこれからも作られるなら麻薬も一部、アリなんじゃないの」とかいう無責任な発言と、麻薬のおかげで死んでいく子供たちとを結び付けない人が嫌いです。 　もっと麻薬を嫌おうよ。麻薬で不幸になってく人たちの存在で利益を得る人たちに、ほんの少しでも協力するのをやめましょうよ。手に届く範囲に不幸になった人がいないからってたいして考えることもせず、麻薬を許容することを不良っぽくて格好良いことみたいに表現するのよそうよ。自分の心の中の見下しに自覚的になって、その原因となるものを根絶しようよ。もっともっともっともっと麻薬を嫌って、「心の弱い人が手を染めたら抜け出せない、人間としての幸せを謳歌できないようにさせてしまう罪深い代物であるところの麻薬」を嫌って、この世界から遠ざけていきましょうよ。 　偉そうなこと言って俺は実際に動いたりしないんです。麻薬撲滅の為のボランティアに参加したり私財をなげうったりしません。涼しい部屋で、パソコンに向かって文章をこねくり回してるだけです。でも、みんなに投げかけることで読んだ人がもっと麻薬を嫌いになって、麻薬遊びをするなんてことが今よりもっとずっと考えられない世界に近づいて、そんで俺の嫌いなものが少しでも縮小すればいいと思ってるんです。そんな世界を待ち望んでいるんです。 　もっと麻薬を嫌おうよ。見下して線引きするのやめましょうよ。...</summary>
    <author>
      <name>dk</name>
      
      <email>replica_love@hotmail.com</email>
    </author>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://replica-love.jp/sayonana/">
      <![CDATA[<p>　もっともっと麻薬ってものを忌み嫌って良いと思うんです。知られてしまったら「人間それやったら本当におしまいだよね、救いようがないよね」「そんな人とは一生絶対にわかりあえないよね」って言うぐらいの禁忌になればいい。報道聞いてぎょっとしちゃうような、人間だったら絶対に手を出してはいけない罪になればいい。一般的な感覚の人に尋ねた時に、不謹慎にも「こういう人は本当に死刑でいいと思うよ」みたいな発言が出ちゃうような、そういうランクの罪と同じように扱われる悪いことになればいいと思います。一度麻薬に手を染めた人が人前に出るなんて有り得ない、テレビでの芸能活動に復帰するなんて考える余地もないレベルで許されない、そのぐらいの扱いになればいいと思います。</p>

<p>　そうしたら少しは根絶に近づくんじゃないかって思うから。今の日本の、麻薬で捕まっちゃった人に対する「あーあ、手ぇ出しちゃったねー」「見つかっちゃったかー」でそれなりに納得しちゃうような、ほとぼりがさめるまでは表立った活動しない程度でハイＯＫみたいな、そういう感覚の人が減りますように。いなくなりますように。</p>

<p>　なんというか、あの見下した感覚が嫌なんです。自分は手を出さない、自分は中毒になったりしないっていうことを前提に、その位置から、手を出してしまった心の弱い人を見下す感じが嫌いなんです。ひどい環境にいる人たちが麻薬漬けになってるのを、抵抗できなかったんだね、弱かったんだね（俺はそんなバカなことしないけどね）って感じで切り離しちゃう感じが不愉快なんです。彼らが麻薬に手を出すのは、そしていつまでも蔓延しているのは、見下してる側の人間の心に「手を出すのは我々と違う低い世界の人たちだから」みたいな溝があるから、という気がしてならないんです。</p>

<p>　麻薬ってのはお金を生みますよね。麻薬生産専用みたいに扱われてる国があって、麻薬を生産することを生業にしてる人たちがいる。その国にはやっぱり麻薬が蔓延していて子供から大人まで麻薬でたくさんの人が死んでる。そうなる理由は、それで儲ける国があって、それで儲ける人がいるからですよね。本当に一部の、世界を動かしてるレベルの権力者が儲けるために、麻薬は生産され続ける。何百年も変わらない歴史です。俺らの日々の生活からいくとどうしても「麻薬、暴力団、悪徳金融……」みたいな貧困なイメージにつながりがちだけれけども、麻薬の問題ってのはたぶん、そんなちっぽけな場所にはないと思うんです。一握りの強大な力を持つ人たちがさらに甘い汁を吸うために、何百万何千万人って弱い人たちが犠牲になる、そのもっとも顕著な例が麻薬だと思うんです。</p>

<p>　麻薬生産国を動かすような一握りの人間たちにとって、麻薬に手を染める人たちなんて究極に見下す対象で、彼らのことを人間だなんて全然思ってない。自分のさらなる利益のために弱い人たちが死んでいくことに罪の意識がない。この見下しの構造が、俺らの心の中にある見下しと、根本的にはあまり変わらない気がするんですよね。「中毒になろうが死んでしまおうが関係ない」って。</p>

<p>　誤解を恐れずに極端なことを言い方するならば、他人事として麻薬を認めることは遠くの国の戦争を認めることと同じだよ。他人事の世界の麻薬を憎まないことは、他人事の世界で弱い立場の人が殺されていくことを憎まないことだよ。立場や心の弱い人たちを見下して、その命を踏みにじって生きているってことだよ。片棒かついでるのと同じことだよ。</p>

<p>　「未成年のタバコや飲酒の延長線上的な、ロックでアウトローな世界の象徴としての麻薬」みたいな低俗で貧困なイメージの世界からいつまでも抜け出さず成長せず、「キメるなら周囲に迷惑かけないよーにね！」みたいな無責任なことを言う人が嫌いです。麻薬を使用した環境で作られた音楽作品が好きだからといって、「NO MUSIC,NO LIFE!」という言葉を表層のまま受け取って、「（自分が聴いて楽しむために）通常では考えられない振り切れた音楽作品がこれからも作られるなら麻薬も一部、アリなんじゃないの」とかいう無責任な発言と、麻薬のおかげで死んでいく子供たちとを結び付けない人が嫌いです。</p>

<p>　もっと麻薬を嫌おうよ。麻薬で不幸になってく人たちの存在で利益を得る人たちに、ほんの少しでも協力するのをやめましょうよ。手に届く範囲に不幸になった人がいないからってたいして考えることもせず、麻薬を許容することを不良っぽくて格好良いことみたいに表現するのよそうよ。自分の心の中の見下しに自覚的になって、その原因となるものを根絶しようよ。もっともっともっともっと麻薬を嫌って、「心の弱い人が手を染めたら抜け出せない、人間としての幸せを謳歌できないようにさせてしまう罪深い代物であるところの麻薬」を嫌って、この世界から遠ざけていきましょうよ。</p>

<p>　偉そうなこと言って俺は実際に動いたりしないんです。麻薬撲滅の為のボランティアに参加したり私財をなげうったりしません。涼しい部屋で、パソコンに向かって文章をこねくり回してるだけです。でも、みんなに投げかけることで読んだ人がもっと麻薬を嫌いになって、麻薬遊びをするなんてことが今よりもっとずっと考えられない世界に近づいて、そんで俺の嫌いなものが少しでも縮小すればいいと思ってるんです。そんな世界を待ち望んでいるんです。</p>

<p>　もっと麻薬を嫌おうよ。見下して線引きするのやめましょうよ。</p>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>「このミステリーがすごい！ リスト」更新しました</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000706.html" />
    <modified>2009-07-21T03:49:37Z</modified>
    <issued>2009-07-21T12:49:37+09:00</issued>
    <id>tag:replica-love.jp,2009:/sayonana//1.706</id>
    <created>2009-07-21T03:49:37Z</created>
    <summary type="text/plain">　昨年末に発売された宝島社「このミステリーがすごい！2009年度版」の情報を含めて、このミスリストを更新しました。「このミス2009」が発売になってから半年、営業妨害にならない良い時期かと思いますが、俺も毎年買ってる良いムックだと思うので見かけたら購入しましょう！（笑） 　 http://replica-love.jp/konomys/ 　このURLをご自分のメールに送って、本屋の中で携帯電話から閲覧していただくと便利だと思います。出版社順に並んでる本屋さん、作家順に並んでる古本屋さん、どちらにも対応してます。 　自分でも使ってますけど便利ですよ。古本屋にパッと入ってとりあえずハズレなしでミステリー買いたいって時に絶対便利。買う気まんまんだった本がなくて困ってる時とか。いやホントに。 　ちなみにこの文章自体2006年に書いたものの使い回しですいません。...</summary>
    <author>
      <name>dk</name>
      
      <email>replica_love@hotmail.com</email>
    </author>
    <dc:subject>メモーマニャ</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://replica-love.jp/sayonana/">
      <![CDATA[<p>　昨年末に発売された宝島社「このミステリーがすごい！2009年度版」の情報を含めて、このミスリストを更新しました。「このミス2009」が発売になってから半年、営業妨害にならない良い時期かと思いますが、俺も毎年買ってる良いムックだと思うので見かけたら購入しましょう！（笑）<br />
　<br />
<a href="http://replica-love.jp/konomys/" target="_blank">http://replica-love.jp/konomys/</a></p>

<p>　このURLをご自分のメールに送って、本屋の中で携帯電話から閲覧していただくと便利だと思います。出版社順に並んでる本屋さん、作家順に並んでる古本屋さん、どちらにも対応してます。</p>

<p>　自分でも使ってますけど便利ですよ。古本屋にパッと入ってとりあえずハズレなしでミステリー買いたいって時に絶対便利。買う気まんまんだった本がなくて困ってる時とか。いやホントに。</p>

<p>　ちなみにこの文章自体2006年に書いたものの使い回しですいません。</p>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>他を排除する大きなグループとそこに所属する個人の気持ち</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000709.html" />
    <modified>2009-04-14T03:14:25Z</modified>
    <issued>2009-04-14T12:14:25+09:00</issued>
    <id>tag:replica-love.jp,2009:/sayonana//1.709</id>
    <created>2009-04-14T03:14:25Z</created>
    <summary type="text/plain">　例えば俺が、ものすごい大きなグループに所属している人間だとして（実際には所属していないけど）。 　所属するグループを悪く言う人Ａさんが現れて、Ａさんに対して所属するグループが制裁を加えて、即日のうちに全ての仕事を失ったりしたとしたら。Ａさんのことが好きでも嫌いでも、複雑な気分だと思う。少なくとも「ざまあみろ、Ａ！」とは思わない気がする。 　俺はそういうことがあるといつも、そのグループに所属する個人個人はどんな風に感じているだろうかって考える。「ざまあみろ！」って思ってるかな、って。グループが粛清を求めていたとしても、所属する個人の大部分はそんなこと求めちゃいない気がするの。所属する大部分の個人が求めていない方向にグループが向かっているとしたら、それはやっぱり上層部がコントロールしているってことなのかな？　所属グループが大きいからこそＡさんを吊るし上げることができたのだとしたら、所属している大部分の人は、上層部の人たちが思い通りに世の中を動かす為に所属しているってことになったりするのかな？ 　所属するグループが間違っているなんて疑わない、疑えない。でも、個人として考えると不安や逡巡や小さな抵抗感がある。罪悪感がある。ああ、周囲の人間がひとり残らず自分の所属するグループにひれ伏してくれればもう少し気持ちが楽になるのに。……日本が戦争してる時って、みんなこんな気持ちだったのかもしれないって思ったんだよね。 　未来、もしも日本が戦争に向かっていって、俺らがどんなに抵抗しても止められなかったとしたら、俺ら日本を見捨てるって手もあるんだよね。だってそんな日本やだもん。...</summary>
    <author>
      <name>dk</name>
      
      <email>replica_love@hotmail.com</email>
    </author>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://replica-love.jp/sayonana/">
      <![CDATA[<p>　例えば俺が、ものすごい大きなグループに所属している人間だとして（実際には所属していないけど）。</p>

<p>　所属するグループを悪く言う人Ａさんが現れて、Ａさんに対して所属するグループが制裁を加えて、即日のうちに全ての仕事を失ったりしたとしたら。Ａさんのことが好きでも嫌いでも、複雑な気分だと思う。少なくとも「ざまあみろ、Ａ！」とは思わない気がする。</p>

<p>　俺はそういうことがあるといつも、そのグループに所属する個人個人はどんな風に感じているだろうかって考える。「ざまあみろ！」って思ってるかな、って。グループが粛清を求めていたとしても、所属する個人の大部分はそんなこと求めちゃいない気がするの。所属する大部分の個人が求めていない方向にグループが向かっているとしたら、それはやっぱり上層部がコントロールしているってことなのかな？　所属グループが大きいからこそＡさんを吊るし上げることができたのだとしたら、所属している大部分の人は、上層部の人たちが思い通りに世の中を動かす為に所属しているってことになったりするのかな？</p>

<p>　所属するグループが間違っているなんて疑わない、疑えない。でも、個人として考えると不安や逡巡や小さな抵抗感がある。罪悪感がある。ああ、周囲の人間がひとり残らず自分の所属するグループにひれ伏してくれればもう少し気持ちが楽になるのに。……日本が戦争してる時って、みんなこんな気持ちだったのかもしれないって思ったんだよね。</p>

<p>　未来、もしも日本が戦争に向かっていって、俺らがどんなに抵抗しても止められなかったとしたら、俺ら日本を見捨てるって手もあるんだよね。だってそんな日本やだもん。</p>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>何もかもについて事細かにルールを決めるしかない</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000708.html" />
    <modified>2009-02-27T17:25:09Z</modified>
    <issued>2009-02-28T02:25:09+09:00</issued>
    <id>tag:replica-love.jp,2009:/sayonana//1.708</id>
    <created>2009-02-27T17:25:09Z</created>
    <summary type="text/plain">　昔はさ、「ちゃんとする」のが当たり前だったんだよね。ちゃんとしなきゃだめと教わって育ってきたんですよ。戦争があって、軍隊があって、お上の言うことは絶対だったんです。家父長制は強力で、父親の言うことは無条件に従って当然だったじゃないですか。威力権力に脅えて、叱られないようにするためにはちゃんとする必要があったわけです。なぜ昔の人がちゃんとしてたかというと、強い力に対する脅えだったと思います。 　もうね、世の中の全てに、微に入り細にわたったルールを決めるしかないと思うんです。何もかもを網羅した細則を定めて、それに従って生きる世の中にするしかないと思うんですよね。「出た、また極端な意見言い出したこいつ馬鹿か」っておっしゃるだろうけど、そう思う。 　例えば、ファミリーレストランを利用する時は、「気持ちよくご利用いただくためのハウスルール」が何百項目もあって、それに従わない客は追い出されるシステムになればいいと思うんです。とにかく騒ぐな、騒ぐ子供を放置するな、離れた席の身内に大声で話しかけるな、コーヒー一杯で何時間もねばるな、ドリンクバーのティーバッグを持って帰るな、砂糖を使い過ぎるな、トイレに立て篭もるな、メニューのカスタマイズを要求するな、宗教やキャッチセールスの勧誘に使うな、店員の尻を触るな──。数百でも数千でも数万でも禁止事項を作って、ルールブックにして置いておく。それに従うことのできない人は利用できない。そんなルールにすりゃいいと思うんです。 　そのルールはね、常に常に更新されるべきなんですよ。インターネット上に全項目が公開されていて、常にアンケート調査を行なっていて、たくさんのユーザーの手によって守るべき項目が常に更新され続ける。大多数が「まあ確かにそれは迷惑だよね」と思えるものは必ず禁止事項としてルール化する。公平に、公明正大に、数千数万のルールが監視されながら更新していくわけです。その上で、例えばファミリーレストランだったら、競合する各社で話しあって、A・B・Cの3パターンから自社が採用するルールを摘要するといいかもしれない。対象とする客層によって制限は変わってくるはずなので。同じ業種のそれぞれが微妙にルールが違うってのはややこしいですからね。客は「この店はファミレスBのハウスルールか……」と把握してから利用するわけです。 　もちろん、店側の人間が数千数万のハウスルールを完全に暗記できるわけはありません。でもいいんです。店側は、困った時はルール相談所に電話で確認します。「今こういう状態なんですが、これって禁止事項ですか」と状況説明をするとすぐ答えてくれるプロが待機してる。確認してNGなら店員は客のところにすっ飛んで行って、「ファミレスハウスルールBの第14章第6条第2項に抵触するためご退店ください」とまくしたててつまみ出す。これを待ったなしで行なう。 　これらのルールはね、法律を凌駕してしまって良いと思うんです。法律よりも、ずっと公平なシステムで作られ、しかも古びませんから。法律なんて、成立するのを待ってるうちに世の中の状況変わっちゃうでしょ。追いつきやしませんから。多数決で、衆人環視の元でハウスルールの細則を制定してっちゃった方が全然早いし、確実なんです。 　場合によってはあなたは、「そういうのはルールではなくて、道徳を教育することでコントロールしていくべきではないの？」と言うかもしれません。でもそれは無理だと思います。学校教育において道徳をどのように教えているのか俺は知りませんけれども、家庭で教えるのは無理ですよね。教わってないことだから。それに、道徳教育ではコントロールできないことはテレビを見てればわかることです。テレビドラマのお涙ちょうだいの場面では常に、道徳的に正しい姿が良きものとして表現されてますよね。家族へ思いやり、友情、無償の愛、弱いものへの愚直でまっすぐな援護。道徳的に素晴らしいことは戦後ちっとも変わっておらずそれらは常に表現されているけれども、個人の生活に置き換えた途端に「それはそうかもしれないけど、ルールにない事柄に関して損したり、自分だけ頑張ったりするのは嫌」ってことになっちゃうわけです。 　ルール、ルール、ルールですよ。リュウ・ホセイのセリフを借りれば「軍規、軍規かぁ」です。世知辛い世の中ですが仕方がありません。ルールにないことは守れないって人が多過ぎるんですもの。明確にルールのないものと対峙したら、常に自分の得が最大限になるように図々しくなるのが現代の処世術です。リスクの少ないタブーは犯してナンボ。ルールにないものを守るなんて、まさに「バカを見る正直者」のやることです。だってルールにないじゃん……そういう理屈で成り立ってるのが今の世の中ですから。ルールになってりゃ文句は言えない。文句があるならルール制定の場に出て行ってひっくり返せばいいんですし。 　例としてファミリーレストランを出しましたが、クレームの発生しやすい客商売に限りません。人と人とが交流する全てのものに細則を決め込めばいい。それこそ道の歩き方、立ち止まり方まで全てルール化しちゃいましょう。ルールを決めちゃえば、ルール違反をする人が必ず損をすることになりますから。安心な世の中になりますよ。法律の制定なんて待ってられません。 　これを読んだあなたは、気分が悪くなって、そんな極端な世の中まっぴらだ、と思ったことでしょう。人の行動の何もかもに制限があってルールでがんじがらめなんて耐えられるわけがない、って思ってますよね、きっと。……大丈夫です！　そんなルール、ひとつも覚えなくたって平気なんです。ちゃんとしてる人にとっては、ルールがあろうとなかろうと、何一つ引っかからないようになってますから。思いやりをもって、人に迷惑をかけないように、自分だけが図々しく振る舞って誰かに我慢させるようなことのないように、そんな風に考えている人にとってはルールの存在すら気がつかないような、気持ちのいい世界になるはずですよ。ちゃんとした人が減ったから、戦前のような脅威の代わりに、「人がちゃんとするためのハウスルール」を制定していく、ってそれだけの話ですから。 　そしてこれを読んだあなたは、きっとどこかで、例えば電車の中なんかで理不尽な行動をする他人に出くわして、ああ嫌だ、こういう行動はちゃんとルールを決めて規制すべきだよネなんて思って、そんでこのエントリのことちょっと思い出して、「何もかも全てにルール決めってのは難しいけど、ある程度必要かもね……」と思うに決まってるんです。「明記されたルール」でない「暗黙の了解」が、とっくにちっとも機能していないことに、いやというほど気づかされるに決まってるんです。 　むしろ、今俺の頭に浮かんでる問題点は……ホントにルール付けの世の中になっちゃったら、「俺はちゃんとしてるつもり。自分を律して人に迷惑をかけずにご真っ当に生きてるつもり」って思ってる俺みたいな若干勘違いしているヤツが、実際にはいかに自分に抜けが多かったのか現実を必要以上に思い切り突きつけられて、極端に自信失ってふさぎ込んでしまうんだろうな、ってことでしょうか。どうすればいいのか不安になって、常に常にルールブックの更新を追い続けていないと気が休まらない、そんな病的な人が増えてしまうだろうということは、わりと大きな問題であろうと思っております。...</summary>
    <author>
      <name>dk</name>
      
      <email>replica_love@hotmail.com</email>
    </author>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://replica-love.jp/sayonana/">
      <![CDATA[<p>　昔はさ、「ちゃんとする」のが当たり前だったんだよね。ちゃんとしなきゃだめと教わって育ってきたんですよ。戦争があって、軍隊があって、お上の言うことは絶対だったんです。家父長制は強力で、父親の言うことは無条件に従って当然だったじゃないですか。威力権力に脅えて、叱られないようにするためにはちゃんとする必要があったわけです。なぜ昔の人がちゃんとしてたかというと、強い力に対する脅えだったと思います。</p>

<p>　もうね、世の中の全てに、微に入り細にわたったルールを決めるしかないと思うんです。何もかもを網羅した細則を定めて、それに従って生きる世の中にするしかないと思うんですよね。「出た、また極端な意見言い出したこいつ馬鹿か」っておっしゃるだろうけど、そう思う。</p>

<p>　例えば、ファミリーレストランを利用する時は、「気持ちよくご利用いただくためのハウスルール」が何百項目もあって、それに従わない客は追い出されるシステムになればいいと思うんです。とにかく騒ぐな、騒ぐ子供を放置するな、離れた席の身内に大声で話しかけるな、コーヒー一杯で何時間もねばるな、ドリンクバーのティーバッグを持って帰るな、砂糖を使い過ぎるな、トイレに立て篭もるな、メニューのカスタマイズを要求するな、宗教やキャッチセールスの勧誘に使うな、店員の尻を触るな──。数百でも数千でも数万でも禁止事項を作って、ルールブックにして置いておく。それに従うことのできない人は利用できない。そんなルールにすりゃいいと思うんです。</p>

<p>　そのルールはね、常に常に更新されるべきなんですよ。インターネット上に全項目が公開されていて、常にアンケート調査を行なっていて、たくさんのユーザーの手によって守るべき項目が常に更新され続ける。大多数が「まあ確かにそれは迷惑だよね」と思えるものは必ず禁止事項としてルール化する。公平に、公明正大に、数千数万のルールが監視されながら更新していくわけです。その上で、例えばファミリーレストランだったら、競合する各社で話しあって、A・B・Cの3パターンから自社が採用するルールを摘要するといいかもしれない。対象とする客層によって制限は変わってくるはずなので。同じ業種のそれぞれが微妙にルールが違うってのはややこしいですからね。客は「この店はファミレスBのハウスルールか……」と把握してから利用するわけです。</p>

<p>　もちろん、店側の人間が数千数万のハウスルールを完全に暗記できるわけはありません。でもいいんです。店側は、困った時はルール相談所に電話で確認します。「今こういう状態なんですが、これって禁止事項ですか」と状況説明をするとすぐ答えてくれるプロが待機してる。確認してNGなら店員は客のところにすっ飛んで行って、「ファミレスハウスルールBの第14章第6条第2項に抵触するためご退店ください」とまくしたててつまみ出す。これを待ったなしで行なう。</p>

<p>　これらのルールはね、法律を凌駕してしまって良いと思うんです。法律よりも、ずっと公平なシステムで作られ、しかも古びませんから。法律なんて、成立するのを待ってるうちに世の中の状況変わっちゃうでしょ。追いつきやしませんから。多数決で、衆人環視の元でハウスルールの細則を制定してっちゃった方が全然早いし、確実なんです。</p>

<p>　場合によってはあなたは、「そういうのはルールではなくて、道徳を教育することでコントロールしていくべきではないの？」と言うかもしれません。でもそれは無理だと思います。学校教育において道徳をどのように教えているのか俺は知りませんけれども、家庭で教えるのは無理ですよね。教わってないことだから。それに、道徳教育ではコントロールできないことはテレビを見てればわかることです。テレビドラマのお涙ちょうだいの場面では常に、道徳的に正しい姿が良きものとして表現されてますよね。家族へ思いやり、友情、無償の愛、弱いものへの愚直でまっすぐな援護。道徳的に素晴らしいことは戦後ちっとも変わっておらずそれらは常に表現されているけれども、個人の生活に置き換えた途端に「それはそうかもしれないけど、ルールにない事柄に関して損したり、自分だけ頑張ったりするのは嫌」ってことになっちゃうわけです。</p>

<p>　ルール、ルール、ルールですよ。リュウ・ホセイのセリフを借りれば「軍規、軍規かぁ」です。世知辛い世の中ですが仕方がありません。ルールにないことは守れないって人が多過ぎるんですもの。明確にルールのないものと対峙したら、常に自分の得が最大限になるように図々しくなるのが現代の処世術です。リスクの少ないタブーは犯してナンボ。ルールにないものを守るなんて、まさに「バカを見る正直者」のやることです。だってルールにないじゃん……そういう理屈で成り立ってるのが今の世の中ですから。ルールになってりゃ文句は言えない。文句があるならルール制定の場に出て行ってひっくり返せばいいんですし。</p>

<p>　例としてファミリーレストランを出しましたが、クレームの発生しやすい客商売に限りません。人と人とが交流する全てのものに細則を決め込めばいい。それこそ道の歩き方、立ち止まり方まで全てルール化しちゃいましょう。ルールを決めちゃえば、ルール違反をする人が必ず損をすることになりますから。安心な世の中になりますよ。法律の制定なんて待ってられません。</p>

<p>　これを読んだあなたは、気分が悪くなって、そんな極端な世の中まっぴらだ、と思ったことでしょう。人の行動の何もかもに制限があってルールでがんじがらめなんて耐えられるわけがない、って思ってますよね、きっと。……大丈夫です！　そんなルール、ひとつも覚えなくたって平気なんです。ちゃんとしてる人にとっては、ルールがあろうとなかろうと、何一つ引っかからないようになってますから。思いやりをもって、人に迷惑をかけないように、自分だけが図々しく振る舞って誰かに我慢させるようなことのないように、そんな風に考えている人にとってはルールの存在すら気がつかないような、気持ちのいい世界になるはずですよ。ちゃんとした人が減ったから、戦前のような脅威の代わりに、「人がちゃんとするためのハウスルール」を制定していく、ってそれだけの話ですから。</p>

<p>　そしてこれを読んだあなたは、きっとどこかで、例えば電車の中なんかで理不尽な行動をする他人に出くわして、ああ嫌だ、こういう行動はちゃんとルールを決めて規制すべきだよネなんて思って、そんでこのエントリのことちょっと思い出して、「何もかも全てにルール決めってのは難しいけど、ある程度必要かもね……」と思うに決まってるんです。「明記されたルール」でない「暗黙の了解」が、とっくにちっとも機能していないことに、いやというほど気づかされるに決まってるんです。</p>

<p>　むしろ、今俺の頭に浮かんでる問題点は……ホントにルール付けの世の中になっちゃったら、「俺はちゃんとしてるつもり。自分を律して人に迷惑をかけずにご真っ当に生きてるつもり」って思ってる俺みたいな若干勘違いしているヤツが、実際にはいかに自分に抜けが多かったのか現実を必要以上に思い切り突きつけられて、極端に自信失ってふさぎ込んでしまうんだろうな、ってことでしょうか。どうすればいいのか不安になって、常に常にルールブックの更新を追い続けていないと気が休まらない、そんな病的な人が増えてしまうだろうということは、わりと大きな問題であろうと思っております。</p>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>大江麻理子という非凡な才能</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000707.html" />
    <modified>2008-09-09T17:20:19Z</modified>
    <issued>2008-09-10T02:20:19+09:00</issued>
    <id>tag:replica-love.jp,2008:/sayonana//1.707</id>
    <created>2008-09-09T17:20:19Z</created>
    <summary type="text/plain">　テレビ東京のアナウンサー、大江麻理子がすごい。 　俺は彼女のものすごいファンだ。彼女は素晴らしい。ちょっと平常心じゃ居られないぐらい素敵に感じられる。深夜番組「モヤモヤさまぁ〜ず2」の中でさまぁ〜ずの二人と街を散歩し、笑い、はしゃぐ姿に、俺は毎週うっとりと見惚れている。 　まず、美しい。顔もスタイルもいい。上品だが屈託なく無邪気に笑う。好奇心旺盛で多趣味。人を悪く言わない。控えめで我を通そうとしない。行儀よく振る舞うのだがちょくちょく気が抜けるのかどじを踏む。だが失敗を必要以上に悔やむこともないし、人のせいにしてなじったりもあまりしない。 　最大の魅力は「乗ってみる」あの感じだ。さまぁ〜ずの二人の、時にはセクシャルハラスメント丸出しのその提案に、とりあえず乗ってみる……あの感じ。サイコロを振って与えられた、「乳首を落としちゃった」というわけのわからないセクハラ設定に、とりあえず乗ってみてキョロキョロしてみせる。「三村は女性の服が透けて見える」という設定にとりあえず乗ってみて、恥ずかしがって身じろぎする。食ってみろといわんばかりに彼女の唇に向けて捕まえた虫を突き出した時は、本当に食べそうになってあわてて手を引っ込めたぐらいだ。 　彼女はさまぁ〜ずの二人を信用している。「本当に酷いことはさせないはず」と信じきっている。だから言われるがままにふるまい、二人の思ったとおりの結果が得られれば場に笑いが起こり、だからこそ困った顔で「やめてくださいよ〜」と笑う。行き過ぎたセクハラにはほんの少し泣きそうな顔でちゃんと断る。そうでなければ、とりあえず乗ってみる。否定せずに、受け入れる。 　彼女は蝶だ。蝶のように美しいからこそ、男は、か細い彼女の肢体を外界の敵から守ってやりたいと思い、にもかかわらず自らの手でその美麗な羽をもぎ鱗翅を散らしてやりたいとも願ってしまう。舞うだけで見惚れるばかりの美しさなのに、こちらが指を立てれば必ずその先に留まって見せる。その素直な振る舞いに、男はつい「自分だけのものにしたい」とあらぬ夢を見てしまう。弱弱しく抗うその身を一度引き寄せてしまったら、壊さんばかりにきつく抱き締めたくなる、そんな狂おしい魔性。 　彼女こそ傾国の美女たりえる魅力の持ち主だ。彼女は才能そのものだ。男の心を釘付けにするという、非凡な才能の。 　ああ、俺は何故、さまぁ〜ずの二人のどちらかとして生まれてくることができなかったのか。こうなったら、最新テクノロジーを駆使して愛川欽也の形をした着ぐるみを作り、それに潜り込んで「出没！アド街ック天国」に出演するぐらいしか手は残されていない。年老いたキンキンのあのぎくしゃくとした動きならば、もしや周囲の目を誤魔化すことも──。...</summary>
    <author>
      <name>dk</name>
      
      <email>replica_love@hotmail.com</email>
    </author>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://replica-love.jp/sayonana/">
      <![CDATA[<p>　テレビ東京のアナウンサー、大江麻理子がすごい。</p>

<p>　俺は彼女のものすごいファンだ。彼女は素晴らしい。ちょっと平常心じゃ居られないぐらい素敵に感じられる。深夜番組「モヤモヤさまぁ〜ず2」の中でさまぁ〜ずの二人と街を散歩し、笑い、はしゃぐ姿に、俺は毎週うっとりと見惚れている。</p>

<p>　まず、美しい。顔もスタイルもいい。上品だが屈託なく無邪気に笑う。好奇心旺盛で多趣味。人を悪く言わない。控えめで我を通そうとしない。行儀よく振る舞うのだがちょくちょく気が抜けるのかどじを踏む。だが失敗を必要以上に悔やむこともないし、人のせいにしてなじったりもあまりしない。</p>

<p>　最大の魅力は「乗ってみる」あの感じだ。さまぁ〜ずの二人の、時にはセクシャルハラスメント丸出しのその提案に、とりあえず乗ってみる……あの感じ。サイコロを振って与えられた、「乳首を落としちゃった」というわけのわからないセクハラ設定に、とりあえず乗ってみてキョロキョロしてみせる。「三村は女性の服が透けて見える」という設定にとりあえず乗ってみて、恥ずかしがって身じろぎする。食ってみろといわんばかりに彼女の唇に向けて捕まえた虫を突き出した時は、本当に食べそうになってあわてて手を引っ込めたぐらいだ。</p>

<p>　彼女はさまぁ〜ずの二人を信用している。「本当に酷いことはさせないはず」と信じきっている。だから言われるがままにふるまい、二人の思ったとおりの結果が得られれば場に笑いが起こり、だからこそ困った顔で「やめてくださいよ〜」と笑う。行き過ぎたセクハラにはほんの少し泣きそうな顔でちゃんと断る。そうでなければ、とりあえず乗ってみる。否定せずに、受け入れる。</p>

<p>　彼女は蝶だ。蝶のように美しいからこそ、男は、か細い彼女の肢体を外界の敵から守ってやりたいと思い、にもかかわらず自らの手でその美麗な羽をもぎ鱗翅を散らしてやりたいとも願ってしまう。舞うだけで見惚れるばかりの美しさなのに、こちらが指を立てれば必ずその先に留まって見せる。その素直な振る舞いに、男はつい「自分だけのものにしたい」とあらぬ夢を見てしまう。弱弱しく抗うその身を一度引き寄せてしまったら、壊さんばかりにきつく抱き締めたくなる、そんな狂おしい魔性。<br />
　彼女こそ傾国の美女たりえる魅力の持ち主だ。彼女は才能そのものだ。男の心を釘付けにするという、非凡な才能の。</p>

<p>　ああ、俺は何故、さまぁ〜ずの二人のどちらかとして生まれてくることができなかったのか。こうなったら、最新テクノロジーを駆使して愛川欽也の形をした着ぐるみを作り、それに潜り込んで「出没！アド街ック天国」に出演するぐらいしか手は残されていない。年老いたキンキンのあのぎくしゃくとした動きならば、もしや周囲の目を誤魔化すことも──。</p>]]>
      
    </content>
  </entry>
  <entry>
    <title>ミュージックマシーン終了に寄せて</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://replica-love.jp/sayonana/archives/000704.html" />
    <modified>2008-05-26T14:48:17Z</modified>
    <issued>2008-05-26T23:48:17+09:00</issued>
    <id>tag:replica-love.jp,2008:/sayonana//1.704</id>
    <created>2008-05-26T14:48:17Z</created>
    <summary type="text/plain">　ミュージックマシーンが終了した。読者としてとにかく楽しませてもらったので、まずその点について感謝の言葉を。どうもありがとうございました。 　心から愛してやまないサイトだったのでとても感慨深い。最近の更新頻度の低下は単純に管理人の忙しさによるもののみとは言えなかったと思うし、サザンオールスターズの休止すら取り上げられなかった時点で（それまでは更新の間隔があいていてもある程度以上のビッグニュースに関してはテキストは短いなりにトピックとして取り上げられていたから）、終了の兆候は見えていたということも可能である。また、クリティカルに終了のきっかけになった要因も想像できなくはないのだが、確証もないのでここには書かない。 　自分にとってこの2008年5月26日は特別な日になったことは間違いないが、かといって「ミュージックマシーンの終了によって、個人ニュースサイトの一時代にひとつの区切りがついた」とも思わない。古式ゆかしい体裁で今も高い人気と高い更新頻度を保ち続ける個人ニュースサイトは存在しているからだ。ただ「個人ニュースサイト」という、世の中一般的に見れば決して市民権を得ているとは言いがたい言葉を、この先歴史的観点で顧みたときに、ミュージックマシーンの名前がそこに現れないことはありえないだろう、とも思う。 　「跡地」とされているところからも管理人であるところのタクヤさんの、ムーノーローカルへのリスペクトが感じられる。ミュージックマシーンの名前の由来でもある「音楽に関するニュースを機械のようにたんたんと収集する」という開設当初の意志や、他に対して絶対に媚びない点や言い訳しない点なども、ムーノーローカルの血、あるいは美意識が受け継がれていたように思われる。終了にあたっても変な悲壮感がないところがやっぱり格好いい。 　タクヤさんは以前ネットラジオ「MOK Radio」の中で「ミュージックマシーンは当初から期間限定の予定で運営されているし、区切りとなる日も決めてあるし最後にアップする予定のHTMLも用意されている」と言っていたが、そのHTMLは結局日の目を見ることなく終わってしまった。そのHTMLファイルが不慮の事故で失われてしまった（らしい）からだ。 　当時用意されていたそのHTMLファイルは今見ることのできる短くそっけないテキストにそっくりだったかもしれないし、全然違うものだったかもしれない。だが今見られる「ミュージックマシーンの終了」は、多分タクヤさんの当初考えていたものとは大きく異なっているのではないかと想像する。その相違点とは……ビジネスである。 　……あー、えっと、俺らがタクヤさんを面白がって揶揄するときに「金の亡者」みたいな冗談を言っていたもんで、そういう意味で取られてしまうとちょっと違うんですけどね。彼は「お金に固執した意地汚い男」では決してありません。お金に対して純粋なだけで…………。閑話休題。 　ミュージックマシーンは「個人ニュースサイトという名の、日本のインターネットにおける個人サイトの1カテゴリーにおいて秀でることは、ビジネスとして成立しえるか」という実験（または挑戦）を行なっていたように思う。 　まずはそのコンテンツの内容である。タクヤさんはミュージックマシーンを継続しながら音楽ポータルサイト「ナタリー」を立ち上げ、そこでの音楽ニュース配信を開始している。日本のロックとポップスに関する話題がビジネスたりえるかということを、タクヤさんがミュージックマシーンの運営によって推し量ったことは間違いないし、現在実際にビジネスとして成立させている。ミュージックマシーンがこのビジネス成立に際して何の役割も果たしていないということはありえないだろう。 　余談であるがナタリーはミュージックマシーンとは似て非なるものだ。共通しているのは日本のロックとポップスの話題というだけで、本来持っている役割が（あるいは機能が）全く違っている。ただ、最近は読者によるコメントが多数集まるようになったことによって、同質とは言えずとも同様の面白がり方ができるようになりつつあるのは間違いない。 　次がアフィリエイトやバナー（広告収入）である。当初サイドバーの下の方からスタートしたAmazonへのリンク位置が、デイリーアクセス数の増加に連れて徐々に上へ上へと出世して行ったことは日参していた読者なら誰でも知っていることである。ある日を境に、ヘッダーと呼ばれていた上部コメントの中に、「musicmachine-22」という呪文を末尾に内包したアマゾンのアソシエイトリンクが埋め込まれていったことも鮮明に記憶されている。思い起こせばPC・ゲーム系個人ニュースサイトの雄TECHSIDEが、「買いそうな予感リスト」としてアソシエイトリンクを張り始めたのもほぼ同時期だったように思う。当時は「好きなニュースサイトの管理人さんが推薦しているから俺も買う買う」ぐらいの無邪気な読者が多かったのだ（リンクURLの末尾なんて確認していなかったのだ）。むしろ、呪文の意図を知った後も「いつもお世話になっているから感謝の意味でこのサイト経由で購入！」なんていう優しい読者さんが決して少なくなかった時代だったとも言える。それは閲覧基準がエントリ単位ではなくサイト単位（もしくは管理人単位）であったという理由に他ならない。金額に関して詳しく尋ねたことはないが（本当はあるが）、最盛期にはタクヤさんもそれなりの結果を得ていたはずだ。 　最後に有名サイト管理人という肩書きがビジネスに繋がった、という点である。実際にタクヤさんはミュージックマシーン主宰という肩書きによって、ニッポン放送のオールナイトニッポンにレギュラーで出演し、大手サイトで音楽評を手がけるなどの活動を過去行なっている。その他にももろもろ。当時「ゲイノー人でも企業や団体の代表者でもない『インターネットの有名人』を、話題の人としてちやほやされる風潮」が多少なりともあったのだ（侍魂の健さんとかね）。ミュージックマシーンというもののネームバリューが、ひょっとしたらこれからもっともっと色々な世界への可能性に繋がるのではないか、とタクヤさんが思ったとしても全くおかしくない。そして、ビジネスと切り分けなくても、タクヤさんをバックアップする人間関係の大きな広がりをもたらしたことは明白である。 　上記3点のようなことが、ミュージックマシーンの周囲に存在していたことは間違いないだろう。趣味で運営されていた価値のある個人サイトが、実際にビジネスになるのか、ビジネスとして続けられるのかという実験（または挑戦）だったと考えてみたとしてもあながち的外れではないのではないか。そんなことを考えると、ムーノーローカルとミュージックマシーンの関係は、意思を継ぐ嫡男のようでいて、実際には全く異なる方向を目指していたようにも思える。 　ミュージックマシーン終了に際して、はてなキーワードから飛べるリンク先を読んでみると「センスのあるコメントが好きでした」といった感想ばかりが並んでいる。あまりにも、あまりにも当たり前過ぎて逆に微笑ましい。カテゴリーを限定した個人ニュースサイトに価値があるとしたら、それは利便性では決してなく、ニュース見出しに付いたコメントの面白さにつきる、と思っている（ノンカテゴリーのニュースサイトの場合は取り上げる話題のセレクトセンスということはある）。ミュージックマシーンの価値は管理人タクヤさんのコメントの面白さに特化しており、だからこそ同じことをやれているサイトが他にないのであるということは間違いない。また更新頻度が下がっても多数のファンに囲まれていたことからもそれは裏付けられるだろう（利便性を求めるなら、当然大手商用サイトに流れるからだ）。 　……だったらまっとうな感謝ってことで別にいいのか。巡回してても「コメントが好きでした、お世話になりました」みたいなあっさりした反応が多くて、おいおいもうちょっと盛り上がれよ、なんか書くにしたってもうちょっと掘り下げろよ、と思ったというのが本音だ。対価も払わずぼんやり日参しているインターネット閲覧先に対する思い入れなんて、一般的にはこの程度なのかもしれない。 　個人サイトの更新という意味で、管理人タクヤさんの日本のインターネットの個人サイトの歴史に寄与した功績は十分に大きく、逆に言えば今後、何か新しい成果を期待するというものではない（もう、既にそんな時代でもないし）。今後はブログをやるということで、昨日今日取得したとは思えない6文字のはてなidでダイアリーを立ち上げていらっしゃるが、頻度高く面白エントリーを更新してまた新しい世界を築いて欲しい、などというのは期待しすぎだろう。ゆるい感じで、思いついたタイミングで更新してくれればそれ以上何も望むことはない。センスの塊のような人だからきっと面白いエントリーが読めるだろうし、瞬発力ある面白さのないエントリーだって楽しめるという確信が俺にはある。なぜなら俺はミュージックマシーンを愛した男だからだ。 　タクヤさん、どうもありがとう。mixiのミュージックマシーンコミュは終了しないのでたまには遊びに来てください。 ミュージックマシーン http://www.musicmachine.jp/...</summary>
    <author>
      <name>dk</name>
      
      <email>replica_love@hotmail.com</email>
    </author>
    <dc:subject>コラム</dc:subject>
    <content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="en" xml:base="http://replica-love.jp/sayonana/">
      <![CDATA[<p>　ミュージックマシーンが終了した。読者としてとにかく楽しませてもらったので、まずその点について感謝の言葉を。どうもありがとうございました。</p>

<p><br />
　心から愛してやまないサイトだったのでとても感慨深い。最近の更新頻度の低下は単純に管理人の忙しさによるもののみとは言えなかったと思うし、サザンオールスターズの休止すら取り上げられなかった時点で（それまでは更新の間隔があいていてもある程度以上のビッグニュースに関してはテキストは短いなりにトピックとして取り上げられていたから）、終了の兆候は見えていたということも可能である。また、クリティカルに終了のきっかけになった要因も想像できなくはないのだが、確証もないのでここには書かない。</p>

<p>　自分にとってこの2008年5月26日は特別な日になったことは間違いないが、かといって「ミュージックマシーンの終了によって、個人ニュースサイトの一時代にひとつの区切りがついた」とも思わない。古式ゆかしい体裁で今も高い人気と高い更新頻度を保ち続ける個人ニュースサイトは存在しているからだ。ただ「個人ニュースサイト」という、世の中一般的に見れば決して市民権を得ているとは言いがたい言葉を、この先歴史的観点で顧みたときに、ミュージックマシーンの名前がそこに現れないことはありえないだろう、とも思う。</p>

<p>　「跡地」とされているところからも管理人であるところのタクヤさんの、ムーノーローカルへのリスペクトが感じられる。ミュージックマシーンの名前の由来でもある「音楽に関するニュースを機械のようにたんたんと収集する」という開設当初の意志や、他に対して絶対に媚びない点や言い訳しない点なども、ムーノーローカルの血、あるいは美意識が受け継がれていたように思われる。終了にあたっても変な悲壮感がないところがやっぱり格好いい。</p>

<p>　タクヤさんは以前ネットラジオ「MOK Radio」の中で「ミュージックマシーンは当初から期間限定の予定で運営されているし、区切りとなる日も決めてあるし最後にアップする予定のHTMLも用意されている」と言っていたが、そのHTMLは結局日の目を見ることなく終わってしまった。そのHTMLファイルが不慮の事故で失われてしまった（らしい）からだ。<br />
　当時用意されていたそのHTMLファイルは今見ることのできる短くそっけないテキストにそっくりだったかもしれないし、全然違うものだったかもしれない。だが今見られる「ミュージックマシーンの終了」は、多分タクヤさんの当初考えていたものとは大きく異なっているのではないかと想像する。その相違点とは……ビジネスである。</p>

<p>　……あー、えっと、俺らがタクヤさんを面白がって揶揄するときに「金の亡者」みたいな冗談を言っていたもんで、そういう意味で取られてしまうとちょっと違うんですけどね。彼は「お金に固執した意地汚い男」では決してありません。お金に対して純粋なだけで…………。閑話休題。</p>

<p>　ミュージックマシーンは「個人ニュースサイトという名の、日本のインターネットにおける個人サイトの1カテゴリーにおいて秀でることは、ビジネスとして成立しえるか」という実験（または挑戦）を行なっていたように思う。</p>

<p>　まずはそのコンテンツの内容である。タクヤさんはミュージックマシーンを継続しながら音楽ポータルサイト「ナタリー」を立ち上げ、そこでの音楽ニュース配信を開始している。日本のロックとポップスに関する話題がビジネスたりえるかということを、タクヤさんがミュージックマシーンの運営によって推し量ったことは間違いないし、現在実際にビジネスとして成立させている。ミュージックマシーンがこのビジネス成立に際して何の役割も果たしていないということはありえないだろう。<br />
　余談であるがナタリーはミュージックマシーンとは似て非なるものだ。共通しているのは日本のロックとポップスの話題というだけで、本来持っている役割が（あるいは機能が）全く違っている。ただ、最近は読者によるコメントが多数集まるようになったことによって、同質とは言えずとも同様の面白がり方ができるようになりつつあるのは間違いない。</p>

<p>　次がアフィリエイトやバナー（広告収入）である。当初サイドバーの下の方からスタートしたAmazonへのリンク位置が、デイリーアクセス数の増加に連れて徐々に上へ上へと出世して行ったことは日参していた読者なら誰でも知っていることである。ある日を境に、ヘッダーと呼ばれていた上部コメントの中に、「musicmachine-22」という呪文を末尾に内包したアマゾンのアソシエイトリンクが埋め込まれていったことも鮮明に記憶されている。思い起こせばPC・ゲーム系個人ニュースサイトの雄TECHSIDEが、「買いそうな予感リスト」としてアソシエイトリンクを張り始めたのもほぼ同時期だったように思う。当時は「好きなニュースサイトの管理人さんが推薦しているから俺も買う買う」ぐらいの無邪気な読者が多かったのだ（リンクURLの末尾なんて確認していなかったのだ）。むしろ、呪文の意図を知った後も「いつもお世話になっているから感謝の意味でこのサイト経由で購入！」なんていう優しい読者さんが決して少なくなかった時代だったとも言える。それは閲覧基準がエントリ単位ではなくサイト単位（もしくは管理人単位）であったという理由に他ならない。金額に関して詳しく尋ねたことはないが（本当はあるが）、最盛期にはタクヤさんもそれなりの結果を得ていたはずだ。</p>

<p>　最後に有名サイト管理人という肩書きがビジネスに繋がった、という点である。実際にタクヤさんはミュージックマシーン主宰という肩書きによって、ニッポン放送のオールナイトニッポンにレギュラーで出演し、大手サイトで音楽評を手がけるなどの活動を過去行なっている。その他にももろもろ。当時「ゲイノー人でも企業や団体の代表者でもない『インターネットの有名人』を、話題の人としてちやほやされる風潮」が多少なりともあったのだ（侍魂の健さんとかね）。ミュージックマシーンというもののネームバリューが、ひょっとしたらこれからもっともっと色々な世界への可能性に繋がるのではないか、とタクヤさんが思ったとしても全くおかしくない。そして、ビジネスと切り分けなくても、タクヤさんをバックアップする人間関係の大きな広がりをもたらしたことは明白である。</p>

<p>　上記3点のようなことが、ミュージックマシーンの周囲に存在していたことは間違いないだろう。趣味で運営されていた価値のある個人サイトが、実際にビジネスになるのか、ビジネスとして続けられるのかという実験（または挑戦）だったと考えてみたとしてもあながち的外れではないのではないか。そんなことを考えると、ムーノーローカルとミュージックマシーンの関係は、意思を継ぐ嫡男のようでいて、実際には全く異なる方向を目指していたようにも思える。</p>

<p><br />
　ミュージックマシーン終了に際して、はてなキーワードから飛べるリンク先を読んでみると「センスのあるコメントが好きでした」といった感想ばかりが並んでいる。あまりにも、あまりにも当たり前過ぎて逆に微笑ましい。カテゴリーを限定した個人ニュースサイトに価値があるとしたら、それは利便性では決してなく、ニュース見出しに付いたコメントの面白さにつきる、と思っている（ノンカテゴリーのニュースサイトの場合は取り上げる話題のセレクトセンスということはある）。ミュージックマシーンの価値は管理人タクヤさんのコメントの面白さに特化しており、だからこそ同じことをやれているサイトが他にないのであるということは間違いない。また更新頻度が下がっても多数のファンに囲まれていたことからもそれは裏付けられるだろう（利便性を求めるなら、当然大手商用サイトに流れるからだ）。<br />
　……だったらまっとうな感謝ってことで別にいいのか。巡回してても「コメントが好きでした、お世話になりました」みたいなあっさりした反応が多くて、おいおいもうちょっと盛り上がれよ、なんか書くにしたってもうちょっと掘り下げろよ、と思ったというのが本音だ。対価も払わずぼんやり日参しているインターネット閲覧先に対する思い入れなんて、一般的にはこの程度なのかもしれない。</p>

<p>　個人サイトの更新という意味で、管理人タクヤさんの日本のインターネットの個人サイトの歴史に寄与した功績は十分に大きく、逆に言えば今後、何か新しい成果を期待するというものではない（もう、既にそんな時代でもないし）。今後はブログをやるということで、昨日今日取得したとは思えない6文字のはてなidでダイアリーを立ち上げていらっしゃるが、頻度高く面白エントリーを更新してまた新しい世界を築いて欲しい、などというのは期待しすぎだろう。ゆるい感じで、思いついたタイミングで更新してくれればそれ以上何も望むことはない。センスの塊のような人だからきっと面白いエントリーが読めるだろうし、瞬発力ある面白さのないエントリーだって楽しめるという確信が俺にはある。なぜなら俺はミュージックマシーンを愛した男だからだ。</p>

<p><br />
　タクヤさん、どうもありがとう。mixiのミュージックマシーンコミュは終了しないのでたまには遊びに来てください。</p>

<p>ミュージックマシーン<br />
<a href="http://www.musicmachine.jp/" target="_blank">http://www.musicmachine.jp/</a></p>]]>
      
    </content>
  </entry>

</feed>
